来賓を迎えてのレセプションパーティにスタッフとして駆り出されていたルーメンは、無事に全日程を終え、解体されていく会場で献身的に後片付けを手伝っていた。
会場内に点在していた丸テーブルからクロスが外され、掲げられていたパネルも下ろされ、華やかだった会場はどんどん無味乾燥なホールへと戻っていく。
魔法が解けたみたい、とはこのような状況を指すのだろうか? ビュッフェの大皿を並べていた長テーブルを畳みつつ、ルーメンは奇妙な寂寞感に囚われた。
パーティの最中はあんなに人々で溢れかえっていたのに、祭りの後とはこのことだ。ぐるりと周囲を見渡せば、壁際に寄せられたフラワースタンドが目に入った。
色とりどりの花をふんだんに使ったフラワースタンドは、今日のために〝園芸部〟の面々が作り上げたものだ。
愛情を込めて育てられた花々は凛と瑞々しく美しい。花のことなど全くと言っていいほど知らないルーメンの目にも、眩しく艶やかに映るくらいに。
「ルーメンくん、お疲れ様。後片付けはもう大丈夫だよ。そのテーブルを片したら上がって」
「え? でも、まだ……」
本日の設営担当者に声を掛けられて、ルーメンは戸惑いながら周囲を見渡した。
ホールはパーティの華やかな雰囲気を失いつつあるものの、椅子やテーブルがまだあちこちに取り残されている。片付けが完了したとは言い難い。
「いいのいいの。ルーメンくんは元々受付の手伝いで呼ばれてきただけなんだし。むしろここまで手伝ってもらっちゃって悪いくらいだよ。また今度、何か埋め合わせするね」
「そんな……気にしないでください。正直、来賓の皆さんと話をするより、こうして片付けの手伝いをしている方が気楽なくらいなんです」
情けない話ではあるが、それが心の底からの本音だ。
よく言えば『素朴』で、身も蓋もない言い方をするなら『気後れしがち』。そんな自分の性質を、誰よりもルーメン自身が理解している。
前に進むと決めて裁判所の一員となってから、少しは変われたという自覚はあるが、根本的な性質はなかなか変化しないものらしい。
「あはは、こっちは助かっちゃうけど、メリハリはつけなきゃね。あとはこっちの仕事」
「……そう、ですか。わかりました」
下手に善意を振りかざすのも、時として迷惑になりうる。ルーメンはそれ以上は食い下がらずに、小さく頷いた。
「お礼……ってわけじゃないけどさ、そこのお花、少し持っていかない?」
長テーブルを所定の位置に片付けて戻ると、先程のスタッフに声を掛けられた。指し示されたのは、あのフラワースタンドだ。
「花、ですか?」
「うん。あれも片付けなきゃいけなくて。けど、ただ解体して捨てるのも勿体ないからさ、みんなに分けてるの。好きな花を好きなぶん包んであげるよ」
確かに、これほど美しく咲き誇っている花を用済みだと処分してしまうのは忍びない。
とはいえ、ルーメンには花を飾る習慣がなく、仮宿であるロドスの宿舎にも花瓶に相当するものがない。
それこそ園芸部を訪ねて事情を話せば、花瓶のひとつやふたつ貸して貰えるのかもしれないが。ほとんど寝に戻るだけの部屋に飾るのは、花が余計に可哀想に思えた。
(でも、ドクターの執務室には――)
花瓶があるはずだ。
外勤任務以外は執務室に籠りがちな上司を案じて、園芸部の面々が季節の花々を持ち込んだり、催し物から持ち帰ったり。様々な理由から、ドクターは花を贈られることが多い。
人の出入りが多い部屋でもあるし、常に忙しい彼女の慰めになるのであれば、自分の部屋に持ち帰るよりもずっといいだろう。
そうだ、ドクターのところに持っていこう。咄嗟の思いつきだが、名案に思えた。
問題は、花瓶の大きさに見合う本数。そして、どの花を選ぶか。
ルーメンは改めてフラワースタンドに向き直る。
赤、ピンク、オレンジ。
ドクターに渡すなら、どんな色合いがいいだろうか?
そもそもドクターがどんな花を好むのか、ルーメンは知らない。
どうせなら彼女が喜ぶ花を選びたかったが、わざわざ本人に問い合わせるのも野暮な気がして踏みとどまった。
せっかくの贈り物なのだから、自分の意志で決めた方がいいのではないか?
そもそもドクターは、自分の好みに合わないからと言って誰かの贈り物を無碍にするような人ではない。そんなこと、ルーメンが一番よく知っている。
ならば、答えは一つだ。自分が贈りたい花を選ぼう。
決意したルーメンの目に飛び込んできたのは――純白の花弁だった。
鮮やかな色こそ持たないものの、凛とした存在感を放つその花は、ドクター自身が醸し出す雰囲気とよく似ている。
一度気づいてしまったら、目を逸らせなくなってしまった。
「では、この花を」
白い薔薇を指し示せば、スタッフは一瞬目を瞠った。その後、「何本ぐらい持ってく?」と問いかけてくる。ルーメンは、執務室に備え付けられている花瓶の大きさを思い出しつつ、本数を指定した。
園芸部に所属する彼女が今度は意味深な笑みを浮かべたのに、ルーメンは気づかなかった。
何しろ今日はドクターに――滅多に顔を合わせられない恋人に会っていないので。
花なんて贈ったことがないから、驚かれてしまうだろうか。
気恥ずかしさと期待を同量ずつ抱きながら、ルーメンは妙に気合を入れて包まれた花束を受け取った。
*
――数日後。
本艦滞在期間も残りわずかとなった昼過ぎ、ルーメンは人々で賑わう食堂に顔を出した。
休憩時間になっても一向にデスクから動こうとしないドクターに、軽食を見繕おうと思ったからだ。
いつものことながら、彼女の仕事に対する集中力には恐れ入る。
――ルーメンさんが本艦にいると、ドクターも気が緩んじゃうみたいですね。
午前中に顔を合わせたアーミヤは、そう言って苦笑した。普段はもう少し自己管理に気を遣ってくれるのだけれど。気にかけてくれる人が近くにいるせいか、いつもより無理をしてしまうみたいで――と。
無自覚に甘えられているようで悪い気はしない。それでも、もう少し体に気を遣ってほしい。
手軽に食べられるものがいいのか、あえて一時的にでもデスクから引き剥がすために少々手が込んだものがいいのか。本日のメニューを見つめ、ルーメンが真剣に悩んでいると。
「あっ、ルーメンくん! この間はありがとう」
横合いから声がかかった。
顔を上げると、そこには先日のパーティで一緒になった設営スタッフが立っている。
彼女の朗らかな笑みにつられて、ルーメンも笑顔になった。
「こちらこそ、ありがとうございました」
彼女が分けてくれた薔薇は、今もドクターの執務室に飾られている。
あの後、ルーメンはドクターを訪ねて花束を渡した。この類の贈り物をするのは初めてだったのでかなり緊張したものの、ドクターは嬉しそうに受け取ってくれた。
そのときにドクターが見せた、少しはにかむような笑顔を思い出すだけで、胸が甘い疼きに締め付けられる。尻込みせずに渡して良かった。
「それでさ、うまくいった?」
「……え?」
ルーメンが甘い余韻を反芻していると、女性スタッフは周囲を窺いつつ一歩前へと踏み出し、ひそひそと問うてきた。
うまくいった? 何がだろうか? 意図を汲み取れず、ルーメンは首をかしげる。
頭上に大きな「?」を浮かべているルーメンを見て、女性スタッフはハッと息を飲んだ。続けて、何かを誤魔化すようにへらへらと笑う。
「あっ、そんなこと聞かれても困っちゃうよね。プライベートを詮索するつもりじゃなかったんだよ。ただ、やっぱりほら、あの花をあの本数だし……ね?」
「……あの、花」
どうやら先日もらった花束に関わる話題らしいが、話の全容が見えてこない。うまくいく? あの花の、あの本数に、何らかの謂れやジンクスがあるのだろうか?
例えば――
(…………)
その瞬間。
ルーメンは唐突に〝あるもの〟の存在を思い出した。
同時にさあっと血の気が引いていった。
確か、花というものには存在していたはずだ。それぞれの花に、時には色や本数に応じて意味合いを持たせた〝言葉〟――
「ねぇ~、日替わりランチなくなっちゃうよ~?」
遠くから、女性スタッフの連れらしい女の声が飛んでくる。
「ごめーん、今行く! じゃあルーメンくん、また今度ね!」
呼びかけに応じ、女性スタッフはルーメンにひらりと手を振り、慌ただしく去っていく。ルーメンも応じる形で力なく手を振り、彼女が視界から消えたのを見届けたのち。
恐る恐る、上着から個人端末を引っ張り出して。
検索エンジンの入力欄にたどたどしく文字を入力した。
白薔薇 本数 花言葉
――検索。
*
全艦に鳴り響くチャイムの音で、ドクターは我に返った。
手元の書類から顔を上げて、これから休憩かなと時刻を確かめ、静かに小首をかしげる。
想定よりも一時間ほど時間が進んでいる。
時計が示していたのは昼休憩開始時刻ではなく、終了時刻であった。
「……」
またやってしまった。
つまり、仕事に集中するあまりチャイムに気づかず、昼休憩を取り損ねたというわけだ。
正直なところ、珍しいやらかしではない。
食事を蔑ろにしているつもりはないのだが、仕事に比べるとつい優先順位が下がって、後回しにしてしまうことが多い。
アーミヤや医療部の面々、更にはケルシーからも口を酸っぱくして注意された結果、最近は以前よりこまめに休憩を取れるようになってきたと自負していたのに、ここ数日はどうにも気が抜けていたらしい。
いつもは離れた場所で生活している恋人が久しぶりに本艦に滞在し、秘書の仕事をはじめプライベートまで甲斐甲斐しく世話を焼いてくれていたからだ。
朝は優し――く見せかけた、介護職上がりの有無を言わせぬ力強さでベッドから引っ張り出されて、昼になれば休憩を促され、うたた寝をしていれば毛布を掛けてもらい、夜には今日はもう寝ましょうとベッドに導かれる。
「甘えてばかりではよくない」と忠告してくる善なる自分を、「一緒にいられる時間は限られているんだから」と欲望に忠実な自分で説き伏せ、恋人の好意に甘えに甘え切った結果がこれだ。
彼――ルーメンが昼休みに顔を出さないだけで、この有り様とは。
(よくないな。少し気を引き締めなくては)
誰に聞かせるでもなく小さく咳払いをして、ドクターは自分以外誰もいない執務室をぐるりと見回す。
壁際に寄せられた棚の上に、シンプルな花瓶。それに丁寧に活けられた、6本の白い薔薇。
先日、本艦で行われたレセプションパーティに手伝いとして駆り出されたルーメンが、報酬代わりに貰ってきたものだ。
――ドクターに似合うと思って。
「柄ではないとわかっているんですが」とルーメンが気恥ずかしそうに渡してくれた薔薇は、パーティから数日を経て、わずかに萎れてきているように見える。
そこまで繊細に花の命を惜しむたちではないと自負していたのだが、ここ数日心を和ませてくれていたあの薔薇が、あとは枯れてしまうばかりだというのが急に勿体なく思えてしまった。
今回はもう遅いかもしれないが、ドライフラワーやプリザーブドフラワーといった、生花を長期保存しておく方法を調べておけば、今後に活かせるのではないだろうか。
頬杖をつき、真剣な顔で薔薇を見つめる。
教えを乞うなら誰が適切だろう? パフューマー? 彼女の他にも、園芸部の面々なら皆快く教えてくれそうだ。
先日のパーティで設営係を担当していた女性スタッフも、確か園芸部だったはずだ。そういえば、昨日執務室を訪れた彼女があの薔薇を見て、何やら含みのある顔をしていたような気もする――
完全に仕事の集中力が切れ、なんだか空腹も感じてきた。それもそのはず、朝食も軽めのものだったし、昼食も摂り損ねている。
だがそれよりも、休憩が終わったにも関わらず、ルーメンが戻って来ていないことの方が気になった。
何かあったのだろうか。
本艦内で身に危険が及ぶことはないとは思うが、彼は本来時間をしっかり守るほうなのに。
薔薇と見つめ合ったまま思案していると、廊下からやや忙しない足音が聞こえてきた。
走りまではいかないものの、かなりの速歩き。その靴音が、どんどんこちらに近づいてくる。
やがて、慌ただしい足音は扉の前で止まり、そして。
「ドクター!」
開いた扉から姿を見せたのは、案の定ルーメンだった。
「どうしたんだ、そんなに急い……で……?」
温和な彼らしくもない、やけに強張った顔つき。それ自体も気になったが、何よりもその手に握られているものに目を奪われた。
見間違いでなければ、あれは――
「あの! 先日お渡しした花束についてなんですが!」
乱れた呼吸を整える間も惜しんで、ルーメンが切り出した。
「うん」
色々と聞きたいことはあるが、まずは相手の話を聞くことにした。
「すみません、僕、花には詳しくなくて。そういうものが存在すること自体は知っていたんですが、自分で花を選ぶ際には全く考慮に入れていなかったというか! だから……その……つまり……! 花言葉を!」
一気に最後まで言い募って、ようやくルーメンは深く息をついた。あとから恥ずかしさが追いついてきたらしく、気まずそうに目を伏せる。
「…………なるほど?」
彼が慌てている理由はわかった。
というか、設営係の女性スタッフが意味ありげな反応をした際に一応自分で調べもした。なので、あの花に紐づけられた〝花言葉〟については既に認識済みなのだ。
もちろん、何らかの意味を込めて贈られたプレゼントも嬉しいが、たとえそうでなかったとしても贈り主の想いが込められているのなら、それだけで充分過ぎるほどだ。
謝ってもらう必要なんてあるはずもない。
確かに、薔薇の花6本は「あなたに夢中」もしくは「互いを敬い、愛し、分かち合いましょう」という意味を持つらしく、更に白い薔薇は「純潔」や「私はあなたに相応しい」という意味も含んでいるという。
それらの花言葉から、プロポーズの際によく用いられるのだ、とも。
おそらく彼は、そういった重要な意味合いではないんです、と言いたいのだろうが、ここまで大慌てされると、ちょっとだけ寂しいというか、なんというか。
とはいえ、彼のこういう生真面目な部分を好ましく思っているのも事実。
君が自分を想って選んでくれたのなら嬉しいし、自分も花言葉については明るくない。だから気に病む必要はない。そう告げようとしたのだが、ドクターが口を開くより先に、ルーメンが毅然と顔を上げた。
「大切な人に贈るものだから、ちゃんと考えるべきだった。たとえ僕自身の想いと花言葉が同じものだったとしても……」
そう言って、ルーメンは右手に携えてきたものを両腕で抱え直した。
あの日と同じ、6本の白い薔薇を。
そう。ずっと不思議だったのだ。なぜ彼は再び、前回と同じ花束を持ってきたのだろうか。
あと、聞き間違いでないとしたら、今彼は随分と熱烈な言葉を口にしたような?
自分の想いと花言葉が同じ、とかなんとか。
しかし、意を決したジョディ・フォンタナロッサはもう止まらなかった。
緊張のせいか、やや強張った顔つき。照れのせいか、やや赤くなった三角の耳。
それでも、夜闇を払うランプの灯りにも似た橙色の瞳に真摯な光を宿して、デスクの前に立つ。
「今度はちゃんと、意味を理解した上で選んだ……ので。もう一度、受け取って貰えますか?」
「……」
ドクターは差し出された花束を無言のまま見つめた。
黙り込んだのは不快だったからではない。
驚いてしまったのだ。彼のあまりの誠実さに。
重要な意味合いを持つ花だからこそ、きちんと理解した上でもう一度贈りたい。それが誠実さでなくて何だろう。
「……あの」
胸の内にじんわりと広がってゆく多幸感。ドクターがその甘い痺れをじっくりと噛み締めていると、反応がないことに不安を覚えたらしいルーメンが視線を泳がせはじめる。
「突然妙なことを言い出してすみません……困りますよね、急に、こんな……」
先程までの凛々しい表情はどこへやら、今度は小動物のようにぷるぷると震え出した。ドクターは慌てて、花束を抱える青年の腕に手をかける。
「違う違う。君が真剣に悩んでくれたのが嬉しくて。喜んで受け取るよ。ありがとう」
恭しく差し出された花束を受け取ると、ルーメンはほっと表情を緩めた。小声で「よかった……」と漏らすのが聞こえてきて、微笑ましくなると同時に、ほんの少しだけ、からかいたい気持ちが湧いてきた。
「ところで、この花束にはどんな想いが込められてるのかな」
花言葉の意味ならもう知っている。ちゃんと調べてある。それを把握した上で、彼が再びこの花束を贈ってくれた事実をしっかりと噛み締めている。
それでも、健気な恋人があんまり可愛いので、もう少しだけ可愛らしい反応を見たくなってしまったのだ。
勿論意地悪には変わりないので、彼が必要以上にたじろいだり困ったりした場合は引き下がろうと思っていた。真剣な相手をあまり困らせるのも可哀想だ。
案の定ルーメンは面食らった様子で、続けて気恥ずかしそうに目を伏せた。そこまでは想定内の反応。そろそろ詫びる頃合いだ。
しかしルーメンは伏せた目をゆっくりと上げて、風もない夜の海のように穏やかな瞳をドクターに向けた。
そして、一度深く呼吸をしてから、
「これからもずっと、あなたの傍にいられるように、あなたに相応しい自分でありたい。――僕が込めたのは、そういう想いです」
真っ直ぐ、目と目を合わせて伝えられた言葉の力強さに、今度はドクターが面食らう番だった。
てっきり、皆が口にする〝花言葉〟が返ってくるかと思ったのに。
告げられたのは彼自身が選んだ言葉だった。
もしかしたらそれが、何よりの贈り物なのかもしれなかった。
「ありがとう。私も同じ気持ちだよ」
眩しいものを仰ぐように、ドクターは目を細めてルーメンを見上げた。
ルーメンはいつもどおりの少し眉の下がった笑い方で、「よかったです」と微笑み返した。
緩やかで穏やかな昼下がり。瑞々しい花の芳香と全身を満たす幸福感に包まれながら、ドクターは。
絶対にドライフラワーの作り方を教わろう、と固く心に誓うのだった。
【おわり】
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