えぬを
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メモリア1.5

バキサム
『メモリア』でバッキーが言った「〝俺〟と〝お前〟でしよう」の翌朝
バッキーがサムを探す話

寝起き、心地よい疲れなど、感じることはなかった。自分の体は普通ではなかったから。だから本当は、そう思いたいだけなのかもしれない。
はるか昔、思い出すことさえ今はもう難しいけれど、思春期を過ぎた頃、すぐに覚えた女体の柔らかさに沈む己の指、包まれる心地の良さに、須く世の女性は神秘的で、美しくそして儚いものだと実地で学んだ。
その頃から自分はスマートで何事もそつなくこなす方だとの自覚もあった。だから、初体験を終えた朝も、腕の中で眠る相手の顔を満足げに眺める余裕もあった──と記憶している。
それがどうだ。
洗脳と改造により強化された心と体は冷え切っていて、たとえ世界の再生が進んだとて、自分の心は寒さに凍えたまま日々を無為に過ごしていくのだろうと思っていた。けれど、脳裏に蘇る甘い熱と記憶の坩堝、引き絞られる一部と粘膜の触れ合う感触は決して夢ではない。眠りに落ちる寸前まで、眠りたくない、と、悪夢にうなされる上での駄々ではなく、胸を掻きむしられるほどの多幸でもってそれを口にするとは。
大丈夫、開けない夜はない、と慰めてくれた温もりを、ありありと思い出せるのに。
……流石に落ち込むぞ」
空っぽの腕、冷めたシーツをなぞり、バッキーは項垂れた。
相棒兼友人兼ただの二人であり、そこから少し進んだと思っていた相手──サミュエル・ウィルソンは、〝二回目〟の共寝を迎えた朝、姿を消した。



相手を呼び出すセルフォンのコール音が繰り返されるわずかな間、バッキーは、繋がった最初の相手がキャスかAJどちらかであれば死ねる、と思った。
──サムおじさんを知らないか?おじさんと昨日愛を確かめあったはずなのに、朝起きたら隣にいなくて、これまでにないほどに焦ってるし落ち込んでる──言えるか。
さりとてサラのナンバーにかけているのだから、彼女が出たとて同じだ。初対面、魅力的な彼女に秋波を送ったことは確かで、あれはバッキーからすれば挨拶のようなものだ。魅力的な女性がいたら声をかけるのは自然なことで──そんな彼女の弟に手を出したのだから、何をか言わんや。数回のコール音からの呼び出し後、受電した彼女の落ち着いた声が聞こえる。
『サラよ』
「サラ、俺だ、その、」
『サムならいないわよ』
「っ、」
先手を打たれた。さすがだ。人生の長さでいけばはるか自分の方が長いけれど、対人への関わり方や愛の注ぎ方は彼女の方がずっとずっと上手だ。大いなる愛のうちに自分もあることも重々承知している。
『バッキー、ほかに心当たりは?』
……一番最初に君にかけてる」
仔細を問わず、母のように姉のように問いかけてくれる彼女への返答は力無く、サラは困ったように機械越し笑った。
慈愛に満ちた笑顔が脳裏に浮かぶ。似てる。当然だ。
『そう。じゃあ探して。手に入れるまで、もう少しかかりそう、ね?』
揶揄うようなその言葉に、自分は長い生涯、決して女性に頭が上がらないであろうことを再度認識させられる。
「絶対に、」
探し出してみせる、と宣言する前に、彼女は不意に思い付いたかのようにつぶやいた。
『馴染み深い場所で色々考えてるのかもしれないわね。昔からそう。一人で抱えて考え込むから、あのこ』
次を探すためのヒントのようなサラの言葉に短く謝意を述べ、バッキーはセルフォンを切るとバイクのハンドルを握る手に力を込めた。

「やぁ、バッキー。キャプテン・アメリカの新しいコマーシャルみた?俺、あれあんま好きじゃないんだよね。サムの戦う姿を望遠で撮って繋ぎ合わせてもさ〜なんかこうリアリティに欠けるっていうか。顔もよく見えないし、何よりカメラがあの動きを追えてないのがまた」
「わかった、すまない、謝る、突然押しかけた上に食事中に無理やり連れ出したのは本当に申し訳ないと思ってる、だから」
「いや別に。そろそろ次の任務の時間だし、ちょうどいいよ。っていうか、食堂にいた連中からしたらキャプテン・アメリカに纏わるあれこれで、バーンズ軍曹が目つき悪く乗り込んでくるのなんてもう慣れたし」
「ホアキン」
こうして軍の施設に乗り込んでもサムの姿はなかった。
「そうだなぁ、俺から言えることは、いい歳した大人の男同士って色々大変なんだなってことくらい?あと、探してるなら、月関係は調べた?」
「っ、」
ホアキンは無害ににこにこと笑っている。正直、そこに頼られてしまうと立つ瀬がない、とも思っていた。昨夜の出来事を〝後悔している〟として、サムが懺悔に走るならば〝そこ〟しかないからだ。
顔には出なくとも、黙り込んだバッキーを見て、ホアキンは重症だな、と呆れたため息をついて、その場を静かに去った。
ホアキンの元に来るまでに、〝馴染み深い場所〟を軒並み探した。両親と暮らした家、以前サムが住んでいた貸家付近、行きつけのバー。どこにもサムはいなかった。
起き抜け、キッチンでサムが朝食を作る様を想像したし、自分が先に起きて寝顔を眺める想像もした。
結局のところ、手に入れたと思い込んでいただけだったのだろうか。
この関係に至ったことを悔いて、共通の親友に相談していたなら、と一番考えたくない思考を振り払う。
それでも結局は、答え合わせをした。
トップシークレット扱いの、直通ナンバー。数コールで相手はモニタ越しに応答した。
『よぅ、クソ野郎、サムの居場所が知りたい?』
「ちくしょう、マヌケ野郎!」
開口一番、すでに泣きが入っているかのようなバッキーの叫びに、スティーブは笑ったまま、咳き込む。慌ててバッキーがスティーブにいたわりの声をかける。老ヒーローは、以前と変わらぬ笑みを湛えて、『お前が笑わせるからだ、バック』と画面越しなおも笑った。
『お前が恋愛に悩んで僕に相談してくるなんて』
……最初はすごく単純だと思ってたんだ。今だってそう思ってる、俺は」
『なぁ、バック。僕たちサムのこと知っているようで知らないことばかりだったのかもな。恋に悩む姿とか知らないし』
……あいつはいつも他人の世話ばっか焼いているからな」
……なぁ、GPSついてるだろ?本当に居場所、分からないのか?』
スティーブの言う通り、あらゆる手段や伝手を使えば新キャプテン・アメリカことサミュエル・ウィルソンの居場所など容易く知ることができる。だからこれは、バッキーの気持ちの問題なのだ。己で探さなければ意味はない。慈しみたい相手を辿る場所が、共に乗り越えた数々の思い出の場所であることを再確認し、バッキーは思いつく最後の場所へと足を向ける。

Jワシントンの名を冠した記念碑が聳える公園は賑々しい。
観光客や地元の人間が行き交う中、少し離れた公園内の端、備え付けのベンチに座るサムを見つけた。
さまざまなアメリカの象徴が集うモールの中、最たる象徴を背負うサムが座るベンチの端に腰掛けた。
しばらく無言で行き交う人々を眺める。やがて、サムは、プールの周辺をランニングする人々を指差した。
「俺が息切らして二周するうちに四周するんだ、スティーブのやつ。おまけに『左から失礼』って。いちいち言わなくていいよな」
「あいつ律儀だからな」
「そういう問題か?」
普段通りの会話だ。互いに前を向いたまま、再度無言の時を少しだけ過ごした末、バッキーは口を開いた。
……正直、昨日の今日で、お前が来たのがスティーブと初めて出会ったところだってことの方が俺は気に食わないんだが」
……お前がそういうこと平気で言うのにも慣れなきゃいけないのかなぁ」
「いやか」
「いや、なんていうか」
……お前の矜持を傷つけた?」
寝起きに抱いた虚無感を思い出す。腕の中、あるはずだと思っていたものがなかったあの瞬間、拠り所としていた自分の想いの強さをバッキーは自覚した。
「ちがう。ただ、朝起きたら急に恥ずかしくなって」
「は?」
「いや普通に恥ずかしいだろ。お前はそういうの慣れてるかもだけど、俺からしたら、小さい頃憧れたキャプテンのサイドキックで、殺されかけた相手で、その上今は相棒で。そんなお前と寝たら、お前なんか、全然あの……あれだし」
項垂れ、もごもごと口調の鈍くなるサムに、バッキーは緊張していたらしい自分の肩の力を抜いた。
……なんだよそれ。俺はてっきり」
「え?」
……嫌だったのかって」
やっとこちらを向いたサムはぱちぱと目を瞬かせた。心なしか瞳は潤んでいた。それもそのはず、互いに眠りについたのは空が白んできたころだ。そのくらい、睦み合っていた。
サムが言い淀んでから視線をわずか逸らす。
……今更だろ。嫌だったらそもそも寝ない」
「サミュエル」
「それだよ!そういうの!お前自覚ないのか!?その、甘ったるいの!」
動揺し、潤んだ瞳をなおも歪ませ、目尻の縁を赤くしてサムが顔を覆う。
──なるほど、スティーブの言う通りだ。
恋に悩むサム・ウィルソンは、とてつもなく愛おしい。
「あ、おまえ、ばか!寄んな!」
ベンチの端と端に腰掛けた距離を縮める。子供のような叫びに思わず吹き出してしまった。
「サム、何でここに逃げた?」
顔を覗き込んで促す。問い詰めないよう、ただの疑問として尋ねる。
サムはハンサムフェイスをなおも蕩かせた、自覚ある〝恋人〟から若干身をひいて、顔を逸らしてからぼそりとつぶやいた。
「おまえとのこと、ぜんぶここからはじまったから」
恋しい、と言う気持ちに色がつき、音がついていたなら正しく軽やかな鐘の音がしただろう。
正直バッキーは自分の胸からそんな音がしてもおかしくないと思った。実際思わず胸元を抑えてしまい、サムは眉根を寄せて『どうしたじぃさん、不整脈か』などと宣ってきたけれど。
数百年の孤独を味わった末の天からの褒美だろうか。それにしたって幸せが過ぎて実際怖くなる。寄った距離よりももっと深いところまでサムはとうに受け入れてくれていたのだ。
今更だった。
そういう男だ、サミュエル・ウィルソンは。
愛情深い隣人という名の恋人は、ランニングに来たかのような格好のままでベンチから立ち上がった。実際ここまで走ってきたのだろう。道中サムが何を思って来たのかを、いずれ話してくれたらいい。見上げた先、日の光を受けた彼の背のあたりが白く輝く。まるで、翼を背負っているようだった。
「帰るか」
共寝をした次の日の会話にしてはあまりにも清々しい言葉だった。
バッキーも同じく立ち上がった。ほんの少しだけ見下ろす位置にあるサムは、やがて悪戯げに笑うと先に走り出した。
「元気だなおい」
身体に負担がなさげな様子に満足げに笑い、戻ってからまたベッドに引き摺り込んでやろうとバッキーは笑って勢いよく後を追う。当然追い抜く。
「左から失礼」
「あ、くそ」
人々は、満開に花開いた美しい桜並木を見上げている。笑いながら駆ける二人の青年が、キャプテン・アメリカとウィンターソルジャーであることに気づくものはいない。