黄色い声に応えるように、〝彼〟はホテルのドアを潜る前に手を振り投げキスをした。ガードマンが壁のように横一列に並ぶ様は壮観だ。カメラやセルフォンのインカメラのシャッター音が一斉に鳴り響くのと同時、歓声が上がる。
この仕事を請け負った時からずっと聞いていた音だ。
ホテルのエレベータに乗り込んだ〝彼〟と数人のボディガード。そして今回〝彼〟の一番近くで〝彼〟を守り続けたこの国の新たなるシンボルとなった男は、その翼で空からの攻撃に備え、〝彼〟を守っていた。ホテルに入るのを見届けた今は屋上に飛来し、やがて最上階に近いスイートルームで合流するだろう。
ウィンター・ソルジャーことバッキー・バーンズは、エレベータに〝彼〟が乗り込むのを見守り、他のボディガードと同様周囲を見回してから乗り込んだ。扉が閉まる前に、赤白青のボディを翻し、一機のドローンが舞い込んでくる。バッキーはそれを見て眉を顰めた。
「……レッドウィングを寄越す必要ないだろ。どうせすぐに着く」
まるで片眉を上げて揶揄するかのように、持ち主にそっくりな仕草で斜めに傾いて見せたドローンから声が響く。
『念には念を、だろ、バック。王子の部屋の周辺に不審者はなし』
「ありがとう、キャップ。君がそう言うなら安心だ」
エレベータは上昇し続ける。レッドウィングは狭い箱の中でふわりと移動し、〝彼〟の肩の辺りでゆったりと浮かんでいる。
「こうしていると可愛い小鳥みたいだ」
バッキーは眼前のエレベータの扉をただ睨みつけた。
◇
とある小国からの訪問者だ。遊学のためアメリカを訪れた王子は大層な美貌の持ち主で、その背景も相まって連日マスメディア取り上げられた。
端正な甘い顔立ちに、アメリカの若い女性たちはこぞって独身の王子に恋をした。いっときの加速した嵐、パパラッチやファンの女性たちから日々追われる中、王子は数週間の滞在を今日で終える。
一般人に紛れた襲撃者が王子を襲うことを恐れた政府は、新たなるシンボルであるキャプテン・アメリカに護衛を依頼した。護衛などは本来サムの職務外だ。けれど別件で追っていたある組織が、偶然にも王子を狙っており、結果としてサムとバッキーは護衛の職務に就かざるを得なかった。
スイートルームに到着すると、盾を背負い、スーツを着込んだサムが待ち構えていた。王子の肩から主の元へ戻るレッドウィングを見つめ、バッキーは部屋の隅に寄りかかり腕を組んだ。
わずか数週間の間、王子はキャプテン・アメリカが自分を守ることにいたく感動し、そして恐縮した。権力者にありがちな横柄な様子もなく、やがてサムも気安く王子と話すようになり、職務としてでなく彼を守った。
別にいいのだ。それは。バッキーが気に入らないのは別のことだ。
サムに近寄り労いの言葉をかける王子の瞳は情熱的で、何より雄弁だった。気付いていないのは恐らくサムだけだ。
あの大きな翼の庇護を受け、弾丸の雨から庇い立ち、超人血清を打ったわけではない、ただの人でありながらも盾持つ人となった新たなるシンボルに、王子は熱を上げた。
同じく王子の護衛にあたっていたバッキーからすれば、王子が転がり落ちていく様は酷く分かりやすいものであったにも関わらず、サムは全く気付いていないようだった。
いくら情熱的な言葉を掛けられようとも冗談と捉え、年下の若造を軽くあしらい続けた。肩書きにも物怖じせず接するサムに、王子が陥落していく様はある意味哀れで、ひとたらしここに極まれり、とバッキーはサムに注進したほどだ。全く通じていないようだったが。
「キャップ、いや、サム。本当にありがとう。滞在中、心安らかにいられたのは君の──君とバーンズ氏のおかげだ」
「敢えて俺を入れてくれてありがとう、王子」
「バック、揚げ足取るなよ。こちらこそ、王子。俺もあなたと色々な話しができて楽しかった。今度はぜひプライベートで遊びに来てくれ」
バッキーは頭を抱えた。リップサービスにもほどがある。いや、サムは心底からそう思っているのだろう。良き友情を築けた新たな友を迎えるためならいつでも、と。
案の定頬を染め、嬉しげに口角を上げた王子は、す、とサムに一歩近付いた。右手を取り、グローブを嵌めたままのサムの指先に口付ける。
「お、おうじ!」
「ありがとう、サム。重く尊い盾を継ぎ、重責を担いながらも君はあの観衆の前で言った。言の葉で世が動く瞬間を世界の人々は目撃しただろう。マイヒーロー、どうか盾よりも心折れず、君の心が平らかでありますように」
心情を慮った王子の言葉に、途端、サムが少しだけ揺らいだ顔を見せた。バッキーの胸がかきむしられる。
──あぁ、その顔は良くない。
案の定魅入られたように王子はふわりと顔を傾け、サムの唇に自分の唇を重ねた──
「ンぶ」
──はずが、サムの唇は、後ろから現れた機械の手のひらに覆われていた。
王子は機械の指先に唇を押しあてたまま、サムの後方をちらり、と見上げた。
ウィンター・ソルジャーがいた。恐ろしいほどの冷ややかな瞳をしていて、室温が急激に下がったかのような心地がする。仕方なし、新たなキャプテン・アメリカを支えるバディの指に想いを託し、王子は唇を離した。
「残念」
「早く帰れ」
「んンー、ぅ、ぷ、は、バック、お前何すんだ!」
「何すんだはこいつに言え!お前今こいつに何されそうになってたか分かってんのか!?」
「おま、王子に向かって〝こいつ〟って」
「そこかよ!」
世界に轟くのであろう新たなバディヒーローの賑やかな痴話喧嘩は、片一方の鈍さが目に余る。
王子はウィンター・ソルジャーに若干の同情を禁じ得ないのだった。
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