仕事の報告を終えた利吉は、久々の休みに高揚していた。この地は土井の住居に近いから、この仕事が終われば会いに行こうと決めていたのだ。しかも予定より早く仕事が終わったから、好都合なことに忍術学園は長期休み中だ。これなら学園の生徒たちに邪魔されず、普段よりゆっくり二人きりの時間を過ごすことができる。空は雲一つなく晴れ渡り、晴れやかな気持ちを後押しするようだ。
利吉はうきうきとした気分で土井の家に向かっていたが、近づくにつれてどうにも違和感がある。中から感じられる気配が土井のものではない。かといって、曲者や泥棒のようでもない。
不思議に思いながら気配を消して近づき、中を覗く。と、そこにはきり丸がいた。いつものアルバイトだろう何某かの作業にせっせと励んでいる。何故きり丸がここにいるのかはわからないが、どうやら事件ではないらしい。利吉は安心して気配を戻し、玄関口から声を掛けた。
「こんにちはー!」
「はいはい」
きり丸がこちらに気がついて顔を上げ、それから顔を驚きと喜色に染めた。
「利吉さん!? どうしたんですか!?」
「仕事で近くまで来たから、せっかくだし土井先生にもご挨拶をと」
「土井先生ならもうすぐ帰ってくると思います!」
「そうか。それなら中で待たせてもらおうかな」
「どうぞどうぞ。大したお構いもできませんが」
利吉は部屋に上がると、きり丸の作業の邪魔にならないよう隅の方に腰を下ろす。きり丸は本当に茶も出さずに目の前の作業に戻った。きり丸のどケチっぷりは承知しているので気分を害するようなことはないが、利吉にとっては手持ち無沙汰だ。
「それ、アルバイトだろう? 私も手伝おうか」
「いいんですか!?」
「ああ。待ってる間、私も暇だからね」
「じゃあぜひお願いします!」
きり丸の説明にしたがいながら、利吉は覚束ない手つきで初めての作業に挑む。手先の器用さには自信があったが、できたものはどうにも不恰好だ。
「上手いっすね」
「そうかな? きり丸くんには及ばないと思うけど」
「そんなことないっすよ〜。初めてなら上出来です。土井先生なんて何個も駄目にしたんですから」
褒められると悪い気はしないが、どうにも気になる台詞だ。
「土井先生にもやらせたのかい?」
「はい。でも全然上手くならないから、代わりに犬の散歩に行ってもらいました」
土井の不在はどうやらきり丸のアルバイトが理由らしい。
「それで、どうしてきり丸くんがここに?」
「えーっと、俺、長期休み中はここで世話になってて」
「ふーん」
悲嘆に暮れる様子はないが、率先して話したい内容ではないのだろう。親のいない子など、このご時世では珍しいものでもない。たまたま利吉が恵まれていただけだ。
となると、学園が再開されるまでここにいるということか。
なんだかだんだんと面白くない気持ちになってきた。せっかく誰にも邪魔されずに逢瀬を楽しめると思っていたのに邪魔者はいるし、その邪魔者の所為で土井本人は不在。しかも恋人である自分に何の相談も報告もなかったとくれば、文句のひとつも言いたくなる。
これは利吉と土井の問題であってきり丸には関係ない。わかっているのに、つい目の前にいるきり丸に向けて、意地悪な物言いが飛び出してしまう。
「それで、土井先生との生活はどうだい? あの人あれで結構だらしないところもあって大変だろう?」
「いやぁ、まあ、そうですね。毎日口うるさいですし……。でも、優しいですよ」
きり丸が元気よく答える。利吉は嫌味のつもりで言ったのに、きり丸の笑顔には何の他意もなさそうだった。それが、利吉にじんわりと罪悪感を抱かせる。あの人は面倒見が良くて、忍者より教師の方がずっと向いている。そういう人だから、土井のことを好きになったのだ。それを自分のちっぽけな見栄や嫉妬心で崩そうなんて、バカなことを考えたものだ。
「そうか。それは良かった」
返事に窮してそれだけを言った。そこへ、聞き慣れた足音と共に怒声が飛び込んできた。
「こらきり丸ー! 私だけじゃなく利吉くんにまでアルバイトを手伝わせるなんて、何を考えてるんだ!」
きり丸は帰ってきた土井にぐい、と耳を強く引っ張られ、頭をぐわんぐわんと揺らしている。
「だってぇ〜! 利吉さんが手伝ってくれるって言うから〜!」
「そうですよ。私が言い出したんです。だからきり丸くんを怒らないであげてください」
「ほらほら、利吉さんもこう言ってますし!」
先程の罪悪感を少しでも払拭しようと助け舟を出すと、土井もようやく引っ張っていたきり丸の耳を離した。はあ、と大きなため息を吐く。
「それで、利吉くんは? 何か用でも?」
「いえ、たまたま近くまで来たもので」
「そうかい。ならゆっくりしていきなさい。夕食はもちろん食べていくだろう?」
*
3人での夕食は、和気藹々と進んだ。日頃は1人で食べることが多いから、賑やかな食事はそれだけで歓迎だ。普段ならそう思えるのに、胸の奥では絶えずもやもやとした感情が渦巻く。泊まっていくよう勧められたが、結局拒否してしまった。元々はそのつもりで来たのだが、すっかりそんな気分ではなくなってしまった。代わりに近くに宿を取ることにする。
1人になると、どうしても余計なことを考えてしまう。本当なら今頃は土井と2人で過ごせていたはずだとか、せめてここに来るよう誘えば良かったとか、そんなことをすれば困らせてしまうからこれで良かったのだとか、これからどうやって土井と2人の時間を作ろうかとか。
答えの出ない問いに振り回されながらも寝支度を整えた頃、馴染んだ気配が近づいてきた。待ち望んでいたような、できれば今日は勘弁してほしいような、そんな気分だ。その気になれば利吉に気づかせずに部屋に忍び込むくらい容易いだろうに、それをしないのは向こうも遠慮しているからか。
気配は部屋の前まで来ると、そのまま動かなくなった。十数秒程待ってみたが入ってくる気配はない。結局根負けして利吉の方から部屋の扉を開けてやった。
「こんな時間にどうしたんです?」
そんなつもりはなかったはずなのに、声につい棘が滲んでしまう。会いに来てくれたことは嬉しいはずなのに、こんなことだからいつまでも子供扱いされるのだ。
「利吉くん、やっぱり怒ってるよね?」
「さっきも言いましたが怒ってはいませんよ」
夕食中、きり丸に隠れて何度か矢羽音を飛ばされたが、そのほとんどをはぐらかしていた。唯一明確に返事をしたのは「怒ってる?」に対する「怒ってません」だけだ。きり丸に気づかれないよう世間話を続けながら矢羽音で話をする自信はない。何せ、自分でも感情の整理がついていない。
「一言教えてくれても良かったのにとは思ってますけど」
室内に招き入れながら、開き直って刺々しい言葉を返す。
詳しく聞けば、きり丸は前回の長期休みから土井の家に世話になっていたらしい。その時は仕事で土井の家を訪ねる余裕がなかったから気づかなかった。けれど、その後には何度も顔を合わせたし、なんなら身体も重ねているというのに、恋人であるはずの自分に何の説明もなかったというのは面白くない。事前に教えてくれていればもう少し冷静に受け止められただろうし、少なくとも今日みたいにきり丸にかっこ悪いところを見せることはなかったはずだ。
「ごめんってば〜。すっかり忘れてて。悪かったとは思ってるよ〜」
本当に悪いと思っているらしく、情けない顔で謝っている。そんな姿を見ると、利吉の気分も多少なり浮上する。遠慮しているのか、1歩分空いた距離がもどかしい。
「ほんとに怒ってはいませんよ。……ちょっと自己嫌悪してるだけです。大人気なかったな、と」
恋人との限られた逢瀬の時間をいつまでも喧嘩で浪費していてはもったいない。土井の前ではかっこよくありたいのに、情けないところばかり見られている気がする。
顔を上げられないでいると、土井が頭を撫で始めた。きっと子供を甘やかす時の優しい顔をしているのだろう。今の顔を見られたくなくて、土井の胸元に顔を埋めた。そのまま背中に手を回すと、応えるように抱きしめ返される。
子供扱いされているみたいで不服だが、黙っていたって利吉の気持ちが全部伝わることはない。囁くように不満を溢した。
「せっかく父上の目を気にしないで済む場所だったのに、“土井先生”の所為でなくなっちゃいましたよ」
「そうだね。これからはここの馴染みになってしまいそうだ。噂にならないように気をつけないとね」
ようやく顔を上げると、土井は茶目っ気たっぷりに笑っていた。それが一緒に悪戯を企てるみたいに見えて、釣られて笑ってしまう。仕方がないから、利吉も乗っかることにする。
潜むのも隠すのも、忍者の得意分野だ。
If you make a mistake, you can cancel it by pressing the reaction.