ojinuko
2025-02-21 21:22:00
5126文字
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猫の日小話

ジョシュクラ/現パロ/全年齢
なんの変哲もない兄弟の日常と通りすがりの猫との小話
設定もほぼありません漠然と弟は学生かな?くらいのゆるゆるです

 立春なんてとっくに過ぎてはいても、二月など結局年間で一番寒い季節なことに変わりはない。冬の間は放っておくと必要最低限しか家から出なくなるジョシュアを散歩に誘うのが俺の休日のルーティンになっていた。三回に一度くらいしか来てはくれないが、朝半分寝惚けた弟とお約束のやりとりをするのもそれはそれで楽しいものだ。

 今日は二月にしては珍しく朝から僅かながら気温が高かった。ジョシュアもなんやかんや言いつつ、いつもよりすんなり布団から這い出した。俺と散歩すること自体は嫌いではないようで、いつも布団の中で相応の葛藤はしているという。ジョシュアが言うには「兄さんが一人で出ていったあとの無音が淋しい」らしい。
 俺としては、朝が苦手な上に寒さにも弱いジョシュアを知っているからこそ無理強いはしないのだが。

 冷える玄関口でジョシュアが控えめなあくびをしながら厚手の上着に袖を通す。まだ眠そうに目をこする仕草が顔を洗うネコのようで可愛い。少し跳ねたままの横髪がどこか猫耳にも見えて思わず溢れた笑みを噛み殺した。
 なに、と唇を尖らせながらも当たり前のように顎をくいとあげて、俺の手にあるマフラーがいつものように巻かれるのを待っている。
「いいや、なんでもないさ」
 くるくると少し長めのマフラーを耳にかかるくらいの高さまで巻いてやり、ついでに跳ねた横髪を撫でつける。そんなことくらいではめげずにまたびょんと跳ねる癖っ毛もまた愛らしい。
「今日はちょっとルートを変えてみるか」
 ジョシュアももうそれなりに大人なのに、ついいつまでも子どもみたいに見てしまう。ジョシュアは不満そうにするが、都合のいい時ばかり弟のふり(弟であることは間違いないのだが)をするのもいかがなものかと思う。
「それなら、兄さんが前に言ってた水仙の咲く土手を歩いてみたいかな」
「水仙には少し遅いかもしれないが……そうだな、そっちにするか」
 鼻まで隠れたマフラーの向こうで碧い目が細められ、じゃあ決まり、とジョシュアは振り返り履き慣れたスニーカーを取り出した。

 土手に咲く水仙の花は誰かが管理しているわけでもないのだろうと思う。だが、他の植物がまだ冬枯れの最中、毎年それだけがいち早く咲き誇る。水仙の凛とした緑と白、それに黄色が冷たい空気に映えてとても美しい。
 その話を去年ジョシュアに聞かせて、それならと見に行ったときにはもう萎れてしまっていた。あれからずっと気にしていたのかと思うと嬉しかった。
「寒い……
 ポケットに手を入れて肩をぎゅっとすくめ、ジョシュアは呟いた。二月にしてはあたたかい方だとはいえ、水仙の土手は北側を向いていて日陰になっている。そして少々風が強めに吹いていて、冬らしい寒さであることに変わりはない。ジョシュアの歩みもだんだんゆっくりになっている。
「もう少しだから。ほら」
 きゅっと縮こまる腕を引き寄せて、萎えそうになっているジョシュアの気分もろとも引き上げる。金の髪がふわふわと鼻先を掠めてこそばゆい。
……兄さんは元気だね」
 憎まれ口をききながらも、自分から肩を擦り寄せジョシュアは横目で微笑んだ。ジョシュアは寒さに弱いが、俺はそうでもない。体温も平均より高いようで、昔からよく俺は弟のカイロ代わりになっていた。
「あ、あのあたりかな?」
 ひょいと顔を上げてジョシュアが顎で示した方向では、土手の上部に咲く白い花が僅かに照らす日を受けて白く煌めいていた。もう時期も終わったかと思っていたが、まだ咲いていた。吹き荒ぶ寒風にも負けていないその姿は目に眩しいほどだ。
「ああ、そうだな。よかった、まだ咲いていたんだな」
 日が当たっているのは土手の上の方のみで、遠目から見えるのはその部分だけだ。近づくにつれ日陰部分に咲く花たちも鮮明になり、見るものを歓待する。
 土手一面、白い花が強かに咲き誇る。清らな潔い香りが風に乗って辺りに漂った。この香りが俺はとても好きだった。
「すごくいい香り……水仙ってこんなに香るんだ」
 目を閉じて冷たい空気ごとその香りを吸い込むジョシュアの横顔は水仙にも負けていない。
 そういえば、ギリシャ神話か何かで水に映る自分の姿に見惚れて水仙になってしまった少年の話があった気がする。あれは、ナルシストの語源だったか。そんな話をしたら機嫌を損ねてしまうだろうか。ふっと溢れた笑いを握った拳で隠し、わざとらしい咳払いで誤魔化した。
「兄さん、またその笑い……。気になるんだけど」
「ん?いや。お前も水仙に負けず綺麗だと思っただけだ」
 思ったことを端的に言っただけなのに、やたらと恥ずかしい言葉になってしまっていることに気がついて目を逸らす。ジョシュアは、ふうん、と怪訝な表情でまた土手に目を移した。
「あれ、兄さん。あそこ、猫だ」
 ポケットに入れていた手を出して、ジョシュアが土手の中ほどを指さした。その先では、少し薄色の大きな茶トラ猫がじっとこちらを伺っていた。
「ずいぶん大きな猫だな」
 耳をピンと立てて、くりくりと真っ黒い目で水仙の間からこちらをじっと見ている。
 ちっちっ、とジョシュアが興味をひかせようと舌を鳴らして指で招くような仕草をするが、警戒しているのだろうか。それには反応せず、その猫はただじっとこちらを見たまま動かない。
「確か……水仙は猫に良くないと聞いた気がするが」
「え、良くないって……どんなふうに?」
「俺も猫に詳しいわけじゃない……ただ猫を飼っている同僚がちらっとそんな事を言っていた、と思う」 
 ふたりで顔を見合わせもう一度その猫を見ると、いつの間にか猫は土手の上の方へ移動していた。かわいいとは言えない濁声でアオン、と鳴くと水仙を器用に避けて日光の当たる方へ向かって土手をスルスルと歩いてゆく。時々こちらを振り返っては、そのたびに濁声で鳴いた。
「なんだろう、僕たち呼ばれてる?」
「もう少し向こうに上へ登れる階段がある、登ってみるか」
 ちょっと楽しそうなジョシュアの声音に、俺も少々の冒険心が出た。猫に呼ばれるなんて、まるで子供の頃に読んだ絵本の世界だ。
 狭いコンクリートの階段を登りきると、そこは閑静な住宅地で猫はそこでちょんと行儀よく座っていた。俺たちを待っていたかのようにくるりと踵を返し、天に向けた長い尻尾を揺らしてしゃなりしゃなりと歩き出した。
「このあたりで飼われている猫なのかな?」
「そうなんだろうな、ちょっとついて行ってみるか」
 早足で歩いて階段も登ったからか、ジョシュアのさっきまでの寒そうな仕草はすっかり鳴りを潜めていた。むしろ白い頬には紅みが差して、表情に生気が乗っている。俺はと言えば、底冷えさせていたあの風をむしろ今は気持ちよく感じているくらいだ。
 いくらも行かないうちにその猫は角を曲がり、俺たちもその後を追った。しかし、角の先で猫はまるで煙のように姿を消した。
「おかしいな、確かにここを……
 道なりに視線で探ってみるが、猫の気配はない。腕組みをして首を傾げた俺の背を、ジョシュアがぽんぽんと叩いた。
「ねえ、あれ。あの猫じゃないかな」
 ジョシュアが指さした先を見ると、すぐ目の前の家屋の中、大きな出窓の向こう側で置かれた皿から何かを美味しそうに頬張る猫の姿があった。
「ここは……喫茶店か何かか?」
 アンティーク調の木製のドアを中心にして、大きな出窓が左右対称に二つ。ドアには〈OPEN〉と書かれた板が掛かっていた。見上げれば洒落た意匠の吊り看板に、色褪せたcoffeeの文字とコーヒーカップが描かれている。
 外から見た印象は古そうな店で、一見で入るには少々勇気の要る佇まいだった。看板を見上げていると、カランと音がして内側から扉が開いた。
「あら、お兄さんたち、お客さん?また猫ちゃんが連れてきたのかい?」
 そう言って、出てきた小綺麗な老婦人が「どうぞ」と扉を押さえてくれた。
 客ではありません、とは言い出せず老婦人にお礼を言ってふたりで目配せしながら店内へ踏み入れる。
「マスター、お客さん。また猫ちゃんが連れてきたみたいだよ」
 彼女は中に向かってそれだけ言うと、それじゃあね、と会釈を残して去っていった。
「いらっしゃい、ウチのコが失礼したかな」
 そう広くない店内のカウンターの向こうから、口周りと顎に髭をたくわえた優しそうなマスターが出窓でのんきに顔を洗う猫を指さした。
「あ、いえ。この子が水仙の土手にいたものだから……水仙は猫に毒だと聞いたから心配になってしまって」
 ジョシュアがそう答えると、マスターはお冷やを準備する手を止めて猫に呼びかけた。
「お前、またあそこに行っていったのか」
 にゃ、と文字通りの猫撫で声で鳴いて、猫は出窓の傍に置かれた座布団の上で何食わぬ顔をして丸くなった。
「全く……。立たせたままですまないね、お好きな席にどうぞ」
 好きな席に、と言われふたり目で合図をして猫の近くの席にした。ぽかぽかとガラス越しの陽に当たる猫は、柔らかそうな毛が光を蓄えて思わず触れたくなってしまう。キラキラと光を通す薄茶の被毛はジョシュアの髪を思わせた。朝の跳ねていた横髪を思い出してその場所を横目で見ると、強い風に吹かれたからか、朝とは違う跳ね方になっていた。
 お冷やを持ってきてくれたマスターにホットコーヒーを二つ注文してまた猫へと視線を戻す。
 猫を見ていて、ふと思った。
 靭やかな身のこなしと、高貴さを思わせる出で立ち。
 特に愛想を振りまくわけでもないのに、周囲を惹きつけてやまないその存在。警戒心は強いが、一度懐いてしまえばどこまでも甘い存在となる。
「お前は猫っぽいな」
「何、突然。……気まぐれってこと?」
「いや、なんとなく高貴そうな感じとか」
「高貴って、僕は兄さんと同じ血が流れてるんだけど」
 そう呆れたように笑い、ジョシュアはテーブルの上に置いていた俺の手にその手を重ねた。碧眼が俺を映して緩やかに弧を描く。
……狩りが上手そう?」
 妖しく上がった口角が、ぐっと言葉を詰まらせる。その目に射竦められたら何も言えなくなってしまう。
 なるほど、どうやら俺は言葉を間違えたらしい。
「訂正するよ、猫じゃなかったな。……〈ネコ科〉だ」

 マスターのコーヒーは美味しかった。おまけでつけてくれたクッキーと、とても合っていた。
 またどうぞ、と笑うマスターと起きない猫に会釈をしてカランと鳴る扉を押した。外から出窓を覗くが、猫は気持ちよさそうに眠ったままだった。
 またあの土手の階段をふたりで下る。
 帰り際にマスターが話した。
――水仙が猫によくないとは言っても、食べたりしなければ大丈夫なんだけどね。この子は時々あの土手に行ってはあんたらみたいな心優しい人をここに招いてくるんだ、まあ偶然だとは思うのだけどなあ』
 そう言って、彼は愛おしそうに丸い猫の背を撫でてカラカラと笑った。
 またあの透明感溢れる香りの中、並んでそぞろ歩く。昼に向けて、日も高くなり少し気温が上がってきたようだ。香りも幾分か強くなった気がする。
「あの猫、ああやって兄さんみたいな優しい人を探してるんだ。なかなかの策士だね」
 最初に猫を見つけた場所でジョシュアが不意に足を止めた。突然隣が空いて振り返った俺に、土手の水仙を見たまま綺麗な横顔が俺へと語りかける。 
「あの子は猫だからいいけど。駄目だよ、兄さん。困ったふりした変な奴にほいほいとついて行っては」
 大の大人に対してさすがにそれはないだろう。
「俺は子どもじゃないぞ」 
 そう返した俺に、ジョシュアは一歩大きく踏み出して一瞬だけ真剣な目をした。ぐいと腕を引き寄せられ、思わぬ力に体勢を崩す。どさくさ紛れに顔が寄せられ、ちゅっと軽く頬に吸い付いたかと思うと、一段低い声が耳許で囁いた。
……やっぱりわかってないね。子どもじゃないから心配なんじゃないか」
 背中に添えられた手が意味深に降りて腰を抱く。
 そこまでされれば俺にだってジョシュアの言いたいであろうことの見当はつく。
 しかしそれにしたって、そもそも俺をそんなふうに見るのは世界広しと言えどジョシュアくらいなものだ。こんな筋骨隆々の男など誰がそんな目で見るものか。
 ただ、それを言うとなぜか大変な目に遭うことが多いと経験上知っている。夜、ベッドの上で。
 なので、ここはとりあえず黙って大人しくしておこう。

――ネコ科の動物は、獰猛な肉食獣なのだ。