猫澤
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月のはなむけ

魔法使い×人間 まほやく風味


 今宵の満月はいっとう輝かしい。
 穏やかな風。虫のさざめき。雨を待つ草花の、祝福の声。
 エニシダの箒に腰掛け、優雅に空を漂いながら。――魔法使いはひっそりと吐息を零した。
 

「成人おめでとう、ツカサくん」
 柘榴色の外套を纏い、にこ、と親しげに目を細める魔法使い――ルイ。玄関先で彼を出迎えたツカサは、ぱち、と数回瞬いて、表情を綻ばせた。
 まだ日付が変わって間もないというのに、律儀な友人だ。
「わざわざ祝いに来てくれたのか? ありがとう!」
「フフ。魔法使いにかかれば、僕が棲む森からここまで箒でひとっ飛びだからね。……これは僕からのささやかなお祝いだ。受け取っておくれ」
「なんだこれは?」
「僕のとっておきさ」
 差し出された包みを開けると、一本のボトルが顔を覗かせた。中は透明な液体で満たされており、月光に翳すとキラキラと光り輝く。よく晴れた日の海原のような煌めき。つい見惚れるツカサを見つめ、ルイは「ほら」と手を掲げてみせた。
「君ももうお酒が飲める年齢だろう? 一緒に飲める日を楽しみにしていたんだ。よかったら……おうちにお邪魔してもいいかな?」
「ルイ……。ああ、もちろんだ! 入ってくれ!」
 今夜は満月だから――ちょうどあの黄金の輝きが空の真上を通過したくらいの頃に、ツカサは十八の誕生日を迎えたことになる。成人したからといって特別な何かがあるわけではないが、こうして直接祝いに来てくれた粋な友人を門前払いなどするはずもない。喜んでルイを招き入れると、ルイは目深に被った大きな帽子を脱いで、小さく会釈した。
 ランタンの淡い灯りに照らされた薄暗い室内を、金色の瞳が興味深そうに見渡す。そうまじまじと観察されるとこそばゆいな、とツカサは苦笑を零して、リビングのソファーへとルイをいざなった。
 静謐な夜に、二人分の足音が響き渡る。
「へえ……少し前から一人暮らしをしているとは聞いていたけれど、ずいぶんと綺麗に片付いているね」
「普通だろう。お前の部屋がとっ散らかり過ぎなんだ。オレの背丈ほども山積みになった本など、下の方を読みたいときに一苦労ではないか?」
「人間にとってはそうかもしれないけれど……僕は魔法使いだからねえ。ちょちょいと浮かせてしまえば大した苦労はないよ」
「便利だな、魔法ってやつは……
 魔力のない、ただの人間であるツカサからしてみれば羨ましいことこの上ない。ルイがひとつ指を鳴らせば、森羅万象、世界のあらゆるものが彼の思いのまま自在に動き、姿を変える。
 ツカサはルイ以外の魔法使いを知らないが、ルイの話によれば――魔法使いは世界各地で細々と暮らしているそうだ。密やかに、人の営みに紛れながら。
 キッチンからグラスを持ち出したツカサは、ルイからもらったボトルを開け、そっと中身を注いだ。窓から覗く満月が波打つ水面に浮かびあがる。グラスの縁を合わせ、ひとくち。おそるおそる飲んだつもりだったが、喉がカッと熱くなった気がした。
……ん。これがお酒の味か……!」
「はじめてだし、口当たりのいいものを選んできたのだけれど……。どうだい? お口に合いそうかい?」
「ああ! 少し独特な味だが、口当たりはたしかにまろやかだ」
「よかった。僕から君へ、ちょっとした祝福の魔法もかけておいたから……気に入ってもらえてうれしいよ」
 そう言ってルイもグラスを呷る。その喉仏が上下するさまを横目に見つつ、ツカサはグラスと一緒にキッチンから持ち出したオリーブの塩漬けを開けた。
 ひと粒摘んで口に含めば、たちまちさっぱりとした塩味が広がっていく。サラダ用にと作っていたものだったが、ちょうどよかった。
「人間の成長というものは早いね。ついこの間までツカサくん、こんなに小さい子供だったのに」
「いつの話をしているんだ……。まあ、魔法使いや魔女は何千年と生きるそうだし、ルイにしてみればオレもまだまだかわいいひよっこなのかもしれんが」
「僕はまだ二百歳だけどね。魔法使いの中では、僕だってひよっこさ」
 何度聞いてもにわかに信じられない話だ。改めてルイの容姿を上から下へ眺めてみても、自分とそう年の変わらないように見えるというのに。
 魔法使いは、その身に宿る魔力の影響で不老不死と言われている。厳密には――不老であっても、不死ではないらしいが。六十年も生きれば死んでしまう人間にとってはどちらも大差がない。
「ある日突然幼い子供が森に迷い込んできたときは、どう追い返してやろうか悩んだものだけれど……
 フフ、とルイが目を細める。途端にツカサはすわりの悪い心地になって、苦し紛れにグラスに口をつけた。
 古来では。ルイ達魔法使いは、その魔力を恐れた人間達によって迫害され、あるいは利用されて生きてきたと聞く。風習は根深く、今も人間と魔法使いの間には大きな断絶がある。故に人嫌いの魔法使いも少なくなく、ツカサが出会った頃のルイもまた、ひどく人間を遠ざける節があった。
 今でも鮮明に思い出せる。――こんなところにいないで、早く人里へお帰り。幼い自分を、そう、諭すような口ぶりで何度も叱るルイの姿を。
「今にして思えば、迷い込んだのが君でよかったよ。君が熱心に町の人に僕のことを触れ回ってくれたおかげで……こうして町を訪れても石を投げられなくなったのだからね」
「何を言う。オレはただ、ルイの魔法の素晴らしさを説いただけだ」
 どんなに人間が魔法使いを忌み嫌っていても。ツカサは、ルイの魔法が――ルイのことが好きだった。幾度となく彼の元を足繁く通ったのは単なる好奇心からではない。ツカサにとって大切なこの町の人々と、本当は人間が大好きな――寂しがりの魔法使いを繋ぐ架け橋になりたかったのだ。
 それでも、ツカサひとりでは人々の価値観までは変えられない。他でもないルイ自身が、人間を、町の人達を笑顔にしようと動いてくれたからこそ――みんな、ルイが悪い魔法使いではないのだと理解してくれた。
 本当に、うれしいことだと思う。
 ツカサにはひとり、年の近い妹がいる。彼女は生まれつき病弱で、ここよりもずっと遠い診療所に通うため、ツカサと離れて暮らしていた時期があった。
 寂しくなかったといえば嘘になる。大切な妹を失うかもしれないと思うと、いつも不安で心が張り裂けそうだった。
 その寂しさを埋めてくれたのが――ルイなのだ。
 迷い込んだ森の奥で見つけた魔法使いの家。そこで見た、ルイの魔法に、ツカサはすっかり釘付けになってしまった。……きっと、一目惚れだった。
「そういえば……昔、オレはとんだ勘違いをしていてな」
「勘違い?」
「ルイのことを、ずっと魔女だと思っていた」
 そう吐き出すように呟くと、満月を背負ったルイは興味深そうに瞬いた。
「たしかに、一時期そんな感じのことを言っていた気がするよ。魔法使いにとっては性別なんてあってないようなものだから、特に気に留めてもいなかったけれど」
「そうなのか……?」
「魔法使いも魔女も根っこが自由人だからね。今の性別に飽きたからとか、好きな人に子供を産んでほしいからとか、気分転換とか……そんな理由で自分や他人の性別を変えてしまうこともあるくらいさ」
 僕は面倒だからあまり性転換の魔法は使わないけどね、と、ルイが補足のように付け加える。ツカサは空になったグラスに酒を注ぎ直しながら、そういうものか、と頷いた。魔法使い相手に自身の常識が通用しないことは、この十年で織り込み済みだ。
「しかし……ルイは気にしていないと言うが……、お前が男だと知ったとき、オレは天と地がひっくり返るかと……
……ふうん?」
……オレの、初恋は……お前だったから……
 ボトルを置いたツカサの頭がぐらりと揺れる。その頬には薄く朱が差し、瞳の焦点もゆらゆらと泳ぎ出す。
 ツカサの異変に気がついたルイは、表情を変えないまま、そっとグラスをテーブルに戻した。奇しくも満月と同じ色を宿した瞳が、俯くツカサを映す。
「大人になったら、お前に求婚しようと……思っ……
「おっと」
 大きく傾いたツカサの体を支えて、ルイは赤く染まった耳元に「大丈夫かい」と囁いた。額を押さえ、呻きながら。ツカサはクラクラと止まない眩暈に眉を顰める。
 そういえば、喉が燃えるように熱い。いや、全身が火照っているような気もする。目が、回っている。それとも世界が回っているのだろうか。
「酔いがまわってしまったのかな? 少しベッドで休もうか」
「うあ……
 ルイはツカサを軽々と横抱きに抱え上げて、奥の部屋へと向かった。寝室のベッドに優しく降ろされながら、ぐうう、と喉の奥で唸る。あまりにも情けない。自身が酒に弱いことなど今の今まで知る由もなかったが、それにしたって、成人したのに抱っこで運んでもらう体たらくとは。
 でも――。目を閉じると浮かび上がる昔日の思い出。はしゃぎ疲れて眠ったふりをすると、ルイはいつも仕方がないなと困ったように笑って寝床まで運んでくれた。ルイに優しく髪をすかれるうちに、だんだん本当に眠くなってしまって――そうして昼寝をした日は、きまって楽しい夢をみるのだ。たくさんのぬいぐるみ達に囲まれて、傍にはルイがいて、果てのない大きな島を冒険する夢を。
……ルイの手、きもちいいな」
「そうかい?」
「ああ……。この手が、オレは大好きだったんだ……
……
 ほんの少し。自分よりも低い体温の手のひらに、頬を寄せる。火照った肌にちょうどいい冷たさで、ツカサは心地いい微睡みの縁へと足を掛けた。
……僕も、ツカサくんが大好きだよ」
「うむ……?」
「本当に……、君が大人になる日を心待ちにしていたんだ」
 薄く目を開く。存外、間近にあったルイの双眸と目が合って、瞬いた。
 瞳の奥に、知らない熱がある。
「してくれるんだろう? 僕と、結婚」
……? だが、ルイは男で……
「おや? 魔法使いに性別は関係ないと、さっき教えてあげたじゃないか」
 そう、だったか。そうだったかもしれない。
 悪戯っ子のような笑みを浮かべて、ルイがそっと目を閉じる。つられてツカサも瞼を下ろせば、くちびるにやわらかいものが触れた。
「ん、……んん……
 ふにふにとくちびるが形を変える。呼吸がしづらくて、苦しい。けれど両頬をルイの手で包まれているせいで、顔を背けられない。
 そのうち思考さえもばらばらになって、ツカサは縋るようにルイの外套を掴んだ。名残惜しそうにくちびるが離れる。小さなリップ音がやけに響く。なぜだろうか。腹の奥が、どうにもむずむずして仕方がない。
 ふ、と。ルイが微笑んだ気がして、ツカサはゆっくりと瞳を持ち上げた。
「魔法使いたるもの、『約束』は果たさないとね。大丈夫、何も心配はいらないよ。性別も、寿命も……どんな壁だって超えてみせるさ」
 ベッドが軋んだ音を立てる。月明かりに照らされたルイは、片頬を持ち上げて。熱を孕んだ眼差しで、ツカサを見下ろした。
「かならず君を、……幸せにするよ」

   *

 白い朝日が射し込んでいる。
 ぱち、と目を開けたツカサは、いの一番に視界に飛び込んだルイの裸に仰天した。そして自身も何ひとつ身に纏っていないことに気がついて声にならない悲鳴をあげた。え、だとか、う、だとか。意味を成さない音ばかりが喉から抜けていく。
 真っ先に、自分がルイを抱いたのかと疑った。しかしそれにしてはやけに尻と股関節に違和感がある。混乱を極めながらも、昨夜の出来事を順に追いかけて――微かな記憶の断片を掴んだ。
 ――「ツカサくんの中、熱くてきもちいいね。フフ、溶けちゃいそうだ……
 いまだかつて聞いたこともない、ルイの、底なしに甘い声。脳が痺れて、肌がぞわぞわして、息もできないくらい苦しくて。ひっきりなしに喘ぐツカサの腰を、ルイが、掴んで――……
……‼︎」
 勢いよく起き上がる。バクバクと嫌な音を立てる心臓を押さえていると、ベッドの振動で目を覚ましたルイが眠たげな声をあげた。
 柔らかな藤色の髪がさらりと流れる。
「ん〜……ツカサくん……?」
「ぬあっ⁉︎ お、おおおおおはようっ……
「おはよう……君は朝から元気だねえ……
 でも僕はまだ眠いから、もう一眠り……。と、あっさり意識を手放そうとするルイに、今度こそツカサは焦った様子で掴み掛かった。
「いやいやいやいや待て待て待て。せ、説明してくれ……!」
「説明?」
「な、何故オレもルイも裸なんだ……
……
 金色の瞳をツカサに向け、ルイが身動ぐ。さり、とシーツが擦れる音。それに紛れるように、ツカサはごくりと喉を鳴らした。……沈黙がおそろしい。しかし、曖昧にしたままにするのはもっとおそろしい。
 やがて――緊張した面持ちでルイの言葉を待つツカサの、その耳元にくちびるを近づけて。ルイはそっと、低く囁いた。
……昨晩、あんなにも熱く愛し合ったのに……もしかして忘れてしまったのかい?」
「は……
 瞬く間に。全身の血液が沸騰した、気がした。
「お、お前、やはりオレを、だ、だ、抱い……⁉︎」
 思わず頭を抱える。ツカサは「ぬおおおお」と素っ頓狂な声をあげて、その場にうずくまった。
 なんてことだ。たしかにルイは初恋の相手だけれど、今は彼の理解者として、友人として――自分の寿命が尽きるその時まで傍にいるつもりで。体の関係をもつつもりなんて髪の毛先ほどもなかったはずなのに。――いったい何がどうしてこうなってしまったんだ⁉︎
……ツカサくん」
「おわっ……
 二本の腕が、ツカサの体に絡みつく。ルイに後ろから抱き寄せられたツカサは、ずるっとシーツで足を滑らせて、まんまとルイの腕の中に収まってしまった。
 ド、ド、とあまりに大きく心臓が動揺を主張するので、ひょっとするとルイにも鼓動が伝わっているのではないかと気が気ではない。そんなツカサを笑うように、あるいは宥めるように――ルイはその頬にくちびるを寄せた。
「ふふ……忘れてしまったのなら、もう一度二人の愛を確かめ合おうか?」
「へ……いや! いい! 十分思い出せた‼︎」
「そう? 残念♪」
 まったく残念と思っていない声色だ。それどころか機嫌よさそうに頬やら耳やらを啄ばむルイを手で押し退け、熱の奔る頬を押さえる。
「〜〜っ、ルイはいいのか。結婚相手がオレで……
 二百年もの間ずっと独り身だったのだから、てっきりルイは身を固めることに消極的なのだとばかり思っていた。大きくなったらルイと結婚する、なんて幼い頃は無邪気に言っては、何度も軽くあしらわれていたものだ。そう、だからこそ、ルイにはその気がないのだと、ツカサは思い込んでいて。
 だのに、どうだ。当のルイは顔色ひとつ変えることなく、さも当然のように頷くではないか。
「もちろん。むしろ……君じゃなきゃ嫌なくらいだよ」
……っ」
 かなしいかな、真正面からそう言い切られてしまうと、弱い。
 頬ばかりか首元まで熱くなってきて、ツカサはそのこそばゆさに小さく唸った。とうの昔に消したはずの灯火が、また燃え上がる気配がする。
………………不束者だが、よろしく頼む」
「こちらこそ。今度君のご両親とサキくんにご挨拶に行こう」
 とうとう根負けしたツカサに、ルイはうれしそうにそう提案しながらツカサの首元へと顔を埋めた。ふわりと柘榴の甘酸っぱい香りが鼻腔をくすぐる。素肌で触れ合う体温の心地よさを、ツカサは今この瞬間、はじめて知ることになった。
「将来的には――二人くらい、子供もほしいねえ」
……子供? ……ハッ……
 ――「今の性別に飽きたからとか、好きな人に子供を産んでほしいからとか、気分転換とか……そんな理由で自分や他人の性別を変えてしまうこともあるくらいさ」
 脳裏に蘇る、昨夜のルイの言葉。いくら魔法使いでも無から新たな命を生み出すことはできない。そんなのは、もはや神の領域だ。
 であれば、やはり――どちらかが『産める体』にならなくてはいけないのではないか……
………………
 沈黙の末、ツカサはそっと首を左右に振った。やめよう。考えるのは。思い違いかもしれないし。尻の違和感が答えを指し示している気がしなくもないが……。いやいや、まさかな。ハハハ……
 悶々と、再度頭を抱えたツカサを見下ろして、ルイが口元を手で覆う。
 ――あはは、と愉しげな魔法使いの声が、朝の寝室をはなやかに賑やかせた。