千代里
2025-02-20 14:28:19
8904文字
Public リーブラ14話
 

リーブラの針は問う・14話・その43


「このような形で突然呼び戻してしまい、申し訳ありません。まず、今日の報酬についてなのですが、全額支払うつもりでこちらに用意しました。確認してください」
 詰所に入り、ピヌヌから呼び出しを受けていると伝えた、そのあと。来客用のもてなしの部屋と思しき、建物の中でも装飾が最も使われている一室に一同は通された。
 部屋に置かれているソファや椅子に腰を下ろし、思い思いの形で息を抜いているときに、少し遅れて姿を見せたのは、部隊長のララフェル族の女性――ピヌヌだった。
 彼女は突然の招集について、謝罪と共に、中途半端で終わってしまった任務に関する報酬のことを口にした。
 机の上にピヌヌが置いたのは、ギル貨幣が入った袋だ。ずっしりとした重みを感じさせる膨らみ方は、これまで渡されたものと遜色ない量が入っていると教えてくれている。
「満額を渡していただけるのは助かるのですが、その……良いのでしょうか。騎士団の財布事情は、僕たちも多少知っているつもりです」
 袋の口を縛る紐を解き、中身を確認してから、ノエは慎重に切り出した。
 町を守る神殿騎士団の懐が決して潤沢ではないことを、一同はもう知っている。
 しかし、ピヌヌは遠慮は無用と首を横に振った。
「これで報酬を差し引くような真似をしたら、他の傭兵たちがなんと噂するか分かったものではありませんからね」
「僕たちは、報酬について吹聴するような真似はしませんよ」
「ノエさん、あなたが周りに言いふらすような人だと思っているわけではありません。噂というものは、どれだけ塞いでも空から落ちる雪のように自然に降ってくるものなのです」
 曲解された噂が流れるとしても、事実はどうであったかという部分も重要だ。
 そのため、ピヌヌは誠意ある対応を行なった事実を残すために、途中で切り上げた任務だとしても満額支払うと言ったというわけである。
「ノエさん、あなたの心遣いはありがたく受け取ります。ですが、どうかそのままそちらの報酬はおさめてもらめあすか」
 ララフェル族の小さな姿であろうと構わず、優雅な挙措と共にピヌヌは一礼してみせた。
 町に入るときはあれほど嫌悪されたとは思えないほど、ピヌヌから一同への対応は一変して礼儀正しいものに変わっている。彼女も、オランローの指摘を受け、現状を見つめ直し、考え方を改めたようだ。
(元はと言えば、事情があったことだから、これがピヌヌさんの本来の振る舞いなのだろう)
 前回の遠征の後、ピヌヌはこれまでの頑なな態度をノエたちへと謝罪していた。
 そのため、ピヌヌに対して今更敵対しようなどという考えはノエは持っていない。
 とはいえ、中にはすんなりと納得できない者もいるらしい。報酬の話が出たときに、ルーシャンがわずかに身じろぎするのが見えた。彼は、町に入る際にあった押し問答やこれまでの対応を、そう簡単に過去のことと切り分けられないようだ。
(ただ、本当に指輪についてはラペイレット家に照会した、と言われたのは驚いたな。父さんたちが、困っていないといいんだけれど)
 ふと遠い目になって、ノエは遠方に残してきた父親の顔を思い出す。連絡をする手段などないが、彼が無用な心配で気を揉んでいなければいいが――などと思っていると、
「失礼する。茶を用意してきた」
 ピヌヌの付き人のように、続いて後に部屋に入ってきたのはイレーナだ。
 久方ぶりに間近で見る彼女は、以前と変わらずきびきびとした様子で、茶を淹れてくれた。
 先ほどのピヌヌと比べると、分かりやすく表情が和らいでいるのは、彼女が部隊長ではなく一人の兵士として、また私人としての顔を見せてくれているからだろう。
 茶が行き渡った頃、一同の向かい側にあるソファに腰を下ろしたピヌヌは、
「ここにわざわざ集まってもらったのは、皆さんに新しい依頼を引き受けてもらう――その話をするためです」
 一同を招いた理由を、簡潔に示してみせた。
 弛緩していた空気が、彼女の一言で瞬時に引き締まる。
「それは、これまで依頼されていた巡回任務とはまた異なるものでしょうか」
「ええ。とはいえ、皆さんには町の外に出てもらう必要はありません。依頼したいのは、さるお方の警護なのです」
……さるお方?」
 訝しげに尋ねたのはサルヒだ。
「この町に、あなたたちがそこまで敬意を持って接する方というと……
「もしかして、町の人たちが求めている彼らがくるのかい」
 思わせぶりなサルヒとヤルマルの質問に、ピヌヌは深々と首肯を返した。
「はい。明日の朝、ルグロ家の方がこの町に到着すると連絡を受けました。当主ではありませんが、名代として血縁の方が同道していると聞いています」
 この報せに、一同の何人かが思わず息を飲んだ。ルグロ家の来訪――それは、統治している貴族に顔を出せと訴えていた町人の願いが、ようやく叶ったという意味でもある。
「かの家の者の来訪自体は、数日前から連絡をいただいていましたので、それ自体は僕らにとっても驚くことではありませんでした。ただ……今日になって、彼らから妙な依頼をされてしまったのです」
 ピヌヌ自身も、困惑を隠せていない様子から、よほど急な連絡だったのだろう。彼女はお茶に口をつけ、自身を宥めるように一息吐く。
「彼らは、町に来訪するルグロ家の名代と同年代かつ同性の者を、町に滞在している間、雇いたいと希望しています。つまり――十代半ばの女性を、側仕えや護衛を兼ねて一人か二人、用意してくれと依頼してきたのです」
 ピヌヌの説明に、ノエたちはなぜ自分たちがここに呼ばれたのかをすぐに理解した。
 続いて、彼らの視線は話題の内容に合致した人物――オデットとゲルダへと向けられる。
「我が部隊には多種多様な年代、種族のものがいるが、ルグロ家が求めるような人物はいない。外部の手を借りるとしても、十代半ばの少女を傭兵など、探すだけでも一苦労だ」
「でも、わたしとゲルダはその人たちのお願いに合致している……そういうことでしょうか」
 おずおずと切り出すオデットに、イレーナはぎこちなく首を縦に振ってみせた。彼女は、この依頼自体にあまり良い感情を持っていないようだった。
「無理を言っているのは百も承知です。ですが、これを断った場合、かの家がどんな手法でこの『依頼』を叶えようとするか……。わざわざ今この時期に言ってきたということは、彼らにとってこれは相応に意味のある依頼なのでしょう」
「あれは依頼ではなく、事実上の命令だった。我々の部隊は、ルグロ家の出資で活動している。『できない』と言えば、隊長の心象は悪くなり、ひいてはルグロ家から報告を受ける騎士団全体からの印象も悪くなってしまう」
 ピヌヌの発言に対して、イレーナは被せるように自身の見解を口にする。
「イレーナ。依頼主を非難するような発言はやめなさい」
「事実でしょう、隊長。ノエ殿には、我々の都合を押し付けることになる。ならば、誠意を見せるべきだと私は思います」
 イレーナのきっぱりとした物言いに迷いはない。故に、彼女たちが少なくない時間、この依頼について頭を悩ませてきたことが感じ取れた。私情混じりの発言とはいえ、おかげで彼女らが依頼に対して個人的にどう思っているかは、ノエたちにもはっきりと伝わった。
「つまり、こうか。ルグロ家からは、十代半ばの娘が名代として町に訪れる。慣れない訪問で緊張している娘のためだか知らんが、世話人としてそれなりに腕の立つ同年代の護衛が求められてる。だが、神殿騎士団にはそんな都合のいい人材はいない。だから、傭兵たちで多少は気心の知れている、且つ条件に一致するメンバーがいる俺たちに白羽の矢が立った、と」
 これまでの経緯を、ルーシャンは簡潔にまとめてみせる。ピヌヌは同意を示す首肯を返した。
「もし、わたしがその依頼を受けるとして、イレーナさんやピヌヌさんも一緒にいてくださるのでしょうか」
 顔も知らない貴族の令嬢の世話人役をするなら、せめて周りに知り合いがいて欲しい。そう思ったオデットの期待に反して、イレーナは再び渋面を作ってみせた。
……彼らは、騎士団に属する者は、町の中の見回りや、対談の警備に人を割くように命じたのだ」
「対談というと、やはり貴族の姫様は町の陳情を聞きにきたってことかい」
「ああ。だが、実際に対談の場で話す言葉は、すでに当主から預けられているようだ。実際は、対談というよりは通達の場となるだろう」
「それはまた、随分と臆病な当主さまだことで」
 ヤルマルは皮肉混じりな言葉と共に、吊り上げた口角を引き攣らせる。
 町人は、貴族の姫君がきたと聞いたら、間違いなく自分たちの訴えに耳を傾けるためにやってきたと、期待するだろう。
 しかし、実際は陳情を受け取るためでなく、一方的な宣告をするための来訪だと知ったら、期待は反転して憎悪に変わりかねない。
 宣告がせめて町人に好意的なものであればいいが、ルグロ家の当主が自身の娘を名代として行かせている時点で、あまり町人にとって喜ばしい通達ではないのだろう。
 町人の怒りを一身に浴びるのは、通達を出した人間だ。すなわち、これから訪れる娘ということになる。
「貧乏くじを引かされたのかね。その意味では、その子に同情するよ」
 肩をすくめて、ヤルマルはぽそりと呟いた。ノエもまた、彼女と全く同意見だった。
「彼らは、宿泊先の屋敷の警護に、僕たち騎士団の手は必要ないと言いました。家に属する私兵を連れてくるので、警護は自分たちで行う、と。人手が足りない僕たちとしては、その申し出は有り難かったのですが……
「オデットとゲルダさんを、皆さんがいない場所に派遣することになる、ということですね」
 言い淀んでいるピヌヌに代わって、ノエが言う。
「下手に取り繕っても仕方ありませんね。今の時点では、ノエさんの言う通りになります」
「ならばせめて、僕たちもその屋敷に滞在させてもらえませんか。オデットやゲルダさんを見知らぬ貴族の屋敷に、二人だけ置き去りにすることは避けたいのです」
 名前しか知らない貴族の膝下に、地位としての立場は低いオデットたちを預けるのは、ノエとしては承諾しかねた。全ての貴族が権威を笠にきて横暴な真似をするとは思っていないが、何かあったらという不安は拭いきれない。
「ボクもその意見には賛成。全員とまではいかなくても、一人や二人は保護者として同席したいね」
「神殿騎士団の関係者が一人も屋敷に滞在していないってのも、体裁が悪いだろ。どうせなら、屋敷に騎士団の人間を派兵できない代わりに、傭兵を雇っておいたっていう筋書きにしたらどうだ?」
 ヤルマルやノエは、オデットとゲルダと個人的に繋がりを持つ関係者として名乗りをあげた。一方で、ルーシャンは騎士団の体面を守りつつ、自分たちの我儘を通す方便と共にピヌヌへとノエたちの存在を売り込んだ。
 ピヌヌ自身、ルグロ家の申し出を素直に受け取ることに反感はあったのだろう。一同の申し出を聞いて、しばし考える素振りを見せた後、ゆっくりと頷いてみせた。
「それでは、オデットさんたちとあわせて、皆さんのうち何名かを同時に派遣したいという旨を伝えておきましょう。おそらく、オランローさんとサルヒさんは、彼らの前には顔を見せない方がいいと思います。なので――
「それなら、ノエとヤルマルが適任だろ。ノエには確かな身元保証人もいるわけだし、ヤルマルは護衛対象と同性だから、保護者兼護衛って建前も使いやすい。俺みたいな、どこの誰とも知らないおじさんが同席しているより、繊細なご令嬢の心象も良くなるだろうさ」
 元々、ルグロ家は娘を一人二人寄越してくれればいいと言っているのだ。
 そこにノエたちを捩じ込むともなれば、こちらも多少譲歩する必要はある。ルーシャンやピヌヌが見せた落とし所は、もっとも妥当な所だった。
「ピヌヌさん。わたしもゲルダも、貴族の礼儀作法まではわからないのですが……その、大丈夫でしょうか」
「向こうは、出自については問わないと言っていました。ならば、多少の無作法は目を瞑ってもらいましょう」
「それと、ゲルダさんは、戦う手段を持っていません。彼らの要望と合致しない人物となってしまうようなら、彼女はこの件から外すことも考えて欲しいんですが」
「その依頼をしている人たちは、お世話をする女の子も欲しいんでしょ。だったら私でも問題ないはずだよ」
 ノエが懸念としてあげた意見に、当の本人であるゲルダの声が重なった。
「それに、私はオデットのそばにいたい。誰だか知らないけど、オデットが知らない人に嫌なことを言われて困るようなことがあったら、私がそばでオデットを守りたい」
 ここまできっぱりと言い切られては、ノエとしてもゲルダの意見を無視はできなかった。
 ピヌヌに視線を向けると「話し相手の一人として推薦すれば問題ないでしょう」と言ってくれた。
「明朝、ルグロ家の方は裏門を使って、シュガーグレイヴ内に用意していた離れ屋敷に到着します。普段は使われていない、短期滞在用の屋敷が町外れにあるのです」
 ピヌヌの説明を聞いて、ノエは町の外れの様子を思い出そうとしたが、あいにくそちらに足を向ける機会はほとんどなかったので、どんな建物があるのかははっきりと分からなかった。
「町人たちへの通達は明後日に町長の家で行い、明々後日には旅立つと聞いています」
「実質、オデット殿とゲルダ殿が姫君のそばに控えている必要があるのは、二日と少々ということだ。滞在時の宿は、向こうで用意すると聞いている」
 ピヌヌの語る予定を、イレーナが補足する。その後も、二、三の必要事項を確認し終えた結果、ノエたちは明朝にピヌヌたちから連絡があった後、件の屋敷に向かうということでひとまずの結論を得た。
 その後も、巡回任務の報告をついでに行い、話が終わる頃にはすっかり外は暗くなっていた。
「今日はありがとうございました。玄関までですが、皆さんの見送りをさせてください」
 一礼をしてみせてから、ピヌヌは自らが先頭を切って廊下へと出る。
 イレーナは一同が出るのを見送ってから、室内の片付けに残っていた。
「ノエさん、それに皆さんも。ルグロ家の方々が到着することについては、明日の午後には公表される予定です。それまでは、この件は町の方には話さないでいただけますか」
「わかりました。今の町の様子を見ていれば、迂闊に発表するわけにもいかないのでしょうね」
「貴族の来訪は、決して喜ばしいニュースとはならないでしょうから。不測の事態を招く可能性は、少しでも消しておかねばなりません」
 ピヌヌの語るきな臭い未来予想図に、ノエは顔を強張らせる。
 ノエの父親――ベルナールが姿をみせた時、人々は期待混じりの言葉で彼を出迎えていた。彼は窮状を訴える人々の声に耳を傾け、不安を慰撫する言葉を与えた。
 たとえ即座に問題を解決することは困難でも、自分の不安を受け止めてくれるだけで、人は安心を得るものだ。
 民衆を一度落ち着かせてから、改めて地に足をつけた治世を行なっていく。ベルナールの政治的な手腕は、地道ではあったが、民に寄り添う堅実なものであった。
(だけど、今回の来訪は、事態の解決を告げるために姿を見せる、という感じにはならないのだろうな)
 通達、とピヌヌが話していたことからも、ルグロ家の名代が町人の意見を聞くために姿を見せるわけではないことが分かる。
 町人が貴族から一方的に突きつけられた通達を前にして、大人しく従ってくれる可能性はどれほどだろうか。
……何があったとしても、オデットとゲルダさんは守らないと」
 少し先を行くオデットは、新たな任務の要になると聞いて、緊張しているようだ。いつもより表情が固かった。
 そこに、ガツガツと鎧の金属音と石畳がぶつかる、独特の足音が一同に近づいてくる。
 見れば、神殿騎士団の団員と思しきエレゼン族の青年が、ピヌヌの元に駆け寄ってきた所だった。
「何用ですか。見ての通り、僕は来客を見送りに行く所なのですが」
「ピヌヌさん、そこまで気遣わなくても大丈夫です。部隊長の貴重な時間をとってしまっているのは、僕たちの方でもあるのですから」
……ありがとうございます、ノエさん。……それで、一体何用でしょうか」
 ピヌヌが、改めて隊員に向き合う。彼は後ろのノエたちを一度チラと見遣ってから、
「錬金薬の備蓄について、報告をしなければならないことがありまして。我々にいつも卸している薬売りの店が、品薄のため、十分な量を用意できないと連絡してきたのです」
「品薄? 傭兵や商人が大量に来ているわけでもないのに?」
 ピヌヌが驚いたように声を上げるのも、無理もない。錬金薬とは、専門の技術で作られる品であるため、相応に値も張るもので、品切れなどという話はノエも聞いたことがなかった。
 外傷や魔力切れが頻発するような戦いの場に出る傭兵や騎兵ならいざ知らず、錬金薬は民間人が頻繁に用いるようなものではない。ノエたちが以前お使いを頼まれたように、常備薬として数本保管しておくのが精々の品だ。
 だというのに、目の前の騎兵曰く、騎士団が日常的に買い付けを行なっている薬売りが、品切れのため必要数卸すことをできないと言っている、とピヌヌに伝えたのだ。
「参りましたね。この町で最も大きな薬舗で品切れとなると、他の店でも品薄になっている可能性が高い……
「念の為、現在部下に他店から買い付けができないか、交渉をしてもらっています」
「お願いします。この町には、錬金術師がほとんどいませんからね。買い占めをされると、少々困ったことになってしまいます」
 買い付けについての話を横で聞きながら、ふとノエは町に暮らす一人の錬金術師の顔を思い出していた。
 眼鏡をかけた、柔和な面差しの青年――ヒューイ。彼は、自分の住まいに錬金薬を生成するための器材も兼ね備えている。彼ならば、材料さえあれば薬を作成できるはずだ。
「あの。この町に住んでいるヒューイという方なら、錬金術の材料さえあれば、薬を用意してくれると思います。個人的な知り合いでもありますので、必要ならば僕の方で彼に連絡をとります」
 しかし、ノエが示した意見を耳にしたピヌヌは、小さな眉をぎゅっと寄せて渋い顔をしてみせた。
……ヒューイ、ですか。その方は、紺色の髪をした、ミッドランダーの青年ではありませんか。たしか、眼鏡を着用していると聞いています」
「ええ、そうです。……あの、彼に何か問題が?」
 決して歓迎しているとは言えないピヌヌの様子に、ノエは怪訝そうに尋ねる。
 ピヌヌは言いにくそうにぎゅっと唇に力を込めてから、告げた。
「ヒューイは、かつて神殿騎士団お抱えの錬金術師だったと聞いています。ですが、彼は――竜との密通を疑われていたんです」
「ヒューイさんが……?!」
「もっとも、その疑いも同業者からの妬みからのものではないかという声もありました。とはいえ、疑念を持たれた以上、自分の薬は騎士団員にとっては受け入れ難いものだろうと、自ら専属の任を降りたのです」
 思いがけない形でもたらされた情報にノエが驚いている間にも、ピヌヌは続ける。
「彼自身が何をどう思い、そのような行動に出たかは僕には分かりません。もっとも、そんな事情もあるので、同じ町にいることは知っていますが、お互い不干渉を貫くことにしているんです」
 町を守る神殿騎士団が、かつて竜と密通したと噂された錬金術師と懇意にしていては良からぬ噂が立ちかねない。
 ヒューイとて、結果として自分から出て行ったとは言え、古巣とゆかりある者と関係を持つのは気まずいだろう。
 自然と、お互いに認識しているが干渉はしないという距離感が出来上がったのだ、とピヌヌは語った。
「ヒューイさんは、学術的な見地で竜の血に興味を持っているようでした。彼の純粋な好奇心が誤解を招いたのかもしれませんね」
「学者肌の連中は、世間体など気にせずに行動するからな」
 しみじみとした様子で、オランローが頷く。どうやら、何か思い当たる出会いが、彼にもあったようだ。
「ヒューイは、悪い人には見えなかった。ノエの言う通り、学問のことになると、周りが見えなくなる人がいることは私もよく知っている」
 言いつつ、サルヒはちらりとルーシャンを見やる。彼もまた、魔道に関する探究を始めたら、ちょっとやそっとでは現実の呼び声に応じないことを彼女はよく知っていた。
「ヒューイから買った薬なら、まだ量があるから必要なら君たちに渡すこともできるよ」
「お気遣い痛み入ります、ヤルマルさん。どうしてもという時は、連絡させてもらいましょう」
 軽い雑談が終わる頃には、一同は玄関口に辿り着いていた。
 夜になって降りはじめた雪が、玄関を照らす照明の灯りを受けてふわふわと生き物のように舞っている。今夜もよく冷えそうだ。
 ピヌヌに別れの挨拶を告げて、一同はそれぞれ詰め所の敷地の外へと出た。その殿にいたルーシャンは、何か思うことがあるのか、足を止めて閉まっていく詰所の玄関を見つめていた。
「旦那様、皆行ってしまいますよ」
「ああ、悪い」
 すぐに思索を切り上げ、ルーシャンは皆の方へと足を向ける。
 だが、その間も彼の中にはある疑問がこびりついていた。
……ヒューイが竜と通じていたというのは、本当にただの悪意ある噂に過ぎないものなのか?)
 異端者の集落から出てきた後、姿を見せた青き竜。人に死をもたらす圧倒的な存在を前にして、あの男は全く動じずに相対していた。
 微かな違和感を胸に残したまま、男はいつものように自分を待つ仲間へと手を振ってみせた。