きなこ湯
2025-02-20 13:30:40
6249文字
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砂城の正夢


お互いの体温が心地いいと思っているユシュカと主人公の話。
ときたま一緒に寝ているレベルの距離感。
ver7.3クリア推奨の内容です。



 寝苦しさで目が覚めた。
 寝具に残る熱がまとわりついて鬱陶しい。ユシュカは何度か寝返りをうち、それから同じ寝床にいるべきもうひとりの人間がいないことに気が付いて、のそりと重く起き上がった。寝汗でうなじに髪が張り付いて気持ちが悪い。薄い毛布に残った体温は、ユシュカの熱ばかりを吸収している。
 窓のない部屋をぐるりと見まわす。衝立の向こうにもヒトの気配はしなかった。であれば部屋の外に出ているのだろうか。胡坐をかいたまましばらく考え、ベッドの近くに脱ぎ捨てたサンダルを足先で引っかけた。戦略的に意味のある待機ならまだしも、ただ黙って待つのはどうにも性に合わない。
 砂の都の夜は冷える。からりと乾いた風が吹き、寝汗を掻いた体から容赦なく体温を奪った。くたびれたリネンの寝巻の襟元を片手で寄せつつ、ファラザードの城壁を仰ぐ。青白い満月が高いところにのぼっている。明るい夜だった。
 ユシュカの部屋は、ファラザード城の奥に位置している。玉座の間へ続く階段を降り、テラスを経由してたどり着く場所だ。逆にユシュカの部屋から出たならば、ほぼ必ずその道のどこかにいるだろう。城壁を飛び降りるなんてことをしない限りは。

 予想通り、目当ての人間はテラスにいた。
 少しだけ高くなった柵の部分に腰掛け、無防備な薄着姿の背中を晒している。強い風に攫われでもすれば城下町の路地裏へ真っ逆さまだろうが、この人間がそんなへまをするとは思えない。ともすれば魔族のユシュカすら押し退けるチカラを持つ人間だ。――それでも思わずその薄い肩を掴んだのは、この人間が自由の星の下に生まれたような性質を持っているからだった。せっかく苦心して一夜引き留めたのに、こうもやすやすと逃げ出されては面白くない。
 ユシュカの気配には気付いていたのだろう。突然肩を掴まれても動揺するような素振りは見せなかった。ただ、小さな声がぐう、と呻く。ユシュカがそのままテラスの縁に腰掛けて背後から両腕で抱き込むと、ますます不満そうな声をこぼして身動ぎした。

「ユシュカ、くるしい」
「そうかよ」

 咄嗟に返した声が自分でも驚くほど恨めしげで、ユシュカは慌てて口元を引き結んだ。しかし、今はこの人間のほかに誰もいない。幼馴染の魂が宿る魔剣は生前使っていた部屋の台座に置いてあるし、こんな場所まで入り込める賊がいるならむしろ見物だろう。ファラザード城は開放的な造りをしているが、武と魔術の双方から警備の策は講じている。このあたりはおカタい副官殿の得意分野で、ユシュカも信頼を置いていた。だから、きっと今は本当にふたりきりだ。

 乾いた夜風に、真珠色の長い髪がなびく。青白い月明かりを反射するきらめきを見下ろしながら、相変わらず冷たい人間だとユシュカはぼんやり考えた。もちろん性根ではなく、手に触れる温度の話である。
 ユシュカの血液は火の魔力と相性がよい。剣や身体に炎をまとわせ、あえて自らの体温を高めて戦うことも得意だ。それゆえに、腕の中に収まる人間の体温の低さにはぎょっとすることも多い。はじめてこの人間のウデを掴んで引っ張り上げたときも、その冷たさからほんとうに死んでいるのではないかと疑ったものだ。

「なぜ、勝手に出て行ったんだ」

 自分たちの話を聞くものがいないならば、もはや何を取り繕う必要もない。ユシュカが拗ねた声で訊ねると、しらあいの瞳が不思議そうにぱちぱちと瞬かれた。仰ぐようにユシュカを見上げたそのまるい瞳は、やがてファラザードの城下へぼんやりと視線を落とす。

 テラスからは、ユシュカの愛する砂の都が一望できる。魔王として城に自室を設えるとなった際、無理を言ってこの場所にさせたのだ。自分の手で築き上げた国の灯りを見下ろすたび、腹の底で唸り声をあげる尽きない強欲はある程度満たされたし、もとより高い場所から魔界を広く見渡す景色が好きだった。
 やがて、夜風の隙間にささやくような声が聞こえてくる。

……変な夢、みたから」
「はあ?」

 思わず素っ頓狂な声を上げると、彼女はムッとしてユシュカを見上げた。不満に膨らませた頬はこどもらしくまろい。
 しばらく考え、ユシュカは訊ねる。

……悪夢じゃなかったのか」
「たぶん……
「たぶん? どうして疑問なんだ」

 的を得ない返答に食い下がると、うう、と腕の中の人間は困ったように呻く。言葉で何かを説明するのが苦手なことは知っているが、説明されなければわからないこともあるだろう。特に、この人間は普段から何を考えているのかいまいち不透明だ。ときに、本当に何も考えていないのではないかとすら思うほど。
 ただ、今回は黙っている間にもそれなりに考えているらしい。ユシュカは静かに言葉の続きを待った。

……
……。ね、ユシュカ」
「なんだ?」
「わたしに首輪つけたい?」
 思わぬ言葉にグッと喉が詰まる。
「お前、それは……

 ――そんなの。つけたいに決まっているだろう。
 剥き出しの本音が胸に迫り、ユシュカはどうにかため息だけを選んで吐き出した。どう言葉を返すべきか考え、迷い、結局何も言えずに、抱きしめるチカラをほんの少しだけ強める。

「ユシュカ、くるしい」
……
――ユシュカ?」
「足りないのか」
「なにが?」
「永遠の忠誠と左手へのくちづけでは、俺の心を伝えるに足りないのか? 俺はもう、すべてお前のものだというのに」

 声を低めてささやくと、腕の中に収まる華奢な身体がぎょっとして身動ぎした。どうにか抜け出そうともがきはじめるが、純粋なチカラ勝負であればまだユシュカに分がある。こうして最初から押さえ込んでいれば、いくらウデの立つこの人間と言えど、簡単には抜け出せないようだった。
 やがて抵抗を諦め、胡乱げな眼差しでユシュカを見上げる。そこに照れや恥じらいは見い出せず、思わず「あれだけしてやって脈なしかよ」と嘆息しそうになりつつも、ユシュカは八重歯を見せて笑った。

「逃げるなよ」
「逃げたわけじゃ……
「勝手に抜け出したというのに?」
「だから、それは」

 言いかけたくちびるが中途半端なところで止まり、やがてへの字に引き結ばれる。言葉の応酬では分が悪いと踏んだのだろう。実際、ユシュカがこの人間をチカラでどうこうすることは難しいだろうが、言葉巧みに意思決定を誘導することならじゅうぶんできると思っている。

 甘い言葉をささやき、自分に有利な方へ交渉を倒す――揺りかご代わりに隊商の荷車に揺られ、子守歌代わりにキャラバンの商談を聞いて育ったユシュカにとって、それは何ら後ろめたいところのない真っ当な正攻法だ。しかし、どうやら周囲はそう受け取らないらしい。アルバルには話題を交易の方向へ傾ける前に平べったい眼で警戒を示され、ヴァレリアにはにこやかに挨拶しただけで冷たい眼差しを向けられる。この人間も例外ではなく、ユシュカの口説き文句には正面から向き合おうとしてくれない。
 価値のある美しいものを見つけたとき、それを手の内に収めたくなるのは宝石商としての性だろう。手の届く範囲に繋ぎとめ、我が手で磨いてやり、原石の秘めるほんとうの価値を見つけ出す行為には抗いがたい魅力がある。あの日、血泥に沈んだ人間に見出した輝きの価値は間違いなく本物で、実際、いまユシュカの両腕の中には月の光を反射する真珠色のきらめきが存在している。

「本当に、悪夢じゃなかったんだよな」

 この人間に血の契約という首輪をつけて魔界を連れまわしていた頃。あの頃は輪をかけて自己主張の薄い人間だった。拾った剣の重さに光るものを予感して救った命だが、その重みに似つかわしくない意思の希薄さに、これはどうにも放ってはおけないと泊まる宿さえ同室にして目をかけていたものだ。
 日頃の眠りが浅いのだろう。悪夢にうなされては、その小さな背中を撫でてやった夜がある。ユシュカの訊ねた意味をきちんと受け取った彼女は、しらあいの瞳を少しだけ周囲にさ迷わせてから頷いた。

「悪い夢じゃなかった。それは、ほんとう」
……わかった。信じるぞ」
「うん」

 しらあいの瞳は、ふたたびファラザードの城下を見下ろす。魔界の南に位置する砂の都には、日夜あらゆる欲望がヒトの間を飛び交う。ユシュカがそれを不夜城と称したのは決してその賑やかさだけを表したのではなく、バザールの一部は夜間にのみ看板を出すような店もあったからだ。テラスから見下ろせば、紫や橙のランプの光が明るく揺らめいていた。ジャリムバハ砂漠地域に伝わる歴史ある呪術のうちには、魔界の夜に効力を発揮する類いのものもある。そういった呪術師の流れを汲んだ店は、陽が落ちてから看板を出すものだ。たとえばファラザード随一の呪術師であるネシャロットも、彼女の本分である仕事が舞い込んでくるのはこの時間からだろう。

 現在の魔界主要三国のうちもっとも外の世界に門戸を開いているのは、間違いなくファラザードだ。交易や取引、契約を下敷きに発展した国は、武力と策謀の渦巻く魔界において珍しい。それはユシュカの師がアストルティア出身の賢者であることに由来しており、ひいてはもっともアストルティアの民の感性に近しい国であるとも言える。そういう環境ゆえか、近ごろは魔族以外の姿をバザールの賑わいにぽつぽつと見かけることもあった。――だからこそ、砂の都に珍しい背格好を、うっかりこの人間と見間違えることもあったが――そうなってくると、今度はあまりに魔界らしすぎる店の管理も必要になってくる。時たま白々しい顔で法律の隙間を潜り抜けるネシャロットの店には、魔王であるユシュカ自身の足で赴くよう心掛けているが、そのネシャロットに囁かれた甘言がふとユシュカの脳裏をよぎった。

 ――はやく、自分の手元に繋ぎとめておけばいいのに。
 ――あの子の性質は、ボクよりユシュカのほうがよく知っているでしょ。リードを握るご主人がいなくなったら、活発な仔犬はいったいどこへ走って逃げていくか、誰にもわからないものだよ。

「首輪なんてつけるかよ」

 ユシュカがそうつぶやくと、腕の中の人間がのそりと身動ぎした。ユシュカの顔を仰ぐように見上げて、きょとんと目をまるくしている。

 ああ、たしかに。お前に俺が見繕った首輪をつけて、膝の上にでも留めておけたなら、それはどんなに幸福だろう。
 しかし、それではお前の心が手に入らない。
 であれば最初から首輪なんてつけるべきではない。お前が自分の意思で俺がいいと選び、俺がほしいと乞わせなければ意味がない。生まれついての強欲は留まるところを知らず、その肩を掴んで振り向かせる――そんな程度では、到底満足などできそうになかった。

……つけたくない、の?」

 困ったように視線が宙をさ迷う。ユシュカの答えが意外だったのだろう。自分の執着がある程度正しく伝わっているところはよかった。この人間は自身の価値を測るための物差しを持たず、ときに驚くほど簡単にその身を危険な勝負に賭け、放り投げてしまう。ユシュカから見てかけがえのない価値があり、欲されているという実感は、帰り道を考えずどこまでも歩いてゆく無鉄砲さの命綱になってくれるはずだ。あるいは、その自由を阻む足枷やもしれないけれど。
 首輪をつけたくないわけじゃない。しかし、ユシュカがほんとうに望むものはそれ以上だ。この本音を明かせば、今度こそ本当に手の届かない場所まで逃げられてしまうに違いない。ユシュカは黙って目を細め、腕の中に収まる頭を撫でてやる。

 この人畜無害そうな顔を見下ろしていると、方便として吐く嘘すら面倒になってくるのだから不思議だ。この人間の周囲に流れる時間の奇妙なゆるやかさがあってこそ、自我の強い魔界の重鎮が穏当に協調できたのかもしれない。
 ユシュカが片手をその首元に近づけると、彼女は素直に首を伸ばした。指の腹でノドを撫でてやれば、気持ちよさそうに目を閉じる。まるで本物の犬猫のようだと思いながら、このひんやりした生き物をいつまでも手元に置いておきたいと強欲が唸る。

 差し出される親しみや好意を素直に喜び、また己から向ける気持ちもほとんど隠さない。子どもらしい無邪気さと、悪意や害意に屈しない強さを秘めている。自身の価値を測るための物差しを持たないからこそ、この人間の見つめる先は周囲のどんな人間より遠く、果ての世界ばかりだ。そういうところがこの人間の持つ揺らがない強さで、かけがえのない価値で、そのしなやかで強かな冒険心がユシュカは好きだった。それは、ユシュカが引き留めれば輝きを失う類いの宝石だ。だから、首輪はつけない。

 ただし、この人間がみずから差し出してきた選択肢なら話は別だ。――俺以外のすべてを捨て、俺のもとにくると選ぶなら大歓迎だ。お前に一番似合う首輪を、お前の剣がもっとも輝ける活躍の場を用意してやろう。それが嘘偽りのないユシュカの本心にして欲望だ。けれど、そんな未来が行儀よく目の前に落ちてくるとは思っていない。
 大魔瘴期から魔界を救い、協調の未来へ導いた小さな背中は、ユシュカの夢を跡形もなく粉みじんに踏み潰した。もとよりユシュカの想定に収まる存在ではなく、ユシュカの希望がそのまま叶えられることはないだろう。手の届かない星のような人間だと何度も打ちのめされては、その眩しさにどうしようもなく惹かれている。

 ふと、大人しく撫でられていた彼女がくあ、とあくびをこぼした。小さな手を握ってみれば、普段よりもずいぶんと温かい。

「そろそろ戻るか」

 ユシュカが訊ねると、彼女は素直に頷いた。逃げられては堪ったものじゃないと思い、片手で抱いてから立ち上がる。最初こそ「自分で歩ける」と不満そうにつぶやいたが、ユシュカに譲る気がないと見るや、大人しく首の裏へと両手を回した。
 触れた皮膚の温度はやはりユシュカより低く、いつまでも冷たい人間だなと思う。それはこの身体が二度の死を経験し、それでもなお、光の世界の神に役目を与えられて蘇った、奇跡の起きた証拠だった。
 テラスと面した位置にあるぶん、ファラザード城の東の塔は乾いた風と砂に晒される。余計な砂埃の入り込まないよう、ユシュカの部屋には窓がない。不夜城を眺めていた目が屋内の暗さにしばらく慣れなかったが、足先の感覚を頼りに寝床へ戻った。空いた手で探った寝具はすっかり冷えており、寝苦しい熱も立ち消えている。
 小柄な身体を壁際へ置き、その隣に寝転がる。毛布を手繰り寄せて薄い肩にかぶせてやると、それをぐるぐると巻きこみながら寝返りをうって、当然のようにユシュカの腕の中へと戻ってくる。

「あったかい」

 眠りに意識の落ちる間際、舌足らずな声がそうつぶやいた。しばらくすると、静かな寝息が聞こえてくる。毛布越しに背中を撫でながら、これと共に眠る夜は鬱陶しい暑苦しさと無縁でいいと改めて思う。ユシュカの体温が稚い寝顔を晒すこの人間にとっても心地よいものであるならば、猶更。
 意識はまどろむ。砂の都に吹く乾いた夜風の音と、どうにも噛み合わないペースで重なる互いの鼓動の音を子守歌に。不夜城に行き交う喧騒からは離れ、夜は穏やかに更けてゆく。