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きなこ湯
2025-02-20 13:23:20
2439文字
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鼓動躍動
士官学校でべネッタに口説かれて逃げる候補生と巻き込まれるカルカノーレの話。
ほぼ幻覚です。
ワードパレットより(不躾、逃げる、香り)
「
――
ドゥーチェ?
……
えーっと、そんなところで何をしてるの?」
頭上からカルカノーレの怪訝そうな声が降ってきて、候補生は思わずくしゃりと顔をしかめた。今日は本当にツイていない。咄嗟に突きつけられた分かれ道の先がすべて行き止まりだったような感覚だ。よりにもよって、見つかったのがカルカノーレだなんて
――
しかし、最早なりふり構っていられず、候補生は「匿って!」と訴えた。
放課後の学科棟に人の出入りは少ない。廊下の大きな窓から西日が差し込み、教室の中まで赤く染めていた。候補生はその教壇の陰に身を隠し、じっと息をひそめる。カルカノーレは「匿って」とだけ言ったきり身を屈めた候補生のつむじを見下ろして、それから遠くより聞こえてきた革靴の足音を聞き、今度は「ああ」と納得する。
「
……
カルカノ?」
程なくして、この奇妙な状況の原因だろう男が教室に姿を現した。鮮やかな青色の髪に、透けるような色白の肌、黄金比で整った彫の深い顔立ち。カルカノーレにとっては仕立てのよいスーツ姿こそ馴染みがあるが、今は士官学校の制服を着用している。その取ってつけたような善良さを目の当たりにするたび、カルカノーレは心の底から制服が似合わない男だなと思うけれど、それはおそらく向こうが自分に思うことも同じだろう。
「Ciao, ベネッタ」
「お前がこんな場所にいるとは思わなかった」切れ長の瞳がやや緩く細められる。「だが、ちょうどいい。マエストロを見かけなかったか? こちらに来たはずなんだが」
「いや、知らないな。ドゥーチェがどうかしたの?」
教壇とカルカノーレの陰に隠れた候補生はピクリとも動かない。ベネッタが少しでも踏み込んで捜せばすぐに露見する拙い潜伏だったが、そこはさすが狙撃手志望と言うべきか、カルカノーレは己の背後にあるはずの気配すら察知できなかった。
幸運にも、ベネッタはそれ以上教室の奥へと踏み込まなかった。カルカノーレの問いに「そうだな」とつぶやき、肩をすくめる。
「逃げられているんだ」
「逃げる? ドゥーチェが、キミから?」
「ああ」煙草の箱を取り出してから、場所を思い出したようにポケットへと戻す。「俺はただ、少し話がしたいだけなんだが」
口ぶりは穏当だが、元は恫喝を商売道具にしていた男の言葉である。カルカノーレは自分のことを棚に上げて「ベネッタのお話が怖くないことないだろ」と苦笑する。
「一体どんな脅し文句をぶつけたのさ」
「ずいぶんな言い様じゃないか。俺はそんなに酷い男に見えるか?」
「鏡でその男前な顔を見てきなよ。悪い男のお手本がいるはずだからさ」
身を潜める候補生の気配が揺らぐ様子はない。カルカノーレは少し考え、興味本位で食い下がった。
「それにしても、ちょっと驚いたな。あの彼女を逃げさせるなんて、相当だと思うけど?」
狙撃手志望の変わり者。士官学校の〝マスター〟は、実際出会うより前からその胆力の強さで有名だった。かの人間がボフォンキオ・ファミリーにとって厄介な存在だったことは間違いなく、実際、ベネッタとカルカノーレを揃って引き抜いてみせたのだから、まだ子供だと侮るのも愚かだろう。
悪意ある暴力を前にも怯まない、彼女なりの正義を根拠にして折れない人間だった。それは敵対していた時のことに留まらず、カルカノーレたちが彼女の持ち物となった今でさえ、時折ぎょっとするほど直線的な眼差しを向けてくる。カルカノーレは自己を銃と捉えているが、彼女の視線に名前のつかない後ろめたさを覚えるたび、この感情はヒトの肉体から生じるものだと強く実感する。
要するに、避けられない問題を前にして「目を背ける」道を選ばない人間だ。それが、ベネッタから「逃げて」いる。一体どんな酷いことをしたのか、率直に悪趣味な好奇心が勝った。
ベネッタは瞼を伏せ、片手で弄ぶ煙草の箱に視線を落とした。士官学校の敷地内は原則禁煙で、もちろん候補生の喫煙は禁じられているが、それに大人しく従う貴銃士ではない。
「脅していない。本当だ」
「本当かなあ」
「ああ」そして、あっけらかんと言い放つ。「口説いただけだ」
「
……
、
……
あのさあ~
……
」
まったく予想外な答えではない。けれど、簡単に差し出された言葉を受け取って、呆れと不服がカルカノーレの声に滲み出た。これだから外野に「イタリアの男は」と指をさされるのだろう。特に彼女の相棒と親友の遺物はイギリス出身らしい気質で、冷たい視線を寄こされることも少なくない。
「それ、オレの前で言う?」
「お前だから言ったんだが」
「嘘つけ。オレじゃなくても言っただろ、牽制として」
「そうでもない。俺だって、正面から喧嘩を売る相手は選ぶさ」
「へえ?」
「ああ
……
カルカノ、もちろんお前は特別だよ。お前となら共有できると思っているさ」
あまりに不躾な言葉に思わず反論すら見失う。ベネッタはカルカノーレの顔をじっと見返して、それから薄く口元を緩めた。
「じゃあ、俺は別の場所を捜してくる。マエストロによろしく伝えてくれ」
「
……
はーい。覚えておくよ」
上機嫌な足取りで立ち去るベネッタの背中を見送り、カルカノーレは深く嘆息した。
「ねえ、ドゥーチェ」
「は、
……
はい」
カルカノーレが声をかけると、隠れていた候補生がゆるりと顔を上げる。口元は引き攣って愛想笑いすら不格好で、心なしか顔色も悪い。その表情を見下ろして、カルカノーレは素直に憐れみを抱いた。ああ、可哀想に。正義と善良さを取り得とする人間にとって、ベネッタの策謀と執着は重いだろう。
「諦めたほうが早いと思うよ、アレは」
ぴしりと表情を固め、それから彼女はがっくりと項垂れた。これは相当本気で口説かれたのだろう。ナポリの男らしいけれど、罪深い。吹き込んできた夕風に揺れた彼女の髪からは、ベネッタの煙草と同じ香りが漂っていた。
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