きなこ湯
2025-02-20 13:20:11
3758文字
Public
 

指先の温度


士官学校卒業後、相変わらず敵対関係のスケレットと元候補生がバーで出くわす話。
何もかも捏造です。

ワードパレットより(行きつけ、ループ、相容れない。)




 カウンター席に思わぬ顔を見つけ、スケレットはぎょっと二度見した。突然店の入り口で立ち止まったことに驚いたのだろう、スケレットが後ろに連れている女は怪訝そうに「どうしたの?」とつぶやく。手垢のついた猫撫で声だが、それでもなお愛嬌を感じさせるあたり、夜の温度に慣れた女だった。
 一方で、カウンター席に座るその人間は正反対だった。少なくともスケレットはそう認識している。折り目正しく連合軍の軍服を着込み、指先すら包帯と手袋で隠して肌の露出をしない、おカタい軍人サマ。士官学校を首席で卒業した後、連合軍の特殊部隊の配属となり――スケレットも何度か対峙している。決して相容れない敵として。

 どうしてこんな場所に。よりにもよって、スケレットの行きつけの店で。非合法に片足を突っ込んだ半地下のバーなど、今を時めく現代の英雄がいるべき場所ではないだろう。筋違いな冷や汗を搔きながら、スケレットは口の端を引き攣らせた。
 薄く埃を被った吊りランプの淡い光が、惜しげもなく晒された白いうなじにまっすぐ落ちている。当然、軍服やスーツのような堅苦しい格好ではない。水商売の女の格好ほど華美ではないが、己を着飾る衣装としては地味すぎる、当たり障りのないフォーマル寄りな格好だ。それでもスケレットの知る姿と比べると格段に肌の露出が多く、無防備に見える。
 頭の後ろで結い上げた髪がややほどけ、ひと束はらりと肩に落ちていた。一見すると華奢な女であるが、窮地に追い込まれれば双方負傷する頭突きをも厭わない、胆力があるのひと言で済ませるには過ぎる暴力性を秘めていることを、スケレットはその身をもって知っている。

「ねえ、スケレット?」

 投げかけられた高い声からは、少しばかり取り繕う色が剝がれていた。スケレットはハッと我に返り、慌てて後ろを振り返る。ぽってりとこぼれ落ちそうなくちびるのルージュは鮮やかに艶めいており、まだほんの少しも乱れていない。見目と金払いのいい女だから、スケレットとしても簡単には手放したくなかった。ガードが固くなかなか隙を見せてくれなくて、こうしてとっておきの店まで連れてきたというのに。スケレットを上目遣いに見上げる瞳が何度か瞬き、金色のラメが光を反射した。――それから、侮蔑を隠さない色を浮かべて平べったくなる。

「べつに、最初からあなたに誠実さなんて求めていないけれど。少しは取り繕いでもすればいいんじゃない?」
「やだなァ、俺そんなにひどい男に見える? ていうか、取り繕うって……

 スケレットが言い終わるより早く、女はくるりと踵を返して階段をのぼってゆく。カツカツと高いヒールの音が響き、歩調を合わせていたのはスケレットではなくこの女のほうなのだと今更気づかされた。

「ちょ、ちょっと待てよ、ロザリー」

 悪あがきで白い腕を掴むも、勢いよく払われる。

「おあいにくさま。都合のよい女になるのは構わないけれど、当て馬になるつもりはないの」
――ハ、」
「それと、わたしの名前はロゼッタ」

 しくった。思わずスケレットが顔を強張らせると、女はフンと鼻で笑って背を向けた。「本命の名前は間違えないことね」――気味の悪い捨て台詞を残して。
 ひとり取り残されたスケレットは呆然と立ち去る背中を見送り、がっくりと肩を落とす。こんなはずではなかった。手に入るはずだった一夜を逃し、ため息と舌打ちを吐き捨てる。それもすべて、望まぬ先客のせいである。
 店の入り口で軽い騒ぎとなったせいだろう、スケレットにもの言いたげな視線が集まる。居心地の悪い空間だったが、ここまでやって来て逃げ帰るなど負け犬同然だ。ここが行きつけの店であることに間違いはなく、再訪しがたい雰囲気を作るのは不服だった。
 財布の軽さを棚に上げ、スケレットは大股でカウンター席へと向かう。番狂わせ、諸悪の根源、今日の不運の象徴へ。

「んね、おじょーさん。今夜はひとり?」

 口説き文句にまで憎しみが滲む。我ながら余裕がないと指をさされても仕方のない振る舞いだったが、スケレットはどうにか顔に笑みを張り付けて隣のスツールに腰掛けた。カウンターの内側にいるスタッフは慣れた様子で酒の用意を進めている。そう、何を言わずとも好きなウイスキーが出てくるくらい、ここは馴染みの店なのだ。
 普段、トルレ・シャフの構成員として活動するときはガスマスクで行動している。それは組織が儀式めいた時代遅れの〈Great World Emperor〉精神に基づくからであるが、素顔の印象を伏せる変装の役目も兼ねていた。だから、スケレットはある程度自由勝手に女遊びができている。素顔をスケレットのものとして知る人間は、組織の限られた立場にあるものか、あるいはガスマスクを剥がすほどスケレットに迫ってきた相手くらいなものだ。
 うつらうつらと舟を漕ぐ頭がピタリと止まり、それからゆるりと隣を見上げた。重そうなまぶたは半開きで、痛いほど直線的な眼差しは頼りなくテーブルの上に落ちている。俯きがちで気が付かなかったが、片手に握るグラスはすっかり空だ。――誰がどう見ても泥酔している。文句と嫌みをぶつけてやろうと意気込んでいたスケレットは当惑し、チラリとカウンターの内側へ視線を向けた。寡黙な店主は肩をすくめるのみで何も答えない。

「いや……マジで大丈夫か?」

 逡巡の末、口から出たのは率直に案じる言葉で、スケレットは苦々しく口元を歪めた。違う。こんな人間のことを気にかけているのではなく、不満のぶつけ先の強度を確認したかっただけで、それ以上の意味はない。そうとわかっていながら、己の白々しい態度に本能的な鳥肌が立った。もし目の前の人間が正気だったならば、同じような反応があるに違いない。しかし、現実は逆をゆく。

……ん」

 ほとんど意識のない声が返ってくる。焦点の合わない視線がテーブルの上をさ迷い、空のグラスに留まって、それから危なげな仕草でぐいと煽った。中身が入っていれば顔面から酒を浴びていただろうが、幸か不幸か、グラスには空気ばかりが満ちている。

「おい。俺の顔見ろ。わかるか?」
「ん……
「こっち見ろって」
「んん……
……お前、状況わかってねェな」
「ん……わかるよ、」

 同じうめき声がしばらくループして、ようやく言葉らしい言葉が返ってくる。しかし、うわごとのような「わかるよ」に続いたのが「マークス」だったので、スケレットは薄紫の目を平べったくした。一体何をどう認識したら、あの忠犬じみた相棒と敵対するスケレットを間違えるのか。これではまともな会話など無理だろう。用意周到に出された水の入ったグラスを押しつけて、カウンターに肘をつく。
 水を飲んで上下する喉の動きを眺めながら、今なら何の苦労もなく殺せるなとぼんやり思う。もとより一対一ならスケレットに分がある。貴銃士と人間で、男と女で、戦うために生まれた銃とたかだか数年訓練を積んだだけの人間だ。組織は彼女を排するのではなく利用するために捕縛を求めるだろうが、突き詰めればそんなことはどうでもいい。
 この人間を殺すのは自分だろうと、スケレットは理由もなく確信している。
 いや、殺すとすれば自分以外ではあり得ない。他の誰に渡してやるつもりはなかった。
 そういう意味では、あの女の言った「本命」もあながち間違いではないだろうか。これほど熱烈に誰かへ執着するなど、自分らしくないことは理解している。銃としての来歴も、今の組織に属する形で人の肉体を得たことも、こうして人間の真似事をする生活も、言ってしまえばすべてが偶然の産物だ。どうして己の存在に意味を探す必要がある? 目先にある享楽以外、スケレットが生きている理由はない。
 再び舟をこぎ始めた頭に向かって、スケレットは甘く囁いた。

「あーあ。そんな男、やめとけよ。見る目ねぇからさァ」

 話し相手を己の片割れと勘違いしているらしい哀れな人間は、ありふれた失恋話をぶつぶつと呟いていた。いわく、人並みの愛される幸せに興味があると。胸のときめくようなロマンチックな恋に憧れがあること。ティーンの夢物語のような生活はかつての自分になかったこと。本当の自分を打ち明けた途端、自分よりも強い女にプライドを折られて逃げ出した男の話を。
 ああ――本当に見る目がない。この人間のもっとも輝くところは、殺されかけてなお闘志を滾らせこちらを睨む、あの弾けるような殺意を秘めた眼差しだろうに。彼女の屈強さに怖じけづいて逃げ出すようでは、その価値の欠片も知らなかったに違いない。

「なァ、やっぱり俺にしない? 俺なら、あんたから逃げねぇよ」

 青白い指先に触れる。ひやりと冷えた体温にぞくりとした。〝マスター〟の役目は心身を削る。生半可な覚悟、素質では務まらない。血色の悪い指先の温度に、己の命を削り取ってでも前へ向かって這う人間の執念を思い出した。
 ――ああ。これこそ自分の手で折って、踏み潰してやりたい。
 追加の水を差し出す。彼女の酔いが醒めることを待ちながら、スケレットはしばらくその華奢な指先を握っていた。