夢篠
2025-02-20 00:21:06
2974文字
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/lʌv/

南蛮人と異文化交流する話

ナマエナマエナマエナマエナマエナマエナマエナマエナマエナマエナマエナマエナマエナマエナマエナマエナマエナマエ⚫︎
組頭が何やら難しい顔で草子を捲っている。巷に流通している類の草子にしてはやけに分厚いし、そもそも組頭はそういう物を好んで読んでいただろうか?余りにも気になって組頭を直視していたからだろうか。組頭が視線が煩いというような顔で私を見た。

「尊奈門か。どうした?」

「い、いえっ!お邪魔してしまい申し訳ありません!」

隻眼が三日月の形に歪む。多分本心で笑ってくださっているのだと思う。組頭が私に向かって手招きするので躪り寄ってその手許を見た。

「こ、これは……?」

余り見た事の無い不可思議な記号と共に言葉が書いてある。記号は恐らく南蛮の文字だった筈だ。そこまで思い至ってから脳裏に過ったのはあの娘だった。

先日タソガレドキが攻め落とした城には大切に大切に囲うようにして一人の娘が囚われていた。色白の肌をした美しい娘は黄金の髪と碧の眼を持つ南蛮人だった。娘の名前も城主との関係もどのような経緯で此処まで来たのかも、何一つ私たちは分からなかった。言葉が通じないからだ。

娘は知らぬ言葉を話す私たちに酷く怯えて意思疎通もままならない。今は里の空き家に半ば軟禁するような形で身柄を押さえている。

「あの娘のためですか?」

「そう。殿にお願いして、辞書を用意して貰った」

何処となく穏やかに微笑む組頭に珍しいな、と思った。この人は必要な事に対する行動は早いが、その行動一つひとつに特段感情を伴わない人だったからだ。報告を受ける時も作戦を練る時も或いは情報を探す時も。いつも感情を表出しない。

「これが南蛮の文字なのですね。あ、これは何と読むのですか?」

……?ああ、此れは『ねーむ』って読むんだってさ。意味は名前、だって。そうだ、あの娘にまだ、名前を聞いていなかったね」

言うが早いか組頭は立ち上がって、「聞いて来るね」と手を振られて部屋を出て行ってしまった。何だか少し、いつもの組頭と様子が違う気がした。でも、不思議と嫌な気分では無かった。



「聞いて、陣内。ナマエちゃんって言うんだって〜」

「は?」

組頭が緩んだ顔で何か言って来た。何を言っているのか良く分からなかったので取り敢えず聞き返す。そうするともう一度、組頭は緩んだ顔で「ナマエちゃんって言うんだって」と声を蕩かした。

「何の事です?」

「えっ、あの娘だよ。先日落とした城の座敷牢から見付けた……

「嗚呼、例の南蛮人ですか」

ようやっと合点が行って頷くと、目の前の大男が頬を膨らませた。全くもって可愛らしくも何とも無い。

「南蛮人じゃなくてナマエちゃん。殿にお願いしていた辞書がやっと届いてさ」

懐から取り出されたのはどう見ても持ち歩くには不向きな分厚さの草子だ。この人はそれを懐に入れて持ち歩いているのか?と少し心配になったが一旦それは置いておく。またこの人の悪癖が発動する前に。

「新しい玩具で遊ぶのは構いませんが、あれはきっと乱暴にすると壊れてしまいますよ」

この人は昔から虫も動物も人間も、可愛がる延長で壊してしまう事があった。手加減とか限度とか、凡そそういう物が分からないのだと思う。今、ナマエとやらに興味を持っているのは本心だろう。唯、きっとその興味の延長でこの人が彼女を壊す可能性は大いにある。そして私はこの人が少し寂しそうに「また壊しちゃった」と笑う顔を見るのが大嫌いだった。


◼︎
組頭に行け、と命じられたから来た。それだけだった。私を困惑の瞳で見詰める娘の目は碧い。滑らかな髪は黄金のように陽光を受けて輝いていた。今までに見たどの女よりも奇抜な風体をしているのに、不思議と娘にはそれが調和して一体となっていた。

「----?」

不意に娘が口を開いた。玉のような声だと思った。高過ぎず低過ぎず耳に心地良い。だが何を言われたのかは分からなかった。彼女も私がその言葉を解していないのは分かったようで、困った顔で形の良い眉根を寄せた後、思い付いたように文机から何か書き付けを取り出した。

「これ、は、」

書き付けには言葉が沢山書かれていた。南蛮の文字とその下に私たちの言葉。嗚呼、此れは組頭の字だ。娘は言葉の中から一つを指差す。南蛮の文字が三文字とその下に組頭の流麗な筆致で「誰」と書き付けてあった。どうやらこの娘は私に誰何していたようだ。

「私は高坂陣内左衛門という」

……?コ、サジ?」

「違う。高坂陣内左衛門」

「サカ、ナ?」

南蛮人の耳には私の名は聞き取りにくいのか、何度教えてやっても娘は私の名前を正しく発音する事が能わなかった。別にこの娘に名を呼ばれずともどうでも良かった。ただ、組頭がこの娘に言葉を与えようとしたのだから、その言葉を使ったこの娘の想いは汲み取ってやりたいと思った。

「嗚呼、もう。……陣左、ならどうだ?」

「ジ、ンザ」

「そうだ」

頷いた私に娘はぱっと花の咲くような顔で笑った。それは悪い気はしなかったので私も少し相好を崩してやっておいた。


♦︎
ナマエを里に囲ってから半年は経っただろうか。出来るだけ時間を見付けては通うようにしたからかナマエも少しずつ私に打ち解けた様子を見せてくれるようになった。

ナマエ、来ちゃった」

「こ、にちは」

辿々しくも私たちの言葉を使おうとするナマエがとても可愛らしく思えてしまう。最初は南蛮人の忍びとか面白いだろうなあと思っていただけだったのに、何だか可笑しな事になってしまったけどまあ良いか。ナマエの処遇は私に一任されているし。

ナマエが私のために円座を用意するのを有り難く座る。ナマエが私の向かいに座ろうとしたから手を引いて隣に座らせる。本当は膝の上に座らせても良かったけれどまだその段階では無いかと止めておいた。

「こな、」

「んー?なに?」

南蛮人の口内の構造と私たちの口内の構造というのはどうやらかなり違うようで、ナマエが私たちの話す言葉と似た音を出すのはかなり苦労したようだ。少しずつ似た音を出せるようになって来ているけれど、それは何だか幼児の発音のようで酷く愛らしい。私の事を彼女は「こな」と呼ぶ。「昆奈門」すら言えない。とても、可愛らしいと思う。

「----」

「えー?なんて?」

彼女の言葉はまだ少し分からない。所々、ゆっくりと話してくれる言葉は聞き取れるようになっている。辞書を介さないやり取りは酷く楽しい。辞書を介したやり取りもまた、趣のある物だったけれど。

ナマエが少しもどかしそうに顔を歪めた。気のせいか少し頬が赤いような気がする。白い頬が赤くなると目立つね。

私とナマエで作った書き付けの辞書をナマエが引っ張り出してくる。彼女が私の顔を窺うように書き付けの一つを指差した。それは出会ってナマエと言葉を交わそうと思って初めて、私がナマエに教えた、戯れの言葉だった。何だ、教えたの間違いじゃなかったね。

「love」

……それ、そうやって発音するんだ。はは、なんか、凄い照れちゃうや」

ナマエの碧い瞳がまろやかな色をしているのが見える。嗚呼、綺麗だな。