ねぶくろ
2025-02-16 21:05:50
4487文字
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君に栄華を

コミティア151にて頒布した無料配布コピー本の本文です。
同イベントにて頒布した「籠の中では踊れない」本編後の小話。
※本作品にBL要素は含まれません。

『表紙に載るなら教えてくれればよかったのに』
 笑みを含んだ声を突きつけられて、永熊弘 ながくまひろは「うるさいな」と反射的に顔をしかめた。
 容赦ない北風が首筋を刺す。マフラーに顔を うずめて、人気のない駅のホームで白い息を吐き出した。
 待合室の存在しない、細長いコンクリートの陸地。ぼんやりと蛍光灯に照らされたそこに佇んで、「仕事については守秘義務があって喋れないんだよ」と毒づく。永熊は視線をわずかに持ち上げて、遠くの街明かりを睨みつけた。各駅停車しか停車しないこの駅には、なかなか電車がやってこない。次の到着は三分後だ。――この世で最も長いかもしれない三分に顔をしかめて、身を震わせる。
 誰もいないホーム上で寒さに凍えている永熊とは対照的に、電話口から聞こえてくる声は余裕を含んでおり、楽しげだった。上機嫌に声を弾ませ、幼馴染が『仕事が順調なようで何よりだよ』と笑う。永熊が、「で、本題は?」と水を向ければ、白狼 はくろうみやびはようやく、『お祝いしたくてさ』と話を切り出した。
『弘の栄転を祝して、何か御馳走するよ。何が食べたい?』
 尋ねられて、眉根を寄せる。永熊は鼻先を赤くしながら、吐き出した息が白く形を作って風に流されていくのを目で追った。電車の到着まで残り二分。かじかんだ手をポケットの中で握ったり開いたりしながら、「食べたいもの」と彼の言葉を繰り返す。
……和食」
 短く答えれば、みやびは『いいね。お寿司とか?』と、受話器の向こうの笑みが見えそうな声で問いを重ねた。少し考えてから、「サーモン食べたい」と相槌を打つ。彼は、『個室の方がいいよね』と朗らかに言葉を続けた。
『いつだと都合がいい?』
「直近だと、明後日かな。ちょっと遅くなるかもだけど」
 撮影が立て込んでいるので、早く上がれても時刻は夜の九時を過ぎる。その自己申告にも動じることなく、みやびは『そっか、お疲れ様』と軽やかに相槌を打った。
『それじゃあ、お店調べておくね。後で連絡する』
「よろしく」
 ちょうど折よく、線路の先から光が差し込む。まもなく電車が参りますというアナウンスに、「電車来たから、切るよ」と幼馴染に呼び掛けた。アナウンスが聞こえていたのか、『こんな時間までお疲れ様。風邪引かないようにね』と労う言葉が耳朶を打つ。短く謝辞を返して、永熊は通話を終えた。

* * *

 よく手入れされた染み一つない天板の上に、そっと寿司下駄が置かれた。ウェイトレスが「ごゆっくりどうぞ」と一言残して個室の戸を閉める。店内には他にも客がいるはずなのに、雅な和風のBGMだけが室内を満たしていた。この分ならば、こちらの会話が外に漏れることはないだろう。他者の目が介在しない安心感に、肩の力を抜いて椅子の背もたれに身を預ける。
 永熊は、自身の目の前に置かれた寿司には見向きもしないまま、相対する幼馴染の姿を見遣った。彼は八貫ほどの寿司が盛られた下駄を眺めて、「綺麗だよね」と微笑んでいる。平常運転の朗らかさを訝しむように彼を見つめて、小首をかしげた。こちらの視線を無視して、みやびが箸を取る。
「お寿司は冷めるっていう概念がないからゆっくり食べられていいよね。それじゃあ、いただこうか」
「そうだね、……いただきます」
 箸を割って、両手を合わせる。永熊が海老の尻尾を取っていれば、みやびは宝石でも眺めるようにいくらの軍艦を目の高さに掲げてから、醤油につけた。丁寧な所作でそれを口元へと運び、静かに頬張る。美味しそうに目を細めて、嬉しそうに頬を緩める一連の動作を眺めながら、永熊は赤海老を口に放り込んだ。可もなく不可もなく、普通に美味しい。
 よくあんなに美味しそうな顔ができるな、と感心とも呆れともつかない感情で彼を眺めて、鯛やマグロを食べていく。アサリの味噌汁で口直しをして、いくらの軍艦へ。好物のサーモンは一番最後のお楽しみだ。
 永熊が黙々と箸を動かしていれば、ウニに表情を蕩けさせていたみやびが、思い出したように口を開いた。
「どう? 美味しい?」
……まぁ、普通に」
 反抗期の中学生のようになった不愛想な返答に、みやびは安堵したように頷いた。その双眸がテーブルの上へと落とされて、「よかった」と彼にしては弱気な顔で言葉を零す。目を伏せた彼を眺めて、手にした椀を傾けた。言葉を探して虚空を睨み、――誘われた時から気にかかっていたことを、無造作に問いかける。
「珍しいよね」
 みやびが顔を上げる。不思議そうにこちらを見つめる彼と視線を合わせて、言葉を続けた。
「みやびがお祝いにケーキを持ってこないの、これが初めてだよ」
 その言葉に、みやびが表情を苦らせて再び目を伏せる。だしの香る味噌汁を飲み、――反応がないので言葉を続けた。
「なんか心境の変化でもあったの?」
 さして深い意図もなく尋ねれば、みやびが俯きがちに椀を手に取った。暖を取るように両の手で赤い漆器を包み込んで、息を吐く。どこか傷ついたような顔をして、彼が自嘲するような笑みを浮かべた。
「誰もが皆、甘いものが好きなわけじゃないって気づいただけだよ。……これまではごめんね。希望も聞かずに僕が好きなものを押し付けて」
 目を合わせないままで彼が言う。永熊は眉根を寄せて、間を持たせるためだけに味噌汁を啜った。
 穏やかな琴の音色が二人の間に落ちた沈黙を埋めている。こうなってくると、他の客たちの気配が存在しない室内は気詰まりだった。どうにかしてこの重たい空気を打破しなければ、と思考を巡らせて言葉を探す。
 永熊は空っぽになった器をテーブルの上に置いて、箸に手を伸ばさないままみやびを見つめた。
「誰かになんか言われたの?」
 わずかに険を含んだ永熊の声に、彼が「誰にも何も言われてないよ」と笑みを繕った。顔を上げて、いつもと変わらぬ穏やかな表情で「大丈夫」と念を押す。
「僕が勝手に価値観をアップデートしただけ」
……そう」
 そう言われてしまえば、それ以上は何も言えない。永熊は湯呑みに手を伸ばし、そこに揺蕩う湯気を眺めていた。沈黙が落ちて、ゆったりとした和の楽器が耳に心地よい音色を届ける。気持ちの重さとは裏腹に、軽やかな音楽が室内を満たして、今度はみやびの方から口を開く。
「僕は、弘のことを応援してる。……だから、喜んでほしくて色んなモノを君に贈ってきた」
 どこか緊張した面持ちでそう言い、みやびが息を吐く。覚悟を決めたようにこちらを見据えて、彼が背筋を正した。凛とした声で、「正直に答えてほしい」と彼が言う。
「弘は、僕のやり方をどう思ってる?」
…………
 静かな表情でこちらを見据える彼を、じっと見返す。永熊はテーブルの木目へと視線を落として、静かに息を吸い込んだ。

 みやびとの付き合いは、永熊が生まれる前から始まっている。
 家が近く、母親同士の仲が良かったこともあって、みやびは永熊が胎児の頃からこちらのことを認識していた。みやびは永熊を実の弟のように可愛がり、小学生の頃には毎日一緒に登下校していたほどだ。そのまま、どちらかの家で遊ぶことも少なくなかった。
 五歳という年齢差の影響で、小学校以降は在学期間が重なる時期など存在しなかったが、それでも互いの家を行き来する関係に変化はなかった。
 みやびがそうであるように、彼の家族は人をもてなすことを好む。家に上がれば当然のように歓待され、彼らが旅行に行けば当たり前のように土産を渡される。裕福だから、という客観的事実だけで納得するには不気味なほどに、白狼一家は『与えたがる』。
 自分が素敵だと思ったものを人に買い与え、自分が良いと思ったものを他者に贈り、自分が最善だと信じた道へ進むように人の背を押す。――永熊がアイドルになりたいと言い出した時も、真っ先に背を押したのはみやびとその母親だった。
 難色を示す永熊の父を説得し、オーディションを受ける準備まで手を貸すほどの人の良さである。正直、家が隣同士だからというだけの縁でそこまでするのは、常軌を逸しているとさえ感じた。彼らの後押しの甲斐あって今がある身としては文句のつけようもないのだが、そのことについてどう思うかと問われれば、正直なところ、肯定的な感情は抱いていない。
 人に『与える』というのは、一種の支配行為だ。永熊が彼から与えられることに罪悪感を覚えたことは一度や二度ではない。みやびの行動を煩わしく思ったことも、片手では数えきれない回数に上る。
 裕福、ゆえに傲慢。それが永熊から見た白狼みやびという人間だ。

 テーブルの一点を見つめたまま、目を瞑る。「正直に、でいいんだよね」と確認するように呟けば、彼が頷く気配がした。言葉を見つけて瞼を持ち上げる。顔を上げれば、神妙な顔をしたみやびと目が合った。真顔で彼を見返して、息を吸う。
「別にどうとも思ってない」
……、そう?」
 苦笑して窺うように小首をかしげた彼を見据えて、もう一度同じ言葉を繰り返す。永熊は軽くため息をついてから、行儀が悪いと自覚したうえでテーブルに頬杖をついた。
「別に、どうとも思ってないよ。オレはみやびとは違って、人のことどうこうしたいとは思ってないから」
「僕って、人のことどうこうしたい奴だと思われてるの?」
 みやびの言葉に「そこは自覚ないんだ」と言葉を返す。彼は複雑そうに、眉を八の字にした。情けない顔の彼を無視して、箸を手に取る。永熊は寿司下駄の上に残っていたサーモンを頬張って、嚥下してから言葉を続けた。
「みやびはさ、オレよりもはるかに気前がいいじゃん。それって良く言えば他者(ヒト)に興味と期待があるってことだよね」
「その点に関しては、弘がちょっと淡泊なだけだと思うけど……
 まぁ確かに? と釈然としないまま頷いた彼を見遣って、箸を置く。代わりに湯呑みを手に取って、永熊は「オレが淡泊なのは事実だけど、それとは無縁に、みやびは人のこと好きだと思うよ」と言葉を返した。
「でも、他人を自分の思い通りには動かせないでしょ? だから、みやびはオレより傷つく機会が多いだろうなって思ってた」
 期待が深ければ失望も深い。その指摘に、彼が苦く笑う。永熊は程よい温度の緑茶で喉を湿して、「だからさ」と、二十年来の付き合いである幼馴染を見据えた。
「お前が楽しく生きられるなら、やり方がどうあれ応援してるよ」
 自分よりもはるかに他者を愛する彼ならば、誰かを故意に傷つけることはない。だから、みやびが何を選んでもそれを応援する。
 永熊の言葉に、彼が目を瞬く。それからふわりと目元に笑みを滲ませて、彼が俯いた。
「弘って、ちゃんとアイドルだったんだね」
 眩しいなぁ、と揺れた呟きは聞こえなかったことにして、永熊は湯呑みを傾けた。
 裕福、ゆえに傲慢。加えて不器用。――けれど、心の底から人を愛して、人に尽くせる。
 そんな彼に、どうか栄華を。