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桜霞
2025-02-16 20:52:58
12394文字
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【RKRN】しのぶれど【雑夢】
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【RKRN夢】しのぶれど【zat夢】4
※つどい設定があります。
※雑高要素があります。
※捏造がたくさん。
※夢小説です。
初夏。
田圃に水を引くと、農家の仕事は一段落を迎える。
暇ができた農民達は、領主の命令に従って足軽となるか、町に出て銭を稼ぐか、年に一度の祭礼の準備に精を出す。都では病魔退散の祭りが盛大に執り行われ、地方各地では豊穣や家内安全を先祖に祈った。
そして、一部の農民は、顔も名前もない忍として、各地に潜む事になる。あらゆる場所に潜み、情報を入手し、己の上役へ奏上するのだ。
タソガレドキ城における深部に設置された詰所には、タソガレドキ忍軍が音もなく入れ代わり立ち代わり、雑渡や山本を初めとした各小頭に、忍務の成果を報告していた。
「サンコタケの動きはどうだ」
「今はまだなんとも
……
」
「オーマガトキは」
「再び税を上げたようです」
組頭が唸る。オーマガトキ領内で税が必要なほどの土木工事の話は無いため、増税の狙いは戦の準備のためと想定された。
「オーマガトキが攻めてくるかな」
「いや、今から取り立てたのでは秋までに物を揃えることはできますまい」
「次の夏まで動かんか」
「早くて冬かと」
ではオーマガトキとの領地の境界の守りは常の通りに、と差配がされる。頭を垂れた忍がひとり、瞬きひとつで姿を消した。
「ドクタケは」
「チャミダレアミタケ、スッポンタケと睨み合いをしております」
「スッポンタケと戦になることは早晩なかろうが、チャミダレアミタケはどうじゃ」
「川向こうの村々では、防御を固める動きがあります」
「戦の準備は」
「しているようには見えませんが、物価が上昇していると」
ふうむ、と組頭が腕を組む。
「まずはオーマガドキを調略したいところじゃが
……
殿のご意向はいかばかりか」
組頭が地図から顔を上げ、車座になっている小頭達を見やった。
「
……
真っ先にオーマガトキを手中に入れるべきとはご理解されておられるでしょう。しかし、チャミダレアミタケが脅威なのも事実」
口を開いたのは雑渡だった。
「チャミダレアミタケに留意しつつ、サンコタケとの流通を確保するのは如何か」
「ふむ
……
一理あるか」
組頭が頷く。他の小頭からも特に反対意見を言う者はおらず、傍に控えていた山本はそっと安堵の息を吐いた。
姿は変わっても、変わらぬものがそこにある。この三年、もう見ることは叶わぬのだろうかと幾度となく沈んだ胸の奥が、少しずつときほぐされていくような心地だった。
短く告げられた指示を全うするために動きながら、山本は気を引き締め直した。
間もなく戦である。ほぼ確実に、雑渡も最前線に復帰する。山本などの古株にとっては三度目の正直である。
絶対に、繰り返す訳にはいかないと、忍達は決意していた。
忍軍からの奏上を受け取り、黄昏甚兵衛は各地の防衛とサンコタケとの密かな流通を家臣に命じた。軍師を擁さないタソガレドキでは、他国の情勢および領内の金銭や物資などの現状について一番情報を持っている忍軍、目付による進言で軍略が決まることが多い。今回の評定はほとんど忍軍の主導で決まったようなものだったが、監察方からの横槍は皆無だった。
評定の後、雑渡は城中のとある部屋を訪った。
「目付殿」
「ん?」
反射的に声のした方を見た若武者は見開いた目を瞬かせ、次いで困ったように眉を下げた。
「これは、雑渡殿。私はまだそのように呼ばれる身分ではござらん」
父に聞かれたらどやされます、と声を潜める若者に、雑渡は少しだけ目を細めた。つくづく、当主である父親には似ていない青年である。
「此度の評定、ご助力いただき、まことにかたじけない」
「ああいや、大したことは」
頭を下げる雑渡を、青年は慌てて制した。そうして、居住まいを正す。
「我らも同様の結論だったまで。情報に食い違いがなく、安堵いたしました」
「
……
左様ですか」
「今後とも是非、ご助力の程を、宜しくお頼み申します」
きちりと礼をする所作に、彼の妹を思い浮かべる。雑渡は小さく瞼を伏せた。
「
……
時に」
「はい」
青年が顔を上げ、小首を傾げる。
「私と妹御の婚儀についてですが」
「あぁ、はい」
「日取りが、戦の後となっているのは、父君のご差配であらせられるのか」
「
……
左様でございます」
青年が気遣わしげに雑渡を見遣る。
「私が死んだら、手垢がついていないことになるから、ですか」
「
…………
」
青年は応えなかった。それが、答えだった。
「お父君の考えそうなことだ」
嘆息混じりに言った雑渡に、青年はどこか悔しさに恥を滲ませながら瞼を伏せた。
「
……
父に、娘への情はないのです」
「ほう」
「仔細は、申し上げられませぬ。
……
あなた方なら、一昼夜もあれば詳らかにしてしまいそうですが」
青年が苦笑する。雑渡は微笑むだけで答えなかった。
「私が死んだら、次は誰です。組頭ですか」
「父にその手の冗談は通じませんよ」
暗に、必要であれば、どんな老耄が相手だろうと若い娘を嫁がせると言い切られて、雑渡の顔から微笑が消えた。
「
……
正気ですか」
「雑渡殿が生きて帰ってきてくだされば済む話です」
にこーっと形の良い笑みを浮かべる青年。
雑渡は苦笑した。父には似ておらぬが、これはこれで強かな狸に化けそうな御仁である。
「
……
情があるなら、雑渡殿の方なのです」
「兄君からの情も無いと仰る」
「私からの情は、妹の役に立ちません」
青年の意図するところが掴めず、雑渡は瞬いた。青年はタソガレドキ家臣の次代を担う人物である。立場もあり、仕事の評判も、戦での振る舞いも悪くない。性格も、今こうして話しただけだが、根が穏やかなことは確信できる。家族の情を後に回さなければならぬのは世の習いとも言えるが、彼ならばそれすらもどうにかできる力をいずれ手に入れることができるのではないか。そしてそれは、青年自身、理解しているはずだった。
「妹は、私が命ずれば、たとえそれが地獄だろうと、迷わずに往くでしょう」
静かに告げる青年に、雑渡は、大火傷を負ってから初めて会った彼女を垣間見た。
戦は恙なく進んだ。物価は上がり、動ける男は甲冑を着せられ、槍を持たされた。武勲を上げるためか日銭を稼ぐためか、威を誇る侍たちが集まり、家臣たちはそれらを束ねて行軍した。
幾つかの村が焼き払われて、青い稲に血溜まりがこびりつく。道々に転がる死体は弔われることなく捨ておかれ、柔いところから虫が湧き、獣に喰われた。
悲鳴が、怨みが、絶望が、勝利の傲慢に掻き消されてゆく。
タソガレドキは、また一つ、領地を切り取った。
雑渡の屋敷がある隠れ里は、戦が終わり、忍軍は皆無事であるとの知らせを受け取った途端、肺が空になるほどホッとした。雑渡が完全復帰したことも喜ばしければ、今度こそ彼女との婚儀の準備に取り掛かれるからである。
以前は農作業との兼ね合いも鑑みて先んじて準備をしていたら雑渡がそれどころではなくなってしまったので、里の住人は示し合わせたかのように、誰も婚儀について口を聞かなかった。
「ようやっと小頭も腰を落ち着けられるか」
「良かったねえ」
良かった良かったと綻ぶ雰囲気の中、尊奈門だけはひとり仏頂面をしていた。
戦の前後は物価が上がって物盗りが増えるし、戦の後は落ち武者等も出るから、彼女はしばらくの間、屋敷に通わなくなるという話は、雑渡から聞いていた。寂しいけれど、物の道理が分からぬ歳でもなく、尊奈門は「姉上の安全が一番です」と神妙に頷いて見せたのだ。
しかし、いざ祝言の準備が始まって雑渡の屋敷が垂れ幕などで飾り付けられているのを見ると、果たして彼女はこれを見て、衝撃を受けないだろうか、傷つかないだろうかと、尊奈門も悲しくなってくる。
武家の姫が嫁としてこの屋敷にやって来るのなら、その人のことを奥方と呼び、従わなければならない。きっと、彼女のような、夫と仲の良い女性を、こころよく思わない筈である。
「尊、ちょっとこっちに
……
おい、どうした? 尊、おい」
ふと高坂に声をかけられて、尊奈門は俯いていた顔を上げた。それでもやっぱり悲しくて、溜息を吐いて俯いてしまう。
「どうした?」
「尊、いた?」
「山本さま、小頭
……
」
ひょこりと顔を出した山本と雑渡は、しゅんとしている尊奈門に思わず顔を見合せた。山本が膝を着き、尊奈門を覗き込むようにする。
「どうした、尊。ん?」
穏やかな声音で問われて、尊奈門はますます眉間に皺を寄せた。
「小頭がご結婚されるから、寂しいのか?」
「
……
ちがいます
……
おめでたいことだとおもいます
……
」
「後半が棒読みだぞ」
高坂から、ぷいっと顔を背ける尊奈門。山本は苦笑した。
「なんだ、何がお前をそんな顔にさせるんだ。言ってごらん」
「
………………
」
尊奈門は上目で雑渡を見遣った。おそるおそる伺われた雑渡は、「ん?」と小首を傾げた。
「
………………
私は、奥方とお呼びするなら、あね上がいいです
………………
」
漸う、ぼそぼそと口を割った尊奈門に、山本と高坂は思わず「はぁ?」と声を上げた。噴き出すのをごまかすように咳払いした雑渡が、山本の肩を押して立たせ、自分が代わりに尊奈門と視線を合わせる。
「尊奈門、新しく来る人も、お前の姉上に負けず劣らず、立派なひとだよ」
「
……
ですが
……
」
俯きがちな尊奈門は、雑渡の背後で怪訝そうな顔を見合わせている山本と高坂に気付かない。
「彼女にとっての新しい住まいだから、尊奈門が頼りになることもあるだろう。意地悪でなくて、優しくしてあげるんだ。いいね?」
「
………………
はい」
渋々頷いた尊奈門の頭をくしゃりと掻き混ぜて、勝手場を手伝っておやりと、雑渡が尊奈門の背中を押す。尊奈門は素直に駆け出した。
おそらく盛大な勘違いをしているらしい尊奈門を見送って、山本が戸惑いがちに口を開いた。
「
……
小頭、良いのですか?」
「うん。ここまで来たら、最後までやろう。彼女も楽しみにしてるだろうし」
眉をひそめた山本は、高坂と再び顔を見合せ、
……
どちらからともなく、静かに溜息をついた。
目付は監察の屋敷から白木の輿が出発したのは夕刻になってからだった。
前日まで町の世話になった者たちに挨拶回りをしていた彼女は、当日の朝になって初めて己の家の本邸を訪れた。挨拶回りで一部の知り合いに泣かれ、「おひいさまは私が娶ります」なんて泣き喚く娘も現れ、少々疲弊しての今日だった。
本邸はそれなりの大きさの門を構え、それなりの部屋数を持ち、それなりの数の家来や下働きを抱えていた。彼女は、自分の家の家来だという者と初めて言葉を交わし、広く天井が高い部屋をご自由にお使いくださいとあてがわれ、下働にヒソヒソ言われているのを聞き拾いながら父と対面した。
滅多に会わぬ娘でも嫁にやるとなれば惜しむ気持ちでも湧いてくるのか、何事か話そうとした父にこれまで彼女の世話をした下男と下女をここで働かせるか、死ぬまで楽ができるよう金子を持たせることを約束させ、彼女は持参した花嫁衣装に着替えてその時を待った。
肌着は白練、白の小袖。幸菱を浮き織りにした白綾の小袖を、打掛として羽織る。最後に錦布の守袋を組紐で首から掛ければ、用意は整った。
白輿の前後に、松明、御厨子黒棚、長櫃、長持が並ぶ。その他には兄と、家来が数人、護衛をするように輿を囲んだ。
花嫁行列が里に着く頃には、日はとっくに暮れていた。雑渡の屋敷には篝火が焚かれ、そこだけが異様に明るかった。屋敷の周りでは人が集まっているにも関わらず気配が薄く静かで、家来たちは澄ました顔の下、気味が悪く感じるのを堪えきれなかった。
宵闇の中、篝火に照らされた白輿が、煌々と浮かび上がる。
尊奈門は、屋敷の影から、高坂の懐に隠れるようにして行列を見守っていた。屋敷から、山本と、組頭が姿を見せる。二人ともいつもの小袖に袴ではなく、直垂を着ていた。物珍しい姿に、尊奈門が前のめりになるのを、高坂がそっと肩を抱えて抑える。
腰に刀を履いた青年が膝を着き、輿の戸を開けた。青年の差し伸べた手に、細い指が重なる。そっと現れた花嫁の面立ちに、尊奈門は目を見開いて、
「ぁ───」
瞬間、高坂に口を塞がれた。
短い手足が暴れるのを腕一本で押さえつけた高坂が尊奈門を抱えて屋敷の裏手に消えるのを視界の端に捉え、山本は小さく嘆息した。
雑渡の待つ一室に、辿り着き、「ご到着でございます」と声をかける。障子を開け、花嫁とその兄、そして組頭を通し、山本は静かに障子を閉めた。部屋の中で三々九度の盃を交わせば、後は披露目の宴である。板間の方では既に高砂や膳の準備が整って、案内状を出した忍軍の主だった面子が集まっていることだろう。
───昆の祝言か
……
己の過失で片親を奪った自覚のある山本の胸中には、一言では言い表せない感情が渦巻いていた。
燭台に照らされた部屋の中では、組頭が盃に御神酒を注いでいた。
雑渡が小さな盃に口をつけ、花嫁もそれに倣う。
二つ目の盃には、花嫁の兄が注いだ。三つ目の盃は、雑渡と花嫁が、互いに誓いを注ぐ。
盃を全て飲み下したのを見届けて、組頭が床に手をつき、頭を垂れた。かと思えば、障子を開く。その先には、山本が頭を垂れて座している。
「ご成婚、まことにおめでとうございます」
いの一番に祝いの言葉を贈った己の右腕に、雑渡は小さく隻眼を揺らした。
「
……
ありがとう、陣内」
山本は奥歯を噛み締めた。そうでなければ、泣いてしまいそうだった。
板間は賑やかな歓声に包まれていた。
高砂に座る雑渡と彼女に、親戚を除いた上座に近い者から挨拶と祝いの言葉を述べる。
彼女はそこで初めて雑渡の同僚を知った。雑渡は、一方的に顔を知っているだけの目付の家来と、初対面であるかのように振る舞った。
「此度のご婚儀、まことに目出度く
……
」
「
……
ありがとうございます」
頭を垂れる家臣に、彼女が淡々と返す。
雑渡は、彼女と彼女の家来がいやに他人行儀なことを少々意外に思った。祝儀で緊張しているのかとも思ったが、知った顔相手ならば多少の気の緩みも見える筈だが、彼女にはそれがない。だが、宴席であるし、後で幾らでも話す時間はあると、雑渡はこれを後回しにすることにした。
ある程度酒が回り、中座する者も一足先に帰る者も現れる中で、ようやく里の住人が下座から上がってくる。
高坂に「大声を出すな」とこってり絞られた尊奈門は、父の影からそろりと高砂の方を覗き込んだ。
直垂に烏帽子を被っている雑渡、そしてその隣に、見覚えのある顔が、綺麗な白い衣装を着て、うっかり心臓が止まってしまうほどの、美しい化粧を施されている。
ぽかーん、とあんぐり大口を開けて固まる息子をよそに、諸泉の家長は、万感極まる思いで頭を垂れた。
「この度は、まことにおめでとうございまする」
ありがとう、と礼を言った雑渡が、尊奈門の方を見遣る。尊奈門は相変わらず、魂を抜き取られたかのようにぽけーっとして、花嫁の方を見つめている。
「どうした、尊奈門」
雑渡が平静を装って声をかけると、尊奈門はピャッと肩を跳ねさせて、迷子の子供のような顔を雑渡に向けた。はくはくと戦慄く口は、何事かを訴えようと懸命に言葉を探していたが、やがて途方に暮れたような声を、なんとか絞り出す。
「あ───、
……
あねうえぇ
……
?」
顔を見合わせた雑渡と花嫁は、同時に吹き出すと、あははと声を上げて笑った。
「あねうええ、だって、ははは!」
「だ、だって、あねうえ、」
「はい、なんでしょう」
「あねうえ!!?!?」
今まで見てきたものの中で一番綺麗な人から大好きな声が聞こえて、ひっくり返る尊奈門。
「あっはっはっはっは!!」
「は、ふふ、ふ、は、あの、ごめんなさい、」
何が何だかと顔を見合わせる諸泉夫妻に、笑うばかりの新郎新婦。目をぐるぐるに回して、ばてている尊奈門。
一部始終を見ていた高坂と山本は揃って嘆息した。
「あの、これは一体
……
?」
怪訝そうな諸泉夫妻に、雑渡がかくかくしかじか、尊奈門の盛大な勘違いを二人に伝えた。
「全く別のお武家の姫さまが嫁いでくると思ってたみたいだよ」
「だって雑渡さまが昨日そう仰ったじゃないですかあ!!」
「ええ? そんなこと言ってないよ」
「雑渡さまぁ!!」
ひどい、と声を上げて腕を振り上げる尊奈門は父親の片手一本で抑えられた。
「今後とも、愚息をよろしくお頼み申します」
頭を下げる諸泉一家に、雑渡と花嫁も丁寧に礼を返した。
宴席も終わると、賑やかな気配の名残をそのままに、静寂が訪れる。がらんとした空間に、彼女はそっと息を吐いた。
何度も通って、どこに何があるかも空で言うことができるほどにはこの屋敷のことを知っている。それなのに、今日からここが自分の帰る家なのだと思うと、どこかよそよそしいような気も、胸の擽られるような心地もする。
特に寝室としている床の間は、雑渡が休む部屋であり、掃除の時以外は近付かないようにしていたから、余計に。
寝室に敷かれた敷布の横に、彼女はそっと正座をして、雑渡を待った。
なんだかこのまま畳で寝たいような、いっそ部屋の外の縁側で一夜を明かしても良いような気さえする。慣れぬ衣装に初対面の挨拶回り、粗相をしてはいけないという緊張が解かれて現れた疲労が、ほどよく全身を包んでいた。
このまま敷布に飛び込みたいかも。でも雑渡殿を待たなければ。もう夫なのだから雑渡殿ではなく、
……
なんとお呼びすれば良いのだろう。お前さま? あなた?
……
昆奈門さま?
ぼ、と頬が熱くなって、彼女は小刻みに頭を振った。熱を散らし、いつものすん、とした顔を取り戻す。
呼び方ひとつで何をそんなに、まるで新婚みたいな。
「
………………
」
いや、新婚だった。ついさっき契りを交わしたばかりだった。
もうだめかもしれない、と彼女は遠いところを見はるかした。なんでこんなに取り乱しているのかって、この後に待ち受けるのがただの睡眠時間ではないことを、彼女は知識として知っているからだ。
町でいろいろなところに出入りして様々な情に触れるにあたり、彼女はいわゆる男女の営みについても、「へー、そうなんだ。ふーん」程度の内容を聞き齧っている。
でも、雑渡は彼女の体を欲しないかもしれない。世間からは行き遅れと呼ばれる歳だ。普通のおなごより上背があるせいで、大した魅力は無いかもしれない。新婚初夜だろうがなんだろうが雑渡の気が向かないのであれば、それで良いのではないか。どのように振る舞えば良いのか分からないことと目の当たりにならずに済む。
「
……
」
どうせ可愛くなんて振る舞えないのだし、と内心で独りごちる。脳裏には、男の装いをして町を彷徨いていたときに散々聞いた、可愛げがないだの、そんなのでは嫁の貰い手がないだのという言葉が明滅していた。
───終生、誰かが傍に居てくれるなど、思ったこともない。
この屋敷に通っていた日々でさえ、いつか訪れる別れを予期して、いざその時にできるだけ傷つかないように、身を固くした構えることを忘れられなかった。
雑渡は、自分の面倒を自分で見ることの出来る人物だ。それでなくとも、高坂や尊奈門がいる。
本当に婚儀を破棄せぬのか問われて、雑渡さえ許すならと返したあのとき、雑渡は、ならば夫婦となりましょうとは、言わなかった───
───不意に、板の軋む音がする。襖が開いて、雑渡が姿を見せた。
「疲れましたね」
柔い声音に、大暴れしていた胸の内が、瞬く間に大人しくなってゆく。はい、と彼女は素直に頷いた。
雑渡が布団に座る。どうぞ、と示されて、彼女も敷布の上に上がった。
灯の点していない部屋は月と星の明かりが全てだ。ずっとここに通ってくれていた彼女が、単衣姿で目の前にきちりと座していることに、雑渡はなんだか、この世のものではないものを見ている心地になった。
◆
翌朝。まだ陽も明けきらぬころ。
彼女は白い着物を着て、見送りの戸に立った。
「無理しなくていいのに」
「無理ではありません」
キッパリ言い切る割に、はい、と網代笠を差し出す腕は、いつもより元気と勢いがない。動きもどことなく緩慢だし、きりりとした目元はどこか赤みがかっている。注視してしまうと昨夜の残り香という色に捕らわれそうで、雑渡は意識して背筋を正し、笠を受け取った。
「勝手にいなくなられたら泣きますからね」
「そうか
……
分かった」
神妙に頷く雑渡。彼女はふと、果たしてこれで良いのかと思ったが、まあ良いかといったん脇に置くことにした。
どこにでもあるような使い古しの着物を着た雑渡は、腕の包帯には籠手を被せていた。背には風呂敷包み、懐には竹の水筒。顔の包帯が見えないように笠を深く被り、戸の前に立つ。
「じゃ、行ってくる」
「はい。行ってらっしゃいませ」
寸暇を置いて、雑渡は戸を開けて外に出た。戸を締める刹那、包帯の下、ほんの小さく口元が緩んだのを、彼女は見つけた。
「
……
」
己の腕を、互い違いに抱きしめて、撫でさする。昨夜、夫がそうしてくれたように。
「
…………
」
寂しい、なんて、言いたくないけれど。
彼女は夫が帰ってくるまでの家の仕事を思い浮かべながら、やれやれどうしたものかしら、と、悩みごとにしては少し甘い溜息をついたのだった。
祝言から数えて三日後、彼女は初めて色の入った着物に袖を通した。色直しが終わったら、晴れて夫以外の者とも顔を合わせることができる。
しかしこの三日、雑渡は屋敷に戻らなかった。彼女は日が暮れてからもしばらくは雑渡を待って、食事すらしなかったが、元々夜更かしに慣れていない体は睡眠を欲する。体を壊しては元も子も無いと、彼女は雑渡の言葉に甘えて、亥の刻までは雑渡を待ち、子の刻には眠りに就くことにした。囲炉裏の傍には清潔な布をかけた膳を起き、皿が空になっていなければその日の朝餉や八つ時に片付けた。
これではほとんど一人暮らしである。雑渡がいつ帰ってくるのか、町から続く道の方を気にしてそわそわするのは、少し苦しい。
しかし、そわそわしているばかりでは家の用事が終わらない。彼女は雑渡を気にする自分を無理矢理向こうに押しやって、掃除をしたり、洗濯をしたり、畑の面倒を見たりした。
今日の夕餉は何にしようかしら、と薪を割り、竈に放り込む。米を研いで土鍋に水を張り、石を打って火をつける。
町の屋敷でもやっていたことだ。火吹き棒で炎を煽りながら、彼女は、今までと大して変わらないのかも、と考えた。祝言の準備をしていたときからこちら、雑渡との生活がまるで想像できなかったが故に、身構えすぎていたのかもしれない。どうか末永くと雑渡は言ってくれたけれど、彼女が我儘を言ったせいかもしれない
……
。
もしかすると雑渡の本心が違う所にあるのかもしれないとまで考えて、彼女は重たくなった胸の内を、竈の中に吹き出した。ごう、と炎が燃え上がって、ぱちぱちと火の粉が爆ぜる。舞い上がる灰をてきとうにいなしていると、がら、と引き戸が開いた。
「ただいま」
「───お、かえりなさい
……
」
彼女は目を丸くして、慌てて火吹き棒を置いて立ち上がった。笠の紐を外す雑渡に駆け寄り、受け取った笠を壁にかける。
「お風呂の用意を致しましょうか」
「うん」
雑渡が小上がりに座って篭手やすね当てを外す間に、彼女は水を汲んで風呂に水を貯め、竈に薪を入れて火をつけた。火の勢いが安定したら、薪を追加し、湯の温度を確かめて、雑渡に風呂の用意ができたと声をかける。
風呂上がりの新しい包帯と皮膚の薬を用意し、着替えと一緒に置いて、彼女は夕餉の支度に戻った。ばたばたそわそわするのを、なんとか落ち着かせて、調理を再開する。
ふと気を抜けば、果たしてこれで良かったのかしら、お背中お流ししましょうかくらい言えばよかったかと不安が頭をもたげてくる。しかして今の彼女にはこれが精一杯で、とてもではないが言えたものではない。落ち着きをなくしたり取り戻したりを忙しなく繰り返している内に、夕餉は完成していた。
「美味しそうだね」
「ありがとうございます」
雑渡からなにか一言を言われるだけで、胸中の浮き沈みがあっという間に穏やかになるのだから不思議だ。
食事をしながら、雑渡はぽつりと謝罪を口にした。
「帰って来れなくて、ごめんね」
彼女は微笑んで、気にしていないと答えた。
「もうすぐ、米の収穫ですから
……
今時期は、どれだけの年貢が納められるか、お調べが多忙を極めるのだと、存じ上げております」
「
……
まあ、そうだけど」
彼女が言ったのは、どちらかと言うと目付寄りの仕事の内容である。雑渡は、彼女の父の部下として出会ったのだと思い直した。
何はともあれ気を遣わせてしまった、と雑渡が次手を決めかねている一方、彼女はと言えば、「もしかして可愛らしく文句のひとつも言うべきだった
……
!?」と変わらぬ表情の下でちょっと後悔していた。とは言え可愛らしい文句の言い方など知らないし、できない。それに、先程の言葉は心底からのものであるのだから、気にする事はない、
……
雑渡の帰宅が無いことに、ほんの少し、戸惑いはしたが。
静かな食事の後、彼女が膳を片付けている傍ら、雑渡は草履を突っ掛けた。
「、
……
どちらに行かれるのです?」
「? 風呂だよ。おまえも入るでしょ」
「えっ」
意表をつかれた様子の彼女に、雑渡は瞬いた。
「入らないの」
「え、あ
……
薪が、勿体ないですし
……
まだぬるいでしょうから、拭って済ませようかと
……
」
どこかキョトンとしながら言った彼女は、雑渡が言葉を迷っていると、どこか自信なさげに視線を彷徨わせた。
「
……
数日、おまえをひとりにしたのだから、これくらいさせておくれ」
「あ
……
、はい
……
」
彼女が申し訳なさそうに瞼を伏せる。雑渡はひとまず、風呂を沸かすために竈の方に移動した。
炭になった薪を崩し、新しいものを追加する。まだほんのりと熱を持っていた竈は、すぐに火が入った。
息を吹き込んで、炎の勢いを一定に保ちながら、彼女はどうも尽くすきらいがあるなと思案する。
まだ、屋敷に通っていた頃の、手伝いをする感覚が抜けていないのだろうか。それとも。
「
……
湯加減はどう?」
気配を感じて声を掛けると、くぐもった、丁度いいです、が返ってくる。
「良かった」
雑渡は、彼女が上がるまで、炎が一定の勢いを保つように、時折息を吹き込んだ。
「あの
……
ありがとうございました」
「温まった?」
「はい」
湯上りの彼女は、白い肌に朱を滲ませていた。爪先などは桜貝のようで、雑渡は目尻を和ませた。
「先にお休みになられてください、乾くのに時間がかかりますから
……
」
「そう? じゃあ手伝ってあげる」
「え、」
「いいからいいから」
座らせた彼女の背後に陣取って、雑渡は手拭いと櫛を取り出した。真新しいそれは、新婚だと言うのに屋敷に帰らない雑渡を叱り飛ばした山本に言われて買ったものである。
櫛を入れて水を切り、手拭いで水気を取る。彼女が何か言う前に作業を始めてしまった雑渡に、彼女は少し戸惑いながら、自分も使い込まれた古い櫛を取り出した。
ひとに髪を触れられるのは、どうにも据わりが落ち着かないというか、擽ったいというか。反動でわしゃわしゃと掻き混ぜてしまいそうになるのを堪えながら、彼女はできるだけ無心で髪を乾かした。
艶が出るまで梳られて、しかも傍目にもそれなりの値がするのだろう櫛を、はい、と雑渡から手渡されて、彼女は思わず固まってしまった。
「あの、これ、」
「あげる」
「え、」
申し訳なさそうな顔をする彼女に、雑渡は表情を変えずに言った。
「しまっておいで」
「
……
」
口を閉じた彼女が、はい、と顎を引くようにして頷き、漆の箱にしまう。かさりという音を聞き拾って、褥の用意をしていた雑渡は箱の方を視線だけで見遣った。
「? どうかされましたか」
「いいや?」
彼女が小首を傾げながら掛布を捲る。その腕をそっと持ち上げ、引き寄せて、雑渡はまだほんのりと温い肢体を抱いた。
「あ、
……
」
恥ずかしそうに身を竦める彼女に、衣擦れの音が響く。
「いや?」
耳朶に吹き込まれて、彼女は思わず首を竦めた。どこか甘だるく沈む雰囲気に、冷めかけていた体の熱が、再び温度を上げる。
「
……
いや、じゃ
……
ないです
……
」
形を成したか怪しい音をきちんと聞き拾って、雑渡は小さな顎を掬い上げた。はくりと震えた唇を食み、拙く応える口吸いが可愛らしい。どこかできゅんと音がするのを放って、雑渡は単衣の上から柔肉をなぞった。
◆
くったりして動かない彼女の目元は、少しだけ腫れていた。そっとなぞっていた指の背が、小さな口元に移動する。規則的な呼気があるのを確かめた雑渡は、音もなく移動し、彼女が櫛をしまっていた箱を開けた。
箱の中は板で仕切られていて、蓋を開けた瞬間にふわりと盛り上がったのは包紙だった。仕切り板の隣に、白粉、頬紅、口紅、櫛がふたつ、筆が幾つか、きちんとしまわれている。先程の音の正体はこれだったかと、雑渡は包紙を手に取った。彼女の名が宛名として記されている。
雑渡は躊躇いなく包みを開けて中の文を取り出した。素早く広げると、季節の挨拶に始まり、他愛のない話が徒然と綴られている。
ん? と文の最後の方に視線を滑らせた雑渡の包帯がびょっと飛び出る。結びの名に、雑渡昆奈門と、己の名があったからだ。
ということは、これは、火傷を負う前に、自分が彼女に宛てて書いた文である。
雑渡は何事も無かったかのように箱を元に戻した。あの量からすると、もしかすると雑渡からの文を全て取ってあるのかもしれない。
居た堪れないような、むず痒いような。
雑渡は淡く苦笑しながら褥に戻った。空気が揺れたのに気付いたのか、彼女がむずがる。
宥めるように抱えてやって、雑渡は静かに目を閉じた。呼吸を細く、長くする。意識がゆっくりと、水底に沈んでゆく──
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