あれだけすべてで走り抜いた舞台から降りるのに治は侑に感情をぶつけてもらわなければならなかった その象徴の黒髪を、いまでもちっとも納得なんかしてないくせに、それでも凪いだ様子で撫でる侑を眺めて酒を飲む角名の話
角名倫太郎にとって、宮侑と宮治は人生で初めて出会った双子の友人だった。
初めてというのは、これまでの学生生活で同学年に双子がいたことはあったものの、同じクラスでもなければ同じ部活でも同じクラブでもなく、自身の生活圏には存在しなかったという意味でだ。
よって侑と治は、角名にとってはよくも悪くも双子の兄弟の最初のサンプルでもあった。
他所の双子のことはよくわからない。そのため、稲荷崎高校にいた頃は双子の兄弟とはこんなものらしい、とすっかり刷り込まれ、なんなら角名自身は化かされていた気持ちすらある。無論、侑と治のふたりには企てのつもりは毛頭なく、むしろ認識は角名と同じだった。侑も治もまた、自分たちのことしかわからないため、世間の双子事情は知りもしなかったし、知ろうともしていなかった。おそらくは。何せふたりはいつ何時であっても、物差しを他人のそれに委ねたりはしない。いつだって自分自身の尺度という芯を通し、それは時に人と諍いを起こし、傷つけることもあるけれど、なお貫き通して結果を出してしまえば、それは凡人から見れば理解の及ばない天才となり、普通の人間は成し得ないことが成し得る人間の習性として受け入れられることもしばしばある。
だから世間一般の双子の兄弟が、たとえば何もなければ昼休みまで一緒に食事をするんだとか(ちなみに喧嘩していても食事も一緒に取ろうとするし一緒に帰ろうとするから面白い)。休み時間すら隣のクラスだからと高頻度で当たり前のように、押しかけたり押しかけられたりしているだとか。部活がなくても必ず一緒に帰るとか。片方が友達と寄り道して帰るときは、自宅の最寄り駅で待っていて息するようにそこからはやはり連れ立って帰るだとか。明らかに告白で呼び出されてるのに片方が呼ばれると、もう片方は少し離れたところで必ず待っていたりとか。
言い出したらキリのないそうした行動のひとつひとつに、当人たちは何ら疑問に思っていなかった。少なくとも角名の目には、そう見えていた。
角名自身に関して言えば、流石に途中から「このふたりの距離感はおかしい。ふつうにバグってる」と思い至った。ただ、だからといってそれが角名に影響を及ぼすことがあったかといえば否であり、角名のバレーを決して阻害するものではなかった。そのため「これには触れないでおく」という判断を下した。被害が自分に及ばければそれでいいという、非常に合理的な選択だ。
思えばその選択をした時点で、自身にも奥深く刷り込まれていたのかもしれない、などと思う。
ふたりは角名が想像していた双子像に比べると、似ているようで似ていないところも多く、見た目もわざわざ髪の色まで変えて、顔が似ているだけでそれぞれが別個体、といった印象を与えるほどとにかく強い個性を持っていた。また、性格は面白いほど似つかない。
だのに、ひとたびバレーボールを介せばまるでもともと一つだったみたいにぴたりとはまる。
あれだけ殴る蹴るの喧嘩を本当にくだらない理由で始めたかと思えば、せっかく親に綺麗に産んでもらった顔を平気で腫らしたりする割に、ふたりで連れ立たない姿は本当にあまり見ることがなかった。
息するみたいに、ふたりの影は並び立つ。
ひっついているわけでもなく。つかず。でも離れず。
それが稲荷崎高校排球部の定位であり、稲荷崎の定位であるなら、それは角名の定位でもあった。そしてその当たり前は、稲荷崎の箱庭の外へ出たことで、やはり当たり前などではなかったのだと。角名はとっくに認識を改めている。それは侑と治が、当然のようにふたりで居た日常が終わったことがきっかけだった。
日常の終わり。
それは、双子が双子としてのバレーを終わらせたことと等しい。
治と角名は、高校三年間同じクラスだったこともあり、治が高校でバレーボールを終わりにすると決めていたことは、本人から言われるよりも先に漠然と気がついていた。これは理屈ではなく直感。バレーボールに飽きている様子が少しでも見えたとか、そういったことではなく。ただただ人生を賭けて挑みたい極めたいものが、他にあるんだろうなという肌感だった。
そして角名がなんとなく漠然と気がついていたということは、侑が気がついていないわけがない。確かめたことはない。けれど角名個人はずっとそう思っている。
進路のことでは、それはもう絵に描いたように盛大な喧嘩をしたふたり。けれど「これは大丈夫なやつや」と銀島が見抜いた通り、侑とて、どこかでわかっていたんだろうと思う。頭ではわかっていて。けれど、それでも、心まで納得できたかといえば、それはおそろしく難しいだろうことは角名にさえわかる。
それほどの月日を、あのふたりは共にいた。あの長方形のコートの上で、いくつもの喜びと楽しさと悔しさとを味わい、共有してきた。それを自らの意思で、一足先に抜けるというのだからむしろ治とて、侑にあの場面で理性ではなく感情をぶつけてもらわなければならなかったはずだ。
あの時、あの瞬間に、ぶつけなければならなかった。通過儀式。出来レースとはまた少し異なる。侑も治も、本音を相手に剥き出してぶつけあうことは、間違いなく必要なことだった。
そうして両者の道は、高校卒業と同時に分かれた。
ふたりで並び立つ場面は決して当たり前ではなくなったはずだったが、これがどうにもふたりして隙あらばとばかりに一緒にいるのだから、角名もいややっぱりバグってるわ、と認識を改める他無い。
ちなみにいま、角名の目の前でウーロン茶を飲む侑の方が、少しだけ先に社会に出ている。その隣でテーブルに突っ伏してほぼ寝ている治は、専門の学校を出て調理師の免許は取ったが、今はまだ飲食店で修行中の身だった。そろそろ店を構える構えないという話は聞いているけれど、今は比較的予定に融通がきくという。だから角名も関西に来るときは、どちらかといえば治にまず声を掛ける。にも関わらず、角名が久しぶりに大阪にいるんだけどご飯行かない?と治にメッセージを送ると、大体の確率で侑も待ち合わせ場所に現れたのだった。しかも自分が声をかけたのは、侑の方だったか?と思わずメッセージアプリを二度見してしまうくらい、さも当然という顔をして。
今では突っ込む気も起こらない。起こらないどころか、いっそのことふたり揃って現れないとそれはそれで漠然と不安になるし、ふたり声を揃えて「よお、角名!」とステレオスピーカーで名前を呼んでくれる方が少し安堵する自分がいる。
そうやってふたり共にある日常を貫く成人男性の兄弟は、本当に双子だからで片付けるものなのか。実家も出て、働く先も自分の居場所も重ならなくなった現在もなお、ふたりで一緒が当然という顔をする双子の友人たち。でもやはり角名にはサンプルがない。サンプルがこの宮兄弟しかないのだから、不正解だなんて誰が決めれるのか。
治は酒に弱くはなかったが、前日に遅い時間帯までアルバイトのシフトを入れていたらしく、そのツケが酒を飲むことで一気に来たようだった。気づくとテーブルにうつ伏せて寝こけている。居酒屋の座敷の半個室で、三人で飲んでいるだけのため、加えて侑が途中から治の様子を見てノンアルコールにすぐ飲み物を切り替えていたことを確認しているから、きっと大丈夫なのだろうと角名は寝ている子を起こすことはしない。
両腕に突っ伏して、埋もれているのは短い黒髪だ。
髪の脱色をして、さらにアッシュに染めて銀に近い髪色をしていた高校三年間がもはや懐かしいほど、今は黒髪の印象で面影は塗り替えられている。あの頃は、色を意地しようとすると色を抜いて更に染めるたびに、髪も頭皮も痛むとぼやいていたが、目前にある黒髪は少なくとも高校のときに比べれば実に艶やかで、健康そうに見える。
黒のつむじに、ぼんやりと視点を置いたままにしておくと、隣の金色の毛並みが徐ろに動く。
対照的に、侑の金色はプロになってからより明るくなった。おかげで髪はずっとぱさついていると本人は言うが、近距離でよく見ないとそんなことはわからない。治の黒髪のように、その金色もまたキラキラと光を反射して、いつだって人の目を惹く。軽快に18メートル×9メートルの長方形を駆けて、跳ねて、燥ぎ、狩り、笑う。高校の頃からそのバレーボールへの献身を知っている角名ですら、時折まぶしくなる程の。文句無しの自慢のセッター。その手からトスが自分へと上がることをどうしても喜んでしまう自分は、つくづくスパイカーという生き物なのだとあの三年間で思い知った。
そんな角名の視界できらめく金色は、何杯かソフトドリンクばかりを飲んで、ほんのりと赤らんでいた耳や頬からすっかり熱を取り除いている。瞳はぱっと見は普段となんら変わることなく見えるものの、いつもはなりを潜ませている根源に近いところはやはりアルコールの残り香でやや剥き出したまま片せていない。
するとその掌が、何の迷いもなく躊躇いもなく黒髪を梳いた。
ふさりふさりと指の間を通しては、ゆっくりと頭を撫でる。侑の口からは特に言葉はなかったが、その手触りの良さに目を細めて、まるで大切な宝物にでも触れるかのような繊細さでしばらく治の髪を梳いていた。
気持ちええな。
その一言は、角名の前に腰掛ける男たちの口から同時に漏れて、ステレオ音響みたいに重なった。
低くて穏やかなふたつの声は、驚くほど似ていて、でも明確に異なるもの同士として混ざり、そして角名の鼓膜に届いたため、反射で身体が息を呑む。
ただ双子の兄弟が、同時に同じセリフをぼやいた。ただそれだけのことだというのに、何故だか決して聞いてはいけないもののように聞こえた。決して触れてはいけない。決して、覗いてはいけないものを見てしまったかのような。
角名はもう一度だけ唾を飲み込んでから、すぐに片手にあったグラスの中身を勢いよく口に含んだ。ロックだった日本酒はもう半分以上の氷が溶けて逆にちょうどいい。
侑が、自分の対だった銀色を捨てて見る影もない治の黒髪を、こんなにもいとおしものみたいに触れるようになるとは。あの大喧嘩を目の前で見ていたときには想像もつかなかった。銀島にこの光景を写真に取って共有してやりたい。
侑は、──もう、納得してるのか。
いや、していない。
しているわけがない。
何故ならこの男は、あの宮侑なのだから。
それでもこうして、穏やかに凪いだ様子でこの黒髪を撫でる日が訪れたのだから、時間は何かしらほどいてくれてたのは確かだ。時が解決する、なんて常套句も常套句になるだけのことはあるんだな、なんて独り言を舌で転がしながら、角名は呼び鈴を鳴らした。半個室の壁は薄くて、ちらほらと聞こえてくる他の客の馬鹿騒ぎからも、呼び鈴を鳴らしてもすぐには来ない店員にも、年の瀬を感じる。
黒髪を撫でる侑の手は、やがてゆっくりと、いっそう丁寧に一度髪の毛を指に絡めとってから、そのあと名残惜しそうに離れていった。
入れ替わるように、今度はうつ伏せていた治がのそりと頭だけを起こして、隣の金色を見上げる。
八秒。
治が無言で見上げて、そしてその視線を真正面から受ける侑は、最初の二秒くらいは口をきゅっと結んで少し眉間に皺を寄せてみせたが、八秒後にはハァアアとわざとらしいため息を吐くと、無言で胡座をぽんぽんと手で叩く。
すると酔っ払いは、実に満足そうに目尻を蕩かせると、侑が叩いた腿の上にころりと黒髪を乗せたのだった。
足りないってアピールだったわけか。
と、ひとり納得した(せざるを得なかった)角名は、迷うことなく次は高めの日本酒にしてやると決意する。
結局、自分は良いだしに使われているわけで、これくらいは許されてもいいはずだと自負する一方、そもそも当の本人たちがいつまで、双子の兄弟を隠れ蓑にして自分自身を誤魔化し続けるのか。いつ、その臨界がやってくるのか。いい加減に誰かと賭けでもしてみてもいいかもしれない。などと各々面々の顔を脳裏に思い浮かべながら視線を下ろせば、侑の膝で、治がまた満足そうに黒髪を撫でられている。
ばちりと治と視線が合った。途端、普段から嫌味なほど整った顔には、くしゃりと歪んだ笑みが浮かんで。
ああ、もしかすると俺たちは、またとんだ化かし合いを見せられているだけなのかもしれない。
そのあやしさに本能が毛を逆立てた角名は、大きなため息をこれでもかと吐いた。鈴を鳴らして呼んだはずの店員は、まだ来ない。
了
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