彌夜
2025-02-16 18:42:46
4059文字
Public 楓恒
 

春泥を冠す

閲覧ありがとうございます。
拙作は楓恒となります。いつも通り趣味に走って捏造ばかり。特に恒の手脚が龍のものから変えられない設定なので、苦手な方はご注意下さい。それ以外は健全です。

楓の頭に花冠を載せて口説く恒が見たかっただけなのです。

【春泥を冠す】



春の野辺はいとやさし。

雪代の流れにそって黒土は現れる。厳寒に眠り続けた肥沃な土壌がふかふかの寝処に抱く種へ少しずつ水を遣り、気が早い一人稲の芽が顔を覗かせた。霜枯れに耐えた常緑の葉はほっと肩を撫で下ろす。その傍らで追いかけっこする春鳥は恋の駆け引きに夢中となり、眼下で溜息を吐く海石榴の赤面も気付かない。
柔らかな木漏れ陽差す庭。しゃらしゃら揚羽の羽模様に似た繊細な煌めきが降る、降る。光は惜しみなく一人のこどもを包み込んでいた。ビスクドールめく幼い面差し、海を泳ぐ人魚の鱗の碧隠す長い髪を艶めかせて。

丹楓は目を細める。
眩しかったのだ。初めて土の温もりを知ったように地べたへ座り、眷属と戯れる片割れが。

鋭い爪。しなやかな鱗で覆われた異形の手が宙を撫で、付かず離れずな霄のたてがみに添う。
子供へ纏わりつく水龍は丹楓の使い魔が一。
護衛と監視を兼ねて依り憑かせた筈も、どう眺めても遊んでいるとしか見えない始末。あまりにも楽しげで、手許に残した他の二匹の妬心を煽っている。この場は窘めるが、後はまあ、お互いどうにか落とし所を見つけるだろう。
凝った青が色濃き身をくねらせ、半透明な龍は宙を遊ぶ。未成熟な弟分をからかっているのか、はたまた、欠けた月は決して満ちないのを気付かせぬ為にか。くるくる長い胴は空を優雅に撹拌している。陽の光を弾いて生まれる波紋。水晶の屈折する揺らめきを模し、龍の鱗が天を仰ぐ子供の頬にも同じクラックを転写させた。元から生えるそれをますます広げるように。
何故か植物の蔓や茎を絡ませた龍の爪で弟は虚空を愛でる。敵味方問わず引き裂く鋭いそれは、傷つける心配ない幻の水面を掬っていた。
幽かな微笑が表情の働かない顔へ滲む。
木漏れ日も、つがいの実体なき従者も、損なわれないからこその笑み。少しだけ憂い帯びているのはもう植物を千切ってしまった後だからか。畏れられても遠くからじっと凝視し動かなくなる程、いきものが好きな子だ。どうしたって変化できぬ指先が人のものに変えられたら、スケッチし続け、昼夜を忘れるやも。だが好きなことをさせてやりたい。そう思う半面、自由な手を持てたら、丹楓を忘れて没頭しそうに自堕落で研究者肌な一面があるので悩ましかった。

全ての憶測は、人の五指が此の仔にあればこそ。

感傷じみた憐れみだ。丹恒のあの手はきっと、丹楓が自身の奥に縛りつける、龍の荒々しさの現れ。その力で何かを毀すか、出来ぬなら壊れゆく世界をただ傍観しろと魂を蝕む伝承は嘯く。
いつか豊かな泥土は渇いて井戸さえ枯れる。鳥は羽ばたけず羽根を散らし、褪せた椿の嘗て誇った美を語り継ぐものすらいなくなると見せつけるように。
丹楓のような完璧な擬態ができず、人にも龍にもどちらつかずな、半端なあの仔はどうしたらいいのだろう。建木を折った虚数に由来する権能は戦にこそ向く。本人も羅浮を、否。丹楓を守ろうと日々鍛錬を積んでいる。龍師達の中には、敢えて狂わせ、狂気と理性の間で丹楓に手綱を握らせようと画策する者も。

(自我の可能性を摘み取るのは、罪ではないだろうか)

破壊しか出来ぬからと世の全てから引き剥がすのは、ますます人形扱いしているようで気に食わない。若しくは人身御供か。瑞々しい感性もあの凍蝶の翅に似た瞬きに隠れているのに。
そう煩悶する心は他種族の友に培われたからこそ、思えるようになったのだ。丹楓は彼等と関わる内に己とは異なる感性を芽吹かせたつがいを、血煙る戦場へ伴うのに抵抗を覚えてしまっていた。無貌の月にはなりきれないのだ。例え丹恒自身が戦力として刃を取るのを望もうが。

きっと丹楓は丹恒に、己には選べなかった未来を重ね見ている。

自分勝手な神格化のむごさは丹楓も身を以て知っていた。応えようとする内に喪っていく生命体らしさも。人らしくあれ、と願いを投影するのもまた人の傲慢。
それでも祈らずにはいられないのだ。こんなにも水彩がぼやけて霞がかかり、麗らかで、優しいばかりの春の日に。

虹龍が飼い主の訪れをようやく察した。つられて振り向く弟の髪からふわり舞い上がるのは、羽化したてのアサギマダラ。空の湖面に溶ける翅の水色を追いもせず、透明度が高い瞳はひたりと丹楓だけを映し出す。醒めた碧に映る持明の長は気難しげ。だが物怖じせず、仔龍の上肢はまっすぐ兄へと伸びる。
ほっそりした喉が水琴を爪弾いた。

「お帰り、丹楓。早かったんだな」
うむ」

求めに応じ、絹の衣へ泥が飛ぶのも気にせず、丹楓は弟の側に膝をつく。兄の両の腕へ囲われる前に、きゅっと掌の内に丸く収められるのは龍の鋭い爪。関節の硬い感触が丹恒なりの抱擁だ。ごつごつと骨ばかりが際立つ小さな拳。壊すほうが得意とする異形の腕。真昼の明るさで照らされ、肌の表面を覆う鱗の光沢が眼を射るから、ひそりと丹楓は憂う目蓋を伏せた。
だがふと見当たらぬ人影に険を表す。

「あやつらは何処へ?そなたの面倒は任せろと大口を叩いておきながら、誰も居らぬではないか」

月を背負う龍尊にも遠慮しない友だが責任感は強い。用事が出来ても数人居れば何とかなるだろう、と丹恒を預けるのに渋る丹楓を一族の儀へ追いやったのだ。鏡流は丹楓をこの野原へ連れてきてすぐ剣首の役目へ戻ったが、他の三人は一体何処へ雲隠れしたものか。
氷の美貌を歪ませる長を見上げ、子飼いは首を横に振って庇いたてる。動きに合わせて白い頬や目元に散る六つの花に似た鱗片がちかりと光った。尖った長い耳をぴくぴく震わせる弟は訳知り顔。申し訳なさそうに、けれどそれ以上に弾みかける声で、白蓮は長い袂を引き寄せる。

「俺が席を外してくれるよう、頼んだ。貴方の気配が近付くのはわかったから」
「そなたが?なにゆえに」

疑問符に眷属の龍がたてがみを震わせる。その鼻先でぐい、ぐいと丹恒をせっついた。促される碧玉の瞳には躊躇い、不安、僅かばかりの期待が滾々と揺らめく。だが黙って成り行きを見守る永劫の月を再び仰ぎ、覚悟を決めて弟は袖口を翻した。
次の瞬間ふわり、と。
淡く儚い花の香り。ついで青っぽさが目立つ蔓の感触が、丹楓の戴く双角へ引っ掛かる。落とさぬよう思わず押さえた掌へ触るのは、拙い花冠。所々茎が飛び出て、編み目も不格好な、御世辞にも美しいとは言えぬそれ。刺々しい弟の腕を飾るのと同じ野の贈り物だ。
素で驚く兄に、してやったりと首謀者は滅多に拝めぬ満面の笑みを咲かせる。まるで己が生む清らな蓮花を摘んだのだと言わんばかりに。長い耳の先を仄かに染めた丹恒は、無邪気なこどものように言葉を手繰る。



「この冠を、誰より美しいひとに差し上げたかったんだ」



逆立つ鱗で丹楓の皮膚に朱線を引かぬようすぐに手を引っ込めながら、丹恒は付け足す。

「群生からより佳き花を分けてもらうのは白珠と景元と一緒に。編むのは応星から教わったんだ。上手くいかないからどうするか悩んだが、皆が貴方へ渡しなさいと」

面映ゆくて、席は外してもらったんだがな。
そう笑みを含んだ声音はほろほろ日なたに雪解ける。心酔してやまないのだとつがいへの無垢な愛を万感に、捧げた手作りの花環を見上げる瞳は氷を溶かして熱っぽい。精一杯生きる植物を毮った罪悪感はあれど、それ以上に、背の君へ錦上花を添えられ喜ばしいのだと碧い眼差しが語っていた。
丹楓の指先に力がこもる。とめどない想いが胸を衝き、愛しさで喉が塞がれてしまう。
粗末な冠だ。一族の祭祀で被った精緻な額飾りとは比べようなく稚拙で、花びらは欠け、折られた茎から汁がまだ滲むような。

けれども。

………ふ、ふふ。礼を申そう。気に入った」

丹楓にとって唯一無二な、至宝の春の冠だった。

そっと丹恒の厳つい異形の左指へ口付けてみる。茎や花總に包まれ、不器用で小さな指の先。同じ目線の高さで、愛しき弟はくるくる喉を鳴らした。機嫌が良い兄の様子で己の気分も上向かせるとは、何とも単純で、可愛らしいことだ。
本当は丹楓が一番浮かれている。凶器でしかないと決め込んでいた手で懸命に編んだ冠に、不出来なそれを送れと弟の背を押してくれた友たちの心配りに。
丹楓の影である限り丹恒は無冠のまま。きっと穏やかな生は望めず、本人もいずれその悍ましき腕で戦火へ身を置くだろう。

けれど。今日の行いがある限り、壊すばかりに執心しないのも確かだ。

だって、己の作品を満足気に眺める弟の形良い頭へ、よく出来ましたと作り上げたのを褒めるかのように、髪を照らす春光が珠と繋がれ眩い飾りとなって彩るのを丹楓だけは目にしているから。美しいものを千切る身勝手も、それでも誰かの為に動くのを躊躇わないのを知れたから。まるで不朽を哀しみ姿を消した龍祖のように。まるで持明族以外も愛し、犠牲を伴おうが共に生きる選択をした雨別のように。
腕の中の愛し児へやんわり丹楓は白磁の頬を擦り付ける。その頭頂部に戴く、麗しき無形の環を確かめて。

もう暫し、腕の変化の術に身を入れよ」
「わかっている。俺も貴方達みたいな手指が欲しい。もっと綺麗に花冠を編み直したり、白珠に習ったすけっち?とやらをしてみたいんだ」
「好奇心旺盛な。まったく、己が責務を忘れるでないぞ。きちんと努めると約束できるのなら余が手ずから、指導してくれよう」
「!本当だな、二言は許さない」
「余がそなたとの誓約を違えるものか」

約束の証に。花冠から一輪外し、濡羽玉の髪を丹楓は飾る。簪代わりのそれを引っ掛けぬよう気を付けつつ、輪郭を遠巻きに龍の前脚でなぞり、無表情な頬に映える鱗が内心を反射しきらりと光った。



まだ浅き季節は深く甘く薫る。
春の野辺はいとやさし。
不完全な対の龍達すらひさかたの光は包み込み、互いの冠を縁取るのだから。




(ずっとずっとは、常春で微睡めなくとも)