KARATATTI
2025-02-16 12:55:11
5329文字
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美味しいの意味

大遅刻ラス6バレンタイン話。
食事に興味がない621が初めて美味しいを知る話。感動しすぎて号泣するラスティを添えて。

 621は非常に困っていた。
 腕を組んで、首を傾げて、目の前にある調理器具たちを見つめている。勿論見つめているだけでは何も事態は好転しない。調理器具があるのに手をつけていないということは、そういうことなのだ。
「レ、レイヴン。これは私でも、その……
『わかってる。心配してくれてありがとう、エア』
「ですが、このままでは……
『わかってる』
 明日はバレンタインデー。子どもたちや女性陣から教えてもらい、エアに客観的な情報を収集してもらって出した結論が、好きな人にチョコを渡すイベントだということ。しかも手作りだと想いが伝えやすいとか何とか。
 621は料理が致命的にできない。
 消化器官不全の関係で流動食、もしくはレーションなどを主食にしていたせいか、驚くほど食事に興味を持てなかった。きちんと味覚はあると医者に診断されたので味を感じないわけではないのだが、とにかく興味がない。美味しいとか美味しくないとか、栄養を補給するだけなら必要ない要素だろうとさえ思う。
 ラスティと同棲してからは彼が積極的に料理を作ってくれるので、出されたものを馬鹿正直に食べていた。最初は口に合うだろうかとか美味しいかとか聞かれたが、全て適当にオウム返しをしていただけだ。美味しいと答えると笑ってくれるから。
 だから、621ができる最低限の料理はお湯を沸かすことくらい。
 一番簡単な既製品のチョコを溶かして型に流す、くらいはできるだろうとタカを括っていたのだが。
 その見通しは甘かった。
 沸かしたお湯の上にボウルを乗せて、チョコを溶かそうとしたらボウルが熱くて触れない。支えなくヘラでかき混ぜようとしたら傾いてお湯が入ってしまった。慌てて元の位置に戻そうとしたら事態が悪化して多量のお湯とチョコが混ざってとろとろになってしまった。手で触れる温度になって恐る恐る型に流し込んでも固まる気配がない。ずっととろとろのままだし、なんなら乳白色の何かが浮き出てきた。怖い。さっきまで茶色だけだったのに。
 試しに指で掬って舐めてみても美味しいかわからない。元々の美味しいの基準がわからないからだ。
 そういうわけで、621は非常に困っていた。
「チョコレートの入手が困難で、予備まで用意することができず……すみません……
『料理ができないわたしが悪い。もうどうにもできないから冷蔵庫に置こう。それで固まらなかったら、残念だけど渡すことはできない。チョコじゃなくて別の物を渡そう』
「何か用意が?」
『レーションがある』
「それは、その……特別な日に渡すにはいささか役不足ではないですか?」
『だとしても、ないよりはマシだ』
「ではレイヴン。包装を凝ってみてはいかがでしょう。ちょうど、チョコを購入した時についてきた包装紙があります」
『確かに。ありがとうエア、やってみる』
 消費期限が一番先の——最近買ったばかりのレーションを選び、やり方もわからないがとりあえず包んでみる。リボンの結び方は靴紐を結ぶので知っている。同じ要領で蝶々結びをしてみるが、お世辞にも綺麗とは言い難かった。片方に寄っているし、強く包装紙を引っ張ったせいで皺もある。
………………
 こんなに自分は不器用だったのかと少し落ち込む。ACに乗ることしかできないくせに他のことをやろうとするのは高望みだったのだろうか。
……ラスティが帰ってくるのは明日の昼頃だから』
……そうですね。それまでに片付けもすればいいでしょう。今日はもうお休みしましょうか」
 簡単に言えば、不貞腐れた。
 何にもできない自分が嫌になったので、もう今日はおしまいだ。店仕舞いだ。また明日頑張ろう。何事も切り替えが大切だ。
 ベッドにもぞもぞと入り、頭まですっぽり毛布を被る。外界から遮断された静けさの中で自分の鼻水を啜る音が聞こえて虚しくなった。エアが実体を持って抱き締められるようになればいいのに。そうしたら少しは立ち直れたのかもしれない。
 小さな621にとって、一人のベッドは広過ぎるのだから。
 
 ▼▼▼
 
 カーテンの隙間から朝日が差している。
 眩しさに何度かまばたきをして、まだ起きたくないと窓とは反対方向に寝返りを打てば。
…………やぁ、おはよう戦友」
————
「おはようは早過ぎたかな? まだ眠いのならそれでもいい。君の寝顔を堪能できるのは至上の喜びだからな」
——ゆ、め?』
「私にとっては夢心地だ。可愛い眠り姫」
 飛び起きた。
 こんな歯の浮くような台詞は本人にしか出てこない。ラスティが帰ってきている。脳内で交信しているエアも感知できなくてごめんなさいと平謝りしている。
 そんな馬鹿な、教えてもらっていた仕事の内容からして半日早く帰ってこれるはずがない。
 なのにどうして、妙ににたにた笑って、目尻が嬉しそうに垂れたラスティが眼前にいるのか。
『ど、どど、どうして——?』
「君に一刻も早く逢いたかった、じゃ、駄目かな?」
『駄目じゃない。駄目じゃないが』
「あぁ。洗い物なら綺麗に片付けておいたぞ」
 バレてる。
 絶対にバレてる。期待しているようなこの眼差しは間違いなくバレてる。サプライズのつもりだったのに。その前にキッチンのあの惨状を見られた。恥ずかしい。生きるのが下手と言われたら言い返せない。何にもできないお荷物と言われたら、出て行くしかない。彼の荷物になんかなりたくない。
 焦る621とは裏腹に、笑顔が絶えないラスティはこちらの言葉を待っている。もし尻尾が生えていればぶんぶんと床の埃を巻き上げるくらいに振っているのだろう。
 詰んだと悟った621は、大人しくベッドから降りる。エスコートをしようかと手を差し出されたがきちんと断って、放り出したままの調理器具が綺麗に水切り場に揃えられていることに絶望する。まるで処刑台に並べられた首のように見えたからだ。
 望みをかけて冷蔵庫を開けると——やはり、固まっていなかった。昨日の姿のまま、それどころか白い点々が夥しく浮かび上がっている。食事に興味がない621にも口に入れてはいけないものだとわかるくらい。
 その様子をウキウキと落ち着かない様子で見ているラスティ。こちらがどんな気持ちで……と逆恨みをするが、それは完全な八つ当たりだ。仕方ないので用意していたサブプランで対応する。
 調理台に出しっぱなしの、下手なラッピングが施されたレーションの箱を手に取る。笑顔が取り繕えないことがわかりきっているのでせめて泣かないようにして差し出した。
『ハッピーバレンタイン……!』
「戦友! びっくりするほど表情と言動が噛み合っていない! 私が悪かったすまなかった!」
 すぐに膝を付いて621の目線より下になってくれる。そのせいで前髪に隠れていたぐぬぬと唇を噛み締める顔が見えてしまった。
「違うんだ、決してからかっているわけじゃない。イベントなんて君が気にすると思っていなくて……勝手に浮かれていただけなんだ」
 よれよれの包装箱ごと両手を握り込まれる。こんなもの、もらっても邪魔なだけなのに。
「有り難く受け取ろう。ありがとう、戦友」
 621からラスティの手元に包装箱が移る。開けても? と聞かれてしまえば頷くしかない。
 とても丁寧にリボンを解き、皺だらけの包装紙の中から現れたのは見慣れたパッケージ。何の変哲もないレーションだ。味だって普通のフルーツ味。どうせだったらチョコレート味にしておくべきだった。
 それに、本来はその包装紙の中身は違うものだったはずなのに。
「嬉しいよ、心の底から」
 そう言われても信じられない。見下ろす彼はそれはもう口元がもにょもにょしていて変な笑顔だ。本当に嬉しいと人はこんな顔をするのだろうか。それも信じられない。
「これだけでも気を失うくらい嬉しいのだが……あるんだろう? 本命が」
………………
 もう駄目だ。やっぱり全部バレてる。洗い物をしたのだからバレてない方がおかしい。今度こそ観念して、冷蔵庫からチョコレートとは呼べない何かを取り出した。
『失敗した。こんなものをあなたに渡すつもりはない。ちゃんとした物はまた後日……
 ハート型の型に流し込んだ何か。本命のつもりだった成れの果て。見ているだけで悲しくなるそれの処分方法を考えていたら、差し出された当のラスティはだばっと滝のような涙を噴き出した。
『え? は? な、なに——
 人間ってそんな泣き方ができるのか? 怖い。膝を付いたまま受け取りもせずだばだば涙を流し続けている。号泣というやつだ。知識では知っているが実際に見たことはなかった。怖い。顔の整った成人男性の号泣、怖い。とても怖い。
『な、泣き止んで。怖いから。お願いだから』
 目線を同じに下げることが怖い。失敗して泣きたいのはこちらなのにどういうつもりなんだこの人。
「うっ……! 君が……私のために苦手なことに挑戦して……ううっ……!」
 ここでできないとか口走らなかったあたり理性は働いていると見える。宥めようとするがこんな泣き方の男を宥める方法なんて知らない。できるのは精々やめてとお願いすることくらいだ。
 しばらく経つと自然と泣き止むもので。涙を拭ったラスティは改めて621の失敗作を受け取る。白い斑点がいくつも浮かび上がった、ハートの形を無理矢理作っているとろとろの液体を。
「失敗作でも構わない。綺麗じゃなくても気にしない。私は、君が頑張ってくれた事実だけでも嬉しいんだ」
……何にもできない、わたしなのに?』
「できたじゃないか。自信を持って」
『でも、そんなの捨てるしかないだろう』
「大丈夫」
 立ち上がって、621の背後に回ると冷蔵庫を開ける。手に取ったのはミルクだ。そして水切り場の鍋に入れて火にかける。泡立て器でかき混ぜて、自然な流れで料理を始めたラスティに621は驚きながらも並んで見守る。
 沸騰すると一旦火を止め、失敗作のチョコを脳髄に焼き付けるように見つめた後、丁寧な手つきで鍋に流し込んでいく。そしてまたかき混ぜて、流し込んでを繰り返す。全てを入れ終わった後に再び火にかけて、かき混ぜる。
 無言で淡々と進む作業に、621は見惚れていた。
 ラスティは基本的に何でもできる。621とは正反対の人物だ。できないことだらけと自覚するたびに、彼はそのできないの壁をいとも容易く壊してくれる。一人でできるように教えてくれたり、一人でできないことでも二人ならできると教えてくれる。できないができるになっていく。
 一通り温まっただろう、火を止めてお互いのエンブレムが印刷された大きめのマグカップに注ぐ。
「ホットチョコレートだ。形は変わってしまったが、これで君の気持ちは無駄にならない」
 再び膝をついて、湯気の立つマグカップを差し出される。差し出されてしまう。こちらが渡す立場だったのに。
 どうして、この人はこんなに優しい魔法を使えるのだろう。
……わたしも、飲んでいいの?』
「いらないと言うならそれでもいい。全て頂こう。だができるなら、私は君と同じものを口にして、何でもない時間を共に過ごしたい」
 愛しい感情を隠しもしない優しい笑顔。悪意など微塵もないそれは621にとって眩しすぎる。恐怖すら覚えるほどの強烈な光に眩暈を起こしそうになりながら、慎重にマグカップを受け取る。困惑したまま口を付けると、口の中に広がるほのかな甘みにまた驚く。瞬く間にマグカップの半分ほどを飲んでしまうと、同じくマグカップに口を付けていたラスティと目が合う。
……美味しい』
 自然と出てきた言葉だった。今まで使っていた美味しいが如何に無神経で浅はかだったのか思い知る。味が好ましいのは勿論だが、胸の内から込み上げてくる温かいものがある。美味しいって、すごい。
『美味しいよ、ラスティ』
 だばっ!
 マグカップを避けて、再び滝のような涙を流す。
 兎にも角にも涙脆すぎやしないだろうか。
『ら、ラスティ〜!』
 そんなこんなで。621とラスティにとってのバレンタインは、色々と忘れられないものになった。
 これから621が食事に興味を持って、その度にラスティが涙を流すのが日常茶飯事になるのはまだ先のお話。
 
 △△△
 
「嬉しいなぁ。君の本当の美味しいを聞けるなんて」
——わかってたのか?』
「ああ。無理矢理言わせているようで申し訳なかったが、言葉だけでも知っておいてほしかったんだ」
『ごめんなさい。全然意味、わかってなかった』
「これからでいいさ、焦ることはない」
『うん、ありがとう』
「君の溶かしたチョコもとても美味しかったよ。それはもう天にも昇る気持ちで」
『次にチョコを仕入れたらちゃんとした物を作る。リベンジさせてくれ』
「また、君の手作りチョコが……食べられるのか……?」
『泣かないで。怖いから。泣くなら私の見てないところで泣いて』
……! ふ、ふふ。そうだな、そうするとしよう……!」