紫輝
2025-02-16 10:08:14
4271文字
Public リとヌと御仔の話
 

愛情たっぷりぶつぶつココア

リとヌと御仔とバレンタイン。水龍'sキッチンを実況するセスリ殿の話です。

 愛してやまない二つの声が、愛息子に「こっちにきちゃダメ」と追い出されたキッチンから聞こえてくる。よく通って美しい伴侶の声質を我が仔も継いだのか種族柄なのか、向こう側のやり取りはリオセスリの所まで届いていた(ほんの少しだけ耳を澄ませてはいるけれども)。
「『ココアパウダーをスプーン二杯、鍋に入れます』」
「いれた!」
「『少しずつ湯を加え、ペースト状になるまで練ります』」
「ねりねりするの? おててあらう?」
「量が少ないから手で練るのは難しいだろう。それに湯を使うと書いてあるから、お前が火傷をしてしまう。ここは私がやろう」
「あい!」
 聞こえてくる会話に肩を振るわせる。どうやらココアを作ってくれているらしいそのやりとりがあまりにも可愛らしくて。ココアパウダーに付属していたのだろう一般的なレシピを読み上げるヌヴィレットと、とうさまの声を聞き逃さぬよう真剣にそれを聞いているレヴィのさまが目に浮かぶようだ。
 カチャカチャと金属同士の触れる音と、んー、と唸るアルトとテノール。きっとよく似た顔に思案の色を浮かべて鍋を覗き込んでいるのだろう。ああ、絶対可愛い。見たい。想像は容易いがやはり実物からしか得られないものがある――心中で独りごちながらキッチンへ目をやりつつ、肘掛けに腕を預ける。読んで待っていようかと思って開いた本はとっくに脇に避けてしまった。家族の声を聞いている方が格段に楽しかったので。
「できた?」
「比較対象お手本がないのでわからないが、恐らく」
 レヴィのための言葉選びが上手くなったな、なんて、ヌヴィレットに知れたら拗ねられそうな――いやむしろ得意げにするだろうか――ことを考える。趣味の一環として読書も嗜むひとだ。引き出しはたくさんあるのだから、出し方を覚えるだけだよと悩む伴侶に助言したのは一年ほど前だった。成果が出ているようで何よりだ。
「とうさま、つぎは?」
「ふむ『火にかけ、牛乳を数回に分けて加えながら、よく混ぜます』」
「すうかいってなんかい?」
「多くの場合は二回から三回という意味だな。さっき私がしたように、少しずつ鍋に入れればいい」
 やってごらん、というやわらかな声と、それに答える元気な返事が聞こえた数瞬後、レヴィの「あっ!」が響いて思わず吹き出してしまった。「液体を少しずつ加える」のは実は高等テクニックなのだと、今回の調理でレヴィも学べただろうか。
「とうさま、」
 萎れたアルトを、テノールが慰める。
「まだ器は空になっていないから、二回に分けて数回に分けて入れたことにはなる。大丈夫だから、悲しい顔はしなくていい。お前の悲しい気持ちがココアに移って、飲んだパパも悲しくなってしまうぞ」
「パパかなしくなっちゃうのはダメ」
「パパが悲しいと私たちも悲しくなってしまうからな。元気を出して、ココアをかき混ぜておくれ」
「ん!」
 そっと天を仰いだ。ちょっと、大分、胸がいっぱいだ。きっとこの感情こそを、人は『尊い』と表するのだろう。家族が世界一すぎる。こんなに幸せでいいんだろうか。
「ぶつぶつになっちゃった」
「ふむダマになってしまったな。だが、レヴィが初めて作ったココアだ。変に手を加えるよりも、このまま頑張った証を見せる方がパパは喜んでくれるだろう」
 大正解。大きくうなずく。心の中でしみじみと口にしながら。
 大事なのは出来の良し悪しではなく、「初めて作った」の部分なのだ。レヴィが慣れないながらに一生懸命作ってくれた、してくれた物や事はリオセスリとヌヴィレットの心の一番奥に大切に収められている。増築してもしても足りないその棚に、今日はこれから少しダマの残ったココアが並ぶのだと思うと楽しみで仕方がない。
「まぜまぜできたらかんせい?」
「ええと『砂糖を加えてお好みの甘さに味を整えたら完成です』」
「おさとうパパは2こだよ!」
「そうだな。だが、ココアには普通の砂糖の方が混ざりやすそうだ。ふむ我が国の角砂糖の重量の基準は何グラムだったか
 我が仔が自分の甘さの好みを覚えていてくれていた小さな喜びに浸る間もなく唐突に飛び出してきたヌヴィレットらしすぎる言葉と、直後の「3.3グラムだったな」と、なんらかの器が触れ合う音に苦笑する。基準値を記憶していたらしい伴侶がそんなところにまで忠実であろうと砂糖の秤量を始めたことが分かってしまったからだった。そういうところが本当に愛おしいなと思う。
砂糖を入れないココアは紅茶より格段に苦いと聞くが、二つ分で足りるだろうか」
 ふと落ちたヌヴィレットの言葉に、レヴィがうーんと唸る声がして。
「にがいっていわれたらごめんねしよう?」
 いい事を思いついたとばかりに口にされた提案に、ヌヴィレットはくすくすと笑ったようだった。
「そうだな。それはいい考えだ。二人で『ごめんね』すれば、パパはきっと許してくれるだろう」
 ――そんな会話を聞かされた“パパ”のできることなど、静かに顔を覆う以外にないのである。し、現時点でもう「許す」以外の返答はあり得ないしそもそもとして今この瞬間評価を問われた時苦いなどと言う気は微塵もなくなっている。ココアと砂糖がほぼ同量であれば少なくともえずくような苦さにはなっていないだろうし、少しばかり残念な気持ちもあるが愛する息子と伴侶から『ごめんね』を告げられることはなさそうだ。
「できたー!」
「ああ、完成だ。あとはこれをカップに移さなくてはな。鍋は重いから、私と一緒にやろう」
「あい!」
 いよいよ完成したらしい。リオセスリの予想が正しければ、この後はレヴィがココアの入ったカップをそろそろと運んできてくれるはずだ。置き去っていた本をそっと膝に乗せた。さもさっきまで読んでいた風に見えるように。
「さあ、これをパパのところに持って行っておくれ。慌てず、ゆっくりで良いからな」
「ん!」
 ヌヴィレットに託されたトレーを持ったレヴィが、眉間に皺を寄せてそろそろと歩いてくる。どんな顔をしていても世界一可愛い、なんて、看護師長あたりに知られたらイイ笑顔をされそうな事を考えながら万が一の時は元素力を行使できるように備えつつその道行きを見守った。
 ことん、と無事にトレーがテーブルへ落ち着き、小さな手には少し余る大人サイズのマグカップがそろそろとトレーからテーブルへと移る。そこまでを成し遂げてようやくふう、と息をついたレヴィが、リオセスリを見て輝くばかりに笑った。
「パパ、どーじょ!」
「ありがとう、美味しそうなココアだな」
「あのね、きょうね、ばればりぇん、ちゃいん、なんだって」
 やはり幼児の舌に『バレンタイン』は難しいらしい。可愛い。世界一愛らしい「バレンタイン」を、監視者はしっかり録音してくれただろうか。
「だいすきなひとにチョコあげるひなんだって。だからね、ココア、どーじょ」
「そうか。すごく嬉しいよ」
 ココアを用意してくれた理由を一生懸命話してくれるレヴィを膝の上に招き小さな頭をよしよしと撫でてやると、息子はむふんと笑う。
「これは私から」
「おっと、二個も貰えるなんて俺は幸せ者だな」
 隣へ腰を下ろしたヌヴィレットから差し出されたポストカードサイズの箱に眉を跳ね上げた。
「レヴィも君にチョコレートを贈りたがると分かっていたらもう少し考えたのだが」
 どうやら職員の誰かからバレンタインの何たるかを聞いたようで――ヌヴィレットが苦笑してココアを作るに至った経緯を教えてくれる。アフタヌーンティーおやつ休憩の折にレヴィから「ぼくもチョコあげたい」と言われたそうだ。ちなみにヌヴィレットは茶請けのトリュフを「あーん」してもらったらしい。その場に居なかったのが悔やまれる。物凄く見たかった。『凛流の監視者』の二号機を本気で開発するべきだろうか。
「おかげで今年はひとつ多くチョコがもらえたわけだ」
 何かを思い立った時、それへと真っ直ぐ進もうとする伴侶そっくりの息子の気質にくつくつと笑ってカップに口をつけた。香り高く、少しだけパウダーの塊を残したほろ苦いココアが喉を滑り落ちて、ああこれが幸せの味か、なんて思う。人間でよかった。家族のように水への感応力があったら幸福の過剰摂取で無様を晒していたかもしれない。
「にがくない?」
「大人の味だな。パパは好きだよ」
「よかったあ」
 リオセスリの返答に胸に手を当ててほっと息をついたレヴィは、不安そうな表情をくるりと『興味津々』へと変えてぱたぱたとリオセスリの腕を叩く。
「ね、パパ、とうさまからなにもらったの? みせてみせて! あけて!」
 早く早くと急かされて、分かった分かったとリボンを解いて蓋を持ち上げる。ふわりと甘い香りが漂った。
「おお」
「わあ
「『フォンテーヌ廷の石畳』というそうだ。紅茶の邪魔にならない、シンプルな物を選んでみたのだがこうして見ると、些か華やかさに欠けただろうか」
「こういうのはスタイリッシュ、って言うのさ。ありがとう、ヌヴィレットさん。めちゃくちゃ嬉しいよ」
 しゅんと肩を落とすヌヴィレットの頬に口づけて笑う。ヌヴィレットが選んでくれたのは一口サイズの様々な角形の生チョコレートが名の通りフォンテーヌの芸術的な石畳のように美しく箱に詰められた、店の技術とセンスを感じさせる一品だった。茶葉を決めるのは味わってからになるが、合わせるならやはりミルクティーだろうか。
 よかった、と笑う顔にこっちの台詞なんだよなと心中で呟く。伴侶と息子にはいつでも笑顔でいて欲しいので。
 隅の一つを口の中に放り込めば、リオセスリ好みの甘さが広がって口角が上がった。ココアが甘さ控えめなので混ざり合って丁度いい。
「パパおいしいかおしてる」
「んー? レヴィのココアととうさまのチョコレートが美味しいからなぁ」
「ココアおいしい
 ぽそと呟く息子に笑ってしまった。じっ、とカップを見つめる瞳に好奇心が滲んでいる。
「味見するかい?」
 初めて作ったのだ。確かに味は気になるだろう。どうぞ、とカップを手に沿わせてやると、こくんと喉が動く。
「にがいー」
 んぺ、と舌を出して眉を寄せるレヴィに、ヌヴィレットと二人肩を振るわせて。
「レヴィには『大人の味』は少し早かったな」
「ほら、こっちは甘いぞ」
 リオセスリは小さな石畳をひとつ、レヴィの口に入れてやるのだった。