ACのコックピットを模したシミュレータのモニターから映像が消え、無機質なリザルト表が入れ替わるように現れる。間違いなく自己ベストを更新。だが、スネイルに高揚が訪れることはない。寧ろ浮かび上がったスコアに対し、腹の底は煮えたぎるような苛立ちに満ちていた。無意識に歯を食いしばり、操縦桿を握る手が白くなるほど力を込めても、スコアランキングの一番上には到底届かない。モニター上でははたった数センチの間しかなくとも、スネイルからすれば地に這いつくばるものが見上げる青空程の距離があった。
V.I フロイト/ロックスミス
アーキバスグループ強化人間部隊ヴェスパーの首席隊長。
スネイルがいくら再手術による調整を重ねても追いつけない、強化人間も真人間も全て置き去りにした「本物」。これでACしか頭にない社会不適合者であれば、四六時中寝食を忘れてシミュレータに勤しむような狂人であれば越えられないのも納得出来るというのに、現実はスネイルを嘲笑う。
洒脱で部下とのコミュニケーションは全て円滑。AC以外の職務も優秀にこなし、背景にも一切の影が無い。多少の命令無視や歪曲はあるとはいえ、全てが良い結果をもたらしている以上誰も文句を言えない。ただACを駆ることに誰よりも喜びを感じるだけの大変素晴らしい男だ。
「好き」だけでそこまで到達できれば、どれほど楽だろうか。フロイトが日々の小さな上達を積み上げつづけたただの人間であること知っているスネイルは、引き離されていく自身が許せない。あと、どれだけの調整を重ねれば──。
スネイルは行き場のない怒りを抱えたまま、シミュレータの外に出た。そして次の瞬間、スネイルの顔は酷く引き攣った。
「今のは良い戦いだったな」
手元のタブレットから顔を上げたフロイトは、その特徴的な眼光をスネイルへと向ける。悪意は含まれていない代わりに鋭い好奇心に溢れた目が、スネイルの荒れる精神をより一層掻き乱した。
「ただ、このステージ設定で得点を伸ばしたいならVE-67LLAはやめておけ。シミュレータ上ではロスの方が大きいからな」
スネイルの戦闘記録を再生しながら、フロイトは要所を指摘し始めた。やれ、シミュレータ上での負荷再現度ならアサルトブースト中にクイックブーストを連打した方がいいだの、射撃精度はフレームレートに左右されるから撃つ前に確認しろなど、スネイルの機嫌に構うことなく意見を述べ続けた。この男はいつもそうだと、スネイルは辟易とした。フロイトはAC、特にスネイルが絡むと少々自由な振る舞いを始める傾向にあったのだ。荒れる感情を無理やり理性で押さえつけ、スネイルは冷静を装う。
「用件は」
「いいものが手に入ったから、お前に渡したいと思ってな」
フロイトから差し出されたのは、小さな箱だった。地味ながら妙に凝ったデザインが施されている。何よりスネイルが気になったのは、箱からわずかに漂う甘い香りだった。
「世間はバレンタインデーというやつだからな」
「は?」
フロイトの不意打ちに、スネイルは思わず素っ頓狂な声を漏らした。バレンタインデー、大昔のとある聖職者を由来に持つという祝日。家族や親しいものに親愛を伝えるという行事がいつのまにか企業に利用され、チョコレートという嗜好品を送る俗な文化にすり替わったものだとスネイルは記憶していた。
何故今さら。フロイトと仕事を何年も共にしているが、今まで彼が形骸化した企業のイベントにスネイルを巻き込んだことはなかった。心境変化があったのか? いいや、ありえない。フロイトのイタズラを企む子供のように輝く瞳を見て、そんなはずがないとスネイルは直感した。
では、何故? 警戒を強めながら、スネイルはフロイトの腹の中を探るべく言葉を探した。
「お前には本物を渡したくてな」
先手を打ったのはフロイトだった。なるほど、強化を重ねても本物の天才に敵わない二番を嘲笑いたいのか。笑えないジョークだと、スネイルの額に青筋が立つ。だが、フロイトの独特な視線には、あいも変わらず悪意は含まれていない。
ならば、何故。この男の狙いは一体なんだというのだ。チョコレートなど、精密発酵といった技術を用いて原材料から全て工場で作られる一般的な嗜好品でしかない。それをわざわざサプライズと言わんばかりの顔で渡すなどあり得るのか? 何か裏があるはずだと勘繰るスネイルは、ある可能性に気が付いてしまった。そしてスネイルの表情が変わるなり、待ってましたとフロイトは口角を上げた。
「まさか、本物なのですか?」
「そのまさかだ」
スネイルの開いた口が塞がらなかった。人類が宇宙進出したこの時代、チョコレートは代用品が当たり前だ。代用品とはいっても、遺伝子組み換えによってほぼ同様の風味と成分が再現され「本物」との差はさほどないとされる。
しかしどの時代にも「本物」の価値は高い。天候といった自然的要因に左右され非常に生産効率の悪い原材料と、恐ろしく手間のかかる加工を経たこの箱の中身だけで、ACの弾薬費が賄えるという事実を考えるだけでスネイルの背筋に悪寒が走る。
「食べてみろ」
「今ここで?」
「ああ。『本物』の感想が聞きたい」
何故そんなことをしなくてはならないのだ。甘味が好きだと発言した覚えはない。フロイトの個人的な我儘に付き合っていられるかと、受け取りもせずスネイルはその場から立ち去ろうとした。だがフロイトの前を横切ろうとした瞬間、スネイルの足が止まる。意図せずフロイトと視線が合ってしまったのだ。
「聞かせてくれよ」
その人を食ったような笑みは、拒否を許さない雰囲気を醸していた。
「……わかりました」
スネイルはフロイトの威圧感に気圧され、渋々受け取り箱を開けた。複雑な形状かつ光沢ある粒が上品に並ぶ姿は宝石箱さながら。一つ摘み上げ、まじまじと「本物」を見つめると、複雑に折り重なった香りが鼻腔を刺激する。この一粒を作り上げるのにいったいどれだけの労働力と資材を浪費したのだろうか。
「溶けるぞ?」
「煩い……」
フロイトに急かされるまま口に放り込むと、舌の上でチョコが溶け出した。そのフルーティーな風味と舌触りの奥にある味を理解したスネイルは、驚愕に目を見開いた。
「これが」
「こんなものが、『本物』だと?」
スネイルは合理性が最優先とはいえ、人なりに味覚は気にしている方だと自負している。だがこの「本物」は、風味も味も自販機で購入できるチョコレートエナジーバーと大差がない、そうとしか感じられなかったのだ。
「そうだ。こんなものが、本物さ」
フロイトは笑った。
「『本物』という背景は、その中身に関係なく人間を惹きつける。たとえ一切の違いが無かろうが、本物より優秀で洗礼されていようが結局そんなものだ。本物と代用品なんてものは、さ」
そう言い捨てて、フロイトはスネイルの肩に手を回した。
「今日はお前とやり合いたい気分だ」
「これから明日の新たな作戦に向け、ブリーフィングの準備があります」
「ステージ設定はその作戦領域を再現している。いい模擬戦になるだろ?」
ピシャリと断るも、フロイトはスネイルの手の先を読み切っていた。
「それとも、『本物』に『代用品』は敵わないって思っているのか?」
みえすいた挑発だ。だが、スネイルの心に火をつけるには十分だった。
「いいでしょう。このチョコレートのお返しをしなければなりませんからね」
「よしきた。じゃあ早速やろうか」
スネイルが挑発に乗っことが心底嬉しいのか、フロイトは子供じみた笑みを浮かべた。そして素早く近くのシミュレータに身を滑り込ませ、システムの起動音を鳴り響かせた。
我ながら大人気ないと思いつつも、シミュレータへ向かうスネイルの足は軽い。
フロイトが仕事に対し一切の隙が無いのも、人間関係が良好なのも、全てACに打ち込むため。あらゆるものがACを全力で楽しむための手段でしかない。素晴らしい経歴や肩書きもそして人生までも、ACの為に消費する為にある。そんな頭のネジが外れた男の口車にまんまと乗せられたというのに、不思議と悪い気はしなかった。
スネイルは口内に残るほろ苦さを舌に乗せ、青空へと手を伸ばした。
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