折り紙大学の聴講生として授業に参加していた丹恒は違和感を覚えていた。今日は妙に人から話しかけられる上に、菓子をもらうのだ。しかもそのどれもがチョコレートを使った菓子なので、余計に意味が分からなかった。
授業が終わり、別の学部で授業を受けている穹となのかとの合流を目指して待ち合わせ場所に向かうも、その道中でも声をかけられて中々前に進めない。
片腕に菓子を抱えるようになった頃。やっと待ち合わせ場所に辿り着くと、二人も似たような状況だった。穹は丹恒と同じように菓子を腕に抱えており、なのかが構えた紙袋にそれを流し入れている。そんななのかの足元にも紙袋が置かれていた。
「すまない。待たせてしまった」
「遅いよ〜! って、丹恒もしっかりお菓子いっぱいじゃん。ウチ、紙袋持ってるからあげるよ」
「ああ、助かる。やけに話しかけられて色々持たされてしまったんだ」
「もしかして丹恒も知らないの? 今日ってバレンタインじゃん」
「バレンタイン……。なるほど、これがそうか」
丹恒の記憶では、感謝や好意を贈り物で伝える日だと認識している。元はどこかの星に謂れをもつ行事でしかなかったのを商魂たくましいどこかの組織が銀河に広め、文化として根付かせた星がいくつかあるという。ただし、真相は定かではない。
なんにせよ、バレンタインなど自分には縁のない行事だと思っていた。知識として知っていても今まで気にしたことすらない。それをこのような形で体感することになるとは。
折り紙大学は流行に敏感な若者が多い。故にこういった行事が盛んに行われる傾向にあるのだろう。そしてなのかは学園内に友人が多く、クラスメイト達と同等のスピード感でバレンタインの情報を得るとこが出来たようだ。荷物が増えることを見越して紙袋を持ってきていたらしい。これには穹も丹恒も感心してしまった。
「さすが丹恒先生。めっちゃ貰ってるじゃん」
腕に抱えた菓子の山を見て穹は笑うが、丹恒はそれに肩をすくめることで返答とした。
感謝と好意。そのどちらが含まれるのか分からないまま受け取った贈り物の重みを腕に感じながら、これらの品は気軽に受け取るべきではなかったかもしれないと少しだけ後悔する。前者であればまだしも、後者であれば尚更だ。
穹が抱えている菓子を袋に詰め終わるのを待って、丹恒も同じようになのかが持参していた紙袋に菓子を詰めていく。大きめの紙袋はすぐにいっぱいになってしまった。
「……お前もなのかも、随分貰ったようだな」
「まぁ俺は美少女だしな」
「ちょっと、美少女はウチの専売特許なんだから!」
穹もなのかも、丹恒とほぼ変わらない量の菓子を貰ったようだった。合流するまでの間に丹恒と同じく呼び止められては贈り物を渡されるのを繰り返していたのかもしれない。
ただ、穹の荷物に一つ違和感を覚える。大きな紙袋に入れてしまえそうなサイズの小さな袋をわざわざ個別に持っているのだ。――穹にとって特別な品なのだろうか。
なのかの口ぶりでは穹も今日がどういった日なのかを知らなかったようなので、きっと素直に受け取ったのだろう。菓子を貰えてラッキーだった、程度にしか考えていなさそうだ。
そうして暫く立ち話をしていたのだが、途中で生徒から何度か声をかけられた。その誰もが菓子を渡してくるので戸惑ってしまう。それに敵意や悪意があるものではないとしても、あちこちから視線を感じて落ち着けない。
「……とりあえず列車に戻らないか? どうにも落ち着かない」
「それもそうだな」
「あ、ウチは寄るところがあるからもう少しここにいるね」
なのか曰く、バレンタインに合わせたチョコレートの売店が出ているらしい。成程、商魂たくましい者はどこにでもいる。ウキウキしながら手を振って出かけて行ったなのかを見送り、残された二人は顔を見合わせた。
「また呼び止められる前に行こう」
「だな」
/
資料室に戻って来た瞬間どっと疲れが押し寄せる。どうにも人が多いところは苦手だ。いかに好意的な理由であろうと人から注目を浴び続けていればどうしても視線が気になるし、疲れる。
列車の、それも資料室は静かで落ち着く。ひと心地ついてホッとした丹恒だが、持ち帰った菓子をどうすべきか考えなければならない事に気付いた。元々好んで菓子を食べる習慣がないので、貰ったもの全てを賞味期限内に食べきるのは難しい。無駄にしてしまうよりはパムに渡して、誰かのお茶請けにしてもらうのが有効だと判断した。そうと決まれば早速パムを探さなければ。
チョコレートについて考えると、必然的に穹が受け取った品のことを考えてしまう。穹は、貰った菓子を食べるだろうか。……食べるだろうな。あいつは自分が美味しいと思うものならなんでも好んで食べるし、およそ人が食べないものでも好奇心のまま口に入れる。食べない理由がない。
――俺が食べないでくれと言えば、分かったと頷いてくれるだろうか。
「……ないな」
醜い独占欲だ。至ってしまった考えを直ぐ様切り捨てると、ラウンジにいるであろうパムの元へ向かった。
「丹恒先生。俺の部屋までご足労いただけませんか」
列車で夕食を終えた後、穹からそう声をかけられた。
「随分改まった物言いだな。構わないが」
「深い意味はない。よし、じゃあ行こう」
パーティー車両の二階へ場所を移し、もう見慣れてしまった穹の部屋までやって来た。カウンターテーブルに腰掛けるように勧められたのだが、そこにはバレンタインの贈り物が入っている紙袋が置かれていた。
大きい紙袋と、小さい紙袋。あまり意識しないようにと考えても視線がそこへ吸い寄せられてしまう。これはもう物理的に視線が向かないようにするしかないとテーブルに片肘をつき、紙袋に対して背を向けることにした。ドリンクサーバーの前で作業している穹の背中に視線を固定する。
穹の部屋に備え付けられたドリンクサーバーは種類が豊富で、丹恒も使わせてもらうことが度々あった。そんなサーバーの前で穹は用意した二つのマグカップに何かを入れている。丹恒には駆動する機械音が聞こえるばかりで何を入れているのかまでは分からない。
変なものではなければいいが、と祈るばかりである。
「一応参加しておこうかと思って」
「参加?」
主語がないまま会話を始めた穹が振り返ると、湯気の立つマグカップを両手にひとつずつ持っていた。そうして丹恒の隣の席までやって来るとテーブルにそれを置く。マグカップの中で白い湯気を立てているのはミルクだった。
「そこの小さい紙袋取ってくれる?」
意図して視界に収めないよう努めていた紙袋だが、これは断る訳にはいかない。紙袋の小さい方を手に取り、穹に手渡す。ピンク色のハートをワンポイントあしらった、可愛らしいデザインの袋だ。
穹が中から取り出したのは、長細いビニール袋に包まれた何かだった。
「はい。これ持って」
ずいっと差し出されたのは、使い捨ての薄い木製スプーンの先にハートに象られたチョコレートがついた、不思議な品だった。まるでチョコレートで出来たロリポップのようだ。チョコレートの上にはオレンジのフリーズドライが散りばめられている。
チョコ菓子の形状として珍しい部類に入るだろう。少なくとも丹恒の記憶には同じ形状のものはない。
「で、これをそのままミルクに突っ込む。そんで混ぜながら溶かす。ゆっくり、優しくな」
いつの間にか穹も同じチョコを取り出している。口で説明した事を先に見せて実践している彼のチョコレートには、苺のフリーズドライが振りかけられていた。
とりあえずは言われた通りにしてみようと、穹が言うようにマグカップから伸びるスプーンの柄を掴んでくるくるとかき混ぜた。真っ白だったミルクは次第にチョコレートの色に染められ、最後にはココアよりも少し濃い程度の茶色に落ち着く。
チョコレートが溶けだしたことで、オレンジがマグカップの中を漂い始めた。
「大学の売店で色んなチョコが売ってたんだ」
チョコレートを混ぜながら、ぽつりと穹が話し始めた。
「なのかが見て回ると言っていたあれか」
「そうそれ。……で、見てたら食べたくなってさ。お土産のつもりで俺も買ったんだ。その後バレンタインなんだってなのかに教えてもらった。そしたら丹恒があんなに貰ってくるんだもんなー」
「その言葉、そのまま返すぞ」
テーブルの脇に無造作に置かれた紙袋を見やる。丹恒はため息をつきそうになってしまった。
「ごめんな丹恒。俺が美少女なばっかりに……。でも俺の本命は丹恒だから、そこは自身持ってくれていいよ。誰に告白されてもなびかないし、ちゃーんと完膚なきまでに断るから」
「そうか。……知ってたんだな。感謝だけでなく、好意も伝える日だと」
「そりゃ、教えてくれたのがなのかだから」
バレンタインを教えてくれたのがなのかだというだけで妙な納得感がある。彼女のことだから嬉々としてバレンタインがどういうものかを穹へ語り聞かせたに違いない。
「よし。全部混ざったらホットチョコレートの完成!」
話しながらかき混ぜていたスプーンを持ち上げると、先についていたチョコレートは跡形もなく消え去っていた。代わりに出来上がったホットチョコレートを見て、得意げに笑う穹の表情が好ましい。
「ハッピーバレンタイン、丹恒!」
「ああ。ハッピーバレンタイン」
差し出された穹のマグカップに自分のマグカップを近づけると、彼の方から軽くぶつけられての乾杯となった。グラスでするよりも若干鈍い音が鳴る。二人揃ってマグカップを傾け、一口。
丹恒のホットチョコレートは意外にもビターな味だった。チョコレート特有の濃厚な甘みが来ると思っていただけに、さらにもう一口迎え入れて舌の上で転がした。ほんのりとした優しい甘みは、オレンジの爽やかな風味と若干の苦味をよりよく引き立てている。
「今日がバレンタインって事前に知ってたらもっと良いのを用意出来たんだけど」
「いや、充分な贈り物だ。ありがとう。だが、俺からは何も」
「それはもう貰ってる」
それはまた妙な話だ。丹恒は本当に何も用意していない。それは自分自身がよく分かっている。
丹恒がどういう意味だと尋ねれば、少し言いづらそうにぼそぼそと話し始めた。
「……実を言うと皆にはお菓子を渡しただけなんだけど、丹恒のチョコは一緒に楽しめそうなのを選んだんだ。……うん。なんか正直に言うのってやっぱ恥ずかしいな。へへ」
自分はどうやら、いらぬ嫉妬をしていたらしい。
はにかむ穹を前にしたら、見知らぬ誰かからの贈り物に嫉妬して燻らせていた苛立ちがすっかりどこかへ消えていた。このチョコも。言葉も。穹はいつも丹恒が欲しいと思うものをくれるのだ。
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