ナスカ
2025-02-14 22:27:58
3228文字
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美しき素顔 chocolat du soirée

ガノアスオペラ座パロ『美しき素顔』の番外短編です。バレンタイン回。アストル君が城に来て一年も経たない頃の話。

それは、宮廷占星術師が師たる『星の天使』と顔を合わせる、少し前のことである──


「えっ、明日はお休みですか?」
アストルはポカンと口を半開きにして、主人である占星術師を仰ぎ見た。
「そうだ。急ですまないが、まあ自由に過ごしてくれ」
それだけ告げると、彼は国王への謁見があると言ってそそくさとアストルの部屋を出た。突然の休み。アストルは困ってしまった。
ここふた月ほどは、新年の儀式やらそれに伴う予言や星地図の作成で多忙の日々。それがプッツリ途切れたことで、アストルは空気が抜けた風船のようにぺちゃりと床に座り込んだ。
けれどどうしていきなり。アストルは明日の日付を確認しようと、暦を見た。だが卓上の暦は、積み重なった大量の本や描きかけの星図、羊皮紙、羽根ペン、渾天儀に天球儀……などなどで埋まっている。それらを一つひとつどかして、ようやっと暦を読むことが出来た。
明日はフロルの季節第二の月、その十四日目。一体何の日が、と考えたところでアストルは思い出した。『恋人たちの日』である。
大元となった伝説は、ハイラルからそう遠くない場所が発祥の地。沼と山と海と谷に囲まれた、一つの町で起きた出来事。
その一帯は、三日後に月が落ちてくるという現実離れした災いに見舞われようとしていた。日を追うごとに町から逃げ出す人が増える中、ひとりの女性は家に残ることを決めたという。理由はひとつ。姿を消した婚約者と、式を挙げるためだ。
女性の母親は『婚約者など来ないから逃げるべき』と言った。夫に逃げられた過去が、娘へそう言わせたのである。しかし女性は婚約者を信じ、ついに月の顔面が大地に衝突するか……という時に、婚約者は姿を現した。どうやら、婚約者もまた現実離れした奇妙な事態に巻き込まれていたそう。
女性の元に婚約者を連れてきてくれたのは、旅でその町を訪れていたハイリア人だった。女性と婚約者は旅人に感謝し、世界が終わろうという中で永遠の愛を誓った……とのことである。その日が、ハイラル王国の暦では明日にあたるのだ。
その世界がどうなったのか、何故この話がハイラルで知れ渡っているのか、一切が不明。しかし、婚約者を信じ続けた女性と、女性に会うべく藻掻き続けた婚約者の愛の物語は、多くの人を惹きつけた。やがてその日は『恋人たちの日』と呼ばれるようになり、現在では親しい人にお菓子や花を贈る文化が生まれている。
親しい人……アストルは真っ先に『星の天使』を思い浮かべた。自分に星の動きを教授してくれる、亡くなった母が遣わした存在。不可思議で、浮き世離れした、声だけが聴こえる存在。けれどこの城のどこかにいる、アストルの心の支えだ。
天使様に、何か贈り物をしたい。アストルはそう思った。きっと城下町に赴けば、『恋人たちの日』を商機だと思う者たちによってあれこれと商品が陳列されていることだろう。だが今日はもう日が暮れるだけ。外出届を書いて提出したところで、店じまいの時間になるばかり。
なら、明日にしよう。アストルはそう思って、明日付けの外出届を出すべく、城門窓口へと向かった。

✽✽

『恋人たちの日』当日、アストルは久方ぶりに城下町へやって来た。名称が名称なだけに、アストルは少々怖気づいていた。町中が恋人たちだらけの中、ひとりで歩くのは何だか場違いな気がしてならない。
ところが町はいつもより甘い香りに包まれているだけで、さほど人の流れは変わらない。近年では、恋人や友人だけでなく、自分へのご褒美で甘味を味わう人もいるということだ。アストルは安堵して、城下町を散歩しつつお菓子屋さんを梯子した。
様々な味のキャンディ、森の妖精を模したクッキーに各種焼き菓子、ふわふわのカップケーキ。様々なお菓子があちこちの店にずらりと並ぶ。
中でも高い人気を誇るのが、熱帯のフィローネで採れるカカオを用いたチョコレート菓子だ。かつてフィローネに住まったという伝説の一族が気つけ薬として食していたというカカオは、いつの間にやら甘い嗜好品として楽しまれるようになった。単体としてはもちろん、ナッツ類を溶かしたチョコでコーティングしたものや、乾燥させた果物にかけて冷やし固めたお菓子もある。その豊富な種類故、子どもから大人まで愛されているお菓子だ。
アストルは、王家御用達だという高級チョコレート店の前で足を止めた。天使様は一体、どんなお菓子を好まれるのだろう。声からして自分よりずっと歳上なのは明らか。ならばお酒を使ったものや、甘さよりも苦みが引き立つものの方が良いのかもしれない。アストルは、普段あまり立ち寄らない雰囲気の店に立ち寄った。
「いらっしゃいませ」と、上品な女性店員がにこやかに挨拶をする。アストルは軽く会釈をしてから、売り場を見た。
ここの店に売っているのは、丸くて小さな、しかし宝飾品のように緻密な美しさに溢れるチョコレートだった。それらが、水彩絵具で描かれた花の絵をあしらった紙箱に収まった状態で売られている。
天使様は、何がお気に召すのだろうか。あれこれ見比べていると、アストルはあるチョコレートが目についた。
「エトワール……
星を意味する異国の言葉が掲げられた一箱に、六つのチョコレートが入っている。チョコのはずなのに色鮮やかで、ツヤツヤと言うよりかはキラキラと光って見えた。まさに、『エトワール』の名に相応しいだろう。
天使様は、きっと喜んでくれるはず。
アストルはそれをサッと手に取り、店員の待つカウンターへと向かった。告げられた値段に驚きつつも顔には出さず、丁寧な対応でルピーを支払った。包装紙が巻かれていく様子を眺め、受け取った時にはもう笑みが溢れるばかり。
これまで星の天使へ贈り物などしたことがなかった。いつも与えられてばかりの自分が、天使様に何かを与えることが出来る。立派な占星術師となることが一番の恩返しにはなるだろうが、モノを贈ることだって悪くないはずだ。アストルはご機嫌に鼻歌を歌いながら、城へと帰った。

✽✽

城の誰もが寝静まった夜。暗い廊下を、真っ黒な人影が移動していた。不寝番の警備を掻い潜り、その大きな人影は質素な木の扉の前で止まり、そっと扉を開く。
北向きの小さな窓から月の光が差し込んでいる。部屋の主はベッドで静かに寝息を立てていた。
「来てくれと言われたから来てみたが……
人影はそう呟いて、眠るその人物の顔を覗き込む。いつも見ているが、ここまで距離が近いのは初めてだ。
慕っていた女性の息子。もういない恩人の子。彼を守り導くために、自分はここにいる。穏やかな寝顔に、幸せと切なさを同時に噛み締めた。
……アストル」
返事はない。だがこの名前を口しながら、その顔を至近距離で見れることは、今の彼にとって何よりも勝る幸せだった。
何故呼ばれたのかはわからない。早く戻らなければ第三者に見つかる。人影はアストルの部屋をあとにしようと、黒い外套を翻した。
……?」
ふと、机の上に置かれた小さな箱と手紙に気づく。封筒には『天使様へ』と書かれていた。封を開き、便箋の中身を黙読した。
『天使様へ 今日が何の日かご存知ですか? 博識な天使様ならご存知のことかと思いますが、『恋人たちの日』です。恋人だけでなく、親しい方へ甘味やお花を贈る日でもあります。今、私の最も親しい方は天使様ですので、こちらをお贈りします。どうかお口に合いますように。 アストル』
人影はブル、と肩を震わせた。勿論、知っている。かつて彼の母は自分に、由来となった伝説や成立後の習慣として甘味を贈ってくれた。無論『親しい者』として。まさか彼からもそうしてもらえるとは思わず、人影は紙箱を手に取ると懐に仕舞い込んだ。
……ありがとう」
人影は振り返り、小さな声でそう告げる。やんわりとアストルの口角が上がるのを、星の天使は見届けた。


終わり