バレンタイン。恋人たちの甘い祭典。どこかの企業が立ち上げた戦略だということは分かっているが、世間ではそんなこと知らないとでも言わんばかりに盛り上がっている。だけどまあ、私には関係ない話だ。なにせ私は今、戦場にいるのだ。好きな相手に渡すため、恋人にプレゼントするため、もしくは自分自身へのご褒美のため、こぞって人が訪れる、デパートのバレンタインチョコ売り場にいるのだから。──もちろん、客としてではなく売り手側として。
学生にとってバレンタインバイトは一つの稼ぎ時である。臨時バイトとして募集がかかるそれは、短期ではあるがなかなかに報酬が高いのだ。私もその報酬の高さに目が眩んで、テスト期間と丸かぶりしてるのにも関わらずこの戦いの場に立っている。大丈夫、レポートはかなり進んでいるし、テスト用のカンペ作りも終わっている。
バレンタインを来週に控えた土日が一番賑わう。それ故に私は朝から忙しく走り回っていた。絶え間なくお客様がチョコレートを求めて訪ねてくるし、このチョコはこういうコンセプトで、味はまろやかな中に豊かな風味があって。なんてもはやテンプレと化した言葉を口にして、じゃあそれひとつくださいって言葉を聞いて会計に移る。
それを繰り返して気がつけば昼とも夕方とも言いづらい時間帯になっていた。さすがに少し落ち着き始めて、私はバレないように小さく伸びをした。あと二時間ほどで退勤だ。それまであと少し。バキバキになった足を片方ずつ休めていると、あの、と小さく声が聞こえた。
「はい、どういたしましたか?」
またしてもテンプレと化した言葉と笑顔でそちら振り返り、そして小さく目を開いた。そこに立っていたのは、黒髪で、僅かに隈を携えた覇気のない男の人だった。別に偏見があるわけではない。ただ今日一日中相手にしていたのが女性か、もしくは女性とともにいる男性だったから、少し驚いただけだ。隈はあるけど、よく見れば格好良くないか? この人。ダウナー系っていうか、気怠げな感じが良い。しかも特徴的な黒子が魅力的だ。
その男性はまるでこの場にいるのが不本意だとでも言いたいような表情を浮かべて、周りをキョロキョロと見渡している。
そんな様子を見てピーン! とくる。ははーん、なるほど。さては彼女にせがまれて買いに来ているな。もしくは喧嘩中か。会期中何人か同じような人がいたのを思い出す。皆一様に顔色が悪かった。
「あの……人にあげよう、と思うんですけど。何が人気すか」
「あ、はい。人気なのはこちらですね。六種類のトリュフチョコになっていまして〜」
どうやら思った通りのようだ。この店で一番人気かつ、少々お高めの商品をお勧めする。何人にこのチョコレートを買わせたと思っているんだ。ピンク色のパッケージに、ハート型のチョコレートが入ったそれは、間違いなく彼女との仲を取り持ってくれるでしょう。任せなさい。
「あー……」
だけど男性の反応は芳しくなく、どこか気まずそうな顔をする。
「……もうちょい、フツーのやつありませんか。……できれば、ハートとか入ってないやつ」
「フツーのやつ、ですか。ええとそれなら……」
今までの男性たちとは違い修正が入ってしまった。どうやらハートやピンクとかの可愛らしい感じのはダメみたいだ。それならば、と少しシックで大人向けの生チョコをオススメしてみる。
今度は特に反応が返ってこない。黒髪の男性はそれをじっと見つめて、何か考え込んでいる。
そこでこれまたピーン! とくる。さては告白だな⁉︎ 好きな人に告白するからこんなにも悩んでいるんだな⁉︎ シックな感じを選ぶあたりさては歳上……? 長髪巨乳のシゴデキなお姉さんと付き合ってそうだな、この人。なんとなく働いてなさそうだし、女性を擽る顔面してるし……。さてはヒモだったりする……?
男性は真剣な顔でチョコレートを見比べている。これは時間がかかりそうだなと思い、再度声をかける。
「もしかして誰かにお渡しする用で選んでらっしゃいますか?」
パッと顔を上げてこちらをみてくる男性に思わず後退りそうになる。やっぱり顔面強いな、この人。男性はまたしても気まずそうな表情を浮かべて、そしておずおずと話し始めた。
「あー……買う気はなかったんですけど……。なんかもう、考えすぎてよく分かんなくなったんで、いっそのことチョコでも渡して、反応見てみようかなって」
そう一気に言い切った男性は、ハッと瞬きをする。何を言っているんだ自分は、という副音声も聞こえてきそうだ。
なるほどなるほど。お相手に脈はありそうだけど、どっちつかずの曖昧な関係のままだから、この機会に一歩踏み出したい、と。
「お相手の方ってどんな方ですか? その人にぴったりのチョコを見つけましょう!」
「それ関係あります?」
「ありますあります! 大アリです!」
勢いのあまり前のめりになってしまう。私の勢いに少し引いた様子を見せる男性に申し訳なく思いながらも、回答を待つ。男性は躊躇っていたものの私の目線に負けたのかおずおずと口を開いた。
「まじか。あー、なんだろ。……元気で明るくて、いつも中心にいる奴、すかね。赤の他人のために動けて、でも自分のことは勘定に入れない奴」
私は思わず言葉に詰まってしまった。だって、思っていたのと違う答えが返ってきた。
この男性に何があったのかは知らない。知らないけど、ふ、と漏れ出たように笑うその顔からは、何か覚悟のようなものを感じた。今までの葛藤を全部丸めて飲み込んで、腹の奥で消化しようとしているような、そんな覚悟。
「……それでしたら、こちらはどうですか? 少し値段は張りますが、お客様の気持ちを伝えるのにはぴったりだと思います」
「バウムクーヘン?」
バレンタインに贈るお菓子によって、その意味合いが変わってくることは知っている人も多いだろう。バウムクーヘンは、この男性がお相手に対して願っているだろうと思う意味が込められている。"幸せが続きますように"という、相手を思いやる気持ちをきっと伝えられるはずだ。
男性は少し迷ったそぶりを見せ、それから「それにします」と小さく返事をした。私は毎日聞いた、でもなんだか特別な感じがするその言葉を聞いて会計に移った。
お客さんを区別するのは本当はいけないことだけど、いつもよりちょっぴり丁寧に袋に詰めてリボンをかける。どうかこの男性とお相手がうまくいきますように。
「お待たせいたしました〜、こちら商品のお渡しです。応援してますね、お兄さん!」
「……っす」
少し照れくさそうに紙袋を受け取った男性は、小さく頭を下げると店頭から去って行った。あんな風に想ってもらえて、バレンタインまで貰えるなんて、相手の人はとても素敵な人なんだろうな〜。あとあのお客さん本当に格好良かった……、私も素敵な人と出会えるように頑張ろう。来年はこの場所に買い手として訪れることが当面の目標になりそうだ。
そんなことを思いながら、もう見えない背中に思いを馳せた。数日後、街の中で金髪の男性と幸せそうに手を繋いで歩くあの男性の姿を見かけて仰天することになるとは、この時の私はまだ知らない。
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