織音
2025-02-14 18:39:29
3654文字
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喪失

「僕が、」
箱庭の中に閉じ込められた里指の話。
死ネタ。バッドエンド。救いなんてありません。

 壁と床の境目が分からないくらい白に塗りつぶされたような部屋の中、ふらり、と指揮官の体が傾いた。
「っ、指揮官!」
 無機質な床に倒れ込む寸前に指揮官の体を抱えて支え、ゆっくりと座らせる。顔色があまり良くない。
「指揮官、大丈夫ですか?」
 その言葉に呼応するように、指揮官は拙い動きで視線を上げる。こちらの姿を認識して、 唇が僅かに弧を描いた。
リー」
 冷たい指先が頬に触れる。こんなところに来る前はもっと温かかったのに、なんてそんなことを頭のどこかで思った。

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 僕達は、何処かさえも分からない箱庭の中に閉じ込められていた。
 窓も時計も無く、部屋を照らす明かりと何らかの機械端末が置かれているだけの、無機質な白い部屋。
 時間も日付も分からない場所に閉じ込められてすぐは酷く動揺した。しかし、目の前を埋め尽くす白の中でも、指揮官は気丈に笑っていた。
「大丈夫、2人で此処から出ようか」
 そうすることで自分の心を支えていたのか、今となってはそんなことを思う。
 その後から、すぐ逃げる手立てを探して様々な手段を使ったが結論から言えば全て徒労に終わったというわけだ。
 通信は外部からのジャミングによって妨害。壁の物理的な破壊は僕の複合兵装さえあればなんとかなるかもしれないが、武器の所在も分からない今、破壊は不可。申し訳程度に設置されている通気孔など、外に繋がっていそうなものも全て調べたが人が通れそうなものは無い。強行突破は不可能、というわけだ。
 しかし、全てが無為に終わったわけでもない。最後に、部屋に設置されていた機械端末を調べた際におおよその構造も分かった。
 この部屋自体がエレベーターのように昇降可能であり、部屋に設置された装置からも起動条件さえ満たしてしまえば起動と操作が可能。
 そう、既に脱出の手立ては見つかっていた。 ただその起動条件というものが、あまりにも残酷なものだった。
 起動条件は2つ。「指揮官の体のどこかに埋め込まれたチップを装置に挿入する」か「部屋にいる2人のどちらかの生命活動の停止が確認出来た時」。
 つまり2人揃っての脱出は絶望的、ということだ。適切な設備も道具も無いこの場所ではチップを取り出すことはおろか、指揮官の体を開くことさえ出来ない。正攻法で突破する場合、残る選択肢は「どちらかの生命活動の停止」しか残らない。
 勿論、機械端末の起動条件の書き換えも試みた。機械端末のハッキング自体は容易で、条件を書き換えることも難しくはない。それなら何故条件の書き換えを行わないのか、なんて疑問が聞こえてきそうだが、この箱庭を創り上げた誰かもハッキングされることを予見していたらしい。その証拠に起動条件の書き換えには相応の『対価』が伴う。
 「起動条件の書き換えを行った場合、部屋内部に設置されている装置は操作権限を失う」。それが起動条件を書き換える、『対価』。
 操作権限がなければ、起動ができたとしても脱出は不可能。ようやく脱出できるかもしれないという僅かな希望さえ、粉々に打ち砕かれた。
 この箱庭の中、2人で緩やかに滅ぶか、それとも相手に手をかけて脱出するか。たった2つの選択肢しか、僕たちには残されなかった。
 そう理解してしまった瞬間、この全てを指揮官に伝えてはいけないと悟った。
 あの人のことだ、自分の身を顧みない行動を起こしかねないし、指揮官を失ってまでこんな箱庭から出たい訳じゃない。こんな理不尽で、貴方がいない世界を生きるくらいならいっそ、2人でこのままなんて頭によぎる。
「リー?」
 音もなく呼吸を奪う絶望の中、彼の声が聴覚モジュールに響いた。
………指揮官」
「結果は?」
 催促もなく静かに結果を待つ彼を見ていられなくて、目を逸らした。事実をありのままに伝えようと、事実を隠して「不可能」と伝えようと、指揮官にとって残酷なことに変わりはない。
 数秒の思考の後、首を横に振る。僕は事実を隠した。
 永遠にも感じられる数秒の沈黙。そしてようやく指揮官は口を開いた。
そう。それなら」
 これから、ずっと一緒だね。
 返ってきた反応は想像に反して、驚くぐらいに穏やかなもので。
 まるで全てを受容したような、諦めたような声色に思わず顔を上げる。しかし、指揮官の表情を見た瞬間すぐに理解した。
 強がっているのだと。揺れる灰色には隠しきれないくらいの絶望が滲んでいるのに、どうして笑おうとするのか。思わず、唇を噛んだ。
そんな、苦しそうな顔しないでよ」
「っ、指揮官
「仕方ないな、ほら」
 おいで、と指揮官は控えめに腕を広げる。不器用で素直に愛が吐けない彼の、精一杯の愛情表現。その腕を引いて腕の中に閉じ込める。こちらに擦り寄る動きがくすぐったくて、どうしようもなく愛おしかった。
ふふ、リーはあたたかいね」
 ようやく零れた嘘偽りの無い微笑みに、ほんの僅か苦しさが和らぐ。思えば、それが白く冷たい箱庭の中で唯一幸せな瞬間だった。
 それ以降指揮官は少しずつ擦り切れて壊れていってしまった。
 最初のうちは多かった会話も、指揮官の精神状態が悪化していく度に減り、今ではほとんどこちらから一方的に話しているようなものだ。
 瞳に宿っていた凛とした光も失われ、空虚な灰色が存在するだけ。そして時折発作のように過呼吸を起こしては、疲れ切ったように横たわる。
 そうやって日々精神を擦り減らしていく指揮官を僕は傍で見ていることしかできない。誰よりも一番近い場所にいるのに。そんな無力感がじわじわと心を蝕んでいく。
 しかしたまに僕の名を呼んで、ねだるように腕を広げる。それに応えるように抱きしめれば、あの時と同じように「あたたかい」と擦り寄って腕の中で笑ってくれた。それが、それだけが救いだった。
 どこまでも冷酷な白の中でもまだ貴方は笑ってくれるのだと。

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「ねぇ、リー」
 指揮官の声で現実に引き戻される。光を失った灰色が静かにこちらを覗き込んでいた。
 なんですか、と返事をすれば思いも寄らない問いを口にした。
「此処から出たら、どこに行きたい?」
!」
 逃げる手立てが無いと分かってから、一度も口にしなかった問い。その突然の問いに言葉を失う。
「僕は皆に会いに行きたい、かな。もう久しく皆の声を聞いてないから忘れてしまった」
「そう、ですか」
「ああでも君が行くところ、見る景色が見たい。空中庭園でも地球でも宇宙でも、どこでもいいどこでもいいんだ」
 ふと、言葉の端に違和感を感じた。何か言葉には出来ないような微細な違和感と不自然な声の揺らぎ。指揮官の行きたいところを、話しているはずなのに。
「指揮、官?」
 だから、と指揮官は読み取れない感情を含んで言う。
「君の行くところに連れていって。身体は無理でもせめて心だけ」
「何を言って」
 言葉を遮るように、額に柔らかな感触が落ちる。そして腕を強く引かれると彼を押し倒すような体勢へ変わった。
「本当は分かってた。分かってたんだ、リー」
 理解が追いつかない僕を置いて、ごめんねと指揮官は微笑む。その灰色に浮かんでいたのは、絶望では無かった。
 壊れ物を扱うかのように柔らかく手を取られ、彼の首で固定される。喉仏に親指をかけて、ぐるりと首を囲うような手の置き方。これでは、まるで
「ッ!!」
 手を離そうとすれば手首を掴まれ押さえ込まれる。本来であれば、構造体相手にこの程度の押さえ込みなど無意味に等しい。それなのに、抵抗出来なかった。
「リー」
 声が、聞こえた。僕の名前を呼ぶ声が。
 その後のことは、全てが曖昧だ。
「         」
 何か聞こえたはずなのに、その言葉さえも曖昧で。
 ただ、部屋の外で何かが起動したような重低音がしたことだけは鮮明に覚えている。



















 窓も時計も無く、部屋を照らす明かりと機械端末が置かれているだけの、無機質な白い部屋。そして心を蝕む無力感と目の前を暗く覆い尽くすほどの絶望、耐えられない喪失感。その全てを溶かして色を失った白の中央で、つい先程温かな血の色を失ったばかりの肌を、今にも崩れ落ちてしまいそうなくらいに曖昧な意識の中見つめていた。
…………どうして」
 答えなんて、二度と返ってこない。