ぎんちき
2025-02-14 00:23:48
3341文字
Public ブン木手
 

試食をどうぞ

2025年バレンタインネタ②です。

 W杯日本代表選手のホテルにて、赤い髪と黒い髪のふたりが何やら盛り上がっている。たまたまそこに通りかかった木手へ、赤髪の人物が声をかけた。
「お? キテレツじゃん。お前もこっち来いよ!」
……何ですか?」
 気怠げに返事をしながらも、言われた通りそちらへ向かった。見てみると、丸井が小箱を持って立っている。小箱の中にはいくつかの小さな茶色の球体。そして、箱からもふたりからも甘い香りが漂っていた。

「チョコレート?」
「丸井さんの試作チョコっスよ。これが超うまくって!」
「当たり前だろい?」
 なるほど、これは丸井が手作りの菓子を振る舞っている場なのか、と木手が納得していると、不意に目の前へ一粒のチョコレートを差し出された。その勢いの良さに半歩下がりかけた木手だが、持ち前のバランス感覚を活かし耐えてみせる。
 明らかに自分に向けられているとはいえ、本当にもらっても良いものか。そう戸惑っているのを感じ取ったのか、丸井が「溶けるから」と急かす。そう言われれば仕方がないので、木手は丸井の手の下に掌を向け、チョコを置いてもらった。すぐに反対の親指と人差し指で小さな球体を持ち上げ、口に運ぶ。すると途端にチョコは体温によって柔らかく溶けだした。その口当たりの良さに、木手の口元もほんの少し緩む。

「な。うまい?」
 チョコレートの味わいに浸りかけていた木手だが、丸井の声により素に戻る。緩んでいた口はすっかりと元通りだ。何となく気恥ずかしく思う木手だったが、その様子に構うことなく切原が口を挟む。
「聞かなくても分かりますよ。答えはひとつ! 『うまい』に決まってるじゃないですか!」
「赤也〜ッ、お前がそう言ってくれんのも嬉しいけど! 今はキテレツに聞いてんの!」
「いいじゃないスか。俺が代弁? したって! さっき跡部さんにも褒められてたし。丸井さん、ガチの天才パティシエなんですから! 木手さんもそう思いますよね?」
 彼の言葉に木手は首を捻る。
「天才かどうかなんて私には判断しかねますが……
 そう言いながら、頷いた。
「チョコレートは確かにおいしかったです」
「ほら〜!」
 切原に肘で脇腹をつつかれながら、丸井は笑みを浮かべる。そして今一度、小箱を木手に差し出した。
「もう一個、食う?」
「では、もうひとつだけ……

 箱の中からチョコレートを取り出してすぐに食べる。今度は先ほどのものとは違い、表面が固くなっていた。木手が臼歯でそれを噛むと、中からトロリとしたソースが溢れだす。今度は木手の眉が僅かに上がる。その食感と味に思わず驚かされたようだ。
「どう?」
 丸井はそう問うが、明らかに木手の表情の変化に気づいているようである。嬉しそうに柔らかな微笑みを称えて返事を待っていた。
「まぁこれも中々……
「どっちのが好きだった?」
 木手は考える。どちらも美味しかったのは事実で、即答はできかねた。腕を組み悩んだ。木手の様子を見てから切原が小箱に手を伸ばす。
「あっ。もう一個余ってますよね? 俺が食ってもいいすか?」
 伸びてきたその手を軽く叩き、丸井が唇を尖らせながら言う。
「駄目に決まってんだろ! 俺のなんだから!」
「ケチ! 丸井さんはいつでも食えるんでしょう?」
「んなことねぇよ! あ〜、じゃあまた何か作ったら食わせてやるから、コイツは諦めろ!」
 丸井の言葉に切原は訝しげな様子で顎に手をやり、瞼を閉じる。そのまま数秒経過した後、再び瞼を開くと同時に笑顔を浮かべた。どうやら納得できたらしい。
「約束ですからね!」
「わーった、わーった」
 半ば無理やり切原と指切りをさせられながら、丸井は木手の方に目を向ける。いつの間にか腕組みは解かれており、どうやら答えは出たものの言うタイミングを失っているようだ。

「キテレ——
「赤也! 蓮二がお前のことを探していたぞ!」
 丸井が木手に助け船を出そうとしたその時、それは真田の大声によってかき消される。切原は「あっ!」という声を出した後に、すっかりと青ざめた。
「やっべー、完っ全に忘れてた! すぐ行きます!」
「たわけが」
「って〜! な、やめ! やめてくださいよ真田副部長〜!! ひとりで行けますって!!」
 真田に首根っこを掴まれながら切原が去っていく。突如として台風一過のような静けさが訪れ、丸井と木手は顔を合わせた。騒々しいチームメイトのやり取りに丸井は苦笑する。
「わりぃな。ウチのヤツら、慌ただしくて」
……丸井くんが謝ることじゃないでしょう」
「そうだけどさ。……んで、どう。どっちが好きだった?」
「え……あ。強いて言うなら、ふたつめですかね」
 木手も何だかんだと真田の襲来によって丸井からの質問を忘れかけていたのか、返答までに妙な間が空いた。それはそれとして、木手からの回答を得た丸井はなるほどな、と大きく頷く。
「参考になったわ。んじゃこれ、食っていいぜ」
 そう言う丸井が指差しているのは小箱の中。つまり、先ほど切原に対しては「自分が食べるから譲らない」と主張していたものである。木手は小首を傾げた。
「アナタの分なんでしょう?」
「ん〜、そのつもりだった。でもお前、こっちが好きなんだろい? ならいいよ。食って」
「はぁ……

 まさか丸井から食べ物を譲られることがあろうとは。木手は幾らか不審に思わなくもなかったが、好意を無碍に扱うのもどうかと思い、丸井の言うとおりにすることにした。小さなチョコレートはすぐに食べ終わる。一呼吸おいてから今度は木手が丸井へ質問を投げかける。
「そういえば、切原くんが『試作チョコ』と言っていましたけど、何の試作なんですか?」
 すると丸井は「よくぞ聞いてくれた」とでも言いたげに笑った。チョコレートの入っていた箱を片付けながら木手に答える。
「人にあげようと思っててさ。まだ先……この大会が終わった後になると思うんだけど」
「へぇ」
 丸井の表情がまた変わり、今度はいたずらっぽい笑みになる。
……誰にあげるのか、気になんね?」
 対する木手は涼やかな表情を一切崩すことなく、首を横に振った。
「いえ、別に。私には関係ない話でしょう」
「んだよー。仮にそうだとしても、もちっと気にしろよ」
 そんなことを言う丸井を一瞥してから、木手は眼鏡を上げた。レンズがキラリと光る。
「誰にあげるつもりなのかは知りませんが、少し、羨ましいかもしれませんね」
「え?」

 予想だにしていなかった言葉に、丸井は手に持っていた箱をポトリと落としてしまった。そんな風に動揺する丸井を見て、今度は木手が慌てだす。何か勘違いをされたかもしれない、と思い急ぎ弁解を試みた。
「単においしかったので、それが羨ましいという話ですよ? 深い意味とかはなくて」
「分かってる。分かってっけど、純粋に! 嬉しいぜ。サンキュな」
 今日一番の満面の笑顔で丸井は木手に感謝を告げた。

   *

 2月上旬。木手の元に神奈川からの贈り物が届いた。中には以前より何度かやり取りをしていた神奈川の銘菓などの食べ物が入っている。その中に、エアクッションに包まれた黒の小箱があった。
 緩衝材を除け現れた箱にはリボンがかけてあり、そこへ「Happy Valentine's Day」と書かれたカードが挟まっている。なるほど、そんな季節か、と木手は壁にかけられたカレンダーへ目をやる。そういえば、妹が友チョコだ何だと言っていたのを最近にも耳にしていたか。そんなことを思い返しながら赤いサテンリボンを解く。リボンとカードは横に避けておき、蓋を開けた。

 そこにあったチョコレートに対しては既視感がある。謎に緊張を覚えつつ、木手は一粒を手に取り、口に含んだ。つるっとしていて固さのある表面。噛んだ途端に溢れてくるベリーソース。間違いなく、あの日の「試作品」と同じだった。
 いや、正確には全く同じではない。木手の記憶に残っている当時のものよりも、更に風味豊かで美味しくなっている。無言のままもう何粒かを続けて食べた後、木手はスマートフォンを手に取った。