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榊
2025-02-14 00:15:06
3869文字
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スミイサ
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二月十三日二十三時
スおたおめSS! のはずが、なんだか、仄暗いことに、どうして
そういえば今日は時差変更の日だった、と、ふと思い出した。スミスは、暗闇の中でぱちりと目を覚ます。体感ではそろそろ日付が変わる頃のはずだが、正確な時刻は二十三時すぎになるのだろう。クルーズ船での世界一周にはつきものの時差変更が、今日だ。船室内の時計は勝手に時刻が合うのだけれど、持ち込んでいる腕時計や目覚まし時計は自分で変えてやらないといけない。ディナーから帰った後、ベッドの上にそんな旨を伝えるカードが置かれていた。
明日でいいかな、とスミスは思った。船内新聞ではお休み前に、となっていたけれど、一分一秒を争う仕事をしているわけでもなし、明日になってから時計を合わせたって不都合はないはずだ。もう今日は眠るだけなのだし、正確な自覚が知りたければ持ち込みの時計でなく、備え付けの時計を見ればいい。もうベッドに潜り込んでしまったし、余計な物音を立てて、眠るイサミを起こすのも本意ではなかった。
ぐい、と首を巡らせて、ベッドサイドの時計──イサミのものだ──を見る。そちらは抜かりなく時刻が合わされていた。二月十三日の二十三時過ぎ。体感より一時間長い今日が、後一時間弱で終わろうとしている。
「スミス」
「
……
なんだ? イサミ。起きてたのか? それとも起こした?」
暗闇から声をかけられて、思わず息を呑んだ。ほとんど囁くような声でスミスを呼んだイサミに合わせて、スミスも声を落として答える。
「いや、起きてた。気にするな」
ぱさり、と布を捲るような音がして、イサミが上体を起こした。暗い部屋にすっかり目は慣れていたが、イサミは影の中にすっかり溶け込むようになっていて、細かい表情の機微などはスミスにはわからなかった。
「お前こそ、寝たと思ってた」
ぱちり、イサミが瞬く。琥珀色の瞳だけが闇から浮き上がって、輝いているようだった。いつか、手慰みに眺めていた黒猫の動画がそんなふうだったなと、頭の片隅が考えた。
「寝ようと思ってたんだけど、時計変えてなかったのを思い出して。明日にするか悩んでたところだ」
スミスは正直に答えた。ものぐさだと思われるかもしれないが、その程度のことはなんでもなかった。事実だからだ。
「ふうん」
イサミの声からは、何も読み取れない。ベッドの上、二人を隔てるように置かれたクッションの向こう、イサミは膝を立てて、じいとこちらを見ていた。
──クッションを置こうと言ったのは、スミスだった。アルティメットファミリータウンハウス、この、やたらと賑やかな色彩の部屋は、スミスとイサミとルルに宛てがわれた上等な部屋で、その名の通り家族向けの部屋だ。寝室は、おそらく主に夫婦用だろうと思われる主寝室と、子供用の寝室が二つ。順当に行くのなら、スミスとイサミが同じベッドで寝ることになるのは、部屋を一目見た時からわかっていた。ルルも、スミスが世話をしていた頃とは違って、肉体年齢と精神年齢の乖離はあるものの、どちらにしたって男性と同じベッドで眠るのは憚られる頃合いだ。結局、ルルは一人で眠り、スミスとイサミは二人で同じベッドに眠ることになった。
イサミもスミスも、職業柄雑魚寝には慣れている方だ。それに比べたら、こんなに広いベッドで一緒に眠ることくらいなんともない。けれど、問題があるのはスミスの方だった。
イサミと同じベッドで眠れば、自分が何をするかわからなかった。せめてもの抵抗として、二人の間に簡易的な仕切りを作った。イサミのプライベートに配慮するようなそぶりで、実際にはほとんど自分のためだった。
その、クッションの壁の向こうで、イサミはヘッドボートに背を預けていた。スミスがどんな気持ちでいるかも知らないで、ハーフパンツから無防備に太ももを露出させている。
「いま直せよ、時計」
ぽつり、イサミが呟く。
「あ、ああ。そうするよ。目も覚めちまったし」
スミスは手を伸ばして、自分の置き時計を手に取った。二月十四日の零時過ぎ。つまみを回して針を巻き戻せば、時刻は二十三時になる。
「これであと一時間だな」
スミスの手元を、イサミの視線が追った。ことりと時計を置いたのを確かめて、イサミが静かな声で言う。
「そうだな。一日が長いって、いまだにちょっと慣れないよ」
「
……
そうじゃなくて」
イサミの声色がわかりやすく拗ねたのが、スミスにも感じられた。回答を間違えたことはわかる。けれど、どうリカバリしていいかは不明だ。
「明日、誕生日だろ。お前の」
「
……
知ってたのか?」
純粋な驚きと、喜びと、それから少しの焦燥。それらがスミスの口を開かせた。
ルルから聞いた、とイサミは頷く。
ああ、駄目だ、とスミスは思う。イサミにこれ以上口を開かせるのは、多分良くなかった。話を逸らすとか、空気を変えるとか、そういうことをするべきだった。
「
……
普段は、隊の奴らが誕生日だっていってもなんか奢ったり、誕生日にかこつけてみんなで飲んだり、それくらいなんだが」
「Ah、いいな。ウチもそんな感じだ。俺とも飲んでくれるのか? イサミ」
軽妙な調子を装いながら、心臓は奇妙に跳ねていた。これに頷いてくれれば、何も問題はない。頷いて、明日の約束をして、おやすみとキルトをかけ直せば、それで明日も普通に過ごせる。
「誕生日じゃなくたって飲んでるだろ」
イサミが冗談を笑い飛ばしたのか、それとも拗ねて咎めたのか、暗闇の中では判断がつかなかった。
「別に、お前がしたいならそれでもいい。けど、お前は特別、だから
……
」
きゅうと、イサミの体が縮こまる。膝を抱えたその腕の中に浅く顔を埋めて、目線だけがこちら向いていた。
「なんかないのかよ。欲しいもんとか、して欲しいこととか」
「欲しいもの、か
……
」
もうずっと、欲しいものは一つだけだった。して欲しいことは、許されるのならたくさんある。一緒にしたいことだって、数えきれないくらいたくさん。けれど、それらを表に出すことを、スミスは自分に許していない。
「ルルからお前の誕生日聞いて、なんかしてやりたいって思ったけど
……
よく考えたら、お前のこと全然知らないって気づいて、
……
なんかちょっと、悔しかった。もらったら嬉しいものだけじゃなくて
……
好きな食べ物とかも、碌に知らないんだなって」
イサミは足の親指を小さく組み合わせて、もぞもぞと擦り合わせていた。部屋の中は空調が効いていて、全く寒くはなかったから、冷えるぞなんて言い訳でキルトを被せるわけにはいかなかった。
「気持ちだけでじゅうぶん嬉しいよ。ヒロだって付き合いは長いが、俺の好きな食い物なんて知らないさ。賭けたっていい。ピーマンが嫌いなのは知られてるだろうけど、これは罰ゲームのためであって俺のためじゃない」
おどけてそう言うと、イサミはふっと笑った。
「そんなにピーマン嫌いなのか? 意外と可愛いところもあるんだな」
「Oops! 失言だった」
大袈裟な仕草で口を塞ぐ。イサミは目を細めて、ふうと息を吐き出した。
「俺はそれも知らなかった」
「イサミ
……
」
「俺たち、あんまり急に仲良くなりすぎたもんだから、何も知らないんだ、お互いのこと」
「
……
そう、かもな」
イサミの発言は、ある意味で正しいように思われた。ブレイバーンだった時に、スミスはイサミの生体情報をほとんど全て記録していたけれど、イサミが言いたいのがそういうことではないのはわかっていた。
「だからさ、まずは誕生日。なんでも欲しいもん言ってみろよ」
ベッドの真ん中のクッションに、イサミが腕を預ける。体重をかけて、上体がスミスの方に傾いてくる。
「イサミ」
イサミは、スミスを見上げて小首を傾げた。スミスの発した言葉をただの呼び掛けだと思って、自分が求められているだなんてきっと、これっぽっちも気づいてはいないのだ。
「イサミから、チョコが欲しいな。ほら、明日ってバレンタインでもあるだろ? 下の商店街にポップが出てて、美味しそうだなと思ったんだ」
「
……
あんた、甘いもの食うのか。意外だな」
「減量中は食べないようにしてるけど、甘いものは好きだよ。せっかくこんな場所にいるんだから、たまにはいいだろ?」
ぱちん、と、習い性で片目を瞑る。暗闇の中、色素の濃いイサミの瞳には、スミスの表情なんて見えてはいないのかも知れない。そのことは、ずいぶんありがたかった。
「いいと思う。何か明日、選んでおく。コーヒーも淹れるから、夕飯の後にでも」
「ワオ、コーヒーまで淹れてくれるの? 最高の誕生日だな」
「コーヒーくらい、誕生日じゃなくたっていつでも作ってやるよ」
イサミは眉根を緩めて、柔らかい表情をしていた。誕生日でなくとも叶えてくれるという願いは、スミスにどこまでを許しているのだろう。
「
……
あんまり甘えたら、戻れなくなりそうだ」
「たかがコーヒーくらいでか?」
「君のコーヒーは美味しいから。俺が作るのと同じ豆のはずなのにな」
「お前は雑なんだよ」
イサミの漏らす忍び笑いは、愛おしくて腹立たしい。夜闇に紛れて、琥珀の瞳がちかちかと瞬く。一日スミスと過ごして欲しいと、クッションなんて取り払って、ベッドからも出したくないといえば、イサミの表情はどんなふうに変わるだろう。
デジタル時計の表示が少しずつ進む。イサミが、スミスに特別を許すその日が、近づいてくる。──スミスは、どれほど自分を許さずにいられるだろうか。
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