玄関の鍵が開く音に気がついて料理の手を止めキッチンを出た。玄関を入ったばかりでまだ靴も脱いでいない逢さんはたくさんの紙袋で両手が塞がっており、俺は「おかえりなさい」と言う声に思わず疑問を滲ませながら逢さんの手からその荷物を受け取った。
「ただいま……はぁ」
「お疲れ様です。えっと、今日は蓉子さんとお茶会でしたよね? この荷物は……?」
「バレンタインの催事場に付き合わされた」
「わ、あ……それは、……お疲れ様でした」
「本当に疲れた……バレンタインが金が動くイベントだと分かっていたつもりだったが、あれほどとは……」
「あはは……」
靴を脱いだ逢さんは玄関を一歩上がり、俺のことをぎゅっと優しく抱きしめた。首元ではぁとため息を吐かれ抱き返したくなったけれど俺の両手は逢さんから預かった荷物でいっぱいだった。床に置くわけにもいかず、ただ逢さんの方に重心を傾けて体温を重ねる。逢さんがハッと顔を上げて「それ」と声を出したから俺は首を傾げて逢さんを見つめ返した。
「多いと思ったんだが、二つ買ってしまってからは止め時が分からなくなって……」
「? なにがですか?」
「……チョコレート。由鶴に」
同じ身長のはずなのに、俺の肩にもたれて上目遣いをしてみせる逢さんはとびきりに可愛い。俺が固まっている間を不思議に思ったのか逢さんは少しだけ眉間に皺を寄せた。
「すみません、こんなにたくさんもらえるなんて思ってなくて……驚いちゃいました。いいんですか?」
「由鶴のために買ってきた」
「……嬉しいです。ありがとうございます。どんなのを買ってきたのか、一緒に見ましょう? 紅茶とコーヒーどっちが合いますかね?」
「アフタヌーンティーで紅茶を腹いっぱい飲んできた。コーヒーでもいいか?」
「もちろん」
まだ疲れが抜けきれていない様子の逢さんの頬にちゅっとキスを落とし、荷物を持ったままの腕で逢さんの背中を抱きしめた。逢さんへのプレゼントだったり、誰かへのプレゼントだったり、そうしたものだったら丁重に扱わないといけないと思っていたけれど、そうじゃなくて逢さんから俺へのプレゼントだと言うのなら多少の揺れは気にしなくても大丈夫だろう。チョコレートなら形が崩れることはないしたとえケーキがあったとしても二人で食べれば美味しさに違いはない。
抱きしめ合って数十秒。逢さんが「ゆづる」と甘えるように囁いて身動ぎしたから俺は腕の力をそっと緩めた。
「……」
「……どうしました?」
「……ゆづる」
「……ふふ。かわいい」
求められているものが分かっていながら焦らしてみれば逢さんはふっくらとした唇をおいしそうに尖らせて拗ねた顔で俺を見つめた。たくさん焦らした後に我慢できなくなった逢さんにおねだりされるのも大好きだけれど、今日はこんなにたくさんプレゼントをもらったんだからとびきり甘やかしてあげなくちゃ。
顔を寄せて唇を重ね、逢さんが顎を上げたのを合図に舌を伸ばす。暖房の暖かさが届かない玄関だということだって、両手を塞ぐ荷物の重さだって、全然気にすることなく逢さんとのキスを味わった。逢さんも俺の首に腕を回してキスに夢中になっている。このままベッドに連れて行きたいくらいに、今日の逢さんは素直で可愛らしい。
「ん……ねぇ、あいさん……?」
「んっ、ふ、んぅ」
「……」
押されるままに壁に後退り、俺は背中を壁につけて逢さんにされるがままにされていた。いつのまにか足の間に膝が入り込み、逢さんは太ももを擦り付けるように体を揺らしている。俺の指先にギリギリで引っかかっていた小さな紙袋がひとつ、床にガサッと落ちていった。
「んぅ、は……あいさん、もしかして飲まれてますか……?」
「……飲んでない」
「それじゃあ、とっても甘えたい気分?」
「……、……催事場にいたのは圧倒的に女性が多かった。おそらく自分用に高級なチョコを買っている人もいただろうが、すごく悩んでいる真剣な顔で、でもどこか楽しそうに……きっと好きな人のために選んでいるような、そういう人もたくさんいて。……俺も、由鶴のことを考えながら選んだんだ。おまえのこと、たくさん考えて」
「……冷蔵庫に入れてくるので、少しだけ待っていてくれますか?」
「?」
「チョコレート、食べるのは後で。それよりも先に俺のことたくさん考えて選んでくれた逢さんにありがとうを伝えたいので」
「……風呂、入りたい」
「じゃあそれも一緒に」
艶っぽく目元を染めて瞳を潤ませた逢さんがこくんと小さく頷き俺の体から少しだけ離れた。もう一度抱き寄せてキスをしたい気持ちを堪え、ありがとうございますと言って床に落ちた紙袋を拾い上げキッチンへと向かう。
要冷蔵のチョコレートを選別するために紙袋から小箱を取り出して一つずつ表示を確認し、ストレートな愛の言葉が込められている品名にドキドキしながら冷蔵庫に入れるものを分けていく。逢さんが俺のことを考えて買ってくれたものなんて全部嬉しいに決まっているけれど、今日の贈り物は特別に心臓を刺激した。
夕食用に仕込んでいたサラダのボウルにもラップをして冷蔵庫にしまい、まだ煮込んでいる途中の鍋の火も消して蓋をする。洗い物が残っているままで放置なんて普段ならしないけれど、今は早く逢さんのところに戻りたかった。
「逢さん、お待たせしましたっ」
「……どうした。顔が赤い」
「そ、れは……逢さんのせいです」
「……俺のせいか」
「うん。だからもう一回キスをしてください」
目を丸くして驚いた後、逢さんはふっとやわらかく笑って細めた目で俺を見つめた。何も言われていないのに、大好きって言われてるような甘い表情で。
「もちろん、キスならいくらでも。でも、由鶴? キスだけで足りなさそうな顔をしているように見えるけど」
「……よろしければ、それ以上も」
「喜んで。俺だってキスだけじゃ足りない」
また俺の首に腕を回した逢さんが食べるように俺の唇をぱくっとかじり、くすくす笑いながらじゃれるようなキスを繰り返した。気持ちいいし、可愛いし、このまま楽しそうな逢さんの好きにさせてあげたいけれど、でも足りない。少しも我慢が効かないで舌を伸ばした俺を逢さんは咎めることなく受け入れてとろけた瞳に熱を灯した。
まだチョコレートは食べていないのに、逢さんとのキスは胸焼けしそうなくらい甘ったるくて、何度だって食べたくなる魅惑の味がした。
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