今日は学校全体が浮足立っていた。女子の方をチラチラと見る男子の視線や鞄の中身をやたら気にしている女子。廊下ですれ違うそれらをちらりと見やりながら、ペンギンは一学年下の二年の教室のドアを潜った。
「シャチ、帰ろ」
「ペンギン! 帰ろ帰ろー!」
ペンギンの姿を視認するなり、シャチはキラキラとストーンが埋まった指を止めて持っていたスマホを鞄に仕舞った。ガタンと席を立ち、「それじゃ、みんなバイバーイ!」と教室中に手を振る。手を振り返す数人の姿を確認し、シャチはペンギンの元へと駆け寄った。
「お待たせ、ペンギン」
「あんまり待ってないけどね。それじゃ帰ろっか」
「うん!」
シャチの元気な返事に、ペンギンは思わずふふっと笑う。
滅多に笑わないペンギンの笑顔に廊下にいた数人の男子が目を留めたが、ペンギンはまるで意に介さずにシャチと歩き出した。
バレンタイン限定のアフタヌーンティーセットは、下段のサンドイッチ以外は殆どチョコレートスイーツで統一されていた。まず一段目にはクリームチーズときゅうりのサンドイッチとアボカドとスモークサーモンのサンドイッチ。二段目には綺麗に狼の口が割れたスコーンがふたつ、どちらにもチョコチップがたっぷりとちりばめられていた。最上段の皿にはフォンダンショコラとクッキーが二枚、瑞々しいカットフルーツにはチョコレートソースがかかっている。そのどれもが、香りのコクが深く紅茶自体の味も濃い上質なアッサムティーと良く合っていた。
「う~ん、やっぱり今日来れて良かったァ……サンドイッチもスコーンも美味しい~♡」
クロテッドクリームとイチゴジャムをたっぷり乗せたスコーンを頬張りながら、シャチは満足そうに呟いた。その顔を眺めながら、ペンギンはカップを傾ける。甘いものがそれほど得意ではないペンギンが頼んだのは至ってシンプルなクリームティーだ。素朴な味の全粒粉のスコーンにクロテッドクリームとチョコクリームを乗せて頬ばる。香ばしいスコーンにこってりとしたクロテッドクリームと苦みの効いたチョコクリームの味が重なり、舌が甘味でダレてくるのをこれまた濃い目に淹れたストレートのアッサムティーがさっぱりと洗い流してくれた。
にこにことスコーンを頬張るシャチを、ペンギンはこれまたにこにこと眺めている。シャチが食べる姿は本当に美味しそうで、ずっと見ていても見飽きない。小さい頃からずっと、シャチが食べている姿を見るのがペンギンは大好きだった。
「そういやペンギン、今日、チョコ貰った?」
「一応ね。まあ女の子同士だし、ほぼ義理チョコとか友チョコみたいなものでしょ」
「だよね~。でもペンギン、たまに本気で告白してくる女の子いない? 男の子も多いけどさ」
「いなくもないけど全部丁重にお断りしてるよ。私にはシャチがいればそれでいいし」
「ふぅん……そっか」
「そういうシャチはどうなの?」
「――へ!?」
「シャチはさ、女の子に告白された事ない?」
「あたし? う~ん……」
フォンダンショコラを頬張りながら、シャチはもごもごと考え込んだ。暫く首を傾げていたが、
「……あんまり記憶に無いかも」
と呟いて、それからへへっと照れたように笑った。そんなシャチの様子に、ペンギンはまたふふっと笑う。
「それならいいんだけど。男の子からはコナかけられなかった?」
「あ~……前に告白されたけどあたしもお断りした。だってあんまり喋ったことなかったし、そもそも顔も良く知らない人だったからさ」
「……そう。同じ学年の生徒?」
「いや、ペンギンの同じクラスの人だって言ってた。たまにペンギンの所に遊びに来るのを見てから好きになったって言われたけど……正直、あんまりピンと来なくて」
「そっか。じゃあ念の為、これからは私のクラスに行かない方がいいかもね」
「えっ……何で?」
「何でも」
ポットの紅茶を注ぎ、ソーサーを被せる。保温は完璧、新しく注いだお茶は温かくて美味しい。
「シャチは男の子と付き合ってみたいって思う?」
「どうだろ? よっぽど好きなら別だろうけど今はいいかなって感じかな」
「そう……」
温かくて美味しい紅茶、けれど何故だろう、新しく注いだ紅茶の渋みがいやに喉に引っかかった。
シャチが男の子と付き合いたいなら、それも悪くないと思う。けれど、この喉に引っかかる感覚は一体何なのだろう。
シャチを誰かに盗られたくない。
シャチに他の奴を見て欲しくない。
シャチに触れて欲しくない。
できればずっと、このままシャチと一緒にいたい。
こんな事を思ってしまう私は、きっと他の誰よりもわがままだ。
「それにさ、ペンギン」
カットフルーツでチョコソースを拭いながら、シャチは続ける。
「それにさ、ペンギンとこうしてデートしてるのが一番楽しいもん。だから男の子と付き合いたいとは思えないなぁ」
ペンギンの葛藤を知ってか知らずか、シャチはそう続けた。その言葉にペンギンはぱちぱちと瞬きし、それからフルーツを頬張るシャチを見やる。甘酸っぱいイチゴとチョコはやはり相性抜群で、シャチはまた美味しそうににこにこと笑った。その顔を見ていると、何だかひとりで悩んでいた自分が馬鹿みたいに思えてくる。何でもない事のように言ったシャチの言葉に、何故だろう、とても心が軽くなったような気がした。
「……シャチって凄いね」
「何が?」
「ううん、何でもない。それよりここ、チョコついてるよ」
「え、どこ?」
「ここ」
シャチの頬にペンギンの指が伸びる。形の良い桜色の爪がチョコソースを拭い、ぺろりとひと舐めした。甘いチョコソースの味が口の中に広がり、思わず笑みが零れる。みるみる顔を真っ赤にさせたシャチを愉快そうに眺め、ペンギンはぺろりと舌を出した。
「……ご馳走様、シャチ」
うっとりと呟くと、「子ども扱いしないでよ!」とシャチから怒号が上がった。ぷりぷりと怒るシャチに「ごめんって」と降参とばかりに手のひらを掲げる。くすくすと笑いながら、ペンギンは最後の一口を啜った。
少し冷めた紅茶は、先程より少し渋みが少なくて美味しかった。
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