西尾六朗
2025-02-12 22:46:16
4431文字
Public Beyond The 10 Stars
 

エトワール曰く

2025バレンタインのやつ。ネタバレ注意。
※横読みしやすさ検討中のため、おためし行間多めに空けをしています。

※「なんで煙草だったのか?」「なんで受けとろうとしなかったのか?」の部分をこねくり回した。幣デアだとこう。



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「で、最終的に取っ捕まるって分かってたよね?」

 という詰問口調のマスターに、巌窟王はいつもの、

……ン」

 だけを返した。
 夕食前のマイルームでの出来事である。
 最早定番となった、暦上ではバレンタインデーにあたる日付付近での、甘いお菓子の交換会。
 恋愛感情はさておき、日頃の感謝を示す日であるからして、マスターは何かと忙しい身だ。それでもいの一番に渡す相手は初めての日から変わることもなく、日付変更と同時に、彼の――エドモン・ダンテスであった頃の彼の口に合うように、カカオ九〇パーセントのチョコレートを渡す。サーヴァントもスタッフも知っているので、茶々を入れてこないという馴染みっぷりだ。
 だというのに、巌窟王は姿を消した。
 部屋も食堂も、甲板に至るまで探しても見つからない。一度戻ってみるかと踵を返せばしれっと煙草とメモだけ置いておくというやり口である。
 斜めに持ち上がる癖のある文字すら愛しいとは思っているが、こういうことは紙で伝えて欲しくない。そうしてアビゲイル協力の元、その紫の外套の端っこを捕まえたマスターが詰め寄ると、答えがン、である。

「ンじゃないよ、わたしがそれちょっとかわいいと思ってるの分かっててやってるでしょ」
「さてな」
「出たよさてな。それで誤魔化せると思ったら大間違いだからね」

 予備の椅子に足を余らせて座った巌窟王は、すん、と瞑目する。この顔をした時は逃げたりしない。正しくは、はぐらかしきれないと判断して諦めた時の顔だ。
 少しでも脱走の気配がしたら令呪も辞さない。そんな気持ちだったマスターは、とりあえず息を吐く。ガンガンに距離を詰める必要もなさそうなので一歩引く。
 それでも仁王立ちにして腕組みのままで言葉を待つと、巌窟王はゆるりと口を開いた。

「この日、私はおまえに逢う必要はないと判断した」
「なんでさ。わたしとキミはそういう仲じゃないっての?」
「そういう仲であってもだ。いそいそと手を差し出す程、恥知らずではない。私はな」

 その物言いは、意味は分かるな、と含めている声だった。
 ――私、と、わざわざ口に出して告げたからには。
 かつてのことを言っている。エドモン・ダンテスだった頃とは違うと。
 疑似東京からいくらか経過しているとはいえ、決して浅い記憶ではない。少なくとも、以前のように過ごすには罪が重いと、彼は言葉の裏で言っている。
 マスターが、それは終わったことだろうと言えないのも、巌窟王は分かっている。
 きっと一生、水に流せない出来事だ。
 流さないまま、抱えて進むことを選んだ。彼もまた納得している。
 だからこそ、なのだろう。

『あの頃とは違う』

 巌窟王は線を引く。そして、その線の上でもって、

『それでも共に居る』

 を、選んでいる。
 それは決意に他ならない。そのうえでの受け取り拒否だ。ひとまずマスターは口を引き結ぶしかなかった。

(バレンタインデーに悲しい顔をするのは、告白が失敗した子だけのはずなのに)

 相思相愛で、何なら昨夜も共寝していて。
 どうしてこんな気持ちにならなければならないのか――いいや、そういう気持ちになっても一緒にいたいのが彼なのだと、ぐちゃぐちゃと思考が絡まっていく。
 デスクに置いた、緑のリボンのチョコレートが哀れだった。視線を向けると、巌窟王も同じくして、そして、ふ、とため息をつく。

「故、受け取れぬ。……だが」
「何よう」
「私が贈るならば許されようと。そう判断したが、どうか」

 と、顎をしゃくって見せるのは、まだ置いたままの煙草の箱だった。
 紫色のパッケージに銀色の星が一つ。Etoile――日本語にすると星。巌窟王が自分のことをそう呼ぶのを知っているマスターは、見つけた時になんだか泣きそうな気持ちになったものだ。
 未開封のそれと共に、メモもまた残っている。

 ――顔を上げろ。涙は要らぬ。時に紫煙を吐くのもいいだろう。

「天文台において、この日は愛の日でなく、日頃の感謝と信頼を交わす場だろう」
……そうだけど」
「なれば私が贈ったとて、問題あるまい?」

 言って、巌窟王は少しだけ頬を緩めた。

「足りぬのであれば述べておこう。リツカ。おまえを一個の成人した女として認識し、これを選んだ」
「大人のわたしに、ってこと?」
「そうだ。であれば必要な時も来る。嗜好品であり、慰めだ」

 声はごく小さく、囁くような音だった。マスターが眉を寄せ、何を言っているのか分からないという表情を浮かべているのを見、軽く眉を持ち上げる。

「少女の時は過ぎ去った。括り髪のおまえにであれば、ああ。不要であったろうさ。何せ【俺】が侍っていた。そうしておまえも何もかもを吐露し、身を寄せ頼り、共有したろう。
 ――だが今は違う。吐き出せぬ感情が、形にしたくもない音が、聞かれたくもない叫びが、生まれることも有るだろう。
 紫煙は孤独を包み、心を慰撫する。その香りは物言わぬ影として寄り添う」

「っ……それって」
「依存性はあるが、おまえであれば打ち勝てるだろう」

 と、締めにそこまで言われてしまった。
 長い言葉を聞くうちに、マスターは徐々に首の裏が熱くなっていくのを止められなかった。嬉しい、切ない、すき、ばか、いろいろある。気持ちがますますぐちゃぐちゃになる。
 声で、瞳で、分かってしまう。
 巌窟王がどれだけマスターを愛しているか。
 そして、この紫色の有害物質は、復讐を超克せしめた今のマスターにしか渡せない。いいや、今のマスターでないと必要がないものだ。
 涙を拭えない時は、香りで添おうと。
 それが、傷をつけた男に許される、この日の為の贈り物だと。
 彼は――そう言っているのだ。

……わたしが、もう大人だから?」

 身体だけではない。あの疑似東京を越えて、精神的にも、ひとつ段を上ったから。
 言葉の裏側を察した上でマスターが問うと、巌窟王はああ、と頷いた。伝わっていることを理解している表情だった。

「良い女になった。眩い程に」

 そう言う彼の瞳には、嘘偽りのない賛辞がこもっている。
 マスターはうん、と小さく顎を引く。嫌ではなかった。年上の愛しい男に認められるのは単純に嬉しい。自分自身、もうあの頃の藤丸立香とは違うという自覚もある。
 彼らが教えてくれたことを覚えている。
 刻まれた傷の分だけ、大人になった。
 だからこそ、素直に頷ける。どうして寄越したのか掴みきれなかった煙草の意味も、よく分かった。

「大人。うん、大人か。認めてくれるのは嬉しい。そういう理由なら、煙草も受け取るよ」
「ああ、好きにするがいい」
「でも、キミが吸ってるすっごい濃くて強いのを、吸ったことない人間に渡すのはどうかと思う」
……ン」

 またン、だった。
 しかも今回はばつが悪そうだ。
 やり返せたような、正論で勝てたような気がして、少しだけ気が晴れた。
 いまいち締まらない状況がかおかしくて、マスターは笑った。勢い、椅子を引っ張ってきて隣に座る。

(ベッドに座っていてくれたら良かったのに)

 そうしたらぴったりくっついて、今のこの、ままならないようなくすぐったいような、ビターチョコレートじみた気持ちを、体温で教えることができたのに、と思う。
 でも――やっぱり。

(きっとわたし、この箱を開けることはないんだろうな)

 そう思わずにはいられなかった。
 たとえ孤独が必要な夜が来たとしても。誰とも共有できない感情が生まれた時も、吸うことはない。その香りに寄り添ってもらおうとは思わない。

(だって、一人で吸っても、キミの匂いにはならないもんね)

 煙草の箱を手に取り、パッケージの星をなぞってみる。なるほど彼にとってこの星はマスターそのものだろう。そしてこの香りは、マスターにとっては巌窟王を想起させるものだ。

 火をつけたなら、香ったなら。
 まるで傍にいてくれているような。

(ううん、違う)

 マスターは首を振る。ごく小さく、髪も揺れないほどに浅く。
 たとえば今、感じている匂い。
 こうして隣に座った時に、かすかに漂う癖のある匂いだ。それは巌窟王本人が持つ、古い本を開いた時の紙とインクの匂いに似た気難しそうな匂いと、煙草の匂いが混ざっている。これこそが、マスターの愛する香りだ。
 煙草単体では足りない。完成しない。

(キミがいないと、キミの匂いになるわけない)

 その辺を巌窟王は分かっていない。自身に無頓着だから、思いもしないのだろう。
 要はにぶちんなのだとマスターは思う。マスターのことは人一倍、いや十倍は考えるくせに、どう思われるのかは抜けている。だからこそ、本人曰くの誤算が起きて、ここに現界しているというのに。

(煙は炎になれないよ。キミの代わりには、何もなれない)

 寄り添ってくれても、きっとすごく、寂しくて物足りないんだよ――
 とは、言えなかった。さすがに。

(あ、ひょっとしてこれも、人に言えない言葉ってやつかもしんない)

 何もかも詳らかにしていた頃とは違う沈黙だ。だけれど、重たくはなかった。
 たとえマスターの中にある本音と、彼が差し出した結果に食い違いがあったとしても、気まずくなどと思わない。
 巌窟王が思いやってくれた感情が、確かにある。
 彼の想いを蔑ろにしたくない。いつまでも罪を背負う覚悟で、それでもなお愛する彼の愛情表現だ。そのままの形で受け取りたいと、そう思う。
 しっとりとした何かがお互いの間に確かにあり、その空気の中でなら、黙っていても苦しくはなかった。目を閉じていても暗くなかった。

「ありがとね、アヴェンジャー」

 左の義手の硬いところに、あえてマスターは頭を寄せる。本日三回目のン、が聞こえた。
 巌窟王の顔がこちらに向くのが気配で分かる。こぼれたひと房の前髪の影を感じる。きっと温い視線をくれている赤い瞳と、仮面の奥で燃えている炎を思う。
 煙草の箱を膝に置いて、マスターは、口の中だけで呟いた。

(わたし、煙よりも、火傷するほどの炎がいいよ)

 なんて口説き文句を言ったら、四回目が聞けるだろうか。
 でも言わないことにする。いい雰囲気はいい雰囲気のまま、まったり愉しむことにする。

 頭の片隅で、さてどうやって、あのチョコレートを口の中に押し込んでやろうとか考えていても――

 顔にも口にも出さないのが良い女。共犯者も認める、大人の女の藤丸立香なのだった。