筋トレを教えて欲しいと言うみのりのリクエストに応えておこなった昼休みの自主練の後、みのりはものの見事にダウンして給水塔の影で寝転んでいた。
「みのり、そろそろ教室に戻ろう」
「ふぁい……」
よくわからない返事をしながらもみのりは起き上がった。みのりの水筒とタオルを手渡して給水塔の影から出ようとした時、誰かの話し声が聞こえた気がした。
ーー前にもこんなことがあった。あれは、雫と愛莉。
「あ、愛莉ちゃ……」
「待って、みのり」
しっ、と口を閉じるよう、自分の人差し指を口の前に立てる。みのりが言葉を飲み込んで、代わりに途切れ途切れだけれど2人の声が聞こえてきた。
「……が、好きなの」
不意に耳に飛び込んできたちゃんとした意味のある言葉に、息を呑んだ。
「ダメよね、そんなの。私達、アイドルなのに。わかってるんだけど、でも、好きなの。どうしていいのかわからないくらい……」
ゴトンと斜め後ろで鳴った音にビクッとした。
「……あっ」
私の足元に転がったのはみのりの水筒だった。
「ご、ごめんなさ……」
「……っ」
私達に気付いたふたりは驚いた顔をして、雫は顔を赤く染めて、愛莉は呆れたようにため息をついた。
「……またアンタ達は……。盗み聞きは趣味なワケ?」
そう言った愛莉に、カチンときて言い返す。
「そっちが勝手に話始めたんでしょ? 先にいたのは私達なんだから」
「……アンタねぇ……!」
「あ、愛莉ちゃん!」
雫が愛莉を止める。
「行こう、みのり。もう授業始まるし」
「は、遥ちゃんっ」
雫の横をすり抜けて、校舎へ入るドアへまっすぐ向かう。
「ちょっと、遥……!」
後から愛莉の声が聞こえたけれど、振り返れなかった。ドアを開けて、中に入って、私が手を離したドアノブをみのりが慌てて掴む。階段を降りながら、ドアが閉まる音を聞いた。
「遥ちゃん!」
みのりに腕を掴まれて、足を止める。
「ご、ごめんね、私、水筒落としたりして」
「……いいよ、そんなの。みのりが気にするようなことじゃないから」
あそこで2人が私達に気付こうが気付くまいが、……いや、むしろ気付かれてよかった。あのまま気付かれずにいたら。その先を想像しそうになって胸が詰まる。
「……それよりみのり、落とした水筒、大丈夫だった?」
いつものように笑ってみせる。みのりはほっとしたように笑って「大丈夫だよ、遥ちゃん!」といつものように元気な声を出した。
「……急ごう、授業始まるよ」
「うん!」
歩き出したみのりに続いて私も歩き出した。
「……ちょっとびっくりしたねぇ」
みのりが苦笑いして言った言葉に同調することも出来ずに、私は聞こえなかったふりをした。
体の周りを見えない何かが覆っているようで、息苦しくて気持ち悪い。ダメだ、みのりもいるんだし、ちゃんとしなきゃ。いつもみたいに、ちゃんと。
「雫ちゃん達、うまくいくといいね」
「……あ、うん、そうだね。でも、こういうことは2人の問題だし」
「きっとうまくいくよ、だってあのふたり仲良しだし」
「ーーみのり」
「え?」
「そろそろ他の人達にも私達の声が聞こえるかもしれないから。変に噂が広がっても困るし」
「えっ、あっ、そうだよね! 内緒にしておかなきゃだよね!」
みのりは納得したようにうんうんと頷く。
「……私達にはちゃんと教えてくれるよね、きっと」
小さな声で言ったみのりに、私は何も言えなくて笑顔を作った。みのりが嬉しそうに笑ったのを見て、私もいつのまにか笑顔を作ることがうまくなったんだなと思った。
その日の放課後のモモジャンの練習を私は休んだ。みのりに用事ができたから、休むと2人に伝えてほしいとお願いした。
「2人にどうなったか聞けたら遥ちゃんにも教えるね!」
「うん。でも、2人がいいって言ってくれたら、ね」
いつもと変わらないどころか少しワクワクしたような顔をしているみのりに、雫が振られることなんて全然選択肢にないんだなと思った。ーーみのりは凄いな。それに比べて私は。
「ごめん、じゃあそろそろ帰るね」
「あっ、うん。また明日ね、遥ちゃん!」
「うん」
そうだ、明日の朝練はちゃんと行かなきゃ。
今日も練習をサボる分、自主練はちゃんとしなきゃ。家に帰ったら、トレーニングして、いつもより長めに走ろう。やることを頭の中で並べていくと少し楽になれた。あとは宿題をして、次の企画を。ーー次の企画。その単語が出て来た時、頭に愛莉と雫の顔が浮かんで、また苦しくなった。
ーーでも、好きなの。どうしていいのかわからないくらい。
雫の思い詰めたような、いつもより早い口調の声が耳の奥で響く。
あれはどう考えても友達やメンバーとしての『好き』じゃない。雫が愛莉に親友以上の想いを抱いていた、ただそれだけの話。私が雫にずっと抱いていた想いのように。
濁って重くなっていく意識を置き去りにしたくて、走るスピードを上げた。耳に残る雫の声を自分の息でかき消して、息苦しさはジョギングのせいにして。
ゴールに設定した神社に着いた時、もう日が暮れかけていた。息を整えながら見た夕焼けがやけに綺麗で、濁った気持ちは汗と一緒に少し流れ出た気がした。
失恋しちゃったな。
声にしたら泣き出してしまいそうな気がして、心の中だけで呟いた。失恋したからって私の気持ちがすぐ変わるわけじゃない。今だって私は雫のことが好きで、ただ雫のことを思うと一緒に今まで知らなかった痛みを感じるだけだ。
「……今日がいい日じゃなくても、明日はいい日になるかもしれない」
今はあんまりそうは思えなかったけれど。いつかは本気でそう思えることを信じていよう。
ふぅ、と、大きく息をつく。
時間を確認するためにスマホをポケットから出した。指先にペンギンのマスコットが絡まる。みんなで初めてペンギンカフェに行った時、青にしようか緑にしようか迷って、結局ふたつとも買ってしまったマスコット。交互に着けていたけれど、そろそろ青に戻そうかな。それとも別のにしようか。このマスコットを見ると雫のことを思い出しすぎてしまう。
スマホのロック画面には、みのりからのメッセージの通知が表示されていた。全然気付かなかったけれど、届いていたのは一時間前だった。
ちゃんと読んで、雫の恋がうまくいったなら、ちゃんと仲間としておめでとうって言わないと。ファンの子達にオープンにするようなことはさすがにないだろうけど、何かあったらフォローできるようにならなきゃ。もしうまくいっていなかったら、なんで言えばいいだろう。雫のことが気にかかるのは勿論だけど、愛莉だって私にとって大事な仲間のひとりだ。
また胸が重くなってきて、息を吐き出した。
雫が悲しむところはみたくない。けれどうまくいって喜ぶところもみたくないなんて、勝手にもほどがある。
自嘲気味に笑ってから、メッセージアプリを開いた。届いていたのは『ちゃんと話すから、明日早めに屋上にきてね』とみのりにしてはやけに短いメッセージと意図のよくわからないスタンプ。
「……早めに、か」
今日は少し早く寝よう。うまく寝付けるかはわからないけれど。
***
いつもより30分早く着いた屋上にいたのは、雫だけだった。
「……おはよう、遥ちゃん」
「おはよう、雫」
どこかぎこちない雫に気付かないふりをして、いつものように挨拶を返す。
「早いね」
「遥ちゃんこそ」
「私は、みのりに早めにきて、って、メッセージもらったから」
「……ええ」
雫はみのりが私にメッセージを送ったのを知ってるような雰囲気だった。もしかしたらみのりが私にメッセージを送ったとき、そこに雫もいたのかもしれない。
「……あの、遥ちゃん」
「うん、なに?」
「えっと、あの、ストレッチ、する?」
「え?」
ストレッチ?
「あ、うん。いいよ。しよう」
それはいつもの練習メニューだ。いつものようにペアストレッチをこなしていく。背筋を伸ばすストレッチのために、背中合わせになって腕を組んだ。
「いくよ」
「ええ」
前屈みになって雫を背中に乗せる。元の姿勢に戻って今度は私が雫の背中に乗る。今日は憎らしいくらいいい天気だ。もう一度繰り返そうとする前に雫が動きを止めた。
「遥ちゃん」
「どうかした? 雫」
「このまま聞いていて」
「え?」
背中合わせで腕を組んだままだったから、このままの姿勢で立っているしかなかったけど、きっと昨日のことだろうと思った。
「うん、いいよ」
「昨日のことなんだけど……」
やっぱり。覚悟を決めたら自然に背筋が伸びていた。雫に言いづらそうな雰囲気はあったけれど、失恋したような感じはしなかった。雫が教えてくれるのなら、ちゃんとおめでとうと祝福しよう。
「遥ちゃん達がいるなんて知らなくて、本当に聞かせるつもりなんてなかったの」
「うん」
「ごめんなさい、迷惑かもしれないけど……」
「そんなことないよ」
「私、てっきり最初から聞かれていたと思っていたの。でも昨日みのりちゃんの話を聞いて、2人とも誤解してるみたいだったから、遥ちゃんの誤解も解いておきたくて」
「誤解?」
「私が好きなのは、遥ちゃんなの」
「……え?」
思ってもみなかった雫の言葉に、一瞬頭が真っ白になった。
「ずっと言っちゃダメだって思っていて、でも抑えきれなくて、愛莉ちゃんに聞いて貰っていたの。勝手だとわかっているけど、迷惑だったら忘れて欲しいの」
忘れて、って。
「……そんなこと……」
「……じゃあ、期待していても、いい……?」
組んでいた腕がゆっくりと解かれて、下に降りた。それに合わせて、私も腕を下ろした。
「……」
雫の言ったことを頭の中で紐解くように繰り返す。
「……うん。たぶん、期待に応えられると思う」
私の理解が間違っていないのなら。
手探りで雫の手を握った。雫はそっと握り返して、それからふふっと笑った。
「……『今日がいい日じゃなくても、明日はいい日になるかもしれないよ』って、みのりちゃんが言ってたけど、本当ね」
「……そっか。みのりらしいね」
それはASURNにいた頃の私の言葉。私自身も大切にしている言葉。時を経て、みのりを通して雫に伝わったことが不思議に思えるのと同時に嬉しかった。
手を握ったまま振り返って、雫と向き合う。雫の顔は赤くなっていたけれど、きっと今、私も同じくらい赤くなっている。雫がいつもしているみたいに深呼吸した。少し力が抜けた気がして、雫の手をそっと握り直した。
「……私も、雫のことが好きだよ」
やっと口にできた言葉の響きはなんだかくすぐったくて、それは雫も同じだったようで、2人で笑った。
「じゃあストレッチの続きをしましょう?」
「え」
「え?」
「……あ、うん。しよう」
この後、2人がきたら練習開始だ。雫の言うようにストレッチの続きをしたほうがいい。そう思ったけれど、ストレッチを終えても2人はこなかった。
「みのりと愛莉、遅くない?」
「今日は来ないわ」
「え?」
「だって昨日、遥ちゃんとふたりっきりにしてあげるからちゃんと告白してきなさい、って言われたんだもの。だからふたりとも来ないわ?」
「……そのへんに隠れて覗いてたりしない?」
「えっ」
雫が慌てたようにきょろきょろと屋上を見回した。多分いるとしたら、ドアの向こうだと思うけど。
「じゃあどうしようか。新しい振り付けの練習か、たまには2人で歌ってみる?」
「どっちもいいわね」
ふふっと笑った雫の横顔に胸があったかくなった。
「せっかくだから遥ちゃんに新しい振り付け教えて貰おうかしら。少しうまくいかないところがあるの」
「うん、いいよ」
でも、その前に。
「雫」
「なぁに?」
「その前に、抱きしめてもいい?」
「えっ」
私が両手を広げたら、雫は照れくさそうに微笑んでから、私に近付いた。手を伸ばして抱きしめる。初めてってわけじゃないはずなのに、少し違う気がした。
「……大好きだよ、雫」
耳元で囁いた声は自分で思っていた以上に優しく響いて。
「ありがとう、遥ちゃん」
返してくれた雫の声は今まで聞いたことがないくらい甘かった。
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