Nosmi
2025-02-11 16:09:02
5768文字
Public
 

空の銀皿 (ライ→シュロ)小説

ライ→シュロ(※シュロ→ファリ描写あり)
ワーガイのシュとファの話の後、失恋して泣くシュの恋心を食べたい無自覚ラの話

 月の明るい夜だった。
 明日明後日には満ちようかという銀色の丸を見上げながら、ライオスは目的もなく城の周りをぶらついていた。なんとなく寝付けず、かといって仕事や読書など頭を使う作業をする気にもなれず、気分転換に外の空気を吸いにきたのだった。ひんやりとして少し湿った夜の匂いがする。今日はずっと良い天気だったから夜明けはもっと冷えるだろう。太陽が出ている間はあんなに暖かかったのにな、と昼間の様子を思い出す。
 風も海も穏やかで抜けるような青い空の下、微笑み合いながら握手を交わすシュローとファリンの姿は全てがぴったりとあるべき所へ収まっているようだった。あの風景に似つかわしくないほど心が波立っていたのはきっと自分だけだったろう。嗚呼、と知らず溜め息が漏れた。
 シュローと一緒に東方群島へ行きたかったなあ。
 結局マルシルや周りに止められながら駄々をこねているところを二人に見つかり、あの場はお開きとなった。最後はみんな笑っていた。ファリンは楽しそうに、シュローは困ったように。
 
 そんなことを思い返しながら歩き続け、ちょうど件の場所へさしかかったライオスは足を止めた。
 こんな時間、こんな場所に誰かがいる。
 その人影は柵に寄りかかって海を眺めているらしかった。月に照らされてもなお黒いその後ろ姿を、ライオスはよく知っている。
「シュロー?」
 声をかけられたシュローはびくりと肩を揺らし、さっと目元に手をやった後いつもの顔で振り返った。
「ライオスか。……こんな所で何してる」
「散歩だよ。何だか眠れなくてさ。シュローは?」
……俺も似たようなものだ」
「そうか! それなら少し話そう! ただ歩くのも飽きてきたところだったんだ」
「いや……俺はそろそろ……
 その言葉はいつもの如くライオスへは届かず、シュローが身を引いたスペースをそのまま詰めるように横へ並ぶと上機嫌で左隣の顔を覗き込んだ。
「あれ、シュローなんだか目がきらきらしてるような……あ、いや充血してるのか? ……んん?
 ……………えっ!? 泣いてる!? 君が!?」
「うるさい! わざわざ言わなくていい!」
 驚きで叫ぶように声を上げると劣らぬ大きさで怒鳴り返された。
「どうしたんだ? 一体何があったんだ?」
「お前な……今日ここで何があったかもう忘れたのか……
 怒りに呆れを滲ませてシュローは溜息を吐いた。ついさっきまでそのことを考えていたのだから忘れたはずはない。が、あの光景があまりにも完璧だった事と自分が東方へ行きたい気持ちが強すぎた事でライオスはその事実をそれほど気にしていなかった。そういえば彼はフラれたのだった。
「いやだって……二人とも笑って握手までしてたし……納得いく結果だったのかと思って」
「納得はしている。彼女が自分のやりたいことを見つけたことも、それをちゃんと話してくれたことも嬉しいと思っているし、この先の幸せも心から願っている」
 シュローは一旦言葉を切ると、柵に寄りかかったまま頬杖をついた。
「それに最初に求婚した時……考えさせて欲しいと保留にされた時から駄目だろうなとは思っていたんだ」
「え、保留なのに?」
「その場ではっきり断ってしまえば俺はパーティに居られなくなるし、そうなると代わりが入るまで皆が、特にお前が困ることになるだろう。探索そのものは順調だったから現状維持の為にはああ答えるしかなかったんだろうと」
「そうかなぁ? あいつがそんなこと考えるかなぁ」
「彼女には聞けなかったから実際のところはわからないが……まぁ、俺がそう思っているというだけだ。彼女が竜に食われてからのことだって空回りするばかりで、結局何もできず諦めた俺が彼女に相応しいはずもない」
「何もできなかったっていうのは違うだろ。食べることにも協力してくれたし、それより前に地上に戻った後だって東方に帰らないで色々やってくれてたんだろ?」
「あれはカブルーがやったことだ。俺は少し手伝っただけというか……巻き込まれたというか……
「そのカブルーがシーサーペントに襲われてるところを助けたのは君だって聞いたぞ」
「その場の流れだ。目の前で誰かが襲われていたらお前だって助けるだろ」
「そうだけどさぁ……
 にべもなく返される言葉はいっそ卑屈さを感じさせるほどで、これ以上下手に反論するのはよくないと判断したライオスは口を噤んだ。
 沈黙が落ち、しばらく波の音だけが響く。何ともなしに月の染みを数えた。
 やがて鼻をすすって深く息を吐いたシュローは頬杖をやめて体を起こした。肘をついたまま両の手のひらを組み、ぽつぽつと呟く。
……だから今日のことはけじめをつける為だった。こんなに強く誰かを想うことも、我を通したいと思ったことも初めてだったから、終わらせなければ一生引きずって後悔すると思った。そうして心残りを無くして、安心して帰るつもりだった」
 俯いて目を伏せ手を組んで、冴えざえとした光に照らされる姿は幼い頃に見た宗教画によく似ていた。触れることも、声をかけることすら躊躇われるような神聖なる祈りの姿。
 いや、違うな。これは祈りじゃない。
 見惚れながらもライオスの頭はどこか冷めていた。
 これは懺悔だ。いつもは冷静なシュローが、傷ついた心の柔らかな部分を無防備に晒している。ここにいる、俺だけに。
……ああ、でも、わかっていた、わかってたんだ。恥知らずで浅ましくて愚かな欲だとわかっていても……それでも、ほんの僅かな期待を捨てきれていなかった。あの夜の横顔がこちらを向いてくれるのではと……
 組んだ指先を白くなるほど握りしめ、絞り出すように吐き出した言葉は震えていた。
「選ばれないことには、もう慣れたと思っていたんだがなぁ……
 黒い瞳から透明な雫がこぼれ落ち、瞬きをする度に散っては袖や柵の木肌に点々と跡を残す。ふと勿体ないな、という感想が浮かんでライオスは首を傾げた。
……すまない、こんなことを聞かされても困るだけだな。忘れてくれ」
 そう言って涙を拭おうとした彼の右腕を掴んだのはほとんど無意識だった。
「ライオス?」
 濡れた目がこちらを向いた瞬間、今まで不可侵だった場所から突然手が伸びてきて内臓を直に握られたような感覚がした。臓腑が引き絞られてじわりと熱くなる。
 ああ、これは―――『飢え』だ。
 掴んだままの腕を引き、もう片方の手を背中に回して体ごと引き寄せる。驚きに固まる彼に囁いた。
「それ、俺が食べてあげるよ」
……え?」
「もう叶わない、あとは枯れてゆくだけの欲を抱え続けるのも辛いだろ。俺ならその部分だけを食べて君を楽にしてやれる」
 そう言って胸元に顔を近づける。潮風に混じって彼の匂いがして、口の中に唾液が湧いた。
 シュローの恋はどんな色や形をしているのだろう。きっと宝石みたいに美しい。四角くて直線的に育った結晶は透き通った色をしていて、この月にかざせばきらきら輝いてさぞかし綺麗なことだろう。
 シュローの恋はどんな味をしているのだろう。悪魔の食欲ほど複雑な味ではなくとも、シンプルだからこそ引きたつ美味さというものもある。甘いだろうか、しょっぱいだろうか。それとも他の味だろうか。どれにしたって一つの確信がある。
 シュローの心なのだから、自分好みの味に違いない、と。
 味を想像して溢れそうな唾を飲み込むと大きく喉が鳴った。鼻先が襟元に触れる。口を開けて舌を伸ばす。ご馳走は目の前だ。もうすぐ、もうすぐ満たされる。
 
「ライオス」
 突然右肩を掴まれて動きが止まった。やんわりと、だが確かに意志を持った強さで押し返される。
 しまった。怒らせた。
 そう思った途端、さっきまで全身を占めていた飢えはすっかり鳴りを潜めてしまった。バツが悪くて俯いたままおそるおそる目線を上げる。しかし予想に反して、相手は落ち着いた様子で静かに首を振った。
「いいんだ。悲しくて辛い終わりでも、今まで抱えてきたこの気持ちを無かったことにはしたくないから」
 そう言って薄く微笑んですらいるシュローを見て、今度は喉がぎゅうと詰まった。
「いきなり突飛なことを言い出すから驚いたが、お前なりに慰めようとしてくれたんだろう? その気持ちだけで十分だ。ありがとう」
 違う、という言葉は出てこなかった。内側から締まった喉は声も出せず、息苦しさに彼の服を握りしめることしかできない。
「お前がそんな顔をしてどうする。大丈夫だ、いつかそのうち良い思い出になる時が来る。
 さあ、そろそろ戻ろう。お前がいないと皆が心配する」
 肩から手を放してあやすように背中をぽんぽんと叩かれる。優しい手つきに身体の強張りが解けてようやくライオスは「ああ」と息を吐いた。
 
 
 帰り道をシュローが先導して歩いている。ダンジョンに潜っていた時は逆のことが多かった。そう遠くない過去のはずなのに、その間の出来事があまりにも濃すぎて最早懐かしさを覚えるほどだ。
 一介の冒険者に過ぎなかった頃とは何もかもが変わってしまった。シュローはもうすぐ遠い東方の故郷へ帰るし、蘇った国の王になったライオスは彼と一緒に行けない。この背中だって次に見られるのはいつかもわからない。また身体の中身がくしゃりと丸められる心地がした。
「なあ、シュロー」
「どうした」
「もし……もし捨てたくても捨てられない気持ちを抱えてどうしようもなくなったら、それを俺にくれないか」
 シュローは足を止めて振り返った。木々の隙間から差す月の光がちょうど彼に当たって訝しげな顔がよく見える。
 ライオスの言葉にシュローはどうして、とは聞かなかった。代わりに目を凝らしてその表情をじっと見ていた。いつもなら鋭く見えるその両目も、泣き腫らして赤くなった目元のせいで随分印象が違って見える。何故だか鼓動が早まった。
 ややあってシュローは口を開いた。
「駄目だ。捨てたいと思うような欲なんてきっとろくでもない。そんなものをお前に食わせる訳にはいかない」
「シュロー……
「いいか、ライオス。お前が良かれと思って言ってくれていることはわかる。だがそれで自身を危険に晒す可能性を無視していいことにはならない。そこは冒険者だろうが王だろうが同じだ。わかるな?」
 言い聞かせるような言葉につられてライオスは頷いた。
「それならいい。他の者にも言うんじゃないぞ」
 話は終いとばかりに再びシュローは背を向けて歩き出した。
 ライオスの胃も再び熱くなる。胃酸で焼ける熱さではない。凍える中で温かい飲み物を飲んだ時の、中からじんわり広がっていく温かさだ。やっぱりシュローの気持ちは心地良い。
 そしてやっぱりというならもう一つ。手に入らないものは余計欲しくなるのが人のさがというものだ。ライオスは大股でシュローを追い越して前に回ると、その右手を取って両手で包んだ。
「シュロー、君が言っていることはわかるよ。わかるから君がいいんだ。俺が欲しいのは君だけだ」
 真剣なライオスの迫力に気圧されてシュローは当惑した。胸中で様々な思いが散り散りに駆け巡る。
 いやわかってないだろ。さっき何に頷いたんだお前は。俺の言い方が悪かったのか。それに欲しいのは『俺』じゃなくて『俺の欲』だろうが。紛らわしい言い方をするんじゃない。この手も相まって口説いてるように見えるだろうが。誰かに見つかって誤解されたらどうする。手がやたら熱いが熱でもあるのか。それとも酒に酔ってるのか。何でそんなに必死なんだ。一体何がお前をそうさせるんだ。
 そこまで考えて、はたとシュローの思考はある一点に行き着いた。
「まさかお前……味が知りたいだけじゃないだろうな……?」
………………そんなことないよっ?」
「殴っていいか?」
 あからさまに嘘をついている目線と共に、先ほどまでの熱を帯びた妙な雰囲気は明後日の方向へと飛んで行く。シュローは拳を握ってみせた。
「ごめんって。だって気になるじゃないか。味はもちろん加工や保存は可能なのか、食べて消化した後はどうなるのかとか。不測の事態が起こったってファリンもマルシルも、何より君がいるんだから何とかなるよ。君は無くしてしまいたい欲を捨てられるし、俺は食べてみたいものを食べられる。お互い得しかないと思うんだが……
「お前なぁ……
 あまりの言い分に頭痛を覚えて額を押さえる。この男が一度断られたにも関わらず食い下がってくるということは、どんなにめちゃくちゃでもその望みが叶うまで諦めないということだ。言い出したら聞かないのは身をもって知っている。そしてこうなったライオスはどんな危険や困難も乗り越えてしまうことも。それはもう、痛いほどに。
……お前にくれてやるような欲ができる保証は無い」
「うん、だからできたらでいいよ」
「できた時にはもう欲望を消化できるとかいう能力はなくなっているかもしれない」
「その時はその時で他の手を考えるさ」
「そこらに落ちてるゴミと見間違えるようなものでもか?」
「欲しい!」
 微塵も引く気配のないライオスに、シュローは自身の抵抗欲がむしゃむしゃと食べられていく様を幻視した。
………腹を壊しても知らんからな」
「ありがとうシュロー!」
 せめてもの抵抗で握られていた手を振り払えば、腕ごと思い切り抱きしめられた。苦しさに文句を言っても足を踏んづけても、嬉しいなぁ楽しみだなぁと浮かれる男に効果はない。そろそろ投げ飛ばしてやろうかと思ったところで腕が緩み、真正面から顔を向かい合わせた。互いの鼻先がもう少しで触れそうなほどに近い。
「シュロー。俺、いつまでも待ってるから」
……だから、できる保証は無いと」
「うん。でも待ってる」
 その囁きはぞっとするほど甘かった。蜂蜜色の瞳の奥で揺れているのは本当に食欲だけなのか、シュローにはわからない。何か得体の知れないものと契約を交わしてしまった気がして背筋が寒くなる。だがその寒さも再び抱擁された温かさに溶けてしまい、彼はほうと一つ溜め息を吐いた。