キンキンに冷えきった部屋で、グラグラと煮えたぎった料理を食らう。真夏だろうが関係なくヒエビエとした空間、真冬だろうがアツアツのボルシチ、そして、馴染みの客だけが知る、ギリギリ違法ではないポーカー勝負。
そんな刺激的なコンセプトの店で働く日々にも慣れてきたころだった。
近づいてくる客の気配に、目を向けると。
「……ここで何してるの」
訝しげな顔をした青年──牙琉響也──が、立っていた。
「成歩堂、元、弁護士さん」
元、を強調して、成歩堂の名前を呼んでくる。
サングラスをかけていても、こちらを訝しげに見つめているのがわかる。
「それはこっちのセリフだけど」
ひょんなことから知り合った〝親友〟は、たびたびここを訪れるけれど。(そして、共にメシを食うけれど。)響也がここを訪ねてくるのは初めてだ。ふつうに考えれば、客、なんだろう。それでも、他に思惑があったとしたら……を、成歩堂は考えずにはいられなかった。
響也の初法廷──つまりは、成歩堂の最後の法廷──のときから、彼は、得体の知れない敵意を成歩堂に向けている。自身の勝利のためにねつ造証拠を作った悪徳弁護士。自分が不正を見抜いたことで法曹界から追い出すことのできた人物。……響也は、成歩堂のことをそう把握しているようだ。おおよそ、ワイドニュースが組み立てた〝成歩堂龍一の現状〟通りに。
もう成歩堂は弁護士ではない。成歩堂の〝不正疑惑〟を、響也が暴いたからだ。そういう意味では、もう、響也には、成歩堂と関わる意味はないはずなのだが。
牙琉霧人──成歩堂の親友、および、響也の実の兄──彼との繋がりが、響也との関わりをも生み出しているようだ。
響也は、成歩堂をよく思っていない。霧人と交流しているぶん、響也とも顔を合わせることがあるのだが、彼は毎回、成歩堂に対して警戒するような態度をとった。何をするわけでもないが、訝しげな目つきを向けることがあった。
現役の弁護士である兄が、不正疑惑のある元・弁護士と仲良くしているのが気に入らないらしく、(邪魔まではしないけれど、)こちらを探るような素振りをすることがあった。
今回もそれかもしれない。ならば、厄介だ。店の働きに影響が出るのは困る。
それを見定めるように、冗談っぽい軽口を叩く。
聞いているのかいないのか、響也は店内をぐるりと見渡し、ピアノの前に座る成歩堂を改めて見やる。
「ここがアンタの新しいステージ、ってわけ?」
「まあね。牙琉検事は?」
……どさくさに紛れて、〝真意〟を訊く。
ポケットに手をつっこんで……〝あるもの〟を握る。
「そりゃ、ふつうに、ディナーを楽しみに来たのさ」
サイコ・ロックは、あらわれない。
どうやら本当に、ボルハチに用があってきたらしかった。
「なんでまた?」
訊ねると、響也は眉間に皺を寄せた。テレビとか、ファンの前では見せないだろう歪んだ表情だ。
「店に訪れた客に、なんでとかあるかな」
「キミの趣味にしちゃ、いささか俗すぎるように思ってね」
響也は、優秀な検事である上に、芸能人でもある。法曹界のサラブレッド・牙琉検事。ロックの狩人・ガリュー。今や街を歩けば避けられないほどの人気を誇る、売れっ子バンド・ガリューウエーブのリーダー。輝かしい家に生まれ、華やかな道を歩く彼に、薄暗い道端にあるアウトローなボルハチを、好んで訪ねるイメージは、ない。この前ふとつけたテレビ番組のインタビューで答えていた『行きつけの店』は、成歩堂が今も昔も足を踏み入れることができないだろう高級店だった。
ポーカー勝負が目当てとも思えない。
「……アニキが、気に入ってる店みたいだったから、気になって」
……サイコ・ロックは、あらわれない。
どうやら本当に、兄の『最近のお気に入りの店』に興味が引かれただけのようだ。そこに、まさか……成歩堂がいたなんて、予想外だった、と。
「まあ、お客さんなら、接客しないわけにもいかないな」
来てしまったのなら、追い返す理由もない。勾玉から手を離して、ポケットから手を出す。さて、彼はどう出るか……、と、伺う。彼から引き返すのならば、引き止める理由もない。
「じゃあ……ボルシチ、ひとつ」
響也は注文をした。店のイチバンのオススメメニューを頼んで、椅子に座った。それが、彼が、成歩堂が相手をするべき〝客〟になった瞬間だった。
※
「──アニキは、よくここに来るの?」
「まあ、ぼくが働きに出る日は、よく来てるみたいだね」
「じゃあ、アンタに会いに?」
「さあね。ぼく、勤務日以外はここにいないし、いつ来てるかなんて知らないよ。そうじゃなくてもここのボルシチは気に入ってるみたいだけど」
成歩堂の無愛想な相槌のせいなのか、響也の敵意の滲む問いかけのせいなのか。共通の話題が霧人、というのもあるかもしれない。会話のはずなのに、どこか、お互いに探りあっているような息苦しさが潜む。
そんな雰囲気だからか……あまり踏み込まれても困ると、話題を塞いだからか……しばらくすると、無言になる。会話がなくなってしまった。まだ、ボルシチができあがるには、時間がかかる。
このまま放っておいてもいいのだけれど。無視しあって過ごせばいいのだけれど。なぜだか、響也が、成歩堂を時折じっと意味深に見つめるのだ。それが、成歩堂にとっても、なんだか気まずい。どうにか場だけは持たせておこうかと、成歩堂は、ピアノの鍵盤に触れた。
「そうだ。料理が出来上がるまでもう少し時間がかかる。なにか弾いてあげようか。……リクエストには応えられないけど」
「持ち曲、なにさ」
「ええと……」
「やっぱりいい。どうせ、〝ド〟の音も弾けないだろうし」
図星だ。
見透かすような態度に耐えかね、鍵盤から手を下ろす。
……やりにくい。なんだかとっても。ガラが悪いわけでも、攻撃的なわけでもないのに。
やっぱり無視しあうのが一番手っ取り早く、この時間をやりすごせるかもしれない──と、成歩堂が考えたところで。
「そのカッコウ」
響也のほうが、話し出した。
「ん?」
「そんな薄汚れたカッコウで働いてるの?」
成歩堂を眺めながら、響也は問いかける。あの意味深なまなざしで、じっ、と。どうやらずっと、そんなことが気になっていたらしい。
なんだか拍子抜けだ。……カーゴパンツにチェーンベルト、なんていうラフなカッコウで初法廷を迎えた相手に、言われたくはないな……なんて思いながら、答えてやる。
「まあね。〝ピアノの弾けないピアニスト〟の肩書きとしてはふさわしいと思うけど」
グレー色のパーカーや黒色のズボンは厚手で、この店で働くにはもってこいなほど、暖かい。サンダルも、脱ぎ履きがしやすくて楽だ。この店の雰囲気では、逆に、ぴっちりと着こなすと浮いてしまう。身なりを気にしなくていいというのは気楽で、成歩堂としても気に入っている。
「そのニットとヒゲヅラの理由は?」
鋭く、追撃が来る。そんなこと、思ってもみなくって、少し、止まる。
気を取り直し、「なかなか似合うだろ」と言いかけたところで、また、響也から言葉が投げかけられる。
「それで、隠れてるつもりなの?」
……図星だ。
世間というのは実に不条理だ。今まで相手を持ち上げていたとしても、不正疑惑がかかれば手のひらを返し、今までの功績もすべて〝悪〟だったのではなんて囃し立てる。それに踊らされる一部の人間は、正義感を掻き立てて、〝悪〟を排除しようと、後ろ指を立てて、噂する、糾弾する。ここ数年、そのターゲットは、〝成歩堂龍一〟に焦点が当てられていた。
おかげで、一時期は就職もままならなかったのだ。まあ、そもそも……〝ピアノの弾けないピアニスト〟なんて人材を求める店なんて、限られているのだけど。剥き出しの悪意は人を傷つけ、時に周りさえ巻き込んで、まとわりついて、邪魔をする。
「まあ、世間的には、ぼくといえばこの髪型と真っ青なスーツ、らしいからね」
だから……隠れる必要がある。偽名、とはいかなくとも、せめて、世間に知られている〝イメージ〟から外れる必要はある。あくまでボルハチやあるでん亭に勤めている成歩堂は弁護士の成歩堂とは別モノだ、と。職場にマスコミや野次馬がたかるのは面倒だし、避けたかったし。
そうして、今の成歩堂は、青いニット帽をかぶり、無精髭を生やし、普段着のようなパーカーにスウェットというカッコウに落ち着いたのだ。着込むことは、ボルハチという店の特性にもあっているので、合理性もバッチリである。
実際、髪型と服装と清潔感を一変してみると、街中を歩くたびにどよめいていた民衆は、大人しくなった。それで隠蔽できてしまうのも、なんだかバカげているけれど。日常に紛れることができるのならば、ひとまずそれでいい。
「それに、この店は寒くてね。ぼくのムスメが、冷えないようにって、編んでくれたんだよ」
最初はパーカーのフードをかぶっていた成歩堂がニット帽をかぶるようになったのは、成歩堂の娘──みぬきが、寒い職場でも頑張れるようにと手作りしてくれたからだ。だから、成歩堂は、隠れながら、現状を受容したまま、とりあえずと働くことを選んだ。
今この状況でできるのは、真犯人をつきとめたり、疑惑を晴らしたりすることではない。ただ、日々を、平凡に過ごすことだ。機会を待つことだ。そう、思う。娘のためにも、自分のためにも。
「ふうん。……パパ思いのムスメさんだね」
成歩堂みぬきは……実の娘じゃないながらも、今となっては、成歩堂にとって、実の娘以上の存在だ。稼ぎ頭という意味でも、精神的安定……活動における目的という意味でも。彼女のために、と思うだけで、成歩堂の心には、やる気が灯る。そのやる気がなかったときこそ、すべての終わりだと、勘づきながら。
そうしているうちに、響也の頼んだボルシチが運ばれてきた。グツグツ煮立って、湯気をもうもうと出している。この店のボルシチは、アツさとウマさが自慢だ。
ウェイトレスに向けて、響也は、「ありがとう」と愛想のいい笑みを向けている。目の前に運ばれたボルシチに、「おいしそうだね」と感想をこぼして、長めの金髪を耳にかけて、ナフキンを手元に置いて、サングラスを外す。
一連の流れは上品かつ気取っているのに自然だ。……成歩堂にとっては、どれも、初めて見る姿のはずなのに、どうにもそんな気がしない。こうして見ると、彼は……兄に似ている。そんなことを痛感して。
「キミはどうして気づいたんだ、〝変装〟してるぼくのこと」
「どうしてって。わかるよ」
頬張る彼に、面白半分で問いかける。普段、霧人にするように会話を持ちかける。この変装は、なんだかんだいって、バレたことはない。少なくとも成歩堂はそう感じている。
「一回二回しか、会ってないのに」
それなのに、響也には一瞬で気づかれた。長い付き合いのある相手というわけでもないのに。それもあって……成歩堂は驚いたのだ。やりにくかったのだ。〝成歩堂元弁護士〟として話すことは、最近、めっきりないので、どう出ればいいかも掴めていない。
……まあ、ある意味、忘れられない相手ではあるか。
彼にとっては初法廷の相手、及び、初法廷をぶち壊しにしてきた悪徳弁護士なのだ。成歩堂にとっては、ねつ造疑惑で追い詰めてきた相手なのだ。お互い、因縁がある、といえばある。
響也は、少し考え込んで、言葉を紡ぐ。
「…………目」
「め?」
そう言いながら、彼は、まっすぐに成歩堂の目を見つめる。
「目を見たとき……アンタだって、思った。バレバレだよ」
呆れるように、強がるように彼は笑った。
目、というのは盲点だった。スゴウデの警察官は瞳孔を見るだけで指名手配犯かが分かるんだだの、この前の曲の歌詞でも書いたけどだのと、響也は続ける。なんだか得意げでコシャクだ。
「本気で隠れるつもりなら、ボウシの上に、サングラスでもするんだね」
「……〝ガリュー〟が言うと、説得力が違うね」
検察官としても──人目を避けなければ騒ぎを起こしてしまう、売れっ子の芸能人としても、彼の言葉は納得をもたらす。今は、ボルシチのために外されているが、彼は、サングラスをして、目元を隠していた。イメージ商売である芸能人としては、ボルハチという店に入る瞬間は、あまり人に見つかりたくない場面なのだろう。
彼の場合は、オシャレついでの変装、だろうけれど。
「ああでも、ぼくはそんなに変装しないよ。もったいないだろ?」
そう思っていると、正解だとでもいうように響也は得意げに言葉を放つ。やっぱり、バンドをやっているだけあって、根本が、目立ちたがり屋だ。半ば、呆れる。
「ファンにも、捜査やプライベートの邪魔はしないように言ってあるし。度が過ぎたら逮捕もできる」
抜かりはないと胸を張る姿は、どこか幼げに見える。少し前までは、法曹界に立つ存在としては先輩だったからだろうか。微笑ましいような、生意気なような、おっかないような心地で、見守ってしまう。
「サングラス、か」
そういえば家の隣にメガネ屋があるな、と思い出す。けれど、確か、千円単位したはずだ。もっと安いのは探せば見つかるだろうけれど、手間だし、破損の恐れもあるし。考えてみれば、導入するには、(成歩堂にとっては)不向きなように思えた。ボルハチという店の特性上、寒暖差で曇っても面倒くさい。(霧人が、ボルシチを食べるときだけでなく、店外に出たときも、季節によってメガネが曇るのを目撃したことがある。)もう少し、手軽に……それでいて、支障なく、隠れる方法はあるのだろうか。
彼の〝アドバイス〟から、思いついたことを、実行してみる。
「サングラスはないけど」
要は目元が隠れればいいのだ。
「これなら?」
ニット帽を深めにかぶる。視界が遮られる。つまり、あちら側から、成歩堂の目が、見えなくなる。
これなら、〝目〟を、相手に見られることがない。
響也は、少し目を見張ると、肩を小さく上下させて、笑った。はは、とこぼす吐息は、年相応に、はしゃいでいる。
「それだったら……分からなかったかも」
よく思いついたねと言わんばかり、楽しげに、素直な感想を漏らしてくる。
その拍子に、じっとこちらの目を見つめるまなざしは……サングラス越しではない瞳は、真っ青に澄み切っていた。そのブルーがこちらを宿したとき、なぜだか、成歩堂はドキリとした。水面を覗き込んだときのような得体の知れない感覚が、一瞬、成歩堂を包み込む。
ああ、こんな色を、こんな目をしていたのか、と気づいた。こちらをまっすぐに映し出す瞳は、鏡のようで、自分をどこかに迷い込ませるような趣がある。底が知れない恐怖感と、底を知りたい好奇心を、合わせ持たせる。
……大学生時代の先輩の話を、成歩堂は思い出していた。芸術学部の、演劇専攻の先輩で、成歩堂が弁護士を目指し出す前からの付き合いの人だった。
『おまえの目は、黒く、まっすぐ澄み切ってる』
そのとき先輩は酔っ払っていた。真っ赤な顔で、成歩堂の目を覗き込みながら、しみじみと言い切っていた。自分を見つめている気分になるよ。おまえの目は何物でもないんだ。そんな目を持っているから、演技も上手いんだろうなあ、と賞賛なのかポエムなのか戯言なのかよく分からない言葉を垂れ流して。
『底が見えなくて、純粋で、怖いけど……憧れるよ』
今の今まで、気に留めたこともない話だった。相手は酔っ払いだし。まともに取り合ったってしかたがないと思っていたから。それでも、先輩の言葉が……今の成歩堂には、気になってしまう。──その先輩の言っていたような感覚を、今、目の前の、年下の検事に抱いている、ように思えた。
似ている。もしくは、同じだ──目の前のオトコは、自分と同じなのではないか、と……仲間意識のような、共感のような、同調のような。不思議な感覚があった。
純粋な目は、まるで、こちらを引き込むように……引き込んで、〝自分〟をつきつけてくるように……恐怖を味わわせてくる。だから、時に人を魅了し、時に人を避けさせるのだろう。舞台やステージに立つべきものの才能……といっていい。
成歩堂は正直、自分がそれを持っている……なんて自覚はしていない。性質も知らない。それでも、同じだと直感することはできた、らしい。
それを、確かめたい──知りたい──教えたい、と本能的に、願ったのだ。
ハッとして、胸に湧いた好奇心を抑えながら……それでも耐えきれずに、気になっていても放置していた状況に、問いを投げかける。
「牙琉検事こそ……髪、伸ばすのかい」
「まあね」
初法廷のとき、つまり、成歩堂が初めて響也と顔を合わせたとき。彼は髪を短く切りそろえていた。うなじが見えるほどの長さの金髪が、きらきらと光っていて、いい意味で目立っていたのが、印象的だったのに。今は、肩につくぐらいの長さをしている。ヘアセットを下ろせば、もう少し長いのだろう。そんな姿からして、そして、彼の性格からして、明らかに、故意であることが窺える。
「伸ばしてみるのも……悪くないと思って」
前髪をいじりながら、一瞬だけ目線を逸らして、響也は〝理由〟を話す。その目には、どこか不安げな色合いが宿っていて、他の理由があるのだと推察できた。さっきの彼も、同じようにして自分のごまかしを見抜いたのだろう──成歩堂は勘づく。瞳は、思ったよりも雄弁である。その理由が嘘ではないまでも、正真正銘の真実ではない、それだけではないことまでもを、確証もなく伝えてくる。
伸ばしたとして似合うのだろうな、と単純に思った。なんせ前例がいる。
そして、彼は、その前例に倣うように、後ろ髪に、カールをかけている。わずかにではあるが、くるり、とクセがついているのだ。こんな特徴的な髪型をしている人物を、成歩堂はひとりしか知らない。響也が未来、成歩堂の予想の通りのヘアースタイルになったときには、ふたり目になる、だろう。
サイドにまとめた髪をねじり、ひとつにまとめた、優雅さをまとった髪型。
明らかに彼は……兄に寄せている。自分の外見を。
その寄せる理由も、何となく、成歩堂は……察した。察することができた。自分が〝堕落した〟と揶揄される法廷に潜んだ闇と、きっと関係がある。その事件をきっかけに知り合った友人の顔が……目の前の男の兄の顔が……なぜだか、浮かんだ。脈絡もないのに。確証もないのに。
ぼくだって信じていたいよ。──脈絡も確証もないまま、成歩堂の脳裏にはそんな言葉が、共感と同調を持って降りかかる。助けてくれた恩人を、仲良くしてくれる友人を、成歩堂は信じている。そこには善意しかないのだと、ひとまず、受け取っている。その行動も心理も心からのものであるはずなのに。ぼくだってあいつのことを信じたいよ、と、願掛けする気持ちを、理解してしまう。
理屈とか道理とか願いとか、そういったものとは別のところで繋がっていた。そう言わなければ説明がつかない思いつきが時折走る。理解の及ばない直感が、実態のないままに、訪れ続けている。
それだっていつかは、全貌を見せる日がくるのだろう。そしてそのときには、全員無事に済まない。罪や傷を抱えることになる。目の前の男だって、例外ではない……。そんな予感がしていた。目の前の男も、そんな予感を感じているのだろうか。そんなのは、まさに、本能でしか察せられない領域だ。
響也の〝理由〟を把握しながらも、正解であるかを訊ねなかったのは、多くは、成歩堂の、年上としての矜持だった。単純に、興味がないとか、メリットがないとかもあるけれど。踏み込みすぎなくとも、相手のことは理解できる。少なくとも、響也が相手ならば。
一言では言いきれない事情をお互いに抱えて、極寒の店内で、灼熱の料理を食らう、あるいは、食らうさまを見ている。あと数刻で彼は食べ終わり、退店するのだろう。そうしたら、また、〝兄の友人〟と〝友人の弟〟に戻る。わけありの事情を含めながら、〝友人〟ありきの関係になる。
それでも。〝店員〟と〝客〟であることで見えた、奇妙な同感は、今も、成歩堂の胸に巣食っている。出会い方が違えば、良い先輩になれたかもしれない。そんな心地は、後悔にしては爽やかな後味だった。
もしかしたら、もう彼は、この店に訪れることもないかもしれない。それでも、また……〝友人の弟〟としてではない彼に、会うことに、少し、期待した。
ボルシチは、もうすべて、胃の中に飲み込まれていた。
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