kaede
2025-02-10 13:01:10
3955文字
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一彩が俺のことを好きなのは俺がお兄ちゃんだからだろ、って思ってる燐音くんのはなし

燐一
⚠️めちゃめちゃハッピーエンドです

兄さんのことが好きな一彩くんと、一彩が俺のことを好きなのは俺がお兄ちゃんだからだろ、って思ってる燐音くんのはなし(正式タイトル)(タイトル?)

「一彩」

 と俺が一言滑らせただけで、一彩は、弟は、俺を見て顔をわずかに上げて、ゆっくり、目を閉じた。

 おかしいだろう。


 いつの頃からか、いや、きっと最初から、おかしいと思っていた。これまでずっと、見て見ぬふりを続けてきただけで。まだ、見ぬふりをできる程度には小さかったから。
 だがもう、限界だった。それはいつしか、俺の意識の半分、半分以上、ついにはほとんどを奪って、今もなお俺を苦しめている。
 こんなのおかしいだろう。どうしてお前は何も言わないんだ。黙って受け入れるんだ。嫌悪や反発のひとつやふたつ、あるだろう。
 なんて、目の前の無垢な唇に問いかけたところで、俺に都合のいい答えしか返ってこないのはわかりきっている。この子はそういう子だ。故郷のシステムに最適化するよう、兄の命令に従順な弟という役割を果たすよう育てられてしまった。わかってたことだろう。住む場所が変わったからとて、こんな根深い呪いがそう易々と解けないことくらい。だから悪いのは一彩じゃない。

 俺が明確な目的を持って名前を呼んだら、顔を上げて、目を閉じる。そう一彩に躾けてしまった、俺だ。

……悪ィ。もういいよ、一彩」

 こんな歪んだ関係、終わりにしよう。いや、お前にとっては何も始まっていないんだろうが。

 一彩の澄んだ瞳が、瞬く。
……キスはしないのかな」
「しないよ。もうしない」
「どうして?」
「いや、冷静に考えるまでもなくおかしいだろ、こんなの」
「おかしい?」
「いや、まァ、おかしいってわかってンなら最初からするなって話なんだけどよ」
 自嘲の溜め息。
 一彩は相変わらず濁りのない瞳でじいっと俺を見て、首をわずかに傾けた。
……兄さんはさっきから何についての話をしているのかな。馬鹿な僕にもわかるように説明してほしい」
「軽々しく自分のことを蔑むな」
 俺はお前のことを愛してるけど、そうやってすぐ自分を卑下するところを好ましく思ったことなんて一度もない。
 叱責以外の余計な感情、有り体に言うなら話が通じなくて苛ついた感情が乗ってしまって、内心申し訳なく思ったが、口に出して謝ろうという気持ちにもなれない。
 一彩は、一彩からすれば理不尽な俺の態度を特に気にした様子はなかった。
「事実を言ったまでだけど……気を悪くしたなら謝るよ。ごめんね」
 いたっていつも通りのテンションで、謝罪する。
 その態度がますます俺の神経を逆撫ですることにも気付かずに。
「わけもわからず謝罪してそれで終わりってかァ? 無責任なこって」
「僕は、兄さんの気を悪くした可能性について謝罪したんだよ。無責任ではないよ。……ああそうか、つまり兄さんは、僕に何かしらの不満があって、それについての謝罪を要求している、ということだね。でも、それこそきちんと言葉にしてもらえないとわからないよ。僕には何の心当たりもないのだから」
……よく回る口だな」

 微妙に間違ってるが、あながち間違いでもねェんだよな。

 やたら面倒くさい言い回しに多少呆れてしまって、それが返ってよかったのかもしれない。あるいは、懐かしかったのか。
 気づけば俺の理性を侵蝕しかけていた感情のいくらかは、勢いを失っていた。
「別に、謝ってほしいわけじゃねェよ。ただ、その……お前はどう思ってンだよ」
「何が?」
……俺とキスすることについて」
……それだけ?」
 それだけ? じゃねェだろ。地球と天秤にかけても余裕で傾くくらいに大問題だろ。
 一彩が、ううん、とかわいらしく唸る。
……そうだね。世間的な倫理観に照らし合わせるなら、兄弟でそういうことをするのは正常ではないのだろうけど、でも僕は特におかしいとは思わないよ。兄さんも同じ考えなのだと思っていたのだけど」
「そこは一応わかってンのかよ」
 その点については、まァ、安心した。一般論からして食い違っていたら、お話にならない。
「けどよ、問題はそこじゃねェよ」
「というと?」
「一般論の話じゃなくてよ、お前はどうして俺とキスすることに何の疑問も持たねェンだ、って話だよ」
「だって、兄さんのことが好きだから」
 無垢な瞳で一彩が微笑む。

 ああ、そう言うと思った。

……ェだろ」
「兄さん?」
「違ェだろ。俺がお前のお兄ちゃんだから、だろ。お前がおかしいと思わないのは俺がそう望んでるからで、お前自身の意思じゃない。なんせお前はお兄ちゃんに都合よく従うようにつくられたかわいいかわいいお人形さんだもんなァ! 可哀想な一彩!!」
 気づいたら、一気に捲し立てていた。やめろ、と冷静な俺は冷や水をぶっかけていたが、燻っていた炎は一度勢いづいてしまったが最後、そう簡単には消し止められない。
 ……いや、言い過ぎだった。

 弟のことを言うに事欠いて、人形なんて。失言にも程がある。

「悪ィ、ごめん、一彩。言い過ぎた」
 今さら謝ったところでなかったことにはできない、とわかっていても、だからと言って謝らなくていい理由にはならない。
 謝らずにはいられなかった俺の言葉尻に、一彩の重い声が重なった。

「いくら兄さんだからって、僕の気持ちを勝手に決めつける権利はないよ」

 意思のこもった蒼穹の瞳が、俺を射抜く。

 お前を傷つけるような暴言を吐いた俺がこんなことを言ったら、ふざけないでほしいよ、とお前は怒るんだろうが、それでも。

 嬉しいよ、一彩。


 お前がお前自身の意思を見せてくれたことが、俺はとても嬉しい。
 ごめんな、一彩。俺はお前をみくびっていた。
 お前の呪いはとっくに解けてた……自分で解いてたんだな。

 一彩のそれは、俺の言葉の反証そのものだった。

 俺を見つめる一彩の表情がふっと和らいで、俺を気遣うように微笑む。
 返す言葉を失った俺はそんなにしょぼくれた顔をしてるのか。
 多分、そうなんだろうな。
 この嬉しさは、俺自身の情けなさと表裏一体なのだから。

 俺よりも一回り小さい一彩の手が、俺の手を優しく覆う。

……兄さんは僕に、何て答えてほしいの? 僕は兄さんの命令に従ってきただけで、本当はずっと嫌だった、兄弟でキスするなんておかしい、って、僕に拒んでほしいの?」

 嫌がられるならまだしも、拒絶されるのは正直一番堪える。だが、それが弟の、一彩の本心だと言うなら、俺は諾々と受け入れるだけだ。弟の意思を蔑ろにして、弟を不幸にしてまで自分の欲を満たすなんて、考えただけで反吐が出る。

 俺は、何て言ってほしいんだ?
 そんなの、決まってる。
 だが、言えるわけないだろう。

 俺が黙っていたからなのか、それとも俺の返答なんて最初から待つ気はなかったのかもしれない。一彩の声が柔らかく続く。
「申し訳ないけど、いくら相手が兄さんでも、その命令には従えないよ。というか、従えはするけど、それこそ嫌だよ。僕は兄さんが好き……ああそうか」
 一彩は何か合点が行ったのかひとりでくすくす笑って、数秒間を置いてから、俺を呼んだ。

「燐音さん」

 俺の、名前を。

「僕は、たまたま僕の兄さんとして生まれて僕に出会ってくれたあなたを、燐音さんを愛してるから、だから、嫌なんて、嘘でも言えないよ」
……嘘だろ」
「嘘ではないよ」
「もう一回、言って」
「だから、嘘ではない」
「そっちじゃなくて」
 伝わらないのがもどかしい。何て言えばわかってもらえるんだ。ああそうか。
 名前を呼んで。
……燐音さん」
 俺が口にするより先に察して俺の名前を呼んでくれた一彩を、俺は、抱きしめている、と、遅れて気づく。
 長らく思考を覆っていた靄がさぁっと晴れて、ただ一つの言葉がまばゆく輝く。
「愛してる、一彩」
 何度も口にして使い古されたのではなくて、何度も口にしたからこそ磨かれて美しく輝く言葉が。
 愛してる、一彩。
「あの、兄さん」
……ああ、ごめん。苦しかったか?」
 一方的に抱きしめたつもりはなかったが、それでも一彩にとっては不測の事態であることに変わりない。離れ難い、と思いながらも抱く腕の力を緩めると、どこか戸惑っているような一彩の顔がよく見えた。
「ううん、それは問題ないのだけど、その……
「ンだよ、もじもじしてよォ。一世一代の大告白に今さら照れくさくなっちまってンのかァ?」
「いや、どうして勃起してるのかな、と思って」
 そっちかよ。
 まァ、人の性事情について臆面もなく言える時点で、わかりやすい照れとは無縁なんだろうな、お前は。
「そりゃ、愛しの一彩くんに名前を呼ばれたからに決まってるっしょ。あ、いや、別にえっちなことしてェとかは思ってねェから」
 全然ってわけでもねェけど。
 でもまァそれは、お前が俺の前で頬を染めて恥じらえるようになるまでお預けだな。
 ケラケラ笑うと、一彩がほっと頬を緩めた。
……いつもの元気な兄さんに戻ってくれてよかったよ。股間はそこまで元気でなくていいと思うけど」
「おめェもそういう冗談言えるようになったンだな。成長したなァ」
「冗談ではなくて事実だよ。それよりも」
「あ?」
「キスはしないのかな」

 この緊迫した状況のお兄ちゃんになんてこと言うんだろうなァこの子は。
 いや、俺を信頼してくれている、ってことか?
 ……なんにも考えてないんだろうなァ。

 なんて、これからの弟との付き合い方に一抹の不安を感じないわけではなかったが。
 愛する一彩のお願いを無下にするなんて燐音くんの名折れなので、望み通り、キスをした。
 ここから始まる、心からのキスを。