レオンが夕食後に宿舎の部屋にいると、ノックの音が聞こえた。間を空けた軽い三回のノックは間違いなくタクミだ。「開いてるよ」と声をかけると、戸が開いてタクミが入ってきた。
「レオン王子。これ、ありがとう」
タクミは本を差し出してきた。レオンが貸した小説本だ。
「読み終わったんだ。早いね」
「面白かったから夢中で読んじゃったよ。続きがあるんだよね? 貸してくれる?」
「もちろん」
レオンが貸したのは長編シリーズの第一巻だった。架空の世界を舞台にした歴史ものだ。今暗夜で流行している。
レオンはタクミから一巻を受け取ると、第二巻を渡した。「ありがとう」と受け取ったタクミはすぐに戻ろうとせず、物言いたげな視線を向けてきた。
「どうしたの」
「ええと、実は」
タクミは袂に手を入れた。
「これを渡そうかと思って」
タクミが袂から出したのは日記帳だった。レオンが今朝タクミに渡したばかりのものだ。
「もう書いたの。交換日記って、一日毎に交互に渡すんじゃなかったっけ」
半笑いでからかうように言うと、タクミの頬がピンク色に染まった。いつもは今くらいの時間から書き始め、翌日の朝に渡している。
「い、いいだろ別に。もう書いちゃったんだから。一日待たずに渡したって」
「そういうのってありなのかな」
「いいよ、もう。受け取ってくれなくて」
タクミが日記帳を引っ込めようとし、レオンはその端をぱしっとつかんだ。
「せっかく持って来てくれたんだ。受け取るよ」
レオンが受け取ると、タクミは心なしかほっとしたような顔になった。
タクミが出ていって部屋に一人になる。レオンはさっそく日記帳を開いた。
☆の月○日
借りた本を読み終わったよ。あんたの言う通り、すごく面白くって一気に読んじゃった。これって続き物なんだよね。この先どうなるのか、続きも楽しみだな。
この本を読んでいくうちに、レオン王子が薦めてくれた理由がわかったよ。主人公は過去の経験のせいで人を信じられなくなっていたけど、仲間たちの支えでだんだんと他人を信頼する気持ちを取り戻していくよね。それが自分に重なった。励まされた気がしたし、僕の境遇もそれほど悪くないんじゃないかって思えた。
僕にもこの話みたいに自分のことをわかってくれる相棒がいて、それがあんただったらいいなって思ったよ。レオン王子のほうではどう思ってる? なんてね。
そう言えば、資料館に新しい本が入ったみたいだよ。また明日一緒に行こう。
そのページには丁寧な文字が整然と並んでいた。内容も一般的に思い浮かべる交換日記そのものだ。当初のやり取りからは考えられない変化だった。
レオンは試しに最初のページを開いてみた。そこにあるタクミの文字は、読める字で書かれているものの荒れていて、丁寧とは言い難い。なおかつ内容も投げやりだ。レオンはその二つのページを交互に見比べた。内容は言わずもがな、字も今の方がずっと好みだった。眺めているとタクミの楽しそうな顔が思い浮かぶし、自分のことを考えながら一文字ずつ書いてくれたのだと思ったら心が暖かくなった。
嫌々始まったタクミとの交換日記は、大豆のポタージュスープを一緒に作った辺りから風向きが大幅に変わっていた。
それまでは、嫌味と文句の応酬に、適当にその日あったことを付け足した日記だった。交換日記とは名ばかりの、ただの書き捨ての落書き帳だった。
そんな中、タクミが臣下への態度について、レオンの書いたことに影響を受けたことがわかった。
タクミは「あんたの言葉とは無関係」なんて日記に書いていたけれど、本当に無関係ならわざわざそんなことを書く必要がない。つまりこれは彼なりの虚勢なのだ。そうとわかった瞬間、あまりに子どもっぽくて笑ってしまった。ついでに、暗夜のスープを飲んでみたいと思っていることもわかってしまった。彼の子どもっぽいところは愚かだと思っていたが、ここまでわかりやすくされるとかえって面白かった。
面白ついでに夕食にスープを作ると伝えたら、タクミは厨房まで手伝いに来た。その行動には驚いたが、その日の日記でなぜ手伝いに来たのかを尋ねてみると、「スープを作ってくれる礼のつもりだった」と返事が返ってきた。やはり子どもっぽくて素直じゃないし、そのくせわかりやすかった。
気持ちを尋ねるやり取りで相手を知り始めると、レオンとタクミの距離は急速に縮まった。日記の受け渡しの際の短い会話はもちろんのこと、拠点内で顔を合わせたときにもよく話をするようになる。そうなると、交換日記に悩み事を書くようになるのも早かった。
数日前のタクミの日記で、「人を信用するのに時間がかかってしまうけれど、本当はもっとすんなり信用できるようになりたい」と打ち明けられた。ハイドラの小姓を保護したことに触れ、彼を信用するべきかどうかの話の流れで書かれていた。
タクミのその気持ちはレオンにもよくわかった。レオンも産まれたときから命を狙われるのが日常茶飯事の環境にいたため、無条件には人を信用しない質だ。それでレオンはタクミにあの小説本を貸した。他人を信用できない男のストーリーに、レオンもいくらか慰められたからだ。
レオンがあの小説を読んだときは、主人公を理解してくれる相棒は自分にとってきょうだいや臣下たちなのだろうなと考えていた。でも今はそこにタクミを加えたい。彼はきっとレオンの人生でかけがえのない友になってくれる。そんな予感がした。
次の日、レオンは朝からタクミと資料館に行った。中に入ると、昨日入った新しい本のリストが閲覧室の壁に貼られていた。白夜の本も暗夜の本もどちらも同じくらいある。
「あの小説の続きはないのかな」
リストを見ながらタクミが言う。
「もう読んじゃったの? 夜はちゃんと寝なよ」
「まだ読み終わってないよ。読んだのは最初の方だけだよ。全部で五巻の予定なんだろう? 今出ているのは三巻までだって言ってたじゃないか。だから、続きの四巻が出ていないかと思ってさ」
「三巻が出たのが先月だからさすがにまだだと思うよ」
「そうか、残念だな」
タクミはむうと口を尖らせた。紹介した小説シリーズが余程気に入ったらしい。
仲良くなってから、タクミはレオンの前でも素直な反応を見せるようになってきた。そうなると子どもっぽいところも好ましく思えてくる。ここで「待てないなんて子どもだね」とか「先に今あるのを読み終わってから次を気にすればいいのに」などと意地の悪いことを言うと間違いなく彼は怒り出して面白いのだが、今は止めておいた。
「他に気になる本はないの?」
「いくつかあるよ。レオン王子は?」
「僕もある。前から読みたいと思っていたのが入っているから楽しみだ」
新しく入った本はすべて、分類されて昨日のうちに本棚に収められていた。レオンとタクミは自分の読みたい本を各自で探しに行き、何冊か持って閲覧室に戻ってくることになった。
タクミと別れ、レオンはまず白夜の戦術の本を探しに行った。こんな機会でもない限り、他国の戦術に関する本なんてなかなか手に入らない。目的の本を見つけて次にレオンが向かったのは哲学書の置いてある棚だった。そこで本を見つけるより先に、本棚の前に立つタクミを見つける。
「あ、レオン王子」
「タクミ王子もこの棚に用があるんだね」
そう話しながらレオンは目的の本を見つけた。暗夜の哲学書だ。すっと右手を伸ばすと、同じ本にタクミの左手が伸びた。手と手が触れ合い、驚いたのかタクミの手がぱっと逃げた。
「……」
目を丸くして二人で見つめ合う。そしてぷふっと同時に吹き出した。
「タクミ王子って、小説だけじゃなくてこういう本にも興味あったんだ」
「レオン王子だって。哲学書を読むなんて思わなかったよ」
「そりゃあ読むさ。僕は本の中では哲学書が一番好きなんだ」
「そうなのか! 僕もだよ。面白いよね、哲学」
その後は本棚の前で哲学の話になり、二人は哲学書を何冊も手にして閲覧室に戻った。
タクミとは食べ物だけでなく、本の趣味も同じだった。探せばもっと他にも同じところがあるかもしれない。やはり彼は生涯の友になってくれる相手に違いないとレオンは思った。
☆の月●日
今日はとても楽しく過ごせたよ。また一緒に資料館に行こう。
スープだけじゃなくて哲学書が好きなところも君と一緒だなんて、素敵な偶然だよね。
今日のことで確信したけど、僕のことを一番わかってくれる相棒は、きっとタクミ王子だよ。
君と一緒にいると本当に楽しいんだ。戦争中に不謹慎かもしれないけれど、なんだか心がほっとする。ずっと昔からの友達といるみたいだ。一緒にいてこんなに楽しいと思えたのはタクミ王子が初めてだよ。
こうして交換日記が続いているのも相手が君だからだよね。戦争が終わっても、ずっと君とこんな風に交流できたらいいと思っているよ。
それと、例の小説の四巻と五巻だけど、出版されたときにもし戦争が終わっていたら、必ず僕が君宛に送るって約束するから安心しなよ。
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