lifelongyouth
2025-02-10 12:08:09
4310文字
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『かりんみず』感想 復習短編でした

藤波をとりあげつつ、真心と壁の話をしている

かりんみずを読んだ。
内容としては、『烏に単は似合わない』『烏百花白百合の章 おにびさく』、そして『追憶の烏』の補完になっている話だった

初読の感想は「ん〜別に目新しい情報はないな」で、なんで今これ?と思ってしまったのが正直なところなんだけど(※アニメとの連動です)、細かく見ていくとやはり色々感想が浮かんできたのでここにメモをば。

いつも言っていますが、あくまで個人の主観と感想です。



《滝本と章次からみた藤波に見る、「性格は成るのか見えるのか」ということについて》

まずはじめに、阿部先生がこの話を公開した当初、「藤波の心はあくまで藤波のもの」とおっしゃっていたのと同じように、藤波がどんな人間であるか、というのは1人の人間の視点から決められるものではない、ということだ。

『追憶の烏』を読むと、滝本→藤波の印象が地の文にたくさん出てくるので、滝本といるときの、あるいは彼女から見た藤波はどんな女の子であるのか?というのが断片的に分かる。

「いつしか内親王藤波は高飛車で、我が儘で、神経質な娘に成長していったのだった」

「いつも不機嫌な仏頂面をしている藤波」

まずこれが、一つ目の藤波の印象。


一方で、『かりんみず』の章次からみた藤波はというと、

「なんだ、普通の女の子じゃないか」

「高貴な身分を振りかざすでもなく、謙虚で、素直で、おおらかでさえあった」

「どこにでもいそうな、ただの娘さんであった」

であり、これは二つめの藤波の印象ということになる。

つまり、高飛車でどうしようもなく我が儘な藤波も、高貴な身分を振りかざすわけでもなく謙虚な藤波も、どちらも同時に存在している、ということになる。

この場面をみていて、性格ってひとつに決まるんじゃなくて、状況と接する相手によって違って見えることがあるんだなと感じた。

どちらが嘘とか本当ではなく、滝本が見た藤波と一緒に、どこにでもいる普通の女の子の藤波も存在していたのだと、それを確認できたシーンだった。

誰かから見た藤波が本当、なのではなくて、全部が同時に存在するし、嘘じゃない。

また、追憶の烏で滝本が
「自分たちの間で、まともな会話が成立したことなど、これまで一度だってなかったのだ」

と言っていたけど、

かりんみずで章次が
「表向きは親しく会話が成立しているように見える。しかし自分は気に入られようと必死だったし、彼女の言葉もどこか薄っぺらく、上滑りしているような奇妙な感覚があった」

と言ってることにも留意したい。

それぞれ別の意味で藤波との会話が成立していないのだけど、藤波と会話をする2人の間にはある種の分厚い壁が存在する、という点では似ている。

この藤波と話者の間に存在する分厚い壁、あまりにも分厚すぎて、だからこそ、次の項でとりあげる”真心”がいかに稀有なものであるかを引き立てているような気がする。



《藤波の意味するところの”真心”について》

ところで、『追憶の烏』には”真心”という言葉が何度か出てくるけれど、ここで言う真心って一体なんなんだろうな?というのを考えるために、二つのセリフを引用したい。

「僕があなたに仕える気になったのは、家に関係なく、初めて僕自身を見てくれたからだ」
烏は主を選ばない/雪哉

「わたくしがかつて会った者の中で、内親王というわたくしの立場ではなく、わたくし自身を見て下さったのは、浮雲さまと、おねえさましかいなかった」
追憶の烏/藤波

この2人は人を選ぶ基準やら、思い込みが激しいところ、なおかつそれを誰かから利用されたり、最悪な形で精算させられるところが似ており毎回苦々しい気持ちで見ているのだが、それはさておき、藤波の言う”真心”ってかなり真理だと思う。

あせびや浮雲って側からみると近づいちゃアカンやべ〜〜〜奴なんだけど、ふたりは藤波にとっては唯一と言っていいくらいに”数少ない楽しい思い出を共有した相手”でもある。そりゃあ真心を感じてもそうだよな〜でしかない。

藤波自身がそう思っているのだから、外野がなんと言おうが、世間一般であの2人がどう見えようが、関係ないのである。これってけっこう大事な視点だけど、「みんなから見たらそうだけど、私はこう思う」というのは誰にでも持ち得るものではないし、藤波ってそういう視点がある子なんだなということに気付かされる。

まあこれはお姉様しか勝たん!それを信じたり実現のために寄与できるのは自分しかいない!という、現実でもよく目にするオタク思考回路的文脈なので、わりとこの辺の藤波の気持ちにライドできる方は多いのではないか。

また、追憶だけでなく、今回も藤波があせびを責めたり罵る描写は今回も出てこなかったので(出る幕もなかったが)、ふたりが藤波にとって大切なひとであったというのは間違いないだろうなという感じがする。あくまで私が勝手に”感じがする”だけだが。

藤波は自分が思う”真心がある人”にこれまであまり会えなかった。

だから、『かりんみず』を見ていて、追憶滝本視点では詳しく語られなかった”若者が藤波のもとへ通っていた期間”、その短い間にはたして章次は藤波にとって真心のある人間になったのか?というのを気にしながら読んでいた。だが、やはりここでも最終的に関係性の破綻が起きて終わるので、新しい真心のある人が現れることはなかった。

つまり、やはり藤波にとっては、”真心のあるお方”と思えたのは浮雲とあせびだけなのである。

藤波を身分や、それから”可哀想扱い”せずに見てくれる人間は、読者を含めてもかなり少ない。事実、藤波、と検索欄に入力してポストを検索するとかなりの確率で可哀想、気の毒といった内容のそれが出てくる。描かれているシーンがシーンなだけに、どこまで行っても藤波はかわいそう、という見方をされ、対等に見てもらえることがなく、滝本が言ったように”ひとりぼっち”だ。

ひとりぼっちって周りに人がいないってことだけではなく、同じ気持ちを共有してくれる人がいないということにも言える。滝本は藤波とは会話が成立しない、と追憶で言ってたけど、見ている対象が一緒でも抱いている気持ちや捉え方が違うなら会話が成立しなくて当然だし、また、自分にとって真心のあると思っている相手を否定されたら不愉快になって当然だ。

ただ、あれは不愉快さや攻撃性が全面に出ていただけで、個人的には核の部分は寂しさの形をしたそれだったのだろうなと思う。

今あせびたちを藤波がどう思っているかは分からないけど、それでもあの時点の藤波にとって真心を感じさせてくれて、大切な存在としていてくれたのはあせびと浮雲だった事実は心に留めておきたい。


《白珠の謝罪と彼女の犯した罪について》

今回、章次が白珠のところへ話を聞きに行く場面があるわけだが、それにより、『烏に単は似合わない』で藤波の無知が露わになった場面がきっかけで白珠もおなじように自分の罪(無知)に気づいた側面が再認識できるつくりになっていた。

白珠から章次への謝罪って、「同じ場所にいた一員としてごめんなさい」じゃなくて、

“知らなかった、という己の罪にあそこで気づいた自分も同罪であり、ただ自分の罪(無知)は紙一重でひとを殺さずに済んだだけ、ということも含めての謝罪”なんだよね。

「着物を着たままで、鳥形にはなれないのです。なったとしても着物が絡んで、うまく飛べるはずがありません」

と単で藤波に教えたのは白珠だし、ここの内容を引き継ぐ形でかりんみずの白珠が

「信じられないほど無知で、世間知らずな者が、あそこには存在していたのです」
「あたくしも一歩間違えれば、あの子と同じだった」と話している。

章次が”まるで己の罪を告白するかのような調子で”と思ったのも無理はない。本当に、自分の罪の告白シーンなわけなので。

藤波メインの話ではあるのだけど、あの場で罪を意識させられたのは藤波だけではなかったと、この番外編で再度強調してくるのは流石だなと感じた。


《ラストで鬼火灯籠が壊れたことが意味すること》

これはあくまで想像になるのだが、鬼火灯籠がひっくり返ったときにカシャンと何かが壊れる音がした、というのは、おそらく赤い金魚なのではないか。

そしてそれが意味することはなんなのかを考えるために、『おにびさく』で登喜司が金魚に込めた意味を確認すると、

「澄んだ水中を自由に進んでいく彼らの姿は、さぞや美しかろうと思ったのだ。自由で、明るくて、見ているだけで元気になれるような 美しいものを作りたかった」とある。

自由で明るく、元気で美しい。

これが壊れたなら……それが意味するところは、なんと残酷なんだろうか。

もし今回の短編で追憶の後の時間軸にも触れたシーンがあれば、個人的にはまた誰かに道具にされる藤波、というのがこの先出てくる確率が高いだろうなと疑心暗鬼になってしまっていたと思うので、ある意味今回の話が”単と追憶の間の話”であったことに安心している。さすがに藤波の悲劇はもう終わりでしょ?いやこれ以上残酷なことがあってたまるか、って感じだからな

初読で「なんでこの時の話なの?」と思ったって最初の方で書いたけど、考えてみれば2回も(謀らずとも)人を殺してしまってその後どうなるかなんて、さすがに作者ですら言及できるわけがないよなと読んで思い直した。

でも総合的に、読むのにかなり精神的体力を必要とする話だった、ということに間違いはない。




ちょっと話はズレるが、八咫烏シリーズって基本的に”繰り返す”話なので、藤波が2度目の殺人を犯してしまったように、雪哉がこれから先もまた自分の思い込みの蓄積で大ショックを受けることがあるのかと思うと次巻が出る前だが非常にナーバスな気持ちになってしまう

雪哉のこと、本当に大好きなので傷つく回数は一回でも少ないほうがいいんだけど、阿部先生いわく「アイツは変わんない男ですよ」だそうなので未来はそんなに明るくないだろうし、え、次巻以降わたしは傷つくことを分かっていて読まなきゃいけないの????でしかないが、どうしようもなく好きなので結局雪哉が頑張るなら彼と山内のファンとして生き様を見届けるしかないなと再度腹を括る機会にもなった

ありがとうかりんみず
できれば藤波に、1秒でも多く安らげる時間が降り注ぎますようにと願って今回の感想を終えます。