lifelongyouth
2022-02-20 21:56:31
4830文字
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奈月彦は途中から雪哉の神さまになっちゃったんだよね。

奈月彦と雪哉の関係を既刊をふりかえりながら見ていく回。長文かつ独断偏見のかたまりなので閲覧注意です。

Audibleで『黄金の烏』が配信開始されたらしいので、黄金〜から始まった雪哉と奈月彦の関係の変化についてでもメモに残しておこうかなと思う。

奈月彦と雪哉の関係って、『黄金の烏』以前/以降で別のものになっていて、というか変更追加がおきていて、雪哉は不知火の断崖で忠誠を誓ったあの時からずっと、奈月彦をある種神様扱いしている。

まず、そもそも雪哉の神様観がどうなっているかな?というのを確認するのに、『弥栄の烏』の描写を思い出したい。
はじめて山神を目にした時の雪哉の印象はこうだ。

「化け物」
「山神と自称する者」

完全に敵意剥き出しである。(笑)

ではなぜ雪哉が「オメー神様じゃねーだろ」と思ったのかといえば、自分の想像と山神の姿があまりにかけ離れていたからだ。

山神の驚異的な力を目の前にしても、それを理由にすんなり「彼は山神様なんだ!従おう!信じよう!」とは思わない。たとえ山神が人智を超えた能力を有していたとしても、それが雪哉にとっては神たり得る証拠に結びついていないのだ。圧倒的な力でねじ伏せられても必ずしもそれが信仰につながらないのである。

雪哉はひとを信じる行為にかなり時間をかけるタイプじゃん?奈月彦を主として認めて心の底から仕えたいと思うのにだってかなり時間がかかったわけで。

主〜で出会い、黄金〜のラストでやっと、真の金烏という神の力に首を垂れた。

そういう描写から、雪哉がちゃんと信じる神様・信じない神様を自分で選んでいるのがわかる。


《真の金烏になるまえの奈月彦と雪哉》

真の金烏をなにかの称号だと思っていた頃の雪哉は、奈月彦に対して同じ八咫烏の立場から接していた。

初音に刺された奈月彦を見た時はたいそう心配していたし、存在をろくに信じてもいなかった山神に感謝すら捧げた。

あの時、身分云々はおいといて、雪哉の中で奈月彦はにんげんだったからね。
じゃあ、真の金烏の真相を知った後はどうだろう。


《神殺しをさせんとする雪哉》

『弥栄の烏』で山神の癇癪により仲間を失い傷つけられた雪哉は、絶体絶命のピンチの最中で瀕死の奈月彦に対し、

「刀を握れますか」
「刀を抜ける(神を殺せる)のはあなたしかいない」

と口にする。
『黄金の烏』で死にかけた奈月彦には神に感謝を捧げたというのに、ここでは相討ち覚悟で山神に挑めと言っている。不知火の見える断崖のシーン以降、奈月彦は雪哉にとっては対等な八咫烏じゃなくて神様なので。

地獄までお供しますと言った雪哉は、なにも奈月彦だけ危険な場所に行かせようとしているのではない。自らも決死の覚悟でついていこうとしている。

だがこれは美しき主従でも何でもない。神である奈月彦が山内のために行う神殺しを正当化するのと同時に、自分の山神への罰当たりな行いを正当化しようとしているにすぎない。(※ここの場面に限っては、という話です。雪哉が奈月彦を守ろうと思ってるのはほんとう)


《奈月彦に神であり続けろと言う雪哉》

息絶えたオオキミを前に、永遠に名を取り戻せなくなり、かつ猿に対して深い自責の念にかられている奈月彦に対しての雪哉の言葉は以下だ。

「私がその秘密ごとあなたを守って差し上げます。だからその口は永遠につぐんでおくことだ」
「あなたは神の残骸でもあったかもしれないが、それでも我々の長であることに変わりはない」

奈月彦が自分の行いに対して懺悔する姿を見ても、雪哉はどこ吹く風だ。あろうことか奈月彦の気持ちなんかどうでもいいからおまえは神であり続けろと要求している。

この場で雪哉の残酷なまでの奈月彦に対する神様扱いに異議を唱えるものは誰もいない。

そういう扱いを受けた奈月彦も奈月彦で、真の金烏の自我のはたらきによりそうすることが当然であり、そういう役回りなのだからしかたないと思っている。

この神様扱いの場面のあとに奈月彦個人をなによりも尊重する浜木綿との対話シーンがあるのも関係の対比になっているよね。


《ふつうの人として扱ってもらえない真の金烏》

少し前に『さわべりのきじん』を読んだ時の感想ツイートで、おなじ八咫烏の中に山烏、馬など人外扱いされる人たちがいるという話をちらっとした。

これを書いていて気づいたが、実はもっとも人外扱いされているのは真の金烏なのかもしれない。

だってほら、奈月彦の葬儀のシーンを思い出してほしい。

浜木綿は”夫”の身体を傷つけることに反対したけど、結果的には臣下に解体されて3つの棺に分けられた。

その場面を見ていた雪哉のリアクションはこうだ。

「仕方ない処置ではあるが、もし彼がただの八咫烏であったなら、こんな葬儀は絶対にしなかっただろうに」
「まさかあの人も、臣下によってバラバラにされるとは思っていなかっただろうな」

奈月彦のことは大切に思っているんだろうけれど、ここでもやっぱりあくまで神様扱いなのがわかる。

浜木綿以外は、”真の金烏”だから解体されても仕方ないと思っているのだ。誰も奈月彦をひとりの八咫烏として扱っていない。

ここで死んだのがもし”八咫烏”だったなら、雪哉が言ってるように、バラバラにはされないのである。

死んだ後も奈月彦はみんなと同じ八咫烏にはなれないし、ひととして扱ってもらえない。遺体を解体され、死後も山内を守る存在として供養される。

永遠に八咫烏たちを護らされ、心の安寧などやってこない。と考えると、浜木綿の「おつかれさん」は奈月彦につかの間の休息を与えてくれただろうか。


《自我はどうやって生まれるか》

好きな八咫烏シリーズの巻は?ときかれたら、『烏は主を選ばない』『追憶の烏』の2冊がパッと思い浮かぶ。

私は奈月彦と雪哉が好きだ。
もっといえば、奈月彦と雪哉という2人の烏の関係性がどうしようもなく好きなのだ。

だから雪哉が奈月彦にただの烏として接している主と、雪哉の神様信仰がとけて奈月彦がひとりの烏に戻った追憶をよりいっそう魅力的に感じるのだと思う。

『黄金の烏』以降、奈月彦からみた雪哉は変わらないのに、雪哉から見た奈月彦はまったく違うものになってしまっている。

奈月彦は本当のことを話さなければず〜っと雪哉の中でただの烏でいられたのに、そうしなかった。

話せば真の金烏になってしまうし、いままでのような関係ではいられないことは分かっていたはずだ。

それでも、雪哉には自分の意思で己の一厘になってほしかったから、自分から神になりにいったのだ。

生まれた時から真の金烏だったとしても、ただの烏になれないわけじゃない。

浜木綿のように他人への印象が上書き保存ではなく、並行保存できるタイプのにんげんがそばにいたなら、奈月彦は真の金烏でありながらただの烏でもいられる。

また、『黄金の烏』で真相を明かすまでは雪哉にとっても奈月彦はただの烏だったのだ。

正体を隠して地方を回っている時だって、ただの烏として行くわけじゃん?

澄尾と雪哉からしてみれば無断で出ていかれてはた迷惑な話だが、真の金烏として治世を把握/修繕する目的以上に真の金烏として見られることから解放されている時間は彼にとっていい気分転換になったんじゃなかろうか(その気持ちを汲んで、浜木綿はときどき奈月彦の替え玉になってたのかもしれないね)。

たとえ他の八咫烏にはない能力をもった真の金烏だったとしても、それを真の金烏たらしめているのは特別な力でもすがたでもない。他者からの認識だ。だれかにみとめられなければ、存在できない。
だから神は名前を取り戻して自覚しようとするし、忘れたら戻れないのかもしれない。モノや人間だけじゃなくて、神もそこは同じなのだ。

奈月彦は真の金烏の側面に打ち負かされるシーンがとにかく多い。

兄の長束でさえ、路近の「弟が真の金烏か、守りたいのはどちらだ?」と聞かれた時、「弟だ」と即答してくれない(※長束は思慮深くて誠実なのでやすやすと無責任な答えを出さないというのもある)。

奈月彦を奈月彦たらしめているのは「奈月彦だ」という他者からの承認だし、本人が自分の気持ちを知覚できない以上、それを存在証明できるのは周りの烏だけだ。

でも、あるか分からないものを信じ続けるってめちゃくちゃ大変なんだよね。

『黄金の烏』で真の金烏の真相を聞いた雪哉は動揺した。真の金烏という概念に自分の常識をくつがえされてしまったからだ。

自分がこれまで見てきたものは何だったんだろう?
真相を聞いた後、頭痛を催し胃の中から何かが込み上げてくる感覚をもてあます雪哉。

そんな彼に、浜木綿は「本人が感知できないだけであいつとしての自我はある」と言った。

彼女はあの時から、いやその前から一貫して奈月彦としての自我を肯定し続けている。

雪哉に奈月彦としての個人を植え付けてくれたのは浜木綿だった。

だからこそ、『追憶の烏』で他でもない浜木綿に「おまえはただの一度だって奈月彦を見なかった」と言われてショックだったんだよね。


《瓦解》

「おまえは”奈月彦”を殺されてもなんとも思わないのか」

最初はただの烏として奈月彦を見ていた雪哉に対して、悲しみと懇願を込めた浜木綿の言葉だ。

酷い虚しさと徒労感に襲われた雪哉だが、その問いにこめられた意味を汲みとることはできない。

浜木綿をどうにか穏便に説得しようと頑張る雪哉と、負けじと悲しみのさなかで訴える浜木綿、両者の懇願は永遠に交わらない。

遺言を聞いて、その内容を見てもなぜ選んでもらえなかったのか、わからない。

何度見ても、選ばれたのは自分じゃない。
どうして、どうして。

ここまで来ても、自分が見落としている決定的な何かに気づけない雪哉を憐れに思った浜木綿が教えてやるのだ。

「お前はただの一度だって奈月彦を選ばなかった」と。

その一言で雪哉の神様信仰がとけた。
何もかもが取り返しのつかなくなったあとで、『黄金の烏』以降久しぶりに奈月彦は雪哉にとって神様ではなく、ひとりの烏になった。

のちの青嗣との会話でしれっと登場する「奈月彦を殺されたこと自体はどうでもいい」という名前呼びも、作者的にはなんの意図もないのかもしれんが、ここをからも、それ以前とは違い雪哉が奈月彦個人を知覚しているというのがうかがえる。

もう、雪哉が永遠の忠誠を誓った相手も、”真の金烏奈月彦”もどこにもいない。

雪哉が唯一信じた神様は、愛しい主人とともに永遠に失われてしまったのである。



とまあここまで雪哉と奈月彦の関係をまとめてみたが、これは何も創作物の中だけで起こる話ではない。

雪哉を気の毒に思うなんてそんな高みの見物を決め込む余裕などない。わたしにだって、ここまで決定的にではないにしろ同じようなことが起こる可能性はある。

この前、友人と「一番最初にしゃべった時どんな感じだったっけ?」という話になった。おたがいに初対面の印象を覚えていないのである。

なぜこんなに仲良くなったんだっけ?
なんでこんなに好きになったんだっけ?

分からない。
でも、人間関係ってそういうもんか。

そんなふうに流しがちだけど、これは印象の上書き保存がされているということだ。脳みそが忘れちゃいけないことリストに入れたもの以外、つなぎ止める努力をしなければいつかは失われてしまう。

今は大丈夫でも、いつか永遠に続くと信じてやまない存在とだって、決定的な何かが起こってしまうかもしれない。大切に並行保存していたと思っていたものが上書きされてなくなってしまう。

それは決して他人事ではないのだろう。

八咫烏シリーズは読めば読むだけ、現実世界にも通じるものがある話なんだよね。