西尾六朗
2025-02-09 23:38:48
2166文字
Public Beyond The 10 Stars
 

それは未来の味に似て

ライター記念巌ぐだ♀、ぐだちゃがライターのお手入れしてるさまとそれを眺めるモンクリのなんてことない雑談。

 マスターの手がライターをひっくり返して、ドライバーで金色のねじをくるくる回す。
 中身のユニットを取り出して、まずはカバーを丁寧に拭く。オイル汚れはもちろん、戦闘中さえ絶えず携帯しているせいで細かな傷が入っている、その溝や刻印のふちまで丁寧に。
 それが終わったらユニットや着火部分。芯の部分が焦げていたら、オイルを吸い込む綿部分を全部出して新しいものに。
 そうやって綺麗に綺麗に仕上がっていくさまを、隣で巌窟王が眺めていた。
「お客さん、ちょっと待ってね~。もうすぐ火お出しできますからね~」
 マスターがふざけて言うと、形の良い眉がぴん、と跳ねた。
「どういった店の茶番か、判断に迷うな」
「共犯者屋さん。キミの煙草の火をつけるお仕事」
「なるほど、多忙だ」
「でしょ。……あ、火打石だいぶ削れてる。こりゃいけない」
 斜めに削れた石をピンセットで取り外し、カートリッジから新しいものを。
 てきぱきとこなすマスターの手指に迷いはない。当然だ、もう長いこと手入れを繰り返している。初めこそどのように扱えばいいのかさっぱり分からなかったが、巌窟王――エドモン・ダンテスの頃の彼に教えてもらい、今では迷いなく扱うことが出来る。
 その様子を感心した風に見つめる巌窟王の唇には、火のついていない細巻の葉巻。
 赤い瞳がじっと、しかし確かなあたたかさを灯しているのを見て、マスターは嬉しくなる。
「思い出すね。そうやって、火のない葉巻をくわえてた」
 ぴく、と、巌窟王の肩が跳ねた。葉巻を指に戻し、先端でとん、と机を叩く。
――【オレ】か」
「そうだよ。廃棄孔の赤いひと。火のない葉巻を銜えたひと」
 そして、ずっとわたしを助けてくれていたひと。
 そう付け加えると、視線は外れた。何を思っているのだろう。後悔がないのは分かるけれど、かといって明るい雰囲気でもない。
(当たり前だ。思うことは多すぎる)
 言葉にしづらい気持ちもある。何もかも詳らかにしあう仲であっても、言うべきじゃないと判断することもあるのだ。
 マスターとて、たまにだけれど、過去を思い出して唇を噛むこともある。自分がそうなのだから彼にもきっとあるだろう。それを根掘り葉掘り聞こうとは思わない。
 ――個人の想いに浸された過去を、完全に共有することはできない。
 一心同体、唯一無二であっても、彼の想いは彼だけのもの。マスターの想いもマスターだけのものだ。
 でも、だけれど。
(これからを共有することは、できるわけだから)
 例えば、一緒に往きたいこと。
 一緒に――生きたいことも。
 だから、ここで選ぶのは、同じようにしっとりした気分に黙すことではなかった。
「ほい、お待たせ!」
 故意に明るい声と共に、マスターはライターを差し出した。
 指の腹で擦るホイール。ふわっと広がる油の匂い。オイルを吸い上げた芯に灯る小さな赤い炎。
 消えないように手で覆って、マスターは差し出す。
 巌窟王は少しだけ、その火をもの言いたげに見つめた後。
――ああ」
 そう、短く答えて、葉巻を銜えなおした。
 形の良い唇で挟み、すう、と吸い込む。先端に火が移り、焦げた音。一瞬濃く赤く灼けて、まず細い煙がたなびく。オイルの匂いと独特な葉巻の香りが混ざり、マイルームに広がっていく。ああ、キミの匂いだ、とマスターは口角を持ち上げた。髪の、外套の、胸元の、キスの匂いだ。
……ふ」
 と、吐息が低く漏れるのが聞こえる。
 この音が好きだ。たっぷり香りを楽しんでから吐き出す、ひと息めの音が好きだ。
 そうして彼は、最初の味を楽しんだ後、必ずマスターに視線を寄せて眼を細める。指先で蓋をキン、と閉じさせて、
「美味い」
 そう述べてくれるのが、何とも嬉しいのだった。
「でしょ」
「いい腕だ、共犯者」
「元祖変わらぬお味でやらせていただいてます~!」
 なんて言って、笑い合えば、沈みかけた空気も和らいだ。巌窟王もいよいよくつろいだ姿勢になり、煙の輪っかをぽ、と吐き出す。
「火を維持できず、火傷をしかけ、扱いあぐねていたとは思えんな」
「いやいや、いつのこと言ってんの」
「おまえが髪を括っていた頃だな。少女、であった時分の」
 言って、ふう――
 白煙の向こうで、巌窟王は薄く、うすく、笑む。
「いい女になったものだ」
……キミの火守を任されてるからね。そりゃあ成長もするってもんよ」
 誉め言葉のくすぐったさに、マスターは照れ隠しの口尖らせだ。
 喉笑いが返され、あとは再び、沈黙が戻ってくる。静かに煙を楽しみたいらしい彼の、割とおしゃべりな巌窟王のだんまりに、マスターは付き合った。
 頬杖をついて、うっとり、その横顔を堪能する。
 そうして、帯のような煙を流す赤い火種を見つめて思うのだ。
 傷だらけのライターを、手の中で温かく握りしめて。長い時間をかけて、上手につけられるようになった火を見つめて。
 強く強く、確信する。
(わたしの点けた火は、もう消えない)
 だから、キミも。
 という言葉は、言わなくても伝わっているのだろう。
 巌窟王は、短くなった葉巻を惜しむようにひと吸いし、苦笑いで瞑目した。

「実に甘い。全く――寿命の延びる滋味深さだ」