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桐子
2025-02-09 23:21:37
2548文字
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美しい傷12(父水♀️)
「水木さん、アイス溶けちゃいますよ」
「あ、ああ」
確かに、青色の涼し気なアイスバーは、溶けて今にも滴り落ちそうだ。慌てて、舌を出してぺろっとアイスを舐め取る。さわやかなソーダの味が広がった。
「最近、元気がないですね」
鬼太郎はとっくに食べ終わったアイスの棒を、ねこの前で振ってみせた。遊んでくれていると思ったのか、ねこは棒にじゃれついてくる。
「もしかして、父さんがいないから?」
「え」
水木が絶句していると、鬼太郎はいたずらっぽく笑った。
「なんだか最近、二人は仲がいいみたいだから」
「いや、そんなわけないだろう
……
暑いから、元気がないだけだ」
「そうですか?」
いったいどこまで知っているのだろう。何を言っても墓穴になる気がして、水木はあいまいに微笑んだまま、アイスをかじった。
確かにぼんやりしている自覚はある。次に男に会うときは、とうとう彼とセックスをすることになるのだ。今はどういうわけか優しくしてくれているが、いつまたあの冷たい目に戻るかわからない。水木はそれが恐ろしかった。またひどい言葉をぶつけられ、乱暴にされるのかと思うと、身体が竦むのだ。その一方で、男の愛撫を思い出して疼く体があることも確かで、水木の心は複雑だった。
「にゃお」
ねこが、元気を出しなさいよ、とでもいうように水木にじゃれついて鳴いた。ねこにまで心配されているのか、と苦笑した水木は、その背中を優しく撫でようとした。
その時だ。ねこはぴくりと顔を上げ、じっと虚空を見つめた。緊張でぴんと立った尻尾の毛が、逆立っている。
「どうしたんだ?」
鬼太郎が不思議そうに言うのと、ほとんど同時にしゃらしゃらと鈴の音がした。今までに一度も聞いたことのないような、ささやかな、しかしはっきりとした音だ。
鬼太郎が立ち上がった。
「水木さん、
……
侵入者です」
「なっ!?」
「これは有事の時にだけ鳴る緊急の音です。これが聞こえたら、すぐに屋敷から出るか身を隠すかしなさいと、父さんに言われてます」
水木は青ざめた。組屋敷への襲撃など、一昔前ならともかく、このご時世ではありえない。警察の目も光っている。
「水木!」
廊下から声がしたかと思うと、砂かけ婆が血相を変えて部屋へ駆け込んできた。
「鬼太郎、ここにおったか」
砂かけ婆は安堵した表情で扉を閉め、ひそめた声で話始めた。
「今、若い衆が対応しておるが、どうも裏鬼道会の奴らが押し入ったらしい。狙いはおそらくお前じゃろう」
「
……
僕?」
鬼太郎はきょとんとした。砂かけ婆は険しい顔で頷いた。
「ここ数日、見かけぬ者がこの近辺をうろついとったようじゃ。侵入の下見だったらしいのう」
「父さんは?」
「まだ戻られん。とにかく、鬼太郎と水木は屋敷から出るんじゃ。ここはワシが食い止める」
こんな老婆を戦わせて、自分だけ逃げられるはずがない。水木はそう言いかけたが、砂かけ婆がエプロンのポケットから銃を取り出した姿を見て度肝をぬかれた。
「よいか、今から屋敷の裏庭にある井戸へ向かうんじゃ。そこは外に通じておるからの」
「おばばは?」
「案ずるな。ワシもすぐに後を追う」
砂かけ婆は鬼太郎の手を引いて立たせた。水木も慌ててねこを抱えて立ち上がる。
「早く!」
砂かけ婆に急き立てられ、水木たちは部屋を飛び出した。遠くで怒声や、なにかを殴るような鈍い音がした。もう屋敷の中へ侵入しているのだろう。
「ワシは裏が安全かどうか見てくる。鬼太郎たちは、仏壇の部屋で待っておれ」
「わかりました」
砂かけ婆は両手で銃をかまえると、廊下を駆けて行った。鬼太郎は砂かけ婆が向かったのとは逆の方向へ走った。
「こっちです」
襖を開けると、中はがらんとした和室だった。小さな文机と鏡台、そして立派な仏壇があるだけだ。仏壇の奥からは、優しげな観音様の絵が、水木たちを見つめている。
「砂かけ婆も、すぐに来ますよね」
鬼太郎の言葉に水木は頷いた。しかし、なぜか胸騒ぎがして落ち着かなかった。
裏鬼道会ーーーー龍賀組とも関わりのある、武闘派の一派だ。だが、昔ならいざ知らず、今は腕力よりも金を稼げる仕事(シノギ)が重視されている。裏鬼道会はその手の仕事は苦手なようで、落ち目の一方だと、噂に聞いていたが。
「水木さん」
鬼太郎は不安そうに水木を見上げた。無理もないだろう。命を狙われているかもしれないのだ。
「大丈夫だ」
水木は鬼太郎の肩を抱いて、もう一度大丈夫、と言った。たとえ気休めだとしても、不安がっている子どもを安心させるのは大人の役目だ。
『いたか?』
『こっちにはいねえ』
すぐ近くから知らない男の声が聞こえてきて、水木はぎょっとした。鬼太郎も緊張した顔で、水木に身を寄せてくる。まさか、別のルートから侵入してきた者もいるのか。それなら、裏庭に向かったところで砂かけ婆と合流できないかもしれない。
このまま二人でここに隠れてやり過ごすか、あるいはーーーー水木は鬼太郎を見下ろした。この子を突き出せば、水木の命は助かるかもしれない。水木は所詮、お飾りの妻で部外者だ。夫である親分にはひどい目にあわされてきた。だから、この子を犠牲にしたところで誰にも責められない。人間は自分が一番可愛いのだから。
「鬼太郎」
水木は、まず抱いていたねこを仏壇の中に置いた。そして鬼太郎を抱き上げ、仏壇の奥へと押しやった。
「水木さん?」
鬼太郎は驚いた顔でこちらを見た。
「ここに隠れていなさい。お母さんが、きっと守ってくれる」
「あなたは」
ふっと水木は笑った。自分が死んだところで悲しんでくれるのは沙代くらいだろう。おじいさまも親分も、厄介者がいなくなったと清々するか、さほど気にもとめないかもしれない。だが、鬼太郎は違う。彼にはまだ父親がいる。
「お前が死んだら、お父さんもお母さんも、みんな悲しむ」
だから、生きてほしい。水木がそう言うと、鬼太郎は目に涙をためて頷いた。いい子だ、と水木は微笑んで頭を撫でた。
父と母が守ってくれたこの命は、今このときのためにあったのだ。
きっとこの子を守り抜いたら、天国で両親は「よくやった」と褒めてくれるだろう。
水木は仏壇の観音扉を静かに閉めた。
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