5.5と6章の間くらいの話
※以下ぷらいべったーに載せたものを少し手直してpixivに載せております
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シンクレアがバスに乗り、ダンテが囚人達に合流してすぐの頃だったか、ヴェルギリウスがバス内で吸殻を捨てることを禁じた。それに対して良秀は我関せずといった風に構わず煙草をやたらと吸いたがった。
彼女が煙草の煙を吐き出さない時は、大抵食事の時くらいだ。幻想体の観察記録にさえ煙草の灰が挟まっている時がある。
こんな傍若無人な態度が許されていいのかと、シンクレアは内心驚くのだ。だが、そこに軽蔑はなかった。
自分でも初めは不思議だった。K社でも進学校に通い、同級生に不良はいなかった。粗暴な人間に対して、自分は軽蔑を感じるだろうと無意識に予期していたのだが、実際はそうではなかった。
だからシンクレアはこの事を考える時、自分自身を意外に思いつつ、一方で自己の内面を吟味する気分になる。バスに乗り、暴力に塗れた生活を送る中で自分も感化されているのだろうか、と。
その日、リンバスカンパニーの面々は20区の薄暗い裏路地に降り立ち、黒雲会との戦闘を行った。人々の肌でさえ雨雲のような灰色に染まった世界で、余所から来た自分達の身体は色彩を持っていた。瑞々しいその彩度は、当然体液にも該当する。
血の色は赤かった。日本刀の刃が自分の肌を切り裂けば、真っ赤な血が吹き出す。灰色の世界に落とされた赤すぎる血は、何か特別な力を持っているかのように存在感を放っていた。
「悪くないな」
背後から良秀の声がした。彼女は相変わらず太刀を所持しているにも関わらず戦闘中には使用せず、別の刀を持っていた。その腕からは赤い血が滴っており、握りしめる指の間に血溜まりを作っていた。良秀がその刀を勢いよく振り下ろすと、彼女の手から血液がびしゃりと地面に打ち付けられた。
刃が白銀に煌めき、黒々とした地面に緩やかな弧を描いて赤い血飛沫が飛び散る。その一連の動作は画家が大きなキャンバスに絵を描く動作のような大胆さがあった。黒の上に塗り重ねられた赤は、シンクレアの目を引いた。世界の色合いがシンクレアにとっての平常時とは異なるため、普段よりも変わって見えたのかもしれない。
まだ敵は残っており交戦中ではあったが、シンクレアは少しの間、その真っ赤な血を眺めた。
「気に入ったか?」
「
……え?いや、僕はただ
……」
否定の言葉が出るよりも先に良秀はシンクレアの元を離れ、残党に刀を振り下ろしに向かった。残されたシンクレアは、自分が何と言うはずだったかを見失い、その後ろ姿を見送った。
それからシンクレアと良秀が再び言葉を交わしたのは、裏路地での戦闘が終わり、アフターチームに戦後処理を任せ、ワザリング・ハイツに向けて移動をし始めた夜だった。
目的地までの距離を稼ぐため、カロンはもう少しだけバスを走らせると言い、業務終了後もバスは走行し続けていた。
シンクレアは武器の手入れを済ませ、自分の部屋に向かうため廊下を歩いていた。
囚人達の部屋の前を通り、自分の部屋の前まで着くと、廊下の奥に良秀がいるのが見えた。普段なら挨拶でもして部屋に引っ込むのだが、その日は気まぐれに、シンクレアは良秀の方へと近づいていった。
「こんばんは、良秀さん」
「ん」
良秀は気怠げに廊下に背中をもたれさせ、片手で肘を抱き、支えられた方の手に煙草を持っていた。そんな風に煙草を吸っていた良秀は、紫煙を吐き出しながらシンクレアの方へと視線を寄越した。
シンクレアはその目を見つめ返す。そして思わず声が出た。
「あれ?良秀さん、色が
……」
「あ?」
それからシンクレアは自分の手のひらを見る。コートの袖に赤い模様があるのだが、その赤さはすっかり燻んでしまっていたし、自分の肌の色も今朝の戦闘時よりげっそりと薄白くなってしまっていた。
「ぼ、僕達
……色褪せてます
……!」
「ぷっ」
「わ、笑い事じゃないですよ!」
「色・装・近」
慌てるシンクレアに対し、良秀は短く回答を言葉にすると、再び煙草を口にやってじっくりと吸った。
シンクレアは短縮された言葉を紐解き、それがT社の巣
……色を奪う装置へと近付いていることを表したのだと解釈した。
「た、確かに
……僕達が最初に降り立ったのは、裏路地でしたもんね」
「イ・自・見。初めてじゃないだろ、この色も」
「
……さっきまで気付かなかったから、驚いたんです」
イサンの自我心道でも体験したはずだと良秀は冷静に指摘してくるので、シンクレアは照れ臭そうに苦笑することしかできなかった。
「それに、イサンさんの時は演劇をしたり戦ったり色々大変で
……、色がどうとか感じている暇はありませんでしたし
……」
「同・感」
「
……少なくとも良秀さんは演劇をまともにやってなかったですよね?」
「台本のせいだろ。それに、あの小芝居以外はやっていた」
はたして台本が悪かったのか、それとも良秀が台詞を飛ばしていたのかはシンクレアには分からなかった。覚えているのは、彼女が九人会の名称へ余計な一言を呟こうとしていたのを止めた事くらいだった。
「良秀さんは
……。いつも自由に行動してますよね」
本当に、と何気なく付け加えてから、シンクレアは自分の言葉の残滓だけが廊下に響いたので、急に居心地が悪くなってしまった。
対する良秀は、何かを考え込むように黙ったままシンクレアを眺めている。怒られるだろうかとその様子を伺いながら、赤さが失われた良秀の瞳を眺めた。
彼女の瞳はかつて熟れた果実のような赤さを持っていたというのに、今や燻んで凡庸な色合いになってしまっていた。
「
……。お前
……、赤い色が好きか?」
「え?」
自分の心を見透かしたように言われて、シンクレアは上擦った声を出した。それから、どういう意味かと尋ねた。
「
……何でですか?」
「聞いてるのはこっちだ。赤が好きか?」
「あっ、
……ええと
……、嫌いではない
……というか、色に好き嫌いはないです」
「ふうん」
煙草の煙が再びゆっくりと吹き出される。良秀は体を解すように背筋を伸ばし、廊下の壁に頭を預けながらシンクレアを見下ろした。
「同・類」
「
……同類?何がですか?」
煙草を挟んでいる人差し指と中指がシンクレアに向けられた。良秀の意図は分かったが、理解はできなかった。正しくは、シンクレアには受け入れ難い話に思われたのだ。
「
……僕が?」
貴方と?と、言葉にして付け加えることはできなかったが、シンクレアの瞳は雄弁に語っていた。その金色の瞳は、良秀の話を確認したり誤魔化すよりも先に、聴者が話を理解し動揺していると伝えていた。
「一体、何の話ですか」
「お前も俺と同じことを考えていることがあるだろ。今朝もそうだった」
「
……今朝?黒雲会との戦闘のことですか?」
「そうだ。お前は血に目を奪われただろ」
「ちっ
……違います!あれはただ
……色がいつもと違って見えたから、ただ見ていただけです」
「そうだ。俺はあの時の血は美しいと思った。お前も同じじゃないのか?」
今度こそシンクレアは否定しようと口を開いたが、何と言うべきか選び損ねていた。
良秀は、シンクレアの心の底に湧き上がった感情を嗅ぎ取ったのだ。芸術的な血飛沫、暴力の恍惚。それらに意識を引かれ、同調する空気が彼から吐かれたのを見逃しはしなかった。
それに対して、シンクレアは指摘に狼狽えた。彼の脳裏に咄嗟に浮かんだ言葉は、「違います」「そんなのじゃないです」「貴方とは違う」並べた言葉に共通しているのは、その言葉は自分の有利に働くように創作したものだということだった。
「
……同じじゃだめです」
しばらく黙った後にようやく出た言葉は本音だった。
「それだと
……僕は困るんです」
良秀は黙っていた。シンクレアは続けた。
「僕は非道いことは
……苦手です。暴力や殺人だって、本当はしたくない」
俯いた先にあるのは自分の靴先と廊下に敷かれた絨毯だけだ。いつもよりも彩度の低い色合いの光景は、自分の目がおかしくなったかのような気持ち悪さを覚える。そのせいか、言葉を綴りながら体には余計な力が入っていた気がした。
「でも
……そんな僕にも暴力的な部分があるのだとしたら、
……いや、
……あるんです。それは、愚かな部分なんです」
口の中が乾く。心臓の鼓動が速くなるのを感じる。何かに追い立てられるように、早口に言い捨てる。顔を上げると、良秀は身動き一つせず、黙ってこちらを見下ろしていた。
「人を傷付ける行動だけじゃない。何かに打ち勝ちたいとか、何かが嫌いだとか、そういった気持ちもだめなんです。大きくなればなるほど、僕に愚かな行動をさせます」
「
……」
「良秀さんはいいのかもしれません。でも、僕や、僕の知っている人は、暴力に助長すればすれほど破滅していきました」
シンクレアは良秀が黙ったままなのをいいことに続けた。
「だから、僕は暴力的なことを肯定する訳にはいかないんです」
「冗長的だな」
良秀は鬱陶しそうに眉を顰めてから、そうして笑みを浮かべた。
「自我心道で見た
……お前の過去の出来事を愚かだとか暴力的だと言うのなら、それはまあ
……いい。だが、お前にとってそれらと俺が同じ扱いだと言うのなら気に食わないな」
良秀は何食わぬ顔で煙草の灰をバスの廊下に軽く叩き落とした。
「お前が掲げる信念は何でもいいが。お前は根本的に見誤っている」
「何ですか?」
「お前のそれは客観視じゃなくごまかしだ」
「僕は同じ失敗をしないように心がけているだけです」
「誤・道・踏・戻。誤った道を行けば戻れなくなる」
「
……僕の選択が間違っているなんて、どうして分かるんですか?」
シンクレアはむきになって反射的に尋ねた。問いかけてから、今のは語気が強かっただろうかと不安を抱いたが顔には出さぬように努めた。そうして辛抱して良秀の言葉を待つと、彼女はほんの少し黙ったのちに口を開いた。
「ありのままのお前は怒っているからだ」
良秀が案外穏やかに返事をしたので、思わず先を尋ねるように彼女の瞳を探ってしまった。良秀は続ける。
「U社の漁港で、イシュに怒っただろう」
良秀が指した出来事はシンクレアにもすぐ思い当たった。U社に派遣されていたビフォアチームの行く末が分からず、手掛かりとなる海賊をイシュメールが殺した。そしてその事をきっかけにシンクレアは怒ったのだ。だが、相手はイシュメールではなく無力な自分自身に対してだった。
「イシュメールさんにではなくて、何も出来ない自分自身に腹を立てたんです」
「まあ、それはそれでいい」
良秀はあっさりとシンクレアからの訂正に頷いて続けた。
「誰に対して怒ったかはどうでもいい。お前が嫌がったのは協力者が死ぬことだ。それに対し反発し、怒った」
シンクレアは何と言うべきかを迷い、良秀を見つめていた。否定したい気持ちもあったが、人が時として怒ることなんて誰でもありうることだ。それがどうしたと平然としていれば可笑しなことはない。それなのに、自分でも不思議なほどに注意深く良秀の言葉を待った。まるで彼女の言葉に訂正しなければいけないことがあるかのように。
「あの時、怒ったお前は愚かだったのか?」
身構えたシンクレアの予想に反し、良秀は静かに尋ねた。ふぅ、と煙草の煙が廊下に吐き出される。今もT社を走り続けるバスがゴトゴトと揺れる音が響いた。
「
……分かりません。」
「僕が怒ったことでイシュメールさんとトラブルになれば、別の問題が発生します。それは無駄なことじゃないですか」
シンクレアは説明しながら、昔よく同じ心地になったと懐かしんだ。教師に回答を披露している時と同じような気分なのだ。正解を導き紐解くための論理的説明に過ぎず、そこにシンクレアの意思はなかった。
だからこそ、初めに「分からない」と言ったのだ。
分からないはずはない、愚かに決まっている。いつだって臆病さで人目を避ける癖に、触れてはいけない扉にだけは軽々しく触れてしまうのが自分の人生だった。そんな自分の暴力的な部分を、愚かだと言い切れないのは、自尊心によるものだろう。
「
……でも」
「あの時怒らなかったら、僕はそんな自分を許せないです。エピさん達をあんな風な目に合わせたのに、目の前で同じことが起きているのを流すなんて出来ません」
良秀は言葉の終わりを待つと、頷いて笑みを浮かべた。
「それでいいんじゃないか」
「え?」
「お前の激情は悪くない。俺・好」
「こ、好み
……?」
相変わらず会話を短縮する傾向にある良秀は、淡々と述べてから壁から背を離し、シンクレアの方へと一歩近寄った。
「お前はそのままでいい。筋がいいからな、俺と同じで」
良秀はシンクレアの鼻先まで顔を寄せて微笑んだ。色褪せた赤い瞳を直視してから、思わず目を逸らす。頬が熱くなって居心地の悪さに言葉を詰まらせた。
その間にも良秀は離れていって、そのまま廊下を歩いて自分の部屋の方へと去っていってしまった。
残されたシンクレアは、視線は良秀の姿を見送りながら、一方で頭の中は渦巻く思考でいっぱいだった。
怒りは自分の悪点だとばかり思っており、それを前提に話していたのに、良秀には褒められてしまった。彼女の言わんとしていることは分かるが、それと自分の危惧する状況は別問題じゃないだろうか。後々になって内心で冷静に反論し始める自分の口下手さに嫌気がささないこともないが、どちらかと言えば悪い気分ではなかった。
ワザリング・ハイツに到着した面々は怒り狂うような大嵐に出迎えられた。
ヒースクリフの呼びかけに応えて開いた門から中庭へ進むと、紫色の花が咲き誇っていた。色褪せた世界の中で色を持つ花はいやでも目を引いた。
「この花は
……色がありますね?」
「この家の人物は花をいと愛せり。じきに枯れぬる花にも色を入るとは
……」
イサンの言葉に頷き返す。ワザリング・ハイツ到着前に、「好きな色で測る性格診断がある」とロージャが囚人達に好きな色を聞いていたのを思い出した。この館の主人にとってはこの花の色こそが大切な色なのだろう。
好きな色なんてないとシンクレアが良秀に咄嗟に答えたのは本音だった。子供の頃は好きな色があったが、今は特別好きな色を持ってはいなかった。だから不思議だった。色を取り戻すために大金が必要になるT社で、花の色に金を払った館の主人はどんな人物なのだろうか。それほどまでに色を大切にするに至ったのは、どんな来歴があったのだろうか。
もし、この先自分が色を失うようなことがあったら、焦がれて取り戻すのは何色なのか。
シンクレアはふと、赤い血のような瞳を思い出していた。