ひさね
2025-02-09 16:16:35
6474文字
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遠回しの祝福を

産着を貰う話。
シオンの母視点。登場人物はシオンの父母と共通の友人。

「引っ越してたんなら言いなさいよー! フィロサ!」
 つんざく小言と共に玄関が開けられた。名前を呼ぶ断音が偉く喧しい。
 お仕着せられたガウンの袖を弄るのにも飽きて、ルーチン通り居間のソファで、ノアの肩に寄りかかって、本を覗き込みながら読んでやっていた矢先だった。
 ちら、と顔を上げれば、ノアも同じ様に見下していたので、翡翠色の目がぱちりと合う。渋柿でも掴まされたみたいに双眸の間に作った皺を隠さないので、久方振りに太陽光が差し込んだ方へ顎で示してやる。
「招かれざる客のお出ましだな。丁重に帰りの案内してやれよ」
「ええ……。一応元は僕の上司、の更に上司だからやりにくくて嫌だ」
「じゃあルミナには一人で帰って貰うか。胎教に良いか分からんし」
「帰らない! から! あとこの私が胎教に悪い訳ないから教会関係者だしあとフェアリーだぞフェアリー」
 開いた本に栞を挟めば、玄関を開けた主はぜえはあ言いながら、それでもよく回る舌を存分に奮ってソファの真前までやってくる。こほん、と咳払いをして仁王立ちで見下ろす――と言っても子供と遜色ない身長なので、威圧感は微塵もないが、彼女の金色の髪の合間から覗く耳は長く尖っている。言葉通り精霊ではあるが、彼女の言う所のフェアリーはもっとファンタジックなので。
「この世の全ての子供の祝福は私の管轄なんだし、祝福させて貰えるまで帰らないから」
 いとも容易くこの世の全てを豪語する。事実、教会で祝福する役目を勝ち取って着実に活動範囲を押し広げているんだから抜け目ない。夢と現のどちらも見ている所が自分は嫌いではなかった。
 閑静な日常を乱されたのが不満か、元は教会に所属していたノアは言い訳の割に憚らず、隣で「シンプルに迷惑」と呟く。
「大体仕事はどうしたんですか。日曜と言えど、貴方程の職位では僕みたいな……破門者の家を見に来る暇なんてないでしょう。主題は?」
「その仕事で来た。現住所を、押さえに! 引っ越した後なんにも、ほんとになんにも言わないから、ずっと虱潰しで探して! 今やっと見つけた所!」
……そもそも何で僕達の居所を知りたいんですか」
 淡々とした問いに、ルミナは信じられないものでも見る様に、目頭が千切れるんじゃないかと眺めているこっちが思うぐらいに思いきり目を見開いた。かと思うと、次には仕事のあれそれを思い出したのか、きっと睨んで、ぷくりと子供みたいに頬を膨らせる。目まぐるしく変わる表情は面白い。
「戸籍とかさ、社会福祉とか行政とかそういうの、あるでしょ! ノア達にも裏で用意しとくに越した事はないし万が一があっても上手くやれるようにこっそり色々と、ね! こっそり色々するのにも必要なんだよ実態だけは」
「はあ」
「生返事で終わらせていい話じゃない! 吸血鬼生活長すぎて社会性薄くなってない?」
「まあ、人間辞めて長いので。それに貴方が社会性を語っても、ねえ。教会の上部に実態が変わらない奴が居る事を誤魔化すための偽名も覚えていないのに。……今の名前は覚えているんですか」
 ルミナは鷹揚に頷いた。じいっと見つめて、時計の長針がかちり、と動いても、肝心の口は開く気配がない。詰まる所、そういう事なのだろう。
 ノアは自分の生活ペースを乱されたお返しは済んだのか、完全に逸れてしまった彼女の顔を見据えて続ける。
「それで祝福がどうとか言ってましたけど、フォスさん?」
 記憶の狭間に落ちていた偽名をピタリと当てられて、ルミナはこちらを向くなりぱちりと瞬いた。「そうだった」と気を取り直す様に呟く。
「いや、なに。その…………家族が増えるらしいとは噂で聞いていて。あのフィロサから胎教って言葉が出てきて、現実なんだなって痛感していて」
「そんな感じ入る事か?」
「だって一人称すら重たがる女が……まさか親になるとは思わず……社会性が重たいとも言ってたし……
「あ〜、言ったな。そんな事も」
 何時の事だったか。前の、前ぐらいの住処で、時季は曖昧だが、丁度三人でそんな話をしたのは覚えている。妙に言葉を選ぶ間があるのも、大体このせいらしい。確かに産まれてからついて回る社会性も一人称の存在も重たくて煩わしいのは、今も変わりはないから撤回する気はないが。
……それでもそうするって決めたのなら、一番に祝福する権利を貰いたくて」
 ルミナの薄い金色の瞳が黒髪の女――もとい自分を真っ直ぐに捉える。打算も邪心もなく。そうやって見つめてくれるひとの価値は分かっている。隣の肩を借りている人を除いては、久しいものだった。他者と交わらない生活が長いせいもあるのだろうが。
「祝福の予約か。まだ出てきてないのに気が早いな」
 からからと笑えば、彼女はしげしげと腹を凝視して早口で呟いた。
「だって友達の子供見るのは初めてだから。大分はしゃいではいるかも。精霊って何か突然発生する感じで胎生じゃないから尚更」
「あ、そういう理由で」
「まさか友達ゼロ人だと思ってた?」
「はい」
「はい!?」
 ルミナはノアのあっけらかんとした一言を、居間に十分響く大声で反復した後、一つ咳をした。これは彼女が話を仕切り直す為の癖だった。
「ともかく! 友達の子供は! 一番最初に祝福させてくれなきゃ嫌だから!」
「我侭なひとだな」
「出生届とか諸々の仕事も兼ねてるけど!」
「仕事があれば我侭でなくなるって訳ではないんですけど」
 でも、とノアは続ける。
「ありがとうございます。僕等の事を知っている人はもう貴方ぐらいしかいないから。友人として見て、祝福してもらえるなら嬉しい」
 言い淀まずに流れる様に話す表情には、眉間の皺も何もなく穏やかに微笑んでいた。ルミナは突然素直に感謝を述べられた事に驚いて、しきりに頷きながら黙ってしまったけれど。
 ノアのこういう所は、神父だっただけある、と思う。素直に祝福し、素直に祝福される人だった。だから本当に天職だったのだろう。それも今や台無しなのだが。誰がそうしたかはちゃんと分かっている。
 腹に手を乗せる。臍帯でつながった子供の事をずっと、考えていた。何を好きになるのか、何をするのか、どうやって成長するのか。
 お仕着せられた生をどう思うのか。本人の意志の届かない所で決まったそれをどう感じるのか。
 どれだけ考えても子供の考えは伝わってはこなかった。物理的につながっているのに、伝わってこない。別の個体だから、と当然の事を反芻している。
 全部、こちらが、大人が決める事だった。何時の間にか、自分が決める側になっていた。
「重たいな。どうにも、少し」
 目が二対、集まるのも気にせず続ける。
「自分達が勝手に決めて、勝手に産んで。まして終わりのない一生を押し付けるそれを祝うと言うのは、中々」
 かつて自分が踏んだ轍を見ている。
 誰かの勝手で生を受けて、生を受けた筈なのに終着点の死は訪れない。誕生を祝福された上で、無限に続く穴に落とされる。
 それが重たくて、本を開いて、諦めて、衣食住も名前も何もかも捨て置いて行き着いた先が、その誰かと同じだ。自嘲も少しはしたくなるものだった。
「罪悪感から言っているなら誤解しないで欲しいんだけど」
「罪悪じゃなくて実感の問題だ。でもお前の言う事も分かっているつもりだよ、散々聞かされたから。共同責任だから責任取ってくれ……取れる範囲で!」
 分かってないと言いたげに眉を寄せるノアに、はは、と笑いかける。最低でも半分は担いたいのだろうが、そもそもずっと終わらないそれに彼を引き摺り込んだのは自分だ。何処まで背負い込むべきかの判断は正しいつもりだった。
 腹に乗せた掌で腹をなでる。中に居る。自分の血を分けた自分ではない存在が、確かに存在しているのを実感している。
 その子を今度は、この私が、無限の穴の中に落とすのだ。この私の手で。
 ただでさえ重たすぎる現象に、重ねるには余りにも。
「祝福でも何でも、重たい。子供が自ら望んで産まれる訳じゃないから」
 結局、轍を踏むのは私だ。経験を子供に重ねているのも私だ。全部私の勝手だったから未だに迷っている。
 誕生を本人が望んだ訳でもないのに、祝われるようなものか。祝いなど、産んで良いと第三者のお墨付きを自分が貰うためだけの方便ではないか。本当は、惨い事実を押し付けていると呪われるべきではないか。
 ずっと考えてきた。今も考えている。産まれると同時に付随するものの事を。性質と宿命の事を。
「産まれて欲しいのは、私達が勝手に望んでいるだけだから。エゴイズムの結果でしかなくて、それで色々施されても、子供には知ったこっちゃない」
 ぽこ、と内側から腹を蹴られた。不意だったから、少し驚く。気ままで、何を考えているか分からなくて、タイミングなんか知るはずもなくて。
 くすり、と笑みが溢れた。可愛い奴だった。
 お前には全部、知ったこっちゃないよな。内心で呟く。重たさも煩わしさも、功罪も。これから知って、これから解釈して、これから決めていくのだから。
 だから、思う所がある。
「祝福された事も望まれた事も、そういうものが煩わしくなるのは良いとして――自分も通った道だしな。ただ、そもそも、勝手に望んだ側が祝っても押し付ける様な気がして、ああ、そう。地獄への道は善意で舗装されていると言うみたいに、呪いになるような気がして、でもやらないと意味がない。そういう感じで重たくて、良く分からん」
 警句の様に正反対で厄介な事を言っている自覚はある。何時からこんな理屈っぽくなったのだろう、と一人苦笑する。理屈じゃどうにもならない分野なのに。
 自分のそんな面倒臭い性質を分かっているルミナは、「そういう事ね」と呟いて、きらりと目に光を灯した。
「つまり幸せになってほしいけど、どう表明すれば良いか分からないって事でしょ。距離が近すぎて、逆に」
…………概ねそう。多分?」
「疑問形になると困るんだけど」
 手が掛かると言いたげに彼女は長い息を吐いて、それでも緩く笑った。
「だったら尚更私に祝福させてよね。自分で望んで受けた命じゃないからこそ、何にもないんじゃ寂しいでしょ」
「だから、より重たく感じるんだが」
「当事者の親からが重たいって言うなら、私みたいな丁度両親共通の友達で、決断自体に関わってない位には他人だったら丁度良いと思わない? 友達が幸せそうだし、子供が好きだから祝っているだけ」
 言い訳を丁寧に紡ぎ上げた唇は緩ませて、薄い金色の瞳は細められる。眩しい奴だった。隣からくつり、と喉奥で笑ったのが聞こえた。ふと、こうやって教会関係者を口説き落としてきたんだろうな、と理解した。
「それも一理あるな。勝手にやってるのを、こっちは見てるだけ。うん、悪くない。きっと」
 自分もちゃんと絆されている。小さく頷けば、ルミナは満足気に目を伏せた。かと思えば、口を尖らせてぶつくさ言葉を転がし出す。
「本当に。引越し先教えて貰えない位には他人だし」
「根に持ってんな〜。連絡する習慣なくて忘れてただけだって」
……ここまで言われといて、子供が産まれた事すら教えて貰えなさそうで不安なんだけど」
「はは、産まれてそうなタイミングで来てくれ」
「清々しく他人任せにしたなこの女」
 なはは、と笑い飛ばせば、ルミナは大きくため息を吐いた。訝しげに自分の目を見つめて、極めて根本的な事を聞いてきた。
「名前は考えてるよね、流石に」
「まあ、流石に決めましたよ」
「重たいな〜って思いつつ決めたぞ」
「あ、二人で考えてる。良かった〜。…………産着とかはあるの?」
 もじもじと手を擦り合わせながら質問を続けるルミナに、意図を察して、正直に答えて良いものかと咳払いをしたノアを見上げる。モノクルの奥の瞳がぎょっと小さくなって、うんと黙る。時計の針が動いてから、渋々呟いた。
……ないですけど」
「まあ、公の場に出る機会がないしな〜。おくるみとか普段着は調達したけど。袖のあるやつ。この時代、あんまり治安良くないし篭り倒す予定だな」
「袖の有無まで教えてくれてありがとう。成る程。ふーん。成る程。……所で私って教会の結構偉いひとではあるから、私がいる場所ってギリギリ公って事にならない?」
「職権乱用では?」
「言い方を変えよう。自分の子供が産着着てる所、見たくない?」
 ぴたりと言葉が止まる。何時もならきゃんきゃん譲らない所を、思い切り黙って遠い目をしている。
「お〜、図星みたいだな」
「伝統的な行事は大事にする方って聞いてたから。こんな黙るとは思っていなかったけれど」
「へえ」
……こういうのって私が贈ると怒る?」
「別途欲しくなって調達する可能性があっても良いなら無問題だな」
 図星を突かれたのが余程ショックだったのか、未だに放心状態のノアをひっそり指差せば、ルミナはくすりと微笑んだ。
「それは当然問題にならないわ。好きなの買いなさい。……良かった本当に」
 ルミナはぽそぽそ呟きながら指先をくるりと回す。途端、淡い色合いの、この薄暗い部屋では十分に眩しい灯が何処からともなく集まって弾けた。灯が消えればレースのリボンがかけられた白い箱がふわりと現れて、それをルミナは器用にキャッチする。
 そうしてこちらに差し出されたギフトを受けとって、早速蝶のリボンを引いて解く。蓋をぱかりと開ければ、真っ白なレースがふんだんに使われたセレモニードレスが丁寧に畳まれている。
 肩の辺りをつまみ上げて、天井に掲げて見れば、その小ささ――そしてその割に長い丈に何故か笑いが込み上げてきた。
……かなり少女趣味じゃないですか? 性別分からない割に」
「あ、戻ってきた。大丈夫、幼い男児にこういうの着せるまじないは廃れてないから」
「まだあるんですかそれ」
「元々古い風習だし、中々廃れないものよ。何か嫌な思い出でも?」
「嫌というか。丁度その頃の僕は、まあ大分……その時泣かせた人の顔が思い出されて、微妙な気持ちにはなります」
「ちょっ……と面白そうな話ね、詳しく聞いても良い? それ聞くまで帰らないから」
 ルミナはすっかりその気になった様で、ふんすと鼻を鳴らしながら自分の隣にどっかり座った。ノアはノアで大きな釣り針を出してしまった自覚はあるのか、溜め息だけ吐いて茶を出してくる、と席を立った。
 産着の贈り主と渡されたそれを眺めていれば、「フィロサは着ていた事あるの?」と尋ねてくる。
「流石に物心も付いてないから覚えて」
 ない、と言い切りそうになった瞬間。実家の書斎の黴臭さが鼻を掠めていった。そんな気がした。
 本棚の奥にひっそりと佇んでいたアルバム。その中にあった。白くて、丈の長いレースを纏っていた子供の写真。
「いや、あった。……重たくて嫌だった」
「社会性が嫌いすぎるわね〜」
 呆れているのか可笑しいのかルミナはへらへら笑って、それ以上は何も聞かなかった。ソファの腕掛けにべったりと上半身を持たれかけさせて随分リラックスするつもりらしい。
 広げた服を畳んで箱に戻す。パチリと指を鳴らしてクローゼットに飛ばす。次にルミナが来る時には着せてやらない事もない、かもしれない。貰い物だから、と言い訳ができる以上。
 お仕着せのレースを、親の手間と祝福を、重たさと解釈した自分だから、躊躇いがない訳ではない。
 が、それでも結局は腹の中の本人次第だ。本人次第でも生きていけるのは良く知っている。
 祝福も何もかも、実際身に掛かってから、好きに考えれば良い。
 お仕着せの愛が邪魔になれば勝手に脱いでいくのだろう。それだけの事だ。服も名前も祝いも呪いも全部投げ捨てて行けば良い、と願っている。
 これも相応に重たいか。振り返って密かに一人苦笑した、昼下がりの事。