ミズクラゲ
2024-12-25 21:54:02
10091文字
Public ウデ
 

良い子の秘密

【支部再録済】
クリスマスのウデです。四人で暮らし始めて最初のクリスマスのお話。まだデキていないウデです。
「ウデして」お題から「ホールケーキを食べて」もお借りしています。

 サンタが街にやってくる。
 楽しげな歌を垂れ流す携帯ラジオを傍らに、ぴかぴか光る宝石箱みたいな都市を遥か眼下に。高架に腰掛けて足をぶらつかせていたデッドプールは、マスク越しに白い息を吐き出した。
 時はクリスマス。朝から教会に集った善き人たちが、暖かな家に帰って、パチパチと音を立てる暖炉の前で御馳走を囲む時間だ。リビングに聳え立つクリスマス・ツリーの下にはラッピングされた箱が積み重なっていて、曇った窓ガラスを拭けば外には雪が散らつく。嗚呼、なんて完璧なホーリー・ナイト。
『なんつう顔してやがる』
 胸の前に抱えていたスマートフォンからそんな声をかけられて、ウェイドはふわふわと飛びかけていた意識を現実に戻した。テレビ電話の向こう側にはラフなシャツの上にモコモコのカーディガンを羽織ったローガンが映っている。
「どんな顔に見えた?」
 ウェイドは片目を眇めて言った。あっちは暖色の明かりに包まれた居室、こっちは月も見えない曇天の下。画質がどんなによくたって、そもそもトナカイの鼻より真っ赤なマスク越しの表情なんて見えるはずもないのに。
『ガキみてぇに拗ねた顔だな』
 ローガンは眉間に緩く皺を寄せたまま、目尻を柔く下げて笑った。ウェイドがいっとう好きな表情だ。胸がぎゅうと締め付けられて、マスクの下でじわりと涙が滲むのが分かった。
『ちゃんと待っててやるから、そう拗ねるな』
「拗ねてねェよ。待ってないでいいし。帰り、何時になるか分からないって言ったろ」
 思いのほか尖った声が出て、これでは拗ねていると自白したようなものだ。ローガンは気を悪くした様子もなく微笑んでいる。気まずい。ウェイドは大声で叫びだしたくなった。キレ散らかして通話をガチャ切りしてくれた方がよっぽどマシだ。
……なぁ、ローガン」
 吐き出した白い息を見送ってぽつりと呟く。耳聡い彼はちゃんと聞き取って、『なんだ?』と返事を寄越してくれた。
「俺ちゃん、サンタに会ったことないんだよね。昔からイイ子じゃなかったからさ。アンタはある?」
 沈んでも明るくもない、平坦な口調で問われたローガンは少し黙った。沈黙が落ちると電話の向こうがガヤガヤと賑わっているのが分かる。ウェイド不在のクリスマス・パーティーは盛況のようだった。
『身長が7フィートはある』
 ウェイドはきょとんとして画面を見つめた。
『体重は300ポンド。太っているように見えるが服の下は筋骨隆々で、実際の体格はスモウ・レスラーに近い』
「ま、待って。何の話?」
『サンタ・クロースだろ』
「俺が知ってる奴と違う」
『会ったこと無いんじゃないのか』
「そうだけど……
 今度はウェイドが黙る番だった。ローガンは淀みなく言葉を続ける。
『良い子を見ると気さくに声をかけるが、油断すると背負っている大きな袋に詰め込まれる。クリスマス・ランドの労働者にする為だ。奴が配るプレゼントはそうした子供たちの血と涙で出来た産物で……
「待って。本当に何の話をしてんの?」
『サンタ・クロースだろ』
「それってアンタの世界のサンタ・クロース?マジで言ってる?」
『冗談だ』
 チクショウ!とウェイドは叫んだ。電話の向こうでローガンが爆笑している。珍しい。もしかして久しぶりに酔っているのだろうか。
 と。数百メートル離れたビルの屋上で、チカ、チカ、と光が瞬いた。合図だ。
「おっと。悪い子を迎えに行かなくちゃ」
『そうか。気を付けろよ』
「誰に言ってんの?」
 BGMにしていた携帯ラジオの電源を切って腰のポーチにしまう。鉄骨の上に立ち上がったデッドプールは携帯の画面にキスをした。
「心配しないで、ピーナッツ。悪い子たちの首をラッピングしてプレゼントしてあげるから」
『それがこの世界のサンタ・クロースか?』
「どうだろ。会ったこと無いからな」
 肩を竦めて「おやすみハニー」と通話を切ると、シン、と冷え切った空気が身を包んだ。軽く屈伸して寒さで硬直した筋肉を解し、高速で向かい来る車との距離を精確に測って。
 宙空へ、迷いなく踏み出した体が垂直に落下する。
 さあ、クリスマス・パーティーの始まりだ。



「わぁ、メリたん。待っててくれたの?良い子でちゅねぇ」
 限りなく裏声に近い小声が玄関から微かに聞こえてきて、ローガンは目を覚ました。明かりの消されたリビングの中、ソファに横たえた体の上にはいつの間にか毛布がかかっていて、仄かにローラの残り香がある。
「あらローたん。起こしちゃった?ねえ、さっき聞き忘れたけどちゃんとサンタさんになれた?俺ちゃんからの特別ミッション、まさか忘れてないよね?」
「当然だろ」
 抱き上げた犬に素顔の口元を舐め回されながら電気も付けずにリビングへ入ってきたウェイドは、ソファから上体を起こしたローガンと暫し見つめ合った。ええと、と困惑を声にしたウェイドが気が済んだらしいメリー・パピンズを床に下ろすとチャカチャカと軽快な足音がアルとローラが眠る寝室に消えていく。
 廊下から射し込む質の悪い蛍光灯の明かりだけが光源の室内でも、ローガンの瞳は同居人の一挙手一投足を確かめるように光っていた。歩き方にも装備を解く様子にも目立った異常は見受けられない。五体満足、再生に手間取るような怪我もしていないことを認めたローガンが視線を緩めた頃、身軽になって漸くひと心地ついた様子のウェイドはソファに歩み寄ると、グローブを外した手でおずおずとローガンの頬を撫でた。
「ただいま、ローガン。ね、……アンタも俺のこと待っててくれたの?」
「ああ。お帰り、ウェイド」
 触れた手の温かさに目を細めると、ローガンはウェイドの後ろ首に手をかけた。引き寄せられるがままに顔を寄せ、贈られたチークキスに目を丸くして「どうしちゃったの、ローガン」と溢してから、ウェイドははたと気がついたように両手を叩く。仕草に反して控えめな音量は、既に就寝している同居人に気を遣ってのことだろう。
「クリスマスの予定を潰してまで悪者退治してきた、良い子な俺ちゃんへのクリスマス・プレゼントは“甘々ダーリンみたいなローガン”ってこと?だとしたらスゲェ嬉しいかも。あ、でも別に普段のアンタに不満があるわけじゃないから、そこんとこだけヨロシクね」
「半分正解ってとこだな」
「正解ではあるんだ……?」
 冗談で言ったのに、とウェイドは呟いて、それから続く言葉を無くしたので薄暗いままの部屋に沈黙が落ちた。はしゃいで喋り続けるか、照れて黙り込むかの二択だと思っていたローガンはフンと得意気に鼻を鳴らすと、「いいから風呂に行ってこい。血なまぐさいぞお前」とウェイドをリビングから追い出した。

 シャワーを浴びてたっぷりの血糊と硝煙の臭いを落とし、最近気に入っているもこもこしたパジャマに身を包んだウェイドが煌々と明かりのついたリビングに戻るのを、ローガンはワインボトルを片手に待っていた。
 もうずいぶん前に鼻歌交じりのウェイドが部屋中に飾り付けた電飾がチカチカと瞬いて、部屋の片隅に聳えるクリスマス・ツリーも持ち主に似て煩いくらいに賑やかだ。ローガンはそれを見て躍るような心を生憎と持ち合わせていなかったが、今日のような日にはきっと必要なものなのだろうと理解していた。
 バスルームに繋がる扉の開く音で散漫になっていた意識を戻す。ローガンはふわふわの室内靴で一歩ずつ、夢の中のような足取りで近づいてくるウェイドをちらりと見てボトルに口をつけた。
「お風呂掃除ありがとう、ピーナッツ。パジャマとあのふわふわしたタオル出しといてくれたのもアンタ?それともローラかな?ねえ、それに……どうしたの、これ」
「お前専用のクリスマス・ディナーだ」
 ソファの前に置かれたローテーブルには、どれも小ぶりな皿ながら溢れんばかりの御馳走が並んでいた。グレイビーソースがたっぷりかかったターキーに骨付きハム、マッシュポテト、芽キャベツのロースト、ミンスパイ、色とりどりのジンジャークッキー。ウェイドが半ば崩れるようにローガンの隣に腰を下ろすと、目の前に置かれたグラスに赤ワインが注がれた。
「あのタオルはローラからお前へのプレゼントだ。パジャマを出したのは俺だがな。……メリー・クリスマス、ウェイド」
「ぁ、うん、……もう、過ぎてるけどね」
 どこか遠慮がちに笑ったウェイドの目尻には光るものが滲んでいた。ローガンはそれには触れず、わざと「知ったことか」と吐き捨てるように言うと隣に手を延ばして荒っぽい手付きでその頭を撫でた。
「ローラがやっぱりお前にも食べさせたいと言って取り分けたんだ。盛り付けにも随分と拘ってた。お前が教えたんだろ?」
「確かに教えたけど、元はと言えばあの子が手伝うって言ってくれたからだし……それに、アンタがこれを一つずつ運んでここにセッティングしたのだって、俺にとっては相当驚きだけど」
「喜んでもらえたなら、クソ面倒なことをした甲斐もあるってもんだ」
 クソ面倒だったがな、とローガンが二度言うのでウェイドは静かに笑った。

 ローガンとローラを家に迎えてからというもの、ウェイドは二人に“生活”を教えることに執心していた。
 どうやらいずれは親子が独立して暮らすであろうことを見越して、TVAが身分証明の関係を何とかするまでの間に、教えられる限りのことを教えておこうという魂胆らしい。ローガンも今回ばかりは「俺には必要ない」等とは口が裂けても言えなかったので、それなりに真摯に向き合ってきたつもりではあったのだが、ローラはより真剣に、そして「楽しい」と目を輝かせてウェイドとの時間を過ごしていた。生徒が良ければ指導にも熱が入るものだ。思い出しさえすれば最低限の家事くらいはこなせることもあり、最近のローガンは専ら二人の“授業風景”を眺めることが増えていた。

 さて。そんな回想をしている間にも、ウェイドは黙ったままぼんやりとテーブルを見つめている。疲れているだろうし、放っておいてやってもいいのだが、せっかく温めた料理が冷めていくのも勿体ない。ローガンは強引な口調にならないよう気をつけながら隣を見遣った。
「食べないのか」
「でも、食べたらなくなっちゃうだろ」
 そんな理由か。
 ローガンはまたボトルから酒を呷ると「来年も食えばいい」と言った。うん、とどこか感慨深そうに頷いたウェイドはまだ食事に手をつけようとしないので、ローガンはウェイドの前にセッティングされていたフォークに手を伸ばした。
「食わせてやろうか」
「そ、れは……味が分からなくなっちゃうから嫌だ……
「はは、我儘な奴だ。さっさと食っちまえ。デザートもあるんだから」
 口元に押し付けられたハムを大人しく咥えたウェイドが咀嚼しながらフォークを受け取って「デザート?」と首を傾げる。
 肉体労働をして、超回復能力も稼働して、腹が減っていないわけでは決して無いのだろう。食べ始めてしまえばその手は止まらなくて、見事な食べっぷりをツマミにローガンはワインボトルを傾けた。時折中身を減らしたグラスにワインを注いでやると、礼の代わりにフォークに刺した肉類が差し出される。「それはお前の分だろ」と言えば「いいじゃん、ちょっと付き合ってよ」とはにかまれ、ローガンはそれ以上の断る理由を持ち合わせていなかった。

……クリスマスって、いいもんだね」
 暫くして、殆どの皿を空にしたウェイドがぽつりと呟くので、ローガンは片眉を上げた。万感の思いが込められた言葉の続きを待つと、ほとんど変わらない高さにある琥珀色の瞳が穏やかな笑みを湛えてローガンを見つめた。
「正直、信じられないよ。こんな気持ちでクリスマスを過ごせるなんて。ましてや隣にアンタがいるなんてさ……、これ以上何か貰ったら罰が当たりそうな気がする」
「欲が無い奴だな」
 ローガンは空になった皿を持てるだけ持つと、待ってろ、と一言置いてキッチンへ向かった。皿を水に浸して、冷蔵庫を開けると目的のものは目の前で圧倒的な存在感を放っている。ちょうど両手の平に乗るくらいの白い箱を持ってリビングに戻ると、ローガンはクッションを抱き締めて大人しくしていたウェイドに差し出して「開けてみろ」と言った。
……ケーキ?」
 クッションを脇に降ろして丁寧に梱包を解き、膝の上に現れたそれを見てウェイドは首を傾げた。真っ白なクリームの上を赤いイチゴが彩るホールケーキは、シンプルながら繊細な美しさを併せ持っている。ローガンはケーキに見惚れているウェイドの顔を見つめながら、出来るだけ座面を揺らさないように気をつけてソファに腰掛けた。
「日本ではクリスマスといえばこれなんだと。ユキオ達からの手土産で、これは丸々お前の分だ」
「さっき言ってたデザートってこれ?丸々俺のだって?……俺、もしかしたら夢を見てるかも。ちょっとアンタのナイフ貸してよローガン」
「俺にお前を傷つけさせようって?そんな酷いことを言ってくれるなよ」
 ウェイドは「今日のアンタ、めちゃくちゃタチが悪いよな」とどこか悔しそうな顔で言う。ローガンは実に愉しそうに笑った。饒舌な傭兵を口先でやり込めるのは何とも気分がいいものだ。
「なぁローガン。一つ、やりたい事言ってもいい?」
「何だ?」
「このケーキ、手掴みで食べてみたい。出来ればアンタと一緒に」
「へえ?」
 ウェイドの提案にローガンは片眉を上げた。
 クリスマス当日に仕事が入ったとき、ウェイドは思ったほど騒がなかった。ホリデーシーズンに入った時からいつものスーツの上にサンタ帽を被って、すっかり浮かれているように見えていたのにも関わらず。
 「まぁそんなもんだよね」などと笑って肩を竦めたその淡白さはいっそ不気味なほどだったから、たとえ不可解な内容であったとしても、今日の彼のおねだりを聞かない理由はローガンには無かった。
「お前のものだ。好きにしたらいい」
 柔らかく目を細めたローガンの許しを得たウェイドは、膝の上に箱を抱えたまま、新雪に足を埋めるときのような慎重さでまっさらな生クリームに指をかけた。
 武器を扱う無骨な手が少し力を込めればふわふわのスポンジ生地は容易く崩れて、ルビーのような苺のスライスが顔を出す。
 「悪いことしてる気分になるね」と小声で囁いたウェイドが無邪気に笑うので、ローガンも表情を緩めた。もっと悪いことだってしているくせに。そうは言わずに自身もケーキに手を伸ばして、ローガンは共犯者になってやることにした。
 歪に形を変えていく正円が、半分ほどまで姿を減らしたあたりだった。今回の仕事の話、日本に行ったときの思い出話、サンタからのプレゼントを見たローラの反応。クリスマスの前日から家を留守にせざるを得なかったウェイドは、言われるがままに半信半疑で靴下を吊るした翌朝、中に入っている箱を見つけて目を輝かせていたローラの話を聞くとどこか悔しげな表情を浮かべたが、ローガンが「来年はお前がやればいい」と言うと途端に曖昧に頷いた。ローガンは今日だけはその反応を許してやることにして、胸の内で小さくため息をついた。
 忙しく動いていたウェイドの口が止まっていることに気付いたローガンが横目で様子を窺うと、少し俯いた男はじっと自身の手のひらを見つめていた。
「子供の頃、こういうケーキに憧れてた時期があってさ」
 ウェイドは手のひらに乗せた塊を見つめて、おずおずと鼻を寄せた。その様子を見つめるローガンの視線にさえ気づいていない素振りで、ぼんやりと焦点を結ばない瞳は確かに遠い日の記憶を追っているようだった。
「住んでた場所の近くに店があったんだ。前を通りかかるといつもこんな感じのいい匂いがしてて、ケースの前で買い物してる人たちはいつ見ても幸せそうで、なんて魔法みたいな食い物なんだろうって思ってた」
 静かな声に耳を傾けながら、ローガンも指先に掬い取ったクリームの匂いを嗅いでみる。改めて確かめるまでもなく、ひどく甘ったるい匂いだった。
「自分の力で金を稼げるようになってから、買ってみたんだ。手持ちの金で買える中で一番大きいやつを頼んでさ。洒落た食器なんて持ってないから、こうやって、手掴みで食べて……
 子供のように口の周りをクリームでべたべたにしたまま、ウェイドは薄く笑った。目の奥が乾ききったままの、表面だけの笑み。ローガンはそれがちっとも気に入らなかった。
……ぜんぜん美味くなかったんだ。今となっては分かんない、その店の腕があんまりよくなかったのかもしれないしさ。でもその時俺は思ったんだよ。こういうのは食べたら幸せになれるものじゃなくて、幸せな奴が食べるから美味いんだろうなって」
 ローガンの手にケーキの塊を押し込まれて、漸くウェイドの口は止まった。べったりと手のひらに残ったクリームを舐めて「甘いな」と呟き、ローガンはまたボトルを呷る。
 しばらくしてケーキを飲み込んだウェイドは「俺にもワイン頂戴」とローガンの肩口に頭を寄せた。強請られるがままにグラスを満たすと、ひと息に中身を呷ったウェイドはほんのり赤く染まった目元でローガンを見上げた。
「っていうか、ボトルから飲むの止めるって言ってなかった?」
「グラスが出払ってるんだ。今日だけ大目に見てくれ」
「あは。そういうことにしといてあげる」
 空いたグラスに血のような赤を注ぐと、お返しとばかりに唇に苺が押し付けられる。素直に口を開けたローガンの舌に指を舐られてひく、と小さく肩を跳ねさせたウェイドは、自身の反応を誤魔化すようにまたケーキに手を伸ばした。
「今更だけど、ローガンって甘いの苦手だった?」
「本当に今更だな」
「パンケーキとか普通に食べてるから平気だと思ってたけど。あのさ、もし苦手だったら」
 ウェイドが今更自身の“お願い”を撤回しようとしていることに気付いてローガンは眉間に皺を寄せた。ウェイドのようにそれを食すことで幸福感を得ることは無かったが、別に好きでも嫌いでもない、というのが正直なところだ。
「手っ取り早くカロリーを補給して、脳を動かすためには良い燃料だ」
 思ったままを口にするとウェイドは困ったように笑った。ローガンにとっては及第点の笑顔だった。
「んー、わかるよ、ヒーリング・ファクターって大食らいだもんね。でもそうじゃなくて、味の好みっていうか……そろそろアンタにもさ、食を選り好みする贅沢を覚えてほしいっていうか」
「そうか。お前はどうなんだ?」
 尋ねられるとウェイドは首を傾げた。ローガンは無造作に手を伸ばし、クリームもスポンジもイチゴも一緒くたになったそれを口の中に放り込む。舌を焼きつける甘さと、ほどよい酸味と、舌触りのいい食感と。咀嚼し、考えて、自身を見つめている瞳を見つめ返した。
「舌が溶けそうに甘いが、悪くない。お前は?」
 味の感想を聞かれているのだと気付いたウェイドが口の中のものを飲み込んで、グラスを一気に飲み干した。じわりと赤らんだ目元も、潤んだように見える瞳も、酔いのせいにするように。
「あの、ね。……バカみたいに美味いよ」
「そうか」
 ローガンは少し迷ってから「良かった」と口にした。
……ローガン、俺。こういうとき、どうしたらいいんだろう」
「さぁな。食べ終わってから考えたらどうだ?」
 頷いたウェイドは真剣にケーキと向き合うことにしたようだった。ローガンはボトルを傾けて口内に残った甘さを流し込む。アルコールが心地良く喉を焼いて、身に馴染む感覚に小さくため息をついた。

 ウェイドは確かに正しいクリスマスのやり方を知っていた。必要なものを揃え、部屋を飾り付け、プレゼントやパーティーの準備をして、しかし本来の意味でクリスマスを楽しみにしているわけでないことを、ローガンはその言動から薄々と感じ取っていた。
 けれど、その感覚にこそローガンは覚えがあった。ホリデーシーズンというものは知っている。街の浮かれた雰囲気はどちらかといえば好ましくもある。しかし、それを自分が享受するかどうかは別の話だ。一般的に想像される幸福な光景の中にいる自分を想像することができず、そうあるべきではないとすら思うような自罰。何十年と続いた暗闇の中で、確かにローガンはそうであったからだ。
 けれどウェイドは違うはずだ。ローガンは、年齢不相応に大人びたローラにサンタ・クロースからのプレゼントを届けてやろうと結託し、彼と頭を寄せあったときと同じくらい真剣に、ウェイドに対しても半ば怒りに近い慈愛を抱いていた。
 彼が「俺なんか」等と自身を卑下する度に、腸が煮えくり返る。彼の半生を否定するわけでは決して無いが、たかだか半世紀を生きたかどうかのガキのくせに、生意気にも全てを悟ったような顔をして、自身が幸せになることを諦めるな、と。全霊でもって分からせてやりたくなる。ローガンは未だ、その激情に名前をつけてはいなかった。

「ローガン?」
 ウェイドに呼びかけられ、ローガンは緩く閉じていた目を開いた。「眠いの?」と尋ねてくるウェイドの方が余程、瞼を重そうに瞬かせている。急激な血糖値の上昇には鍛え上げられた肉体も超回復能力も敵わないようだった。
「なぁ、寝るならベッド行こうぜ。ちゃんと支度してさ。手も顔もベタベタだし、歯磨かないと悪い子になっちゃう。まぁ俺らは虫歯とも無縁かもだけど」
 ローガンは暫し葛藤したがウェイドの提案に頷いた。
 昨夜はやたらと勘のいいローラを誤魔化しながら、深夜までかかって極秘ミッションを何とかこなしたのだ。こんなところで長年の経験で培ったスニークスキルを使う羽目になるとは思ってもみなかったが、得られた達成感とともに疲労感も相当なものだった。正直に言えば今すぐにでも眠りたい。もっともベッドに向かいたい理由はもう一つある。
「こんなに素直に言うこと聞くなんて、よっぽど眠いんだね」
「今寝ないとどうせお前は“寝たらクリスマスが終わっちゃう”だの“起きたらぜんぶ夢かも”だの言い出して眠れなくなるだろ」
 狭い洗面台の前で肩をぶつけ合いながら、不明瞭な声で呟いたローガンの言葉にウェイドは黙り込んだ。疲れと興奮からハイにもダウナーにもなりかねないウェイドをさっさと寝かしつけることも、ローガンの計画の内だった。

「ね、ローガン」
 二人で使うにはこのベッドは狭いが、その分温まりやすいのが利点でもある。
 いつものように背を向けあって横になり、じわじわと分けられる体温を感じながら目を閉じること数分。ウェイドが密やかな声で言った。寝返りをうって瞼を持ち上げれば、息がかかりそうなほどの距離に、琥珀のように輝く瞳があった。
「慣れないこと、沢山して疲れたよな。……頑張ってくれてすげえ嬉しいよ。ありがとう」
 どうしても伝えたくて、とウェイドははにかんだ。そうしてくるりとローガンに背中を向けて丸くなる。「おやすみ」と言った声はシーツに埋もれてくぐもっていたが、目の前に晒された首元が真っ赤に染まっていた。
……まだだ」
 ローガンは掠れた声で言うと、精一杯縮こまっているように見える体を抱き込んだ。ひく、と肩を震わせたウェイドは逃げなかった。密着した体は熱くて、ドク、ドク、と深いところから脈動が響いてくる。心地良い音だった。
「まだ足りない。……お前を、もっと幸せにしてやらないと」
……ローガン?なに、言って」
……二度と、お前が、お前を諦めないように……
 体温の上がった首筋に鼻先を埋めて息を吸い込むと、ウェイドの匂いがした。常に生と死の狭間に立っている男は、どこか腐りかけの果実にも似た、熟れきった芳香を纏っている。もがくこともせず息を呑んだまま固まっている体を抱き締めたまま、ローガンはゆっくりと口角を持ち上げた。
 クリスマス・ツリーの足元にはウェイド宛のプレゼントが山積みになっている。ダイニングテーブルの上にはクリスマス・カードが並び、明日の朝食はローラが準備するのだと張り切っていた。

 分かるかウェイド。クリスマスが終わったって、お前の幸福な日常は続いていくんだ。

 満足気なため息をついて、一足先に本格的な眠りについたローガンは知らなかった。腕の中で丸くなっていたウェイドがこっそりと体の向きを変え、ローガンの胸に顔を埋めたことも、静かになった部屋に密やかなすすり泣きが響いたことも。濡れた瞳を上げたウェイドが、ローガンの頬にそっと唇を押し付けたことも。
「メリー・クリスマス、ローガン」
 ……そして、涙の跡が残る頬に笑みを浮かべて呟いたウェイドが、実に幸せそうな顔で眠りに落ちたことも。