ミズクラゲ
2024-12-08 16:42:17
2979文字
Public ウデ
 

Be happy !

【支部再録済:例えばそんな日常だとか】
企画「ウデして」より、「アグリーセーターを着て」「☆バに行く」ウデです。名もなきモブ目線で進みますので苦手な方はご注意ください。

以下ネタばらし。
お手製のクソダサセーターを着てローガンの前に現れ、「今年のクリスマスプレゼントはこれだよ!」と両手で自分を指してポーズを決めたものの、数秒の沈黙に耐えきれなくなって猛ダッシュで逃げ出したウェイド氏。一方のローガン氏は“これ”がセーターであろうことは察しつつ、その仕草ってことはプレゼントにお前自身も含まれるのか?などと考えていたら反応が遅れ、クソ寒い中をほぼ部屋着のまま走ることになったのでした。とっくに出来ていて、プロポーズのタイミングをお互いに見計らっているウデです。

 その人は、おそらくこの店の近所に住んでいる。
 まず目を引くのはその体格だ。いつも猫背に身を屈めて歩いているが、本来の身長は相当高いのだろう。初めて彼がカウンターの前に立ったとき、極めて穏やかだった物腰にも関わらず圧倒されたのを覚えている。勿論顔には出さなかったつもりだが、どこか申し訳なさそうに苦笑していたから、今思えばこちらの戸惑いは見通されていたのかもしれなかった。
 お決まりの格好は指先まで隠れるほどの大きめのパーカーで、キャップの上からそのフードを被っているので素顔はほとんど見たことがない。支払いのときや商品を受け取るときに垣間見える指先が痛々しいケロイドのようになっているので、過剰なまでに素肌を隠しているのはきっとそういう事情があるのだろうと思う。
 彼のお目当ては様々だ。シンプルなホットコーヒーだったり、季節限定のフラペチーノだったり、トルティーヤを山盛り買っていったり、歯が溶けそうに甘いドーナツにココアを合わせていたり。客足が少ない時間帯にふらっとやってきて、テイクアウトをして去っていく。それだけの、必要最低限だったやり取りが少し変わったのは、いつかの雨の日のことだった。
 その日は朝から雨が降っていた。彼はいつものように人影の少ない店を訪れて、ホットのドリップコーヒー、グランデをひとつだけ注文した。何の変哲もない注文。しかし商品を待っている間、外を眺めている彼の背中がどこか物憂げに見えたので、そのカップに小さくメッセージを書いてみたのだ。
 “Have a nice day”、その後ろにネコのイラストをひとつ。
 カップを受け取った彼はそのまま立ち去ろうとして、それからふと足を止めた。誰にでも書けるような、ただの小さなメッセージだ。気づかれなくたって構わないと思ったソレをじっと見つめた彼は、口元を綻ばせてこちらを振り返った。
「ありがとう。……アンタもね」
 確かに見えたのは口元だけだ。それでも、その小さな微笑みと弾んだ声だけだって、彼に親近感を抱かせるには充分だった。

 それからも小さなやり取りは不定期に続いた。こちらがメッセージを書いたり書かなかったりするうちに、彼も商品を待つ間にぽつりぽつりと話をするようになった。今日はこれから仕事だとか、今日のスーパーの特売が何かとか、同居人への小さな文句とか、そんな誰だってするような他愛のない話だ。
 そのうちに、店の外を眺めていると時折彼が通ることに気がついた。一人の時は何時ものように背中を丸めて足早に。同居人であるという盲目の老婆と連れ立っているときは、彼女をエスコートするようにゆっくりと。近頃は小さな犬を連れている姿も見かけるようになった。なんとも独特な見た目だが懐っこいらしい犬が、道行く人に構われては嬉しそうに尻尾を振る姿はどこか飼い主に似ていて大変微笑ましかった。人目を忍ぶように生きていてなお、彼が人好きのする性格であることはよく伝わってきていたからだ。

「酷い格好だろ。分かるよ」
 そんなある日、レジの前で肩を竦めた彼の出で立ちは確かに奇妙なものではあった。よく着ている黒いパーカーの上から、赤地に白い雪の結晶が踊るビッグサイズのセーターを身に着けていて、とりわけ目を惹くのは、中央に縫い付けられた立体物……巨大な靴下である。ご機嫌な図柄に反して自嘲気味の台詞は、すっかりクリスマスムードに踊る店内には不釣り合いに暗く沈んでいて、どう答えたものか思案する。お似合いですね、は違う。手作りですか?も違うだろう。商品は靴下にお詰めしますか?うーん、彼がこちらのジョークに笑ってくれることも増えたけれど、少し賭けが過ぎるかもしれない。答えに窮していたとき、ちょうど自動ドアの開く音がした。いつもの癖で来客を確認しようと視線を向けて、思わずレジを打つ手が止まる。
 冷たい風とともに店内に入ってきた大柄な人影は、遠目にも整った顔立ちをしていた。この寒さだというのにコートも着ておらず、羽織ったカーディガンの前は大きく開いていて、息を弾ませて、鼻先を赤くして……ざわめく店内には目もくれず、一直線にカウンターを目指して大股で歩いてくる。
 ほんの数秒の間に店内を縦断した男は、不穏な気配を察したミスター・クリスマスが振り向くより先に背後から彼を抱き締めると迷わずセーターの下に手を突っ込んだ。
「冷たぁっ!?はァ!?な、にしてんだバカ!」
「こっちの台詞だ馬鹿野郎。おかげでクソ寒い」
 少しもがいたくらいでは弛みそうにない拘束を受けて驚きを困惑に変え、頓狂な声を出したことを誤魔化そうとする咳払いの後にホットコーヒーをひとつ追加。笑顔で注文を受け付けて、カウンターに背を向けて作業を始めると、受け渡し用のスペースから彼らの会話が漏れ聞こえてくる。
「お、追いかけてきたの。そんな薄着で?」
「話を聞かずに飛び出した馬鹿が居たもんでな。勝手に俺の物まで持ち出しやがって」
「それってこのセーター?いや、要らないだろこんなの」
「そう俺が言ったか?だから最後まで話を聞けと言ってるんだ」
 そこから先はより低く潜められた声で続けられたので、サイフォンの音にかき消されてしまった。ちらりと様子を窺うと、限界まで身を縮めた体をすっかり抱き込むように身を屈めた美丈夫が彼の耳元で何事かを囁いている。彼の方もまた、逃げ出すのは諦めて、蚊の鳴くような声でなにかを答えているようだった。
「お待たせしました」
 他に注文を待つ客はいなかったので、話し合いが一段落するまで待ってから二人分のカップをカウンターに置くと、少し引き攣った笑みを口元に乗せた彼が「ありがとう」と礼を口にして両手を伸ばした。
 カップを掴んで、持ち上げた、その時。その両手が塞がるタイミングを待っていたかのように、背後から伸びた腕が、彼の胸元を飾る大きなソックスに手を突っ込んだ。
「ぎゃあっ!?や、やめろバカぁ!変態!スケベジジイ!」
 悲鳴をあげる彼がしかし、注がれる衆目と両手のコーヒーを気にして抵抗できないのを良いことにゴソゴソとその中を探った手が、やがて拳のかたちのまま引き出される。顔の前で拳を開き、パチンと小さな音を立ててその中を見て、「……フン」とどこか満足そうに微笑んだ男の手のひらに乗っていたのは、リングケースであるように見えた。見間違えでなければ、であるが。というのは、蓋を閉じた男がすぐにそれを自分のポケットに突っ込んで、言葉もなくわなわな震えている彼の手から自分の分のカップを取り上げたからだった。
「さっさと帰るぞ」
「な、……なんで、いつから」
「最初からそんなことだろうと思ってた。……サプライズを仕掛けておいて、途中で小っ恥ずかしくなって逃げるところまでお前らしい」
 連れ立って出口へ向かいながら、湯気を立てるコーヒーに口をつけようとして、ふとカップを見た男が片眉を上げた。その仕草を見た彼が手に持ったカップをくるりと回し、メッセージをじっと見つめる。それから「ぅ、あー……」と頭を抱えて逡巡した後。口元に照れ笑いを浮かべ、いつかのように穏やかな、少し弾んだ声で言った。
「ありがとう。……アンタもね」


“Be happy”――お幸せに!