めやぬら
2025-02-09 14:05:40
3806文字
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春の住処

うさひと狐燐音の話(燐一)
一彩の状況を日々樹に報告に行く燐音の話。
燐一はしていないです。日々樹渉さんと話してます。日々樹くんは🐰側。

 木漏れ日の溢れる森に足を踏み入れるごと、満ちる香気はみずみずしく変わっていく。今は春だったか?いやまだ冬の終わりのはずだ。だというのに、周りには色とりどりの花、花、花。爛漫に咲き、まるで季節が狂ってしまったかのような。
 
「ハッ、さすが春告うさぎのねぐらってわけだ」
 
 その皮肉っぽい愚痴に、先導していた一羽の白兎が振り向く。すんすんと鼻を鳴らして、じっとり見つめてくる。喉を震わせて燐音を責め、嫌なら置いていくぞとばかりに先の茂みへと飛び込んだ。
 
「悪く言ったつもりはねえって」
 
 その後ろを薮を掻き分けて追いかけると、律儀に待っていた影は客が着いてきているのを確認してひょこひょこと先ゆく。
 一彩が言っていた案内役は、どうも愛想が無い。
 燐音の寝ぐらの周りも春になれば幾らか花が咲き、鳥が現れ、虫が出でる。だが、ここは目まぐるしい。薄桃から真っ黄色。樹に蔦に下草に、あらゆる場所にあらゆる花が咲き、春真っ盛りの蝶が舞う。
 肌寒さも徐々に消え、麗らかな陽気があたりを包む。
 目が回りそうだ。慣れ親しんだ住処の周りでは、春になってもここほど色彩豊かにはならない。まるでこんな、お祭り騒ぎのような。
 
「あぁ、くそ、目が疲れる……慣れてねぇんだよ、こんなとこ」
「おや、その出立ちで?貴方も相当な変わり者ですねぇ」

 前触れなく、頭上から聞こえた声。

「誰だっ!」
 
 警戒を露わに見上げるが、そこには茶色の兎が一羽、木の枝にちまっと座っていた。まさか今のはこいつか?
 疑念を抱きつつ近寄ると、燐音を飛び越すようにぴょんっと降りてしまう。

「あっ、おい!っ!」

 振り向くと、今度はバサバサとうるさい白いものに視界を奪われる。とっさに腕で庇ってやりすごす。音が止み、瞼を開くと、ぱらぱらと落ちてきた羽の向こうに人影。

「驚きました?」

 一彩と同じ格好をした長髪の男が、にっこりとわらいながら大仰にお辞儀をしてみせた。

 ——

 ひらひら、肩掛けのような薄衣を翻し、男は丁重にそして不遜に燐音をもてなす。淹れられた紅茶をテーブルを挟んで向かい席、訳知り顔で堂々と座り優雅にティーカップを傾ける姿が様になっている。

「お待ちしていましたよ、狐さん?」
……一つ確認だが」
「なんでしょう」
「一彩の仲間で間違いないな」

 ほぼ断定の確認は、警戒を緩めていないから。その慎重さをどう思ったのか、男は美しい紫の瞳を楽しそうに細め、機嫌良さげに答える。

「ええ!私は貴方をお待ちしていました。警戒を解いて欲しいのですが、その前に。あの子から何か預かっていませんか?」
「どの口が……ほらよ」

 燐音は胸元から預かった手紙を渡す。これさえ見せればきっと分かってくれるはずだ、と一彩は言っていた。
 封を切って、男が丁寧に折り畳まれた紙を開く。たった一枚の手紙に一体何が書かれているのか、やけに真剣な表情でそこそこ長い時間文面に目を通して、そして、ふむ、と顎に手を当てた。

「なるほど、貴方は燐音さんというのですね。いやはや!なんと失礼を!あの子の恩人に向かって狐だのと!お詫びのしようもありません!」
「恩人なんて、ンな大したもんじゃねぇよ」
「遠い中ご足労いただいたのですから、存分にもてなさなくては。さぁどうぞ、お茶請けもありますよ」

 まだ湯気の立つ紅茶を差し出され、これもと添えられたのは素朴な焼き菓子だろうか。怪しい、とはいえ、もう敵対はされないはずだ、素直に頂いておくのがいい。洒落たカップを手にとる。こんな上等に物を飲み食いするのは久しぶりだ。なんせこちとら狩りが主である。
 日々樹、と名乗った男は、一彩と同じ長い耳を揺らして、世間話でもするように問うた。

「それで、怪我はどの程度なんです?」
「割と大怪我だな。罠を踏み抜いた」
「おや、そんな怪我とは書いてませんでしたがね。自分の不注意とは書いてましたが」
「まあ不注意なんじゃねぇのか、俺が気づいたときにはもう嵌った後だ」

 茶の美味さなど分からないが、会話の間を持たせるためにカップの中身を啜る。暗に怪我の細かな経緯までは知らないと示すと、そうですか、と素直に引き下がった。

「手当した流れで、今は俺の住処にいる」
「そのようで。なにか迷惑はかけていませんか?」
「別に。兎一匹増えたくらい、なんてことねェよ」
「そうですか」
「んで、怪我治るまでは居て良いっつってるけど、それまで外出られねぇから。俺が来たってわけ」
「えぇ、えぇ」
 
 全てお見通しだとでも言うように、いちいち頷いて返される相槌。なんとなく気味が悪い、というか、こいつ。

……なぁアンタ」
「なんです?」
「どこから見てた」

 いや、いつから、か。
 質問を誤ったが、相手には正しく伝わったようだ。貼り付けたような笑顔が一瞬固まり、出会った時から一瞬たりと和らがなかった視線が、俺を初めて確と眺めた。

……ふふふ、疑り深いですねぇ。安心してください、ほとんど何も知りません」
「ほとんど、ねぇ。わざわざ持って回った言い方してくれてドーモ」
「こういった言葉遊びはお好きでない?」
「嫌いじゃねぇが、場合によるな」
「おや、つまらない。でしたら、簡単にお話ししましょう」

 歓待するようでいて隙もなければイニシアチブさえ取らせなかった日々樹は、芝居がかった振る舞いで肩を竦め、ふっと緊張を解く。
 
「彼——一彩くんについては、心よりお礼を。助けてくれて、ありがとうございます」
「お、おう……

 いきなり深々と頭を下げられ、態度の変わりようにたじろいだ。先も伝えられたその謝意は真意と見える。頭を上げた男の表情には、安堵が浮かんでいた。

「連絡が途絶え、心配していました。私たちはそこいらの兎とは違って訓練もしていますが、それでも兎は兎。捕食者に出会ってしまえば、生きて逃げられるかは運になる」

 ふと、紫紺の視線は少し離れた木の根元で眠る兎に向けられた。茶色の兎、木の上にいたのと同じやつかは分からないが、木漏れ日を浴びながらうとうと目を閉じて、よほど気持ちよさそうだ。
 
「彼は、あの子を助けたらしいのです」
「彼って、一彩か?」
「ええ。罠にかかりかけたあの子を咄嗟に庇い、そして足を、と」
 
 それを聞いて、思わず納得してしまった。一彩が少し自己犠牲な考えをすることはもう知っているのだ、そうしても不思議ではないと、なんとなくでも頷いてしまうくらいには一彩に絆されている。呆れ返るほど純粋で素直で、そして自分の身の危険に鈍麻している危なっかしさは、生来のタチらしい。
 
「あいつらしい」
「一彩くんはあの子をここへ逃しました。自分は大丈夫だから安全な場所まで走るようにと言い含めて。……そして、その場に貴方が近寄ってきた気配で、急いで離れたと」
「つまり、あの兎から聞いたのと、その手紙以上のことは」
「知りません。知り得ませんとも、私は」
 
 伏せた目がどこか遠くを眺める。その刹那に辿った思いがどんなものか想像できるほど、一彩のことも春告の兎のことも深く知らない。だから、手持ち無沙汰に紅茶を舐めた。
 
……私たちには役があります。爛漫の春の始まりを告げる役目は、果たさねばなりません」
「あいつは?」
「怪我をしている以上、無理はさせられません。ですが幸い、時間には少し余裕があります。私が迎えにいき、ここで養生させて出直すでも十分に間に合いますがねぇ……

 こういう事態が起こった時、こいつらがどうするべきかなのか、一彩たちがどうしたいのか、一介の第三者である俺には分からない。
 だが、そう。一彩をここへ帰すという案に『今外に出すのは』とか『俺の家にいた方が都合が良い』とか、そんな屁理屈が浮かんで正当化したくなるくらいには、俺は一彩と過ごす日々を気に入っていて。
 相手のぼんやりと暈すような語調に、提案の余地があると踏んだ。

……あのさァ、差し出がましいとは思うんだが……怪我が治るまで、こっちにいさせるってのは」
「構いませんよ」

 なんとなく言いづらく、手元のカップを見ながら口にしようとした提案は、言い切る前からあっさりオーケーを出された。

「随分とあっさりしてんな」
「おや、断って欲しかったのですか」
「そういうわけじゃねぇけど。言っちゃなんだが、もっと怪しんだ方がいいんじゃねぇのか」
「まさか!危害を加えるつもりのない方と敵対するのは無意味ですし。一彩くんも、良きようにしてほしいと書いていました。貴方さえ構わないなら、そして彼が役目をしっかり果たせるのなら、私としては問題ありません」

 すると、日々樹は長い足を組み、背をもたれた。

「もし貴方が良ければ、お友達になってあげてください。……あの子が出会ったのが、貴方のような狐で本当に良かった」

 冷めてきた紅茶を飲み、綺麗な顔に微笑みを浮かべる。振る舞いや態度の華やかさばかりが目についたが、穏やかな表情には麗らかな春にひそむ慈悲がある。

「あの子のこと、よろしく頼みます」

 やんわりと笑ったその微笑みは、時折一彩が見せるささやかな穏やかさと、よく似ていた。