井見
2025-02-09 11:12:26
2094文字
Public 真Ⅲ二次
 

メノラー

魔人が病院にいるのいいよねポエムがあったはずだ……!と探したらあったので載せます。
クイーンメイブ好き好きポエムでもあります。

 メノラーが、僕を見つめている。
 それは甘い視線だった。
 頼まれているのだから、応じるのは自然なことだ。
 襲いかかってきたのだから、反抗するのは自然なことだ。
 だからこちらに来るといい。
 そう囁きかけてくる。
 
 
 いつぶりかの病院は、驚くほどに静かだ。
 思念体と低級の悪魔たちだけが、時が止まったように穏やかに過ごしている。
 与えられた悪魔の力に戸惑いながら、それでも死にたくなくてもがいたのも、逃げたという人間が千晶や勇であってほしいと願いながら、広漠とした砂の上を歩いていたのも、遠い昔のことみたいだった。
 分院は地下からでも行けるけれど、僕はエレベーターに乗り込んだ。
 一階で降りる。出口はやっぱり潰されている。そして当然千晶はいない。
 そういえば、月刊『妖』とやらも、結局自分では読まないままだった。千晶の手に渡ったまま行方知らずだ。帰ったらゆっくり読むつもりだった。ベッドの上に転がって、とんでもないことが書いてあるなぁなんて他人事のように思いながら。
 感想の一つでも言えたら良かったな。
 僕はまた、エレベーターに乗る。
 二階の道は二つに分かれている。左と右。病室の扉を一つ一つ開けて、中の様子を窺う。これもずいぶん前に、似たようなことをした。
 中庭を覗く窓越しに見える向かい側の廊下には、もちろん誰もいない。物音がする、と思っても、いるのは悪魔だ。ちらりと視線を向ければ、ガキ達は一目散に逃げていった。
 静まり返った廊下で、僕は一人、立ち尽くす。
 つんと鼻をつく消毒液の匂い。布に染み込んだ血の匂い。あの時と何も変わらない。
 変わったのは僕だ。
 
 分院は渡り廊下から行くのだった。
 ピクシーはハイピクシーに、そしてクイーンメイブになった。本院と分院を分つゲートの前で、彼女は勝手に現れた。そして僕の隣でくるくると回転して、ピクシーだった頃と同じように、天真爛漫に囁く。
『ふふ。今ならあたしだけでも、あの悪魔、倒せるかしら?』
「きっとね」
 病院の悪魔といえばフォルネウスだ。アトリウムを我が物顔で遊泳する姿を、僕は思い出す。ピクシーのジオに頼り切りの戦法だった。今ならたぶん、僕一人でだって倒せてしまう。
『こんな姿になるなんて、あの頃は思ってもみなかった』
「気に入らない?」
『ううん。好き。強いもの』
 クイーンメイブは、僕の頭上をくるりと回る。
『ねえ、さっきからあっちこっちをウロウロしてばっかり。迷ってるの?』
……行くべき場所は、わかってる」
 病院に侵入した瞬間から、メノラーの炎が揺れている。体を巡る血液が、熱く脈打つ。近づけば近づくほど、それは強くなる。
「遠回りしたい気分ってあるだろ」
『ヨヨギ公園も遠回り?』
「あれは……忘れてたんだよ。ごめん」
 違う。忘れていたのではない。シブヤに人間が‪いると聞いて、いてもたってもいられなかったからだ。彼女の指摘を無視して、僕は公園を素通りした。それなのに、別れたくないなんて言って。
『あなたと一緒じゃなかったら、こんな場所にもきっと二度と来なかった』
 分院二階、B204号室。遠回りにも限界がある。僕らはとうとう辿り着いてしまった。
 体が燃えるように熱い。扉はぞっとするほど冷たい。
「まだ付き合ってくれる?」
 彼女は僕の肩にするりと腕を回して、
『聞くものじゃないわ、そういうこと』
 と囁きを残して、姿を消した。再び僕が呼ぶまで待つ気だろう。
 僕の前には扉。開けば最後。引き返すなら今だ。
 僕は扉に、額を預けた。温度が奪われて、思考が冷える。冷えた思考で、僕は扉を開け放つ。
 
 一歩踏み出せば飲み込まれた。抗うことはしなかった。
 目を開けば、辺りに広がるのは魔人の作り出す空間。相手の命を捧げることでしか、ここからは出られない。
 どうしてこんなことに。そう思っていた自分もいたはずだった。メノラーを渡して済むのならきっとそうした。
 しかし生き残ったどちらかしか出られないというのなら、それはできない。
 死にたくなかった。殺されたくなかった。
 そのためには殺すしかない。
 それだけだったはずなのに。
 
 相対するのは死を呼ぶ魔人。
 魔人は笑う。僕を試す。天秤が揺れる。
 魔人が供を喚ぶように、僕も仲魔たちを喚ぶ。再び現れたクイーンメイブは怪しく笑って、雷で場を満たす。
 痛い。辛い。苦しい。
 悪魔の心臓が激しく脈打つ。
 病院にいた頃には考えもしなかったような力が、僕の中から湧き起こっている。
 殺す。目の前の敵を。
 それだけを考えればいい。
 戦いだけを考えればいい。
 他の何も考えなくていい。
 今だけは。
 それが、ひどく心地いい。


 熱に浮かされるような時間は、あっという間に終わってしまった。
 ひんやりとした空気と、血と薬の匂い。
 薄暗い照明。
 窓から差し込むカグツチの光。
 何も変わらないあの病室。
 ただ一つだけ違うのは、足元に、勝者の証が。
 メノラーが、僕を見つめている。



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