ちらちらと軽い雪が舞っていた。言葉を胸に押しこめ、そこに蓋をしたような切ない目で私を見る彼の肩から向こうに見えた景色は、そこだけを切り取った絵のようだった。
酷く喉が渇いていた。僅かに開けた口に、冷たい風と、白い雪が入ってきた。羽のように軽い一片の雪。あっという間もなく溶けた雪を苦味が残る舌で絡め、後味の悪さと共に飲みこんだ。それだけで喉の渇きが癒えるはずはないが、何かせずにはいられなかった。
刻一刻と『その時』が迫っていることを、誰もが感じていた。肌を刺すような痛み、息苦しいほどの空気の重さ、それでいて何かが起きる前の、水面に波すら立たない不気味な静けさ。
もうすぐ、その時が来る。
怖さを抱えながら、心の中で待っていたその時が。
「目を閉じてくれないか」
彼がそんなことを言った。
幾月かぶりに彼に会ったのは、短い日が暮れようとしている夕刻のことだった。短い他愛のない言葉を二つ三つ交わした後で、珍しく彼
――冨岡さんがそんなことを言った。肩に置かれた手と、細めてこちらを見る目が、重いと思った。
「目を?」
「ああ」
笑って誤魔化すこともできたが、風で冷たくなった耳に髪をかけながら、素直に目を閉じた。
「これで、いいですか?」
彼からの答えはない、答えの代わりに胸に抱かれた。思わず肩に力が入る。
「春が待ち遠しい」
耳に、囁く声。飲んだ息をゆるゆると舞う雪の中に吐き出した。
春
――
春の空を思い出す。
寝転んだ土手の、草の匂い。二人で並んで食べたおにぎりの中には梅干しが入っていた。うとうとした後に目を覚ますと、同じように草の上で寝ている水柱さまがいて、なぜか私の体には水柱さまの羽織が掛けられていた。
「風邪、ひきますよ」
春まだ早い川風はひやりとして、だけど陽ざしは暖かくて、水柱さまの羽織を抱きしめながら水面にきらきらと映る光を眺めていた。
「もし風邪をひいたら、苦い薬を用意しますからね」
穏やかな春の朝、あの春の日はもう遠い。
夏のあの日は雨が降っていた。
濡れた彼の羽織を、部屋に掛けて帰りを待った。
「やみませんね」
何度も雨戸を開けて空を眺めた夜。ようやく羽織が乾いた頃、彼が「今、帰った」と顔を覗かせた。
「おかえりなさい」
無事で帰ることの尊さを、毎日のように感じながら、毎日のように祈りながら、帰りを待った夏の夜。濡れた彼の髪を手ぬぐいで拭く。虫の音が聞こえてきた。
「ご無事で」
いつしか雨はやんでいた。
「羽織、乾きましたよ」
彼に羽織を手渡し、またその背中を見送った夜。
選んだ生き方が間違っていたとは思わないが、今、ほんの僅かな後悔が胸を刺す。
秋風に揺れる赤い葉と、甘い柿。夕暮れの茜にかかる雲の形。
あの時何を言おうとしたのか、どれだけの言葉を飲みこんだのか。伸びた彼の影に、自分の影を近づけて、重ねて、空を見上げる。
「夜が長い」
不安な夜が長くなる。ここで彼の手を取ることができたなら、どんなにいいだろうかと思ったこともまた、噓ではなかった。
「だけど、私は蟲柱ですから」
縁側に寝転び目を閉じた彼に、羽織を掛けた。小さな羽織、私には重く大きな羽織。背負うものの大きさに息が詰まりそうになる。
やがて冬がきた。
「どこにも、いくな」
耳元の彼の言葉に「どこにも
……」乾いてひりつく喉から絞り出す。
やがて雪の花が舞い降りてきた。
ひらり、はらりと。
開けようとした瞼を、彼の手が撫で下ろし、その手が頬を伝い包む。唇が触れた。
「どこにも、いくな」
「私は、どこにも」
白い絵の中に、私と彼がいる。抱き合い、唇を重ね、まるで寄り添う恋人のような。
「春になったら、一緒に花を見たい」
「
……そうですね」
閉じた瞼の向こうに、満開の花を見る。
巡る季節に
――
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