くこ
2025-02-08 22:05:10
6304文字
Public
 

凡陰の終わり



退屈なんだ、と、彼は言った。

裸で、ベッドのなか、二人で布団にくるまっている。シーツの感触と、あたたかい人肌。
汗で頬に張り付いた髪の毛を、王馬の指が払う。くすぐったそうに最原が笑った。それだけで、胸がきゅうとなる。
その美しい笑顔とは裏腹に、桜色の唇が紡ぐのは、灰色の言葉。

「何も成せない。その努力もできないし、その運もない。ただ、漫然と、日々を過ごしていくだけ」

王馬にも覚えのある、その感情を、最原が吐露する。
不満などない——と、言い切るには、この世界は少し、窮屈だ。

王馬は、将来を決めている。正確には、敷かれたレールをそのまま走っていくと、決めている。なぜならば、そこから脱線することは、とても、面倒なことだからだ。レールが整備されており、レールを走る能力があり、辿り着く先は安泰なのだから、わざわざ無理に道を逸れる必要性を感じなかった。
将来の職業から逆算して、目指す大学を決めている。高校も、もちろん、その流れで決めた。日々の学習計画は、やるべきことから下ろしていけば、必然的に定まっていく。だから、多少のイレギュラーがあったとしても、すぐにリカバリーがきく。計画など、立てたあとの方が大変なのだ。修正することは、造作もない。

もし、王馬にこの計画性がなければ、最原の誘いになど、絶対に乗らなかっただろう。なぜならば、これは明らかに、将来へ必要の無い行為だからだ。最原と連絡先を交換したときから、それに連なるすべての行動は、すべて、王馬の将来にとって無駄である。だが、その無駄を、欲した。ゆえに、自主学習の計画を修正する手間をかけた。そのことを、今でも後悔していない。
だから、と、最原は続けた。

「僕は、ひとつだけでもいい、証を残したいんだ」

誰にでもいい。どこにでもいい。たったひとつでもいい。
この一瞬のためだけに生まれてきたのだと、努力を重ねたのだと、思える何かが欲しいのだ。生きている価値を。生きてきた意味を。

……オレも」

黙って最原の独白を聞いていた王馬が、答える。

「オレも、そう思うよ」




王馬は、書いていたプロフィールを、一度、ぜんぶ消すことにした。やり直しだ。
作品のテーマは嘘。ならば、それを体現するキャラクターにしよう。でなければ、面白くない。制限に沿って、その上で、超越する。

最原のキャラクターは、探偵だという。某国民的アニメを彷彿とさせる家族設定。もっとも、王馬は観たことがない。広告などで知っている程度だ。
探偵役は、シリーズ毎回いるわけではないらしい。なので、今回の募集に賭けている、と、最原は言っていた。エントリーしたときにも感じた、熱量。探偵とは、さぐる者のこと。他人の事情や行動、隠された事実を暴き出す者のこと。解き明かす者のこと。

では、総統とは、何だ。定義としては、全体を統括する者のことだ。最高指導者、責任者でもある。フューラー、複数の人間の生命を預かる重責を担う職位者でもある。
それを生業とする者が、嘘をつく。それは、どういう動機だろう。すぐに思いつくのは、扇動だ。民衆を思い通りに動かすために、事実ではない言葉を発する。人を騙す、不正確な内容を伝える、事実を隠蔽する。だがこれは、手段であって、動機ではない気がする。なぜそれをするのか。行動の原点は、何だ。

(オレは……それを、どこに置きたいのだろう)

隣で、せっせとインターネット辞書を引く最原の顔を見る。最原はタブレット、王馬はノートパソコンを、ベッドまで持ってきていた。二人で寝転がって、肘をつきながら、キーボードを叩く。やりづらいだろうに、酔狂にも、それが嬉しい。自らが、効率だけを重視していない、そのことに、気持ちが高ぶる。

最原は自虐的にああ言っていたが、王馬の目からすれば、彼にはさまざまな魅力があると思う。同時に、能力も。
ただ、王馬自身もそうだから、わかる。違うのだ。これは、後付けで他者に与えられても、どうしようもないもの。もっとずっと昔に、与えられるべきものだったのに、与えられなかったことに対する、結果だ。これは結果でしかなく、過去でしかないので、誰も、何も、変えることができない。その不可逆性は、どうしようもない。
したがって、考えるべきは過去を変えることではなく、今を、未来を紡ぐことだ。

(ここ、か)

原点。
それを成し遂げられるだけの、能力と、バックボーンを与えよう。
総統の肩書きに反しない、そのプロフィールを考えよう。

だが、それを演じる者として、すべてを言葉で説明するなど、興醒めだ。本当にこの企画を成功させたいのであれば、読み取れるであろう。「こんなキャラクターが」素直にプロフィール帳を埋めるわけがない。とはいえ、すべてを嘘にしてしまっては、真実を告げているのと等しい。嘘か、真か、誰にも悟らせないように。嘘かもしれない、本当かもしれない、相手に常に思考を強いる。そういう人間にしよう。きっと、それがたどり着く先は、けしてつまらなくないはずだ。




書類審査が通ったよ!と、電話口で最原が叫んだ。ボリュームが大きかったので、スマートフォンを耳からわずかに離す。
小吉くんは?と、弾む声音をそのままに、最原が問う。王馬は、先ほど開いたメールの「選考通過」の文字を読み上げた。やったぁ、と、少し遠くで最原が叫んでいる。

結果が出るまでもっと時間が掛かるものと思っていたが、案外、早かった。世間はちょうど、クリスマスを前にして、浮かれている。最原も王馬も、期末考査を終え、冬季休業に差し掛かっていた。
正直に言って、選考が進むと思っていなかったので、オーディションの全体像を把握していない。書類審査以外に、何があるのだろう。メールの続きに目を通す。面談があるようだ。ヒアリング、ということだろうか。入試のようだな、と、王馬が思う。3回あるらしい。なかなかの重量感だ。

第1回ご面談、お考えいただいたキャラクターの、より深い造詣を知るためのご質問をいたします。
第2回ご面談、ストーリーにおいて、どのような役割を果たしたいとお考えかを確認いたします。
第3回ご面談、第2回ご面談までを通過した方々にのみ、ご説明いたします。

たかだかひとつのアニメを作るのに、大層なことだ……と、方々に怒られそうなことを思う。
アニメ、だったよな? 一気に情報を詰め込まれた1ヶ月前を思い出しながら、最原の興奮した語りを聴き過ごす。明日からずっと一緒にいる約束をしているというのに、よくその前日の夜に、ここまで話すことがあるものだ。彼にとっては、その場で発散することが重要なのだろう。もしかしたら、明日、リバイバルがあるかもしれない。
そのようなことを考えていたと読み取ったのか、否、そんなはずはないが、最原がふと黙って、それから、おずおずと申し出た。

「ねえ……予定を早めて、今から、会えないかな?」

王馬は、最原のおねだりを、すげなく却下できた試しが無い。




面倒なので、タクシーを使った。デビットカードで支払いを済ませ、車を降りる。荷物はすでにまとめてあったので、家を出るまでに、ほとんどタイムラグは無かった。
王馬の「もうすぐ着くよ」の連絡と、車の停まる音を聞いた最原が、笑顔で玄関から飛び出てくる。荷物置いたら、コンビニ行こ!と、腕を絡めてきた。ゴムもう無いんだー、整った顔立ちの最原から、あけすけな単語が発されるのは、なんとなく背徳感がある。

腕に最原をくっつけたまま、玄関先に荷物を置いて、そのまま、また外に出る。玄関がオートロックで閉まった。最原がちゃんと鍵を持っているか、不安になる。その視線を受けた最原が、ちゃら、と、ワイヤレスキーを目の前に見せつけた。まあスマホでも開けられるけどね、と、楽しそうに最原が笑う。あまり戸締りをすることの無い王馬は、そういうものか、と、胸を撫で下ろした。
コンビニは、徒歩数分のところにある。ついでに、明日のごはんやお菓子などを購入してもよいだろう。王馬が提案すると、最原が、ああ、と頷いた。

「お菓子は買おー。ごはんは、××さんがけっこう多めに作っていってくれたから、だいじょうぶだと思うよ」

友達が年末まで泊まるって言ったら、作ってくれた。最原がそう言うので、王馬が、誰?と返す。

「あれ、言ったことなかったっけ。うちの家事してくれてるひとだよ。小吉くんも、何回か残り物食べてくれたことあったでしょ?」

たしかに、土日に最原の家へお邪魔した際に、手料理らしきものが振る舞われたことがあった。あまり深く考えず、ご相伴にあずかっていた。なるほど、と納得する。最原の生活能力はどこから来ているのかと、少し不思議だったが、何のことはない、サポーターがいただけだった。
他愛もない話をしていたら、コンビニへと到着していた。適当にお菓子を物色し、カゴに入れる。コンドームも、忘れずに。一箱入れた王馬の横で、最原がもう二つカゴに追加した。どれだけする気だ。

初めてキスをした日から、そう遠くない日に、初めて体をつなげた。とはいえ、受け入れる側の体を数日はかけて慣らした方がいい、という意見を見たので、王馬は慎重を期した。
「そうする」のだと気づいたあと、自分が入れる側のつもりだったらしい最原を、キスでなだめて、うやむやのままに準備して、入れる側を勝ち取った。七面倒くさい手順を、最原がまともになぞれるとは思えなかったので、ついにその瞬間を迎えたとき、快感よりも安堵が襲った。その後は、最原も諦めたようで、上になろうという行動は起こしていない。王馬のことを異性だと思っている節があったので、最原には騙し討ちのようなことになってしまい申し訳ない気持ちもあったが、そこは譲れなかった。いや、べつに、王馬は異性を自称してはいないのだが。まあ、すっかり最原も気に入ってくれたようで、何よりである。

飲み物なども買い足し、最原の家へと戻る。途端、道中は我慢していた、電話の続きを話し始めた。いちおう、守秘義務の項目をきちんと読んでいたらしい。

「小吉くんに来たメールも、おんなじ?」
「そうだね。同じだね」
「じゃあ、面談3回か。なに話そうかなあ。うまく伝えられるかなあ……
「面接じゃないんだから、そういうのは見られないんじゃない? 中身の方が大切だと思うよ」

本心で、王馬が言う。
テクニックや小手先よりも、熱を重視していると、王馬の勘が告げている。きっと、言葉を尽くすことの方が、重要だ。

「最後の面談では、何を聞かれるんだろうね」
「通過した人にしか教えないってことは、今回のストーリーの根幹になるようなことを聞かれるのかもね」

つまり、実質、採用の可否は、第2回までで決まるのだろう。おそらく、3回目は、最後の確認に近いものだと推測される。何か、本人の同意が明確に必要なものがあるのかもしれない。
王馬の想像は、当たっていた。




3回目まで二人とも残ったのは、順当だったのか、運が良かったのか。
2回目まではバラバラの日程に行われていた面談は、3回目、全員が同じ日程を指定されているようだった。16名、いる。待合室は、個室だった。どの順番で呼ばれているのかも、わからない。面談が終われば、別の場所から外へ出されているようだった。
徹底した情報統制に、あまり良い予感がしない。

第2回までの面談でわかったことは、あれだけ事細かにプロフィールを作成したり心理テストを行ったりしたのは、疑似人格を作るためだったということだ。ある程度のシナリオはあるし、仕込みもするそうだが、キャラクターを動かすのに、AIを使うらしい。なんともハイテクなものだ。王馬は、近年のアニメがどのように作られているのかを知らないので、キャラにAIを使うと言われても、ピンとこない。最原はすでに知っていたようで、「あれ、僕、説明してなかったっけ」などと言っていた。もしかしたら、聞き流していた最原の語りのなかで説明されていたかもしれないので、王馬は、あいまいに言葉を濁しておいた。

ぼんやりと瑣末な考え事をしながらスマホで英単語を表示していると、天井に備え付けられたスピーカーから、名を呼ばれる。蛇のマークが入った扉があるので、そちらでお待ちください。
言われた通りに移動すると、2回目までとは異なり、椅子が置いてあった。お座りください、と、またこの部屋でも天井から吊るされたスピーカーから、指示が出る。
王馬が椅子へ腰を下ろしたのを見届けた誰かは、このたびは本オーディションにご応募いただきありがとうございます、と、お礼を述べた。

「キャラクター選考としては、王馬様は採用となります。今回こちらへお呼び立てしたのは、選考とは別のお話です」

じわじわと、不穏な予感が現実味を帯びてくる。膝の上で握った手のひらに、汗が滲んだ。暖房が効きすぎているわけではない。

「ここからお話しさせていただくことは、企業秘密です。ご質問に、YESかNOで答えていただきます。NOの場合、ご質問に関する記憶は消去させていただきます。記憶の消去にご同意いただけない場合は、今の時点でお帰りいただくことも可能です」

王馬が、眉をひそめる。
記憶を消去、まるでファンタジー世界のようなことを言う。しかし、それなりの企業が、こんなところで、こんな冗談を言うわけはない。
いかがいたしますか?と、男とも女とも読み取れない声が、たずねる。
答えようとして、言葉に詰まる。そんな簡単に、答えていいものか。何も聞かずに帰るのが、正解なのではないか。未成年に対し、このような問いかけをしてくる相手を、信用すべきなのか。
至極まっとうな考えが、脳をめぐる。しかし、聞いてみたい。何をたずねられるのか。最原は、なんと答えたのだろう。
もう一度、口を開く。
王馬が選んだ答えは、




「あっ、待っててくれたの?」

入口に佇んでいた王馬を見つけ、最原が駆け寄ってくる。懐いたわんこのようで、可愛らしい。するりと指を絡められる。その手を握り返す。

「ねっ、合格は決まってたんだね! よかったねー。ドキドキしちゃった」

今から完成が楽しみだな、弾んだ声で最原がはしゃぐ。
応募総数は、たしか、万を超えていたはずだ。その中から、16名のうちの二人に選ばれたのは、素直に驚いた。軽い気持ちで最原の誘いに乗った自分を、遠いことのように思い出す。
でも、乗ってよかった。そう思う。最原との出会いを、なかったことにしなかったときのように、今回のことも、やってよかった、と思った。

「小吉くん、学校いつから? まだ僕んち居れる?」
「居れるよー。終一くんが、いやじゃなければ」
「いやなわけないよぉ」

へへ、と最原が笑い、体を擦り寄せる。体温と、肉感をおぼえた。
元々、年末までの予定だったが、親戚への挨拶回りの付き合いを終えたあと、また、最原の家へと泊まっていた。
そのあいだにオーディションの面談があったせいもあるが、純粋に、もうそんなに家に帰らなくてもいいだろう、と考えている。

作品は、すぐにでも制作に取り掛かるという。詳しいスケジュールは、別途またメールで送られてくるらしい。最原ほど、このシリーズへ思い入れがあるわけではなかったが、王馬も、完成を楽しみに思った。