2025-02-08 17:47:04
9271文字
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『落日』sample


『落日』
R-18G
文庫/本文92p(89p +事務ページ)
600円
シリアス鬱複座ところによりラブコメのスミイサ
どちらかというとスミスを見守る話です。

※キャラクターの死亡・流血・死体損壊・嘔吐をはじめとするショッキングな表現を含みます

強いのか弱いのかよくわからない男。アオ・イサミとなし崩し的にバディを組んで数日が経ち、今のスミスのイサミに対する所感はこんなところだ。
 初めは、完璧な男だと思った。まだ平和だった頃の演習で、追い縋るスミスをものともせずに単騎で敵機に肉薄し、鮮やかな勝利を奪っていった男。クラーケンに足をかける烈華のコックピットから降りてきた彼の顔には勝利の高揚も、見事に煽られて敗北したスミスへの侮蔑もなく、ただ結果を受け止める冷静さだけが浮かんでいた。  
 スミスとてエリートと名高い海兵隊でそれなりの評価を得てTSに乗っている身であるから、操縦の技量には自信がある。人間が決して届かない高みに至るための巨人の一歩(ティタノストライド)。己の理想を体現したようなそれに、努力と時間を注ぎ込まない理由がない。それでも、勝てなかった。うまくクラーケンの的にされ、後塵を拝した。屈辱に感じるよりも先に、その圧倒的な技量に憧れた。二四年式なんてスミスたちからすれば骨董品だ。その烈華をあんな風に扱ってスミスのライノスを出し抜いてみせるなんて、人間業じゃないと思った。
 スミスはイサミを尊敬し、深く惚れ込んだ。だからこそ、戦って倒したいとも思った。スミスにしてみればそれは当然のことだ。目の前に高い壁が現れれば、それを乗り越えて成長する。スミスはそういうふうにこれまで生きてきたのだ。
 同僚と制服姿で飲んでいる彼に声をかけ、共感を示し、適度に煽って、タイマンの約束を取り付けた。TSを取り回す冷静さと繊細さとは裏腹に、人の心の機微を読むことについてはそう長けていないらしい彼は簡単に頷いた。順当にいけば、次の日にでもタイマンの約束は果たされるはずだった。勝てたかどうかはわからないが、少なくともTSをぶつけ合い、彼にとっての有象無象からは抜け出せる、そういう心算だった。
 ──突如宇宙から飛来した、謎の機械生命体に何もかも破壊されるまでは。
 そこからのことははっきり言ってスミスにもよくわかっていない。無我夢中でTSを駆り、医療チームのテントをなんとか守ってダイダラ中隊と合流すれば、そこには彼がいた。演習の時とは全く違う挙動。当時はそういう、四角四面な動きもできるのかと感心したものだが、バディを組まされるにあたって、そうではなかったのだと思い知る。
 実戦を知らない自衛隊。──そのこと自体は組織の理念に照らして喜ぶべきことだが──中でもイサミはとりわけ甘かった。
 最初の襲撃の後、彼らの危険性を十分にわかっているはずの作戦中でも、イサミは自らの引く火器のトリガーに怯え、結晶化した敵個体の中に人間がいないことをしきりに気にしていた。繋げた無線通信の音声は明瞭で、イサミのそんな機微までスミスにはしっかりと読み取れてしまう。その時の感情はなんと形容したものか、スミスも掴みきれないでいた。
 落胆、したような。それでいて腹の底から、忘れかけていた何かがせり上がってくるような。妙な感覚だ。
 一緒にやるのが楽な相手では決してない。それでも、彼と戦うことができるのは悪くないとも思う。もっとも、彼の方がどう思っているかはわからないのだが。
「俺たちもっと互いのこと知らなきゃな。……というわけで、今夜は飲まないか? って言ってもソフトドリンクなんだが」
 夜分に尋ねたイサミの私室の前。ノックと共に声をかけると、ややあって扉が開き、不機嫌そうな男が出てくる。ジンジャーエールの瓶を二本掲げてばちんとウィンクをすれば、彼は受け取り損ねて瞬いた。それからゆっくりと、無防備だった視線が鋭さを増す。少しばかり目の縁が赤いところを見ると、もう眠るところだったのだろうか。
「飲まない」
「つれないこと言うなよ、bro! 仲良くなるのも仕事のうち、だろ?」
「そんなことは言われてない」
「部隊の仲間との適切なコミュニケーションは戦場での生存率を上げるんだぜ? 俺たち、残り少ないTS部隊なんだ。協力しないでどうする?」
 ぴくり、注視していなければわからないほどごく小さく、イサミの眉が動く。
「ティーンエイジャーみたいに、日付が変わるまでには部屋に戻るよ。いいだろ?」
 イサミはしばらく難しい顔で考え込んでいたが、やがて諦めたように息を吐き、無言で半歩身を引いた。
「お招きいただきありがとう」
 スミスがそうにこやかに微笑んでやると、イサミはむっとして眉を寄せたが、特に何も反論することはない。
「悪いが俺はぺちゃくちゃ喋りたい気分じゃない。話したいなら勝手に話してろ。質問に答えるくらいならしてやる」
 スミスをベッドに座らせて、自分はデスクの脇の椅子に座り込んだイサミは、スミスを睨みつけた。
「そいつはいいね。楽しい夜になりそうだ」
 スミスはジンジャーエールの瓶を開け、ごくごくと飲む。イサミは手をつけない様子だったが、それでもいいと思った。
「こういうのって何から始めるべき? ご趣味は、 とか?」
 イサミはじろ、とスミスを睨め付け、何も発さなかった。本当にスミスの質問にしか答えないつもりなのだろう。
「とはいっても、君はあんまり趣味がなさそうだ」
 スミスはイサミの私室を見回した。備え付けの家具と、最低限のトレーニング用具しかない部屋だ。
「悪いかよ。そういうあんたは、毎日ずいぶんと楽しそうだ」
 何に言及されたのかわかって、スミスは笑顔を浮かべる。
「なんだ、気づいてたのか? てっきりチームメイトには興味がないかと」
 イサミは自分の失言に気がついて、誤魔化すようにジンジャーエールのボトルを握った。
「自分の部隊の人間の様子くらい、見るだろ」
「ああ、そうだな。当然のことだ。だから俺もここに来たんだ」
 ごくりと喉を鳴らしてジンジャーエールを胃に流し込むと、イサミは音を立ててボトルを机に置く。
「俺に何を期待してるか知らないが、俺は別に特撮には詳しくないし、日本語の教師になってやるつもりもない」
 今度はスミスが当惑する番だった。
「ちょっと待ってくれ、特撮? 日本語の教師? 何の話だ?」
「あ? だから、別に俺と仲良くしたってあんたの役には立たないって……
「あのなぁ……
 違うのか? と言わんばかりの顔をしているイサミに顔を寄せ、スミスは人差し指を突きつけた。
「俺は言ったはずだ、互いのことを知りたい、もっと仲良くなりたいと。いつパーソナルコーチングを依頼した?」
 イサミは困惑に揺れる瞳でスミスの方をじっと見た。スミスからしてみれば、どうしてこんなことを理解できないのかわからない。ただ、イサミにそう──イサミの属性を利用して自分の欲求を満たすために近づいたのだと、そう思われるのは我慢ならないという思いが、スミスの唇を開かせる。
「俺が君のことを知りたいと思うのはそんなにおかしいか?」
「おかし……く、は、ないかもしれないが」
「じゃあ何?」
……とにかく、俺が誤解してたなら悪かった」
 イサミは何度か口を開閉させ、言葉を探したようだったが、結局スミスの疑問には答えないことを選んだ。
「まあ、今はそれでいいとしておこう」
 イサミの指がジンジャーエールのボトルに伸びる。また、間を持たせるようにイサミはそれを飲んで、今度はことりと静かに置いた。
……これも、ありがとう。久々にいい気分転換になった」
 イサミは、唇の端を少しだけ持ち上げるような表情をしてスミスを見る。
 緑色の瓶の中で、小さな泡がぱちりと弾けた。
「そいつは何より」
 スミスがそう返す頃にはすっかり霧散していたあれは、微笑だったのだろうか? 普段バイザーの下に見ている抑制的な表情とは似ても似つかないそれが、確かにイサミの浮かべた表情だったとうまく結びつかない。
「そろそろ日付が変わるぞ。明日は朝イチでブリーフィングがあるし、帰って寝た方がいい」
「あ、ああ、そうだな」
 聞きようによっては冷たい言い回しだが、スミスが部屋を訪れた当初ほどの拒絶の意志はそこにないとわかる。どちらかといえばこれは、純粋な気遣いだ。明日もほとんど休みなしで働き、今日の夜だってサイレンが鳴ればいつでも飛び出さなければならない同僚への、共感と心配だ。
「待ってくれ」
 促されて立ち上がり、部屋の外に出る直前でスミスはようやく口を開き、慌てて身を翻した。
「どうした? 忘れ物か?」
「いや、その……
 いざ間近で相対してみると、イサミは自分より少し小さかった。地形の高低差があることもわかっていたが、演習のときの、イサミがまさしく巨人であるかのように感じられた印象を、今になるまでスミスは引きずっていたのだと気づく。数センチだけ下方にある小さな暗色の瞳がスミスを見上げていた。
「好みを聞かせてくれ。……アルコールの! もちろん、こんな状態じゃ量飲むってわけにはいかないが、今度はちゃんと君と呑みたい」
 イサミはぽかんと小さな口を開き、瞬いた。
「好み……
 追い縋るスミスのTSを振り払い、単騎でクラーケンに突っ込んで行った時の俊敏さは、普段のイサミにはないのかもしれない。そんなに難しい質問をしただろうか? もしかしてジャパンでは酒の好みを聞くことはすごくセンシティブだったり? そんなことはないと思いたいが、確信を持ってないとは言い切れない。スミスの愛するスパルガイザーは主人公が未成年なので飲酒の描写はほとんど無いのだ。
「コナビール」
「え?」
「特に好みはないから、もしお前と呑むことがあるなら、コナビールでいい。好きなんだろ?」
……ああ、好きだ」
 なら、それでいい。イサミはそう言って、小さく頷いた。
……そこに立たれるとドアが閉められないんだが」
「あ、ああ! すまない。じゃあ、また明日な、イサミ」
 スミスは慌てて身を引き、ドアの向こうのイサミに手を振った。イサミは手を振りかえしてはくれなかったが、「またな」と言って扉に手をかける。
 ばたん、と音を立てて水密扉が閉まり、イサミの姿が見えなくなった。
……なんだったんだ?」
 人っこ一人いない静かな廊下で、スミスは思わずそう独りごちた。口元に指先を当て、唸ったつもりだったが、触れた唇はどうやら笑みを形作っているのだ。奇妙な振る舞いをしたのはイサミではなく、スミスの方だった。

(中略)
 
 今日は朝から待機が命じられていた。なんでも上層部──アド・リムパックが始まった時よりもだいぶ少なくなってしまったが──の会議の後、全員に大事な話があるようだ。もちろん全員の戦闘配置を解く、などということはあり得ないが、それでもわざわざ「話がある」と言われるのは緊張するものだろう。パートナーにそう言われたらきっと、誰だって別れ話かプロポーズかのどちらかを想像するに違いない。今回の話が自分たちにとってどちらになるかは、聞いてみるまではわからないのだ。
 部屋を出て食堂に向かうと、ちょうど緑のツナギに黒髪の後ろ姿が見えた。適当に朝食をもらって、スミスは勝手に彼の隣の椅子を引いた。
「Mornin’イサミ。隣いいか?」
「スミス……
 イサミの顔には思いっきり「またお前かよ」と書いてあった。
「まだいいって言ってないぞ」
 そして、ほとんどはっきり口にもした。
「ダメだったか?」
「ダメ……ではないが……
 ここ十数日をかけて、スミスはなんとなくイサミの扱い方を心得始めていた。イサミは無愛想で人嫌いのように見えるが、それはおそらくイサミの本質ではない。スミスがイサミの肩を勝手に抱いた時イサミが浮かべたあれは、嫌悪ではなく戸惑いだ。詰められると一旦距離を取るのは彼なりのポーズで、多分処世術なのだ。素直すぎて嫌な思いをしたことでもあるのかもしれないが、それを聞いたところで話してもらえるほどにはまだ気に入られていないだろう。
 イサミの戸惑いを笑顔で黙殺して、スミスはイサミのプレートを覗き込んだ。
「イサミは何食う?」
「鶏のやつ」
「そいつはいいね。俺はカレー」
 イサミはスミスの皿を見て、小さく眉を顰めた。
「朝からか?」
「食える時に食っとかないと、だろ?」
 口をつける前のスプーンでイサミの方を指してやれば、手振りで下げるように諌められる。
……確かに、そうかもしれないな。ここの備蓄もいつまで保つのか」
 イサミはそう呟いて、静かに自分のトレーを見つめていた。
 やっぱりだ、とスミスは思う。頑固で堅物そうな印象を受けるのは見かけだけの話で、イサミは実際かなり素直だ。煽られたら素直に腹を立て、ぶっきらぼうな態度をとっても言い分が正しければ受け入れる。演習の時の彼と今の彼はまるで別人のように思えるのに、一七八センチの肉の器に確かにそれらは共存している。
「まあ、しばらくは大丈夫さ。アド・リムパックは元々大規模で長丁場の演習のはずだったしな」
 そうだな、とイサミは無感動に言った。きっとスミスの言うことを心から信じてはいないのだろうと思った。
「アオ三尉」
 突然、食堂の入り口の方から低く凛とした声がイサミのことを読んだ。それは日本語で、スミスにはあまり馴染みのない発音だったが、彼の苗字がアオだということは知っていたし、それで実際隣の彼がぴくりと頭を上げたから、やっぱり呼ばれたのはイサミなのだった。
「はい」
 イサミはこの類の仕事のものらしい機敏さで席を立ち、トレイを片付けると、スミスの方を顧みもせず入り口の方へ小走りで向かっていった。走り去る背にスミスは「また後でな、イサミ!」と声をかけたが、届いたかどうかは定かでない。
 スミスは、イサミの消えた入り口の方を見やった。そこにいたのは、白髪混じりの暗髪を後ろに撫でつけた年嵩の男で、たしかカワダといったはずだ。手持ちの端末で演習開始時に配られた組織図を確認すれば、階級は海将補、本演習においてもキング司令に次いで副司令の役職についている。
「大事な話、ね……
「なぁに辛気臭い顔してんだよ、スミス! お前らしくないぞ」
 明るい声と共に突然肩を抱かれ、スミスは慌てて振り向いた。
「ヒロ!」
 頬にガーゼをあてたヒロは、スミスと共に数少ないTS部隊の生き残りだ。とっくに朝食を食べ終えたらしく、空のトレイを乱雑に机に置くとそのまま、さっきまでイサミのいた椅子に座り込んだ。
「飯も進んでないじゃないか。本当に大丈夫か?」
「もちろんだ! 心配するなよ、ヒロ。ちょっとおしゃべりが楽しかっただけだ」
 スミスは笑顔を浮かべてそう返した。実際それは事実だった。別に胃は不調でもなんでもないが、食が進まなかったのはイサミに注意をとられたせいだ。
「ああ、あのイサミ・アオか。演習の時から随分ご執心だな」
「せっかくタイマンの約束を取り付けたってのにそんな場合じゃなくなっちまって残念なんだ。代わりってわけじゃないが、彼は……なんというか、面白い男だよ。TSに乗ってない時も」
「へえ? とてもそんなふうには見えないけどな」
「俺もそう思う。見かけにはよらないんだ」
 冗談めかしてそう返してやれば、ヒロの顔に浮かんでいた心配の色はやがて霧散した。
「お前も早く食っちまえよ。今日はなんかきな臭い雰囲気だ」
「ああ、そうだな」
 それについては全く同感だった。イサミがカワダに呼びつけられてからは、特に。

(中略)

 ぐす、ぐす。
「たいちょ……ヒビキ……ッ」
 相棒の、明らかに号泣している声が聞こえてきて、部屋の前でスミスは固まった。確かにスミスはイサミの様子を心配してここにきたのだが、それはあくまで身体面での話であって、こんなのはまるきり想定していなかった。
「みんな……なんで……くそ……っ」
 ひ、ひと喉を鳴らして、喘ぐような浅い呼吸。先の襲撃で命を落とした、彼の部隊の仲間たちを呼ぶ声。きっと彼の言う”みんな”の中には、日本に来るまでに亡くなった隊員たちも含まれているのだろう。
 あの日の光線によって、彼の部隊の仲間は命を落とした。TS操縦にかけて右に出る者がいないと言われていたリュウジ・サタケでさえだ。
  あのとき何が起こっていたのか、スミスにもわからない。第一の光線が発された後、イサミはまだTSに搭乗できており、搭乗した状態だったからこそ逃げ延びた。そう説明することしかできない。命を落とすことのほうが普通で、生き延びることのほうが稀なのだ、あんな戦場では。
 イサミにしてみればわけがわからないのはもっとだろう。実戦で緊張しろくなパフォーマンスが出せなかった自分だけが生き残り、柔軟な思考を持つ同僚とすべてにおいて優れた上官が死んだのだ。
 だから、その動揺自体はスミスにもよくわかった。死すべきでない人が死に、死ぬべき人間が生き残る。そういう状況は往々にして発生するが、受け入れられるものは少ない。人は不条理に対して脆弱だ。そんなことはわかっていたはずなのに、スミスは戸惑った。ドアをノックしようとしていた手を宙空に留める。
 イサミが甘いことは知っていた。そもそもイサミはかなり繊細で、人の死に対しても敏感だった。そのことをスミスも思い知っていたし、それをイサミの美点だとすら思っていた。それでも当惑したのは、こんな風に仲間の死を悼んで泣くというのはスミスの中には存在しない行為だったからだ。
 スミスとてあの戦いで仲間を亡くした。夜毎飲み歩いた、友人という方が近い距離の上官だ。
 だが、涙は一滴も出なかった。むしろ血が沸騰するようだった。敬愛する上官の分までこの事態をなんとかせねばならないと思った。それが兵士というものだから。
 迷って一度下ろしかけた手で、今度は扉を押し開ける。──なんとも不用心なことに、鍵はかかっていなかった。そんなことだろうとは薄々思っていたが、警戒心が薄すぎる。
 ぐっと力を込めて、押し開く。かすかに扉が軋む音がしたが、気に留めなかった。
「なん、」
「泣いているのか」
 耳に届いた自分の声は、想像よりずっと冷たい。スミスはイサミに優しくしたいと思っているはずなのにどうしてだろうと冷静な頭の片隅で思ったが、もう遅かった。扉が開く音で気が付いたのだろう、イサミは扉の方に向き直って、口を文句の形に開いていた。
 スミスの背後で、ばたんと扉が閉まる。イサミは顔を逸らして、何も答えなかった。
「なぜ」
 問いながら、自分でも愚かな質問だと思った。なぜ、だなんて、イサミの泣く声を聞いていたくせに。
「なんではこっちのセリフだ。勝手に入って来てんじゃねえ」
 滲む涙を隠しきれない声色で、イサミは強がってみせる。スミスに対しては最近こんな態度もなりをひそめていたのに。
「鍵が空いていた。少しは用心したほうがいい。俺みたいなのに入ってこられたくないならな」
 イサミが懸命に示した距離感を、スミスはあえて割った。土足のまま踏み込み、しゃがみ込むイサミの目前に立つ。
「俺は質問に答えた。今度は君の番だ」
 スミスが落とす影の中で、イサミはスミスを見上げていた。泣き濡れた瞳は暗闇の中で、普段の鳶色ではなくすっかり黒に染まっているように見えた。
「な、んで! お前に言わなきゃいけないんだよ! 今日のお前、おかしいぞ」
 イサミが声を荒げる。涙で溶けてしまいそうな眦を健気に吊り上げてスミスを威嚇する。
 きゅう、と自分の目が細まるのをスミスは感じた。イサミがスミスとの間に明確に示した壁を、どうしても壊してやりたくなった。なぜ、と冷静な部分の自分が静止する。そんなことをしたって意味はない、相棒と険悪になるべきではない。そう、わかっているのに。
 「確かに俺に言わなきゃいけない理由はないな。だが隠したい理由もないだろう」
 スミスはかがみ込んで、イサミの頭の横にある壁に手をついた。近づいたイサミの表情、怒りで覆い隠した底に怯えと戸惑いがあるのを見てとって、ますます苛立ちが募る。
「ああ、それとも……恥ずかしいとか」
 顰めた声は、スミスの意図通りに揶揄いの色を含んでいた。
 かあっとイサミの頬が紅潮する。怒りによるものかあるいは羞恥によるものか、判断はつかなかった。床についたままのイサミの拳がぎゅうと握りしめられるのが、視界の端に見えた。
「俺に、仲間を想って泣いてるところは見られたくなかった?」

(中略)

……なあ、なんか観てんの?」
 下の段から声が聞こえてきて、スミスはイヤホンを外した。
「悪い、光とか漏れてたか?」
「いや、全然。ただいつもなんか観てるよなと思って、気になっただけ」
 イサミの睡眠を邪魔していたわけではないと知って、スミスは胸を撫で下ろす。
「これは機甲特警スパルガイザーって、ジャパンの特撮だよ。世代的にはイサミよりずっと上だろうから知らないと思うけど……イサミも観てみるか?」
「いや、俺はいいよ。……お前ってなんで日本の特撮が好きなんだ? アメリカならそれこそヒーローはたくさんいるだろ」
 提案はすげなく断られたが、イサミは続けてスミスに問う。
「アメコミも読まないわけじゃないよ。特撮だって全部が好きなわけじゃないし、アニメもコミックもヒーローものなら大体好きだ。だからスパルガイザーが特別……なのかな」
「そんなに面白いのか」
「面白いよ! すごく!」
 スミスにはスパルガイザーがいかに面白く心躍る作品であるか、夜通しでも語れる準備があったが、ぐっと留めた。代わりに作品のエッセンスだけをわかってもらおうと口を開く。
「主人公のユウキ……君と同じ漢字の勇気だ。は学生で、ふだんは少し気の弱い青年なんだけど、スパルガイザーに変身すると無敵のヒーローになるんだ。痛みも恐れも感じない勇敢なヒーローに。それってすごくクールだろ? そこが好きなんだ」
「なりたいのか? そんなふうに」
「もちろん! 憧れのヒーローだからね」
「ふうん」
 イサミは気のない返事をしたように思えたが、ぎしとはしごの軋む音がして、下を見ればイサミがこちらへ登ってきているのだった。
「えっ、イサミ、ちょ、なんで」
 スミスは慌てて、その辺に放り投げていたTシャツと雑誌をかき集めた。二人が同じ部屋に暮らすことを決めてからすぐイサミが制定したルールをスミスは律儀に守っていて、一人部屋だった頃の気楽さと汚さを保っているのはベッドの上だけだった。そこはスミスの領域なのだから好きにすればいいと言われたが、イサミが来るのなら話は別だ。好きな子を招くなら、綺麗なベッドの方が良いに決まっている。例えイサミがそんなつもりではなかったとしてもだ。

(サンプル終了)