紫輝
2025-02-08 09:35:50
12101文字
Public リとヌと御仔の話
 

はじめての職場見学

タイトル通りのリとヌと御仔とはじめてのパパの職場見学の話です。いつも通り御仔の可愛いを盛りすぎました。夢とロマンとご都合主義は標準装備です。

「では行ってくる」
 パパの唇と自分の頬にキスをくれたとうさまの言葉に、レヴィはその大きなアイオライトをぱちりとまたたいた。着替えはまだで。ご飯もまだだ。いつものとうさまはレヴィとパパと一緒に朝食をとるのに、そういえばテーブルの上には二人分の食器しかない。
 食事の時は無闇に席を立ってはならないと両親から言い聞かせられている。目の前でふわふわのパンケーキととろとろのスクランブルエッグが湯気を立てている今、レヴィは席を立てない。けれど言いつけを破ってでも椅子から降りなければ、とうさまは行ってしまう。
「やとうさま、おいてかないで
 フォークを握りしめぽろぽろと涙を流すレヴィに驚いたようにアメジストをまたたいたとうさまは、ああ、と呟いて微笑む。
「そうだった。お前に説明していなかったな。今日はパレ・メルモニアが少し慌ただしくすごく忙しい日なので、お前を連れて行くのが難しいのだ。だから今日は、パパと過ごして欲しい」
 涙を拭ってくれながらとうさまは言う。左側から伸びてきた大きな手が、くしゃくしゃと頭を撫でてくれて。
「そういうことだ。今日は俺と『おしごと』だ」
 一足先に食後の紅茶を楽しんでいたパパがにっ、と笑った。

はじめての職場見学


 涙も引っ込んでしまったのだろう、ラベンダー色の瞳が丸まったまま、持ち主と共に固まっている。息子の様に、リオセスリは苦笑して頬を掻いた。
「あー、やっぱとうさまの方がいいよなあ
「違う、リオセスリ殿」
「ん?」
 すぐさま入った否定に首を傾げると、ヌヴィレットはその瞳を愛おしげに細める。細い指が小さな頭を撫でた。
「その良し悪しはともかく、この仔は日頃から君の職場にメロピデ要塞に興味を持っている。大好きな『パパ』の仕事場だからな。そこに突然行けることになった上に、一日君と過ごせると知って、思考が洪水を起こしているのだろう」
 そのテノールが紡いだのは思いもかけない事だった。暗い海の底、金属と油のにおいの漂う、罪人のたまり場。リオセスリ自身はその重苦しさや独特の静謐を心地よく感じることもあるが、少なくともこの無垢で素直な愛しい息子を物見遊山気分で連れて行くに適さない環境だと思っている。ために、これまでレヴィがメロピデ要塞に足を踏み入れたことはなかった。せがまれるまま当たり障りのない範囲で要塞の事を語り聞かせてやってはいるがそれくらいだ。まさかフリーズするほど興味があるとは思ってもみなかった。
「パパ」
「ん?」
「きょうは、パパといっしょ?」
 ぱち、ぱち、とまたたいたレヴィが首を傾げる。どうやら再起動に成功したらしい。
「ああ、そうだ」
「ずっと?」
 重なる問いに目を細めた。きらきら輝く瞳とふよふよと揺れる蒼い触角が、言葉にされないそれはもう大きな期待を伝えてくれるのが可愛らしくて。
 危なっかしくフォークに引っかかっているパンケーキを、小さな手に手を添えてフォークごとそっと皿に着地させつつ微笑む。
「そのつもりだよ」
……んへ」
 聞いたことのない笑い方を聞いた。まるで目の前のスクランブルエッグのようにとろとろと笑う息子に思わずヌヴィレットへ目をやれば、彼は楽しそうに肩をふるわせている。
「よかったな、レヴィ」
「ん!」
「パパの言うことをよく聞くようにな」
「あい! とうさま、いってらっちゃ!」
 俄然元気を取り戻した息子の声に笑顔を返して出かけていくヌヴィレットを見送って、パパと『おしごと』いく、と前のめりになっているレヴィを宥めながら中断してしまっていた食事と身繕いを済ませ、リオセスリはレヴィを連れて家を出るのだった。



 ――熱意がすごい。メロピデ要塞のメインエリアに向かう巡水船の上で、右手に込める力をそっと強めながらリオセスリは驚く。呆気に取られていると言ってもいいかもしれない。繋いだ手の先には必要最低限の幅と光量が確保されただけの、どう見積もっても楽しさや美しさに欠ける水路をきょろきょろと熱心に観察している息子がいる。何かを感じているのか、ただの気分なのか、時々水面を見つめるように身を乗り出す目も手も離せない息子を見守りながらリオセスリはやれやれと笑み混じりにため息をついた。歌劇場の裏、要塞の入り口までは何度か足を運んだことのあるはずのレヴィだが、内部に入るというだけでこんなにはしゃがれるのは予想外だったなぁ、なんて、ここに至るまでの事を思い返しながら。
「えるはねちゃん、おはよう!」
「まあ、坊っちゃま! おはようございます。今日は公爵様とご一緒なんですね」
「うん!」
「よかったですねぇ」
「うん!!」
 通勤客に混じって乗り込んだナヴィア線でエルファネと為されたそんなやり取りから始まって、ルキナの泉周辺を見回っているヴェレダとブラシーネ、歌劇場前を警備しているアイフェなど、顔を合わせるメリュジーヌ達と全く同じやり取りをしながら通勤路を辿り、いよいよレヴィにとって初めての場所、メロピデ要塞へ繋がるリフト――厳密には要塞行きの巡水船のポートに繋がっているのだが――に辿り着いてからが凄かった。凄かったのだ。語彙力は今だけ捨てようと思う。
 踏みしめるようにして階段を降り、震える小さな手でリフトを起動(ここを押してごらんと促したのはリオセスリだ)し、そわそわと狭い箱に乗り込んで。
 パレ・メルモニアで乗り慣れているはずのリフトの中で面白みもない壁を真剣に見つめ、カラン、と到着を告げるベルが鳴りシャッタードアが開いた瞬間、レヴィが思いきり駆け出そうとしたのは繋いだ手に力を込めることで防いだ。多分虫の知らせだった。
「ついた?」
「いや、まだ入り口にも着いてないぞ」
 名も姿も知らない虫にそっと感謝しつつ揃ってリフトを降りると、辺りを見回したレヴィが首を傾げる。目の前にカウンターが、その後ろに水路が横たわるここは通称『報償の川』と呼ばれる、メロピデ要塞への通過駅だ。有罪を言い渡された者はここで警察隊、もしくは特巡隊員に見送られ巡水船に乗り込む。この時間に囚人の引き渡しが行われることはないため基本的に今の時分は無人のカウンターの横を通り抜け、リオセスリは「おふね!」と喜ぶ息子が『水の上』より少しだけ不親切なタラップに足を引っ掛けることがないよう、小さな身体を抱き上げてやったのだった。
「どうくつ!」
言われてみれば確かに洞窟っぽいな」
 元気な声に呼び戻される。水路は半ばまで来た辺りだろうか。蒼い触角をぴこんと揺らしたレヴィがリオセスリを見上げてくるのにうなずいてやると、同意を得られたのが嬉しかったのかふすんと鼻を鳴らした息子は壁や天井を走るパイプを見つめしみじみと言う。
「パパはまいにちどうくつをとおって『おしごと』いくんだねぇ」
 いいなぁ、と冒険心をくすぐられているらしい呟きが落ちたところで、見慣れたゲートが近づく。『洞窟の旅』は終わりのようだ。
「毎日違う空とか雲を見ながら『おしごと』にいくのも素敵だと思うぞ、パパは。それにとうさまが一緒だろ?」
「むぅでもでもねとうさまもパパといっしょにおしごとできたらいいのに
そうだなぁ」
 『洞窟』はこの仔にとって随分と魅力的らしい。つんと唇を尖らせるレヴィとくつりと喉を鳴らすリオセスリを乗せて、巡水船は開いたゲートを通り抜けた。
「ほぁ……!」
 ゲートを抜けた先、乗船時のようにリオセスリのエスコートで地面へ降り立ち顔を上げたレヴィが予想していた通りの反応を示してくれる。
 目の前に広がる巨大な硝子窓。向こう側に広がる海。キャパオーバーしてしまったのかその足を止めてしまった息子の頭をくしゃりと撫でて笑う。
「すごいだろ? パパのお気に入りの場所なんだ」
 リオセスリを見上げたレヴィはこくこくとうなずく。その口から声が発されることはなかったが、輝く瞳と揺れる触角が息子の言葉に表せない感銘を余さず伝えてくれていた。
「おっきいねぇ……
 ぺたりと硝子に触れながら精一杯首を上向けるレヴィの小さな身体は、頭に引っ張られてか上半身ごと後ろへ傾いている。子ども特有の危なっかしい姿勢は愛らしいのだが、このままいけば間違いなくひっくり返って後頭部を強打するだろう。後ろから抱き込むように屈み、レヴィの後頭部を肩で支えてやりながらその視線を追うように硝子越しの海を見上げる。さて、この仔には今何が見えているのだろうか。
「すごいねぇ……
 愛らしい声が心からの感嘆を紡いで、腹の前で組んでいた手を小さな両手が握る。きらきらと光を遊ばせる瞳は朝の海の煌めきにも負けないほどだ。レヴィの気の済むまでこうしていてやりたいが、残念ながら自分達は出勤中の身である。どうやって声を掛けようか悩み始めたリオセスリの視界を、見慣れた色が横切った。同時にそれに気づいたらしいレヴィが、「あっ!」と声を上げる。
「パパ、ラッコ!」
 くるりとリオセスリを振り返ったレヴィがぱあと笑う。硝子に頭突きする勢いでラッコとの距離を縮めようとするレヴィの狭い額を咄嗟に手のひらで守りつつ、ぶんぶんと手を振る息子に合わせてリオセスリも片手を上げた。青い海獣は答えるようにくるくるくる、と旋回する。
「時々遊びに来るんだ。休憩中なんかによく会うぞ」
 まあ同じラッコかどうかは分からないんだが――伴侶や息子のように一匹一匹を判別できるほどの目をまだ持っていないリオセスリが苦笑しながら話すのを、そっかあ、とうなずきながら聞いていたレヴィがはっと息を呑む。
「きゅうけいおしごと!」
 パパちこくしちゃう。
 気づいてくれたらしい。あわあわと口にしてへにょりと眉を下げるレヴィの頭を撫でてリオセスリは立ち上がる。
「レヴィがもうちょっとラッコと遊びたがったら無理矢理バイバイさせないといけなかったがまだ間に合う時間だから平気さ。昼にまたこような」
「あい!」
 またね、とラッコに手を振ったレヴィが「いそぐ? はしる?」とそわそわ聞いてくるのには否を返した。目的地は目の前の通路の先だし、不測の事態に備えて早めに出てきている。レヴィを同伴することは看守に周知してあるし、何よりリオセスリは職場の責任者である。少しくらい定刻をオーバーしてもなんとでもなる――のは、栄えある法の体現者たる伴侶の血も継ぐ息子には秘密だ。
「もうすぐ近くまで来てるから大丈夫だ。もしかして走ったことあるのかい?」
「ううん。とうさまと『おしごと』いくときにね、「ちこくだ! いそげ!」ってはしってるひとがいたの」
 あの人遅刻しなかったかなぁ、と見ず知らずの人間を慮るレヴィは、その時に「遅刻」の意味をヌヴィレットに聞いたのだろう。心からよかった。遅刻を免れるためにダッシュする最高審判官はいなかったらしい。それはそれで親しみのある姿になっただろうか。いや親しみよりも危機感を覚えられそうな気がするなぁ――つらつらと考えつつ、リオセスリは少々乱れてしまった息子の髪を整えてやってから手を繋ぎ直し、足を踏み出したのだった。

「おはようございます、公爵様」
 内部へ繋がるリフトの前に立っていた男から掛けられた声に、ついさっきまで警備のマシナリーへにこにこと手を振っていたレヴィがぴゃっと飛び上がりリオセスリの背中に張り付く。ちら、と顔半分を覗かせて相手を窺う息子の頭をぽんぽんと撫でてやって、リオセスリは男へと声をほうった。
「おはよう、アルバートくん」
 声かけついでの手招きに応じてやってきた男は上級看守の制服を纏っている。ロマンスグレーの髪と白い口髭、品のある立ち振る舞い。初老を冠するほどの年齢なのもあって執事服の方が似合いに思えるが、彼はれっきとしたメロピデ要塞の看守だった。リオセスリとは囚人時代からの顔見知りだ。あの時代にあって、看守の立場ながらシグウィンの次くらいにリオセスリを気にかけてくれていたもの好きな男である。
 責任者を引き継いだ後も部下として自身を補佐してくれている男は、リオセスリにとって両手に満たない「信頼」のおける人間でもあった。自分が傍にいてやれない時に愛息子を任せてもいいと思えるくらいに。
 アルバートがレヴィを見つめ相好を崩す。
「こちらが御令息ですな。なるほど、ヌヴィレット様によく似ておいでだ」
「俺に似なくて一安心だよ」
「何を仰いますか。このおぐしの黒は公爵様のお色を継いだのでしょう。カッコイイではないですか」
……だあれ?」
 うんうんとうなずき、リオセスリと親しげに言葉を交わすアルバートに少しだけ警戒を緩めたらしいレヴィがぽそりと聞いてくる。
「アルバートさんだ。俺の仕事を手伝ってくれてる」
「初めまして、若様。父上の部下こほん、お仕事のお手伝いをさせていただいているアルバートと申します」
「ある、あるば、」
「呼びにくいでしょうから、どうぞ『じい』とお呼びください。私くらいの年齢の、仲良しの人間を呼ぶ言葉です。若様とはこれから仲良しになりたいですから」
 レヴィは長い人名をまだうまく発声できない。『長い人名』の中にはリオセスリの名も含まれているのだが、一生懸命練習しているのが大変可愛らしいのであと十年くらいこのままでもいいのになぁ、なんて思っていたりする。閑話休題。眉と拳をきゅっとして復唱を試みる息子と目線を合わせるように膝をついたアルバートから、にこにこと示された通称案に思わず肩を竦めた。
「愉快な方向性で来たな」
「夢を叶える良い機会かと思いまして」
 アルバートは少し前から稲妻の娯楽小説にハマっているらしい。『武士』の独特の言い回しやその崇高な精神のあり方に非常に感銘を受けたそうで、最近言い回しの端々にその影響が滲んでいる。レヴィを“若様”と呼ぶのもその一部らしいので、恐らくこれ・・もそうなのだろう。
えっと、ぼくはレヴィ。よろしくね、じい」
「はい、よろしくお願いします。お近づきの印にこちらをお一つどうぞ」
 素直にうなずきアルバートの夢を叶えてやったレヴィの前に、箱が一つ差し出される。箱には1.5cmほどの、それぞれ色とりどりの包装紙に包まれた何かが詰まっており、甘い香りが鼻をくすぐった。
「おかし!」
 目を輝かせたレヴィにぱっと見上げられる。言い聞かせている「知らない大人から渡されたものはすぐに受け取らない」をきちんと実践できる優秀な我が仔に頬をゆるめ、うなずきで応えた。
「良かったな。これはパパの勘だが、チョコレートだって気がするぞ」
「ちょこ!」
 ひとつ、いっこ、と言い聞かせるように唱えながら箱を覗き込むレヴィをアルバートと共に見守る。細い指が宝探しをするように包装紙をかき分けかき分け、これと決めたらしい一つをそっとつまみ上げて手のひらにのせた。
「これにする!」
 レヴィの小さな手のひらの上に収まった水色の包装紙のそれに、アルバートが目尻を下げて笑う。
「若様は水色がお好きですか」
「うん。パパのおめめのいろだから。あとね、むらさきもすき。とうさまのおめめのいろだよ」
 綺麗なんだよ、なる得意げな声音に危うく止まりかけた息の根を気合いで再生して、一連のやりとりをヌヴィレットへの本日の共有事項に書き加え、ひとまず深くゆっくりと息を吸い込んだ。
「いい仔だろ?」
「声が震えておりますぞ、公爵」
「気のせいじゃないか?」
 ふふんとそれはもう楽しげに笑われるのには空とぼけておいた。



 パパが連れてきてくれていた『おともだち』を抱きしめて、レヴィはんふふと笑う。パパの執務室お部屋は全部が大きい外と違って小ぢんまりとしていて、出迎えてくれた螺旋階段と、「屋根裏部屋」のような雰囲気に瞬く間にレヴィの心は掴まれた。そこは大好きなパパの匂いでいっぱいで、とうさまの執務室お部屋より狭いので『おしごと』中でもパパがすぐ近くにいるのもとても素敵だ(とうさまの執務室はかけっこができてしまうくらい広いので、レヴィのいる場所ととうさまが遠いのがちょっぴり寂しいなぁとレヴィは思っている)。
 レヴィがご機嫌なのにはもう一つ理由がある。
 その理由――パパとここに来る前、医務室で聞いた『おはなし』を、レヴィは『おともだち』の黒い毛並みを撫でながら思い返した。

「メロピデ要塞はどうかしら」
 シグウィンが明るく笑う。近くにはアルバートが控えており、リオセスリの姿はなかった。その腕の中からメロピデ要塞を見て回っていて、ちょうどここへやってきた時リオセスリが呼び止められてしまったのだ。「ごめんな、すぐ戻るよ」と、眉を下げながら頭を撫でてくれたパパを見送って、手招かれるままシグウィンの目の前の椅子に腰掛けたレヴィに、彼女が口にした言葉がそれだった。
「ひみつきちみたい」
 内緒のリフトから船に乗り、洞窟を抜けた先に広がる、海の底だというのが信じられない大きな空間。天井は見えないくらい高くて、端から端までレヴィが歩いたら疲れてしまうんじゃないかと思うくらい広くて。カンカンカン、と面白い足音がして、そこここにへんてこな機械がある、不思議で、ドキドキわくわくする場所だ。ちょっぴり怖い気配もするけれど、未知に溢れた楽しい場所、というのが、メロピデ要塞に対する今のところのレヴィの印象だった。
 次は抱っこなしでここを歩いてみたいなぁ。心の中に小さな希望をいだきつつそう答えたレヴィに、二人はふわりと笑う。
「なるほど。水の底にありますし、迷路みたいになっていますしね」
「とっても楽しそう! 素敵な表現ね。このお城の中身を作ったパパも喜ぶと思うのよ」
 ぽんと手を合わせたシグウィンの華やいだ声音がそう言って、レヴィは首を傾げた。
「おしろ? パパがつくったの?」
「ええ。高い天井やたくさんのリフトは前からあったけど、ウチやアルバートさんがここで元気にお仕事できるようにしてくれたのも、悪いことをした人たちが安心して反省できるようにしたのもパパなの。レヴィ君がこのお城を気に入ってくれたら、パパすっごく喜ぶと思うわ。と~っても頑張ってたんだから!」
 ぐっ、と両手を体の前で握るシグウィンはとても誇らしげで、なんだかレヴィも嬉しくなってくる。
「そうなの?」
「そうですよ。以前のメロピデ要塞は今よりもっともっと怖いところでしたから。公爵様がここをあの方の『お城』にしてくださったおかげで「ちょっと怖い」くらいになりました」
「ほぁ
 そわそわとした気持ちでアルバートを振り仰げば老爺はゆったりと笑んで答えてくれて、レヴィは思わずシグウィンのように両手を握り込む。
 レヴィはパパやとうさまがどれだけすごい人なのかを大人たちから聞くのが好きだった。だって自慢の両親なのだ。かっこよくて、強くて、優しい両親が、他の人からもそう見えていたらそれはレヴィにとってとても嬉しい事なので。
「レヴィ君のパパはすごいのよ!」
 シグウィンが口にした一番嬉しい言葉に、レヴィの小さな胸は誇らしさでいっぱいになる。握った拳はそのままに、ふすんと鼻を鳴らし、頬を紅潮させてこくこくと、それはもう嬉しげにうなずくレヴィの愛らしい様に、シグウィンとアルバートが笑み崩れた――ところで、鋼板を叩く音が医務室に響いた。
「パパ!」
「おっと、大歓迎だな」
 待ちきれずに椅子から飛び降り抱きつくレヴィを、リオセスリは肩を揺らしながら受け止めてくれる。
「パパはすごいねぇ」
 寂しくさせたな、と頭を撫でてくれる手に大丈夫と首を振り、自分を見上げてふやんと笑ったレヴィの顔を、リオセスリは伴侶との会話の中で「わかっちゃいたが末恐ろしい」「可愛さが正面から殴りにくる笑顔」と評するのだが、それは今ものちもレヴィの知る由もない話だ。
 ともかくレヴィの脈絡のない賛辞に首を傾げたリオセスリは、傾げた首を大人たちの方へ巡らせる。
看護師長、何を話したんだ?」
「内緒よ」
「アルバートくん」
「秘密です」
……
 情報を秘匿する二人をリオセスリはしばらく見つめていたが、視線をにこにこと受け止める二人から情報は引き出せないと察したのだろう。諦めたように溜め息をついて、まあレヴィがご機嫌だってことは悪い事じゃないだろうしいいか、と鼻を鳴らした。二人が『おはなし』を内緒にした理由はレヴィにはわからないけれど、みんな楽しそうだからいいのかな、と、レヴィもそれを大切に心の中にしまうことにしたのだった。

 ――そう、かっこいいパパは、大人から見てもすごくてかっこいいのだ。
 うん。と、深くうなずいてから、天井でクルクルと回っているプロペラや、パパの後ろの狼のレリーフ、時々不思議な揺れ方をするランプの光、何より普段は見る機会のない「お仕事中のパパ」の顔を飽きずに眺めていると、パパが手を止めこちらを見てくれた。
「そんなに見られてると緊張するな」
 穴が空いちまいそうだと頬を掻きながら笑われてレヴィは慌てる。大事なパパに穴が空くなんて大事件だ。思わず『おともだち』を目の前に掲げて目線を遮ったレヴィに、パパはくつくつと笑う。
「そういう表現があるんだ。本当に空くわけじゃないから平気さ」
 おいで、と招かれるのに駆け寄ると、パパはレヴィを膝に乗せてくれて。
「とうさまのこともそうやってじっと見てるのかい?」
「うん。でもずっとじゃないよ。ごほんよんだり、おえかきしたりしてるから」
「そうかぁヌヴィレットさんは流石だな。俺は見えるところにレヴィがいると構いたくなっちまうんだが」
 ふにふにと包んだ頬を撫でてくれながら唸るパパの温かい手に小さな手を重ねてレヴィは考える。「お仕事中のとうさま」の事を。
 お仕事中のとうさまはとにかくずっと忙しそう――というのがレヴィの印象だ。机の上はいつも紙が積み上がっているし、『お客様』もたくさんくる。それにレヴィの定位置ととうさまの机はちょっぴり離れているので、レヴィがじっと見ていても気づかないのかもしれない。そんなような事をパパに語ると、そんなことはないと思うぞとパパは笑った。
「とうさまはいつもお前のことを気にかけてるからな。とうさまは気持ちの切り替えが上手だから、気にしないようにするスイッチみたいなのを入れたり消したりしてるのかもなぁ。夕の鐘が鳴るまで声もかけてくれない、なんてことないだろ?」
うん。きゅうけいのときとか、ごはんたべたあととか、だっこしてくれるよ」
「そうか」
「あとね、たまに、おきゃくさまがかえったあと」
 レヴィの話をうんうんと聞いてくれていたパパが不思議そうに首を傾げるので。
「おいでってしてくれてね、だっこしてくれて、う〜ってしてる」
「なるほど。う〜ってしてるのか」
「うん。う〜ってしてるの」
 その時のとうさまの様子を表現するためにくしゃりと顔を歪めながら説明したレヴィに、パパは楽しげに低く笑う。
「それは多分、一生懸命『お客様』と喋って疲れちまったんだろうな。レヴィを抱っこして元気になろうとしてるんだろう」
……そっかぁ」
 抱っこしてもらえるのが嬉しくて今まで不思議に思ったこともなかったけれど、なるほどそういう事情があったのか、と、レヴィはとうさまへ思いを馳せる。言われてみれば、そんな時のとうさまはちょっぴり元気がない気がした。
「パパ」
「ん?」
「ぼくにね、できることあるかなあ?」
 とうさまには元気でいて欲しい。パパのようにお茶を淹れたりご飯を作ったりはできないけれども、とうさまのために何かしたい。レヴィの真剣な表情にぱちりとアクアマリンを瞬いたパパの答えは、お前にしかできないことがあるぞ、だった。
「力いっぱいぎゅっとしてあげるといい」
「ぎゅってするだけでいいの?」
「そうさ。レヴィがそうしてくれたら、とうさまは元気になれるはずだ。俺もな」
「パパも?」
 ああ、とうなずくパパが言うには、大切な人とぎゅっとしたりされたりすると嬉しくて元気になれるらしい。
「ほんとだ……!」
 試してみようか、と抱き込まれた広い胸から顔を上げて、レヴィは感嘆の声を上げる。確かにこれはとても嬉しくて元気になれることだ。
「とうさまがう〜ってなったらぎゅってする!」
「ああ。俺の分もぎゅっとしてあげてくれ。とうさまは頑張り過ぎちまうからな」
「あい!」
 こうしてこの日、レヴィは何故か困ったように眉を下げて笑うパパと大切な約束を増やしたのだった。



 あのあと。
 すっかり懐いたアルバートと少しだけ管理エリアを散歩して、ウォルジーが腕を振るったランチに舌鼓を打ち、昼の休憩時間を目一杯ラッコとの戯れに使いつつ、誰が見ても楽しいですと書かれているのがわかるほどの満面の笑みでリオセスリの仕事ぶりを観察して初めてのメロピデ要塞訪問を終えたレヴィのハイテンションは、夜になっても据え置きだった。
「おっきくて、ひろくて、きかいがいっぱいあって、ひみつきちみたいだった! おふねがどうくつをとおってね、あとね、ラッコがみえるんだよ!」
 溢れ出た興奮にフォークを揺らしながらレヴィが一生懸命に話す今日の思い出を、ヌヴィレットが微笑みながら聞いている。彼の「慌てなくていいから、まずそれを口に入れてごっくんしなさい」がなければついさっきまで刺さっていたプチトマトが部屋の隅まで飛んでいっていたかもしれない。
「これはね、ごはんのおじちゃんがくれたの」
 一度フォークを置いたレヴィが傍らに置いていた小さな旗を振る。ランチのオムライスを飾っていたそれは端材と紙で作られており、メロピデ要塞のエンブレムが描かれていた。持ち帰りたがるのを予想していたらしいウォルジーの丁寧な仕事により持ち手の端は怪我をしないよう丸く処理されている。意外な特技を見た。料理人であるから手先が器用なのは予想がついていたけれども。
 大いにその旗を気に入ったらしいレヴィは、午後から帰ってくる時までずっとそれを握って過ごしていた。メロピデ要塞の誇るシェフに、心尽くしのもてなしの感謝を込めて金ならぬ特別許可券一封を進呈することをリオセスリはすでに決めている。
「ああメロピデ要塞のシンボルが描かれているのか。ふふ、勇ましくて良いな」
 みてみて、と差し出されたそれをカトラリーを置いて検分したヌヴィレットが瞳をゆるめるのに、レヴィは高らかに宣言する。
「たからものにする!」
「また宝物が増えたな」
「ん! あとね、あと、パパ、かっこよかったあ
「ングッ」
 手の中に戻ってきた旗をそっとテーブルの端に置いてこくこくとうなずいたレヴィが、不意にへにゃりと笑んで口にした一言に咀嚼していた茄子が気管に転がり込んだ。急に来たな、と、冷静な部分が頭を抱える。
「パパはね、ひみつきちのおうさまなんだよ。みんなパパにたすけてっていいにくるの」
 さてそんなことはあっただろうか。本日の業務内容を思い出すも、いつも通りに、大きな問題もなく執務を終えた記憶しかなかった。片隅のソファに可愛いお客さんがいたので報告に訪れた看守たちがちらちらとそちらを気にしたりはしていたけれども。
「そうか。これは皆には内緒の話なのだが、パパが王様をやってくれているから、私はお前と夕の鐘が鳴ったら帰れるのだよ」
「そうなの?! パパすごいね!!」
 そういえばレヴィは業務時間中騒いだり駆け回ったりせずお行儀良くしていて偉かったなぁ、などと半分逃避を含んだ脱線をしていた思考は、花を飛ばす勢いで(少なくともリオセスリにはそう見えた)微笑み、深くうなずいたヌヴィレットが何故か誇らかに口にした台詞で軌道修正を余儀なくされた。
「ヌヴィレットさん、それは事実の誇張だと思うんだが」
 元首兼最高審判官様の業務に、水底の要塞のアレコレがそれほどまでに影響があるとは思えない。
「君がメロピデ要塞を統べるようになってから彼の地に関する業務は過去に類を見ない円滑さで回っている。正当な評価だと思うが?」
……アリガトウゴザイマス」
 そっと差し出した反論に心底不思議そうに首を傾げられ、リオセスリは観念した。メロピデ要塞は国を支える大きな歯車の一つだと理解している。当然そこに関わる業務も多岐に渡るだろうし、その辺りが滞りなく流れればその分の時間を他所に割ける。ヌヴィレットが言っているのはそういう事なのだろう。多分。きっと。水龍特有の身内に対するガバ判定などではない。はずだ。
「うむ。これからもよろしく頼む。こうして家族で食卓を囲めるのは君の優秀さあってこそだ」
「褒めてもらってもなにも出ないんだが」
「? 君が私たちの元へ帰ってきてくれればそれ以上望むこともないが
……はあああああ」
 ふわりと笑んでから小首を傾げるヌヴィレットに、リオセスリはとうとう天を仰いだ。相変わらずこの伴侶は無意識にコロしにくる。この親あってこの仔ありだ。早晩親愛なる看護師長から高血圧の診断を頂戴する羽目になるかもしれない。
「パパ」
「ん?」
「またつれてってね」
 一連のやり取りをにこにこと見守っていたレヴィの呼びかけに姿勢を戻しつつ応えると、ラベンダーの瞳は期待に輝いていて。
怖いおじさんがあんまりいない日を探しておくよ」
 可愛い息子の願いを叶えてやりたい親心と要塞へ息子を招くリスクを天秤にかけ唸るように答えたリオセスリの鼓膜を、やった、と喜ぶ無邪気な声と、それに「よかったな」と答える穏やかな音律が揺らした。