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井見
2025-02-07 22:51:12
3801文字
Public
真Ⅲ二次
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甘さを舐めとって
受胎前に現代東京のグルメを味わう十四代目というリクエストをいただいた時のものです。
2023年2月ごろ。
地面を足が捉える感覚。
遅れて、僕は顔を上げた。
目に入るのは、人、人、人。縁日でもあろうか、しかし歓声も怒号もなく、機械のように整然と往来が続いている。
呆気に取られる僕の頬を、何かがかすめた。車だ。路の中心は歩行者が立ち入れぬ専用の路が舗装され、大小様々な車両が目にも止まらぬ速さで走り抜けていた。
突如何かが激しく輝いて、僕は目を細めた。途切れた雲の隙間から現れた太陽の光が反射して、僕の目を刺していた。あまりにも巨大で、全身を鏡のようにする摩天楼──銀楼閣どころか東京駅すら遥かに凌ぐそれらが、当たり前のように乱立し、青空を狭めている。
賑わいとも少し異なる、全てが〝多い〟世界。これが、将来の帝都だという。
依頼のために、僕らはとうとう時間すら越えてしまった。
だが、この川を繋ぐ大橋から臨む、なだらかにのびる坂の風景は、僕の知るものと変わりない。
橋の鮮やかな赤が落ち着いた灰に塗り替えられ、橋を渡る人々の服装も全く見慣れぬものになっていようとも、景色は、時間は、繋がっている。否、繋がってはいないのかもしれない。それでも同じ空気を、感じざるを得なかった。
『
……
七十年か。それだけあれば、こうもなろう。七十年あれば、線路が引かれ、鉄の塊が走るようにもなるのだからな』
ゴウトにとって、世界の変化など見慣れたものなのかもしれない。途方もないほどの時間を彼は過ごしてきたのだ。だが思わしげに呟くゴウトは、少なからずこの世界に驚いているようにも思えた。七十年を見つめ続けることと、七十年将来へ飛ばされることは、やはり全く異なるのだろう。
『
……
さて、件の場所へ行くとするか。地形がそのままであるなら、ここからおよそ南西だろう』
仕切り直すように、ゴウトは僕の前に出る。建物や道の形が変わっても、川や坂といった自然は確かな物証となってそこにある。件の場所、すなわち新宿へ、僕らは歩き始めた。
歩けば一時間とかからない距離だが、様変わりした光景に呆けるあまり、随分長い道のりに感じる。
『口が開いているぞ』
指摘され、唇を引いた。そう言うゴウトも、尻尾が揺れている。
ここでやるべきことは、指定の時刻までに、新宿衛生病院という場所へ立ち入ることである。だが指定の時刻までには、まだ二刻ほどある。
病院まで続く道は、首が痛くなるほどに高いビルヂングが林立していた。どれもが異なる様相を為していて、雑多過ぎるあまりいっそ無個性にも見える。ここは一体どこなのか、道のりだけが共通点で、標識の案内を思わず確認してしまう。
しかし突如植物が生い茂り、見慣れた景色が描かれる。
そこは新宿の緑溢れる庭園、現代では公園らしい。今では万人に開かれているという。折角の機会だと思って、僕は足を踏み入れた。
公園の中の景色は、さほど驚きを与えない。自然の姿を楽しむ者や、開かれた場所で読書に耽る者、飼い犬を遊ばせる者もいるし、友人や家族と体を動かす者もいる。朗らかな昼下がりと言える。
『
……
暢気なものだな。結構なことだ』
ゴウトは鼻を鳴らした。呆れたような物言いは、むしろ慈しみの証だった。
平和そのもの。憩いの形は変わらない。
そのまま道なりに園内を巡る。人の流れが段々と増えてくると、少し視線を感じた。この格好はこの時代では目立っているらしい。だがどうすることもできないので、いっそ堂々とする。その方がいいと聞いていた。
道の第一の終着点は、どうやら休憩所らしかった。野原に布を敷き昼飯を楽しんでいる人が多い。広場の置き椅子も満員で、皆談話に興じたり、何かを食べたり飲んだり、思い思いに過ごしていた。手製の弁当、水筒の茶、この時代の揚げ菓子か何か
……
。あまりに多種多様である。
中でもあのご婦人は、何を食べているのだろう。
ワッフルのようなものの上に、白いクリームが乗った、飾り気のない──おそらく西洋菓子。見たことがないものだ。巻かれたクリームは、パンケーキのバターのように、とろりと溶け始めている。女性はその形の崩れかけているクリームを、透明なスプーンで器用に掬って食べていた。
ゴウトは訝しむように僕を見つめた。翠眼がちろりと輝く。
『まさか、食べたい
……
などとは言うまいな』
食べたい。食べたいのか。
そうかもしれない。
ゴウトの指摘が、却って僕の感情を固めた。
婦人の食べ物に器は無く、時間と共に少しづつ形が崩れていくようだから、家から持ち出したとは考えにくい。であればここで作ったか。それにしては、彼女は全くの身軽だ。であれば、この近くのどこかで売り出されているものだろう。
辺りを見回しても、店らしい建物は見当たらない。しかし車両の側面を切り離したような奇妙な箱に、店のような看板と、販売している商品が描かれた札が飾られていた。女性の食しているものと同じである。これだ。どうやら、〝ソフトクリーム〟と言うらしい。まさしくソフトなクリームか。
絵の隣には、値段と思しき数字が描かれている。一応のために、モコイに集めさせた現代の金がこんな所で役立った。千の字が記された紙幣なら、おそらく三桁の額を払うことができるだろう。
『
……
まあ、好きにしたらいいんじゃないか』
ゴウトは早々に諦めた。溜め息が吐けるなら吐きたい、そんな調子で鳴いている。いつものことだ。
店員にその紙幣を差し出して、件の〝ソフトクリーム〟を注文した。店員の視線は、僕の頭の頂点から足の先まで、二度往復する。明らかに僕を不審がっている。この格好はこの時代にとってやはり古すぎるらしい。
「映画の役作りをしているんです。それで、少し休憩を」
予め決めた通りの言葉と、表情で以て言ってみた。はっきりと断言してしまえば、「本当ですか」とは聞き難いものらしい。
店員は納得したのか、あるいは深入りはやめておこうと判断したのか、購入の手続きは滞りなく進んだ。釣り銭と思しき硬貨を幾つか手渡され、少し待つように言われた。
店員は後ろを向くと、箱の中から既に焼かれたワッフルを取り出し、大箱に取り付けられた蛇口の先へ添えた。そして蛇口の上のレバーを下ろすと、蛇口からあの白いクリームがまさしく蛇のように現れた。クリームはみるみるとぐろを巻き、ワッフルの上に鎮座する。
お待ちの方と呼ばれて、その奇妙な菓子を受け取った。
その真白いクリームは、間近で見ると、知っているクリームと少し異なっていた。
クリームの中に透明なかけらが散りばめられている。
そして菓子を持つ手は、みるみる冷えていく。
つまり、氷だ。現代の氷菓子は、新雪のようになめらからしい。
近くの置き椅子は満員で、芝生にそのまま腰を下ろした。その間にもクリームは溶け始めている。
一緒に渡されたスプーンを差し込んで、少し急いで口に運んだ。
まず冷たかった。
そして甘かった。
練乳でできた雪のような味わい。舌で顎裏に押し潰すと、すぐに口内の温度でとろけて、甘い液体と化す。冷える舌先に牛乳の風味がまとわりつき、甘さを訴え続ける。
『どうだ、味は』
匂いは伝わってくるのだろう。ゴウトは大きな目を細めて、不審がっている。
「
……
濃い。甘い。冷たい」
『
……
もっとないのか、表現が
……
』
「食べるか。いや
……
」これが猫の体にどのような作用を及ぼすかわからない。「それはまずいか」
『要らぬ。はやく食べてしまって、その惚け面をどうにかしろ』
ゴウトは呆れたように丸くなる。にやけ面だのにこにこ顔だの、菓子を食べているとよく言われる。顔が緩んでしまっているらしいが、その自覚はないままだ。鏡でも見ながら食べる練習をした方がよいかもしれない。
この僅かな隙にまた溶け始めたクリームを、慌てて口に運んだ。溶け落ちた一滴がワッフルを伝い、指までやってくる。行儀は悪いが、その液体を舐めとった。やはり甘い。シロップをそのまま舐めているようだ。
残ったワッフルは、そのクリームで少ししけっている。ぱり、と音を立てる部分と、しっとりとした部分とが合間って、一つで二つ分の食感がある。なによりワッフル自体も、クリームほどではないせよ、甘い。
あっという間に食べ終わってしまった。残った紙ごみは設置されている屑籠に捨てた。
甘い時間は終わった。
『黄泉竈食いにならぬようにしろよ』
怪訝な表情の答えはそれか。全く異なる世界のものを口にするには抵抗があるらしい。
「むしろこれから黄泉の国へ行くようなものだ」
この穏やかな昼下がりも、あと数刻もすれば終わりを迎える。
指定の日付、指定の時刻、定められた絶対の滅び。
如何なる手段でもそれを防ぐことはできない。日が昇り沈むが如く当然に、この世界は生まれ、そして死ぬのだという。僕にはどうすることもできないし、僕の目的はその後にある。
だから僕は、この将来の帝都を見捨てに来たのだ。
──心を割いてはいけない。僕には届かぬ場所もある。
ゴウトは僕の前に躍り出た。何も言わず、くい、と頭で先を促した。僕は頷く。
新宿衛生病院はすぐそこだ。依頼は漸く始まる。終わりも始まる。
僕は唇を舐めた。クリームの甘さが、まだ残っていた。
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