ぶんどき
2025-02-07 17:32:28
1470文字
Public 依頼
 

微熱のステップ

アングラな二人がワルツを踊る話。
skebリクエストありがとうございました!

 二人が訪れていたのは、昭和時代に建てられ今はもう使われていないダンスホールだった。当時は社交ダンスをする人々で賑わっていたであろうこの場所は、すっかり古びた廃墟と化していた。閉館した後もこうして建物が残っているのは利権関係が曖昧で、それがかえって後ろ暗い者達にとっては都合が良い場所だったからだ。闇取引の場所として使われることも少なくはなく、今夜もここで金銭を授受したばかりだった。伏見の足下に置いてあるアタッシュケースの中には受け取った札束が隙間なく収納されている。
「帰りましょうか、伏見さん」
「今日はついてきてくれはっておおきになぁ、烏ノはん」
 普段は事務の仕事が多い烏ノだが、今日は丁度手が空いていたため付き添い人として伏見と一緒に来ていた。
「いえ、お気になさらず。……ん、あれは」
 烏ノが目を細めてホールの奥の方を見る。付近に何かが落ちているのを見つけたようだった。近づいてみると、床には古めかしい小型のラジオが落ちていた。
……ラジオのようです。だいぶ古そうですが」
「さっきの人が落としたんかなぁ、それとも、もっと前からあったか……
 手に取ってかちかちとボタンを押してみると、じじ、とノイズが走った後、電源がついた。何か音が流れているのはわかるが上手く聞き取れない。ダイヤルを回し周波数を調整すれば、比較的明瞭に聞こえるようになった。
 ラジオから流れてきたのはピアノの旋律だった。それはゆったりとした三拍子のリズムでワルツを奏でている。
「音楽、流れていますね」
 曲名も作曲家もわからないが、耳なじみが良い曲だと烏ノは思った。その時、不意に腕を引かれる。咄嗟にラジオを落としそうになり慌ててそっと地面に置く。
「急にどうしたんです──」
 ぐいっと引き寄せられ、腰に伏見の腕が回される。そのまま彼は足を一歩引いた。自分は足を踏み出す。
「ほら、せっかくのダンスホールなんやし、一曲付き合ってや」
 伏見はにんまりと笑うと、ラジオから流れる音楽に合わせてステップを踏み始めた。
「え? 私、ダンスの経験なんて……
「ええからええから、ウチに合わせたって、な?」
 伏見の笑顔の奥にどんな感情が隠されているのか、最も近くにいる烏ノですらわからないことが多々ある。少し困惑しながらもその動きに合わせながら見よう見まねでステップを踏む。
「烏ノさん、ほんまにはじめて? 上手いやん」
 ノイズ混じりのピアノの音色はダンスホールが隆盛していた頃を思い起こさせた。きっと当時の人々はこの場所で出会いを求め、手を取り合い夜もすがら踊っていたのだろう。
 密着する身体、衣擦れの音、絡んだ指先から伝わる熱。二人を見ているのは窓の外の月だけだった。くるくると回る、踊る。視線が交差する。優雅な音楽とは裏腹に、その瞳は熱っぽくて、何かを求めているようだった。息がかかるほど顔が近づく。あと数センチで──。
 その時、一際激しいノイズが走ったかと思うとガガ、ピ、と妙な音を立ててラジオは止まってしまった。ついに限界が来たのだろう。自分達も動きを止め、再び静寂が訪れた。
「あら、止まってしもうた」
「相当古いもののようでしたからね」
……ほな、帰ろか」
「ええ」
 しかし、どうも不完全燃焼のような心地で、熱はまだ内に燻ったままだった。それは伏見も同じなようで、速やかに荷物をまとめていた。再び目と目が合う。にこり、と彼のその妖しい笑みに一種の野性を感じ、ぞくりと背筋が震える。──早く帰りたい、理由が出来てしまった。