いまさら
2024-06-15 02:56:02
3177文字
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アメ

飴食べてる研クロ 高3と大学生

 暑い。溶けそうな暑さだ。実際、溶けている。
 ジャージのポケットから出てきた飴の包み。中身はまだ入っているが、初夏の真昼の気温に負けて、おそらく表面が一度溶けている。小さな包みの中でわずかに転がる余裕もなく、ぺたりとビニールに張りついて固まってしまっている。りんご味の飴。
 これ、いつのやつだ……と考えて、思い出すのやめとこうかな、と思考の踵を返しかけた。
「おー、研磨。ナイスタイミング」
 バッドタイミング。いま一番会いたくて、会いたくないひと。手中の飴をくれたひと。
「ええ、朝練の時間なんですけど……大学生はこんな時間から忙しいわけ」
 家の前で鉢合わせたのは隣の家に住む友人だった。おれがクロと呼ぶそのひとは、今年の春から大学に進学し、毎日忙しそうに過ごしている。
 生活のあり方が変わったからといって、めっきり会わなくなった、というわけでもない。ただ、それまでは毎日登下校と部活の時間を共に過ごしていたので、当然ながら去年と比べれば会う時間は減った。
「今からバイト。スーパーの品出し」
「そんないかにも疲れそうなバイトやってんの」
「これが結構いい運動になるのよ」
 駅までの道を並んで歩く。久しぶりに隣に立つクロは、部活の赤いジャージではなく、ラフな私服姿だ。なんだかちゃんと大学生に見えて、嫌だな、と思う。たまに、どうしようもなくこの一年の年齢差をもどかしく感じる。
 クロたちが去って半年ほど経ち、先週はインターハイの予選だった。去年と違うメンバーで去年と同じところまで登って、敗退。インターハイ出場は叶わなかった。切り替えて春高出場に向けて練習を続けている。
 そんなタイミングで出くわしたのに、クロはひとこともバレーの話題を振ってこない。おれに会ってナイスタイミングと言うなら、バレーの話がしたかったんじゃないの。
 予選だって見に来ていて、試合が終わった後に体育館のロビーで他のメンバーには色々声をかけていたくせに、おれにはお疲れ、とひとことだけ。アドバイスが欲しいわけでもないが、何かもっと…………もっと、何なんだろう。自分でもクロに何を求めているのか分からない。
 そのときにおれがほしい言葉、もしくは何かもっと別のもの、の代わりにくれたのがこの飴だった。「飴いる?」と聞かれたら欲しくなくてももらっちゃうのはどうしてなんだろう。
 溶けた飴を握りしめながら、クロの隣を歩く。歩くのが遅いおれに合わせて長い脚の歩幅が狭まる。
「クロは……大学のバレーはどう」
 とうとうおれから話を振った。クロは一瞬だけきょとんとして、それから何の含みもない笑顔で楽しいよ、とだけ答えた。食えないやつ、の笑い方ではなく、おれの部屋に「研磨、バレーしよう」と誘いにきていたときと同じ笑顔。
 楽しいって、どんなふうに楽しいの。どんなチームでどんな練習してるの。先輩とは上手くやってる? 試合はあった? 出場した? 勝った? 負けた?
 そうやって色んな疑問が浮かぶのに、ひとつも口に出せなかった。
「クロたちって、すごかったんだね」
 疑問の代わりにそんな言葉がこぼれ落ちて焦る。こんなことを言おうとしていたわけではない。
「なにが?」クロは何の気なしに聞き返す。
「なんていうか、チームをまとめる力、みたいなの」
「ああ……俺のときは、夜久と海がいたから。あのふたりのおかげ。二年も一年もみんな自由だったけど良いやつらだったしな」
 三年生が卒業してみると、その存在の大きさが身に沁みて分かった。体育館に響く声が減って、空になったロッカーの人数分だけ部室は広くなって、同じメニューでも練習はきつく感じられる。
 ゲームの運びだけではなく、練習の雰囲気や部員同士の関係、というものが不思議なほどに上手くいっていたのは三年の力によるものが大きかったのだ、と気がついた。
「たしかに夜久くんいると空気がしまるよね」
「そうそう。で、海がうまーくフォローしてさ。良いバランスだった」
 クロは自分についてあまり話さない。主将としてチームをどう見ていたのか、自分のことをどう思っていたのか。どうして今になってこんなことが気になるのだろう。
「研磨もさ」
 少し高い位置から声が降ってくる。懐かしい、と思ってしまうのが寂しい。見上げると、少しいたずらっぽい笑みを浮かべたクロと目が合った。
「頼りなさいよ。チームメイトを」
 いつも後輩たちにしていた示唆的な助言とは違って、友達に対する気さくでまっすぐなアドバイスだった。おれが欲しかったものはこれだったのか、と手渡されてから気づく。
 クロはいつもそう。そのひとが自分でも正体を掴めない望みを簡単に見破って、そして簡単に相手にそれを渡す。もしくは、クロが他人の中に望みを作ってしまっているのかもしれない。そう考えて、まさかそんな、詐欺師みたいな、と後者を打ち消す。
 クロがどういうつもりだとしても、おれはたった今もらった言葉を大事に胸にしまわなければならないのだ。一緒にコートに立たなくなっても、今は別のひとがクロにトスを上げているとしても、もしおれがバレーをやめても、おれたちは友達同士だ。
 駅が近づいてくる。飴の存在を思い出して立ち止まるとクロも足を止める。
「クロ、目、瞑って」
「なに?」
 問うくせに疑いはせずに言われたとおりにする。うつ伏せで寝るせいであまり見たことがない閉眼の顔を見て、なんで簡単に言うこと聞くんだよ、とその素直さに苛立った。飴の袋を破って小さな砂糖の塊をつまむ。
「口開けて」
 これも簡単に聞き入れられた。薄い唇がぱかりと開いて、赤い口内が露わになる。そこにぽいと飴を放り込むと、クロが驚いて目を開ける。
 口開けて、の時点で何か入れられることは考えなかったんだろうか、とまた妙に苛立った。おれは暑いせいで機嫌が良くないのかもしれない。
「りんご味」
 クロは呑気に飴を転がす。どうせ誰がその飴をおれにくれたのかも覚えていないのだろう。再び歩き出し、しばらくするとクロは何か思い出したようにごそごそとリュックの中に手を突っ込んで、ガサガサと何かを取り出す。
「研磨も目瞑って口開けて」
「嫌だ」
「なんで! じゃあこれあげるわ」
 大きな手が小さな包みをおれに手渡す。おれの手のひらには黄色い輪っかの飴が置かれていた。
「昨日バイト先で見つけて、なんか研磨思い出して買っちゃったわー」
 別におれってそこまでこの飴食べてないけど、と思いながらまたそれをポケットにしまう。この友達は変なことばかり覚えている。駅までの道が遠く、そして短く思える。
 溶けた飴をつまんだせいで指先が少しベタついて不快だ。
 早い時間でももう暑い空の下を歩く。溶けてしまいそう。実際、クロへの気持ちが溶けかけている。気づきたくなかった、と悔しくなる。
 友達であることに安心して、そのあとにまた別のものを欲してしまっている、ような気がする。おれの表面はきれいな形を保てないかもしれない。必死のコーティングが溶けたらその中には何があるんだろう。
 前髪が汗で額に張り付く。クロは涼しげに隣を歩いている。この背の高い友人は汗をかいていても疲れていても妙に余裕があるように見えるが、昔は、もっと幼い頃は違った気がする。いつのまにか大人になった横顔を盗み見ながら歩いていると、クロが「お、」と何かに気づいた。
「この飴、中からなんか出てきた」
「なに、シロップ的な?」
「そんな感じ、うまい」
 こんな小さなことで嬉しそうに笑うところは変わってないかも。美味しいんだったらもらっとけばよかった、と逃した飴を少し後悔しながらポケットの中の飴を握りしめた。これもきっと暑さで溶けてしまう。