いまさら
2024-05-29 16:21:26
3635文字
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ラッキーメニューは豚キムチ炒め

大人の研クロ なんでもダシにしていちゃつくふたり

 朝から居間の電気がついていたので、さてはまた作業中に寝落ちか、と顔を出してみると研磨は思いのほか元気そうな顔でテレビを見ていた。
 見ているというよりは、眺めている、という方が近いか。こたつ布団をしまったローテーブルに肘をついて、あんまり真に受けてないような、ただ動く画面を視界に入れているといった風でテレビに顔を向けている。
 おはよう、と声をかける前に研磨がぽそりと呟いた。
「豚キムチ炒め……
「おはよー、晩メシのリクエストですか?」
 妙に具体的な料理名だ、と思いながら後ろから挨拶をすると研磨がこちらを振り返った。
「あ、おはよ。あれ、今日の占い」
 研磨がテレビの画面を指さす。朝のニュース番組。時間が7時から8時に変わる2、3分前に流れる占いだ。
 画面には「12位てんびん座 ラッキーメニュー豚キムチ炒め」と表示されている。ラッキーアイテムならぬラッキーメニューとは、と思いつつも研磨の謎の呟きの正体が分かってすっきりした。
「研磨12位だったのかー。ザンネンね」
「もう今日は家から出ない」
「それはいつもだろ」
 信じていないくせに、神妙な顔でそんなことを言うのがおかしくて俺は笑ってしまう。テレビは8時を告げて新たなニュースを放送しているが、俺と研磨はもう画面を見ていなかった。
「最下位発表するときに謝るなら初めから占いなんか流さないでほしい」
「これにこんなに真剣に向き合ってるひといるんだ。いいじゃない、謝ったあとにラッキーアイテム教えてくれるんだから」
「そう、だから実は一番救いがないのは十一位なんだよね」
「あ、そうですか……
 研磨、こんなに朝の占いを憎んでいたのか。知らなかった。そもそもこいつ朝はあんまり起きてこないし。この占いの時間に間に合うことなんか滅多にないくせに、見たら見たで突然文句を言ってて面白い。
「しかし豚キムチって。朝食べる系ではないよな。昼?」
「昼じゃもう午前中の不運は取り返せないよ」
「じゃあ、やっぱり朝メシですか」
「クロも朝から納豆とキムチ混ぜて食べてるし」
 研磨は納豆が好きじゃない。わざとらしく眉間に皺を寄せて俺を見上げる。朝から面白くてかわいいひと。
「なんで、納豆キムチはおいしいでしょうが!」
 そう返すとけたけた笑っている。いつもの応酬。「ところで、豚キムチはさ、問題はキムチじゃなくて豚肉のほうなのよ、脂がね、朝から……
 冷蔵庫の中身を思い出す。
 研磨が言ったとおりキムチと納豆は主に俺がよく食べるのでまだあるし、そういえばこれ早く使い切らなきゃなと思ってた豚バラもあったはず。安かったのでとりあえず買ったけど何に使うか特に決めてなかったのでちょうどいいか。
「研磨、米は?」「米はちょっと」「りょーかい」
 寝巻きのまま台所へ向かう。朝から脂が……なんて言ったけど話してたら食べたいような気がしてきたので、適当に炒めて朝食の一品にすることにした。
 豚肉とキムチだけ、他の具材はなし。フライパンにごま油を垂らして、炒めて終わりの簡単なやつ。でもこういうシンプルなのが美味いよな。凝ってないものって家でしか食べられないというか。味も工程も手軽で好きだ。
 フライパンの上で具材に熱が通る音を聞きながら、これで本日の星座占い最下位の研磨の不運もどこかへ消えるだろうと考える。俺はなんて良い彼氏なんだ。
「え、クロほんとに作ってんの?」
 後ろから研磨の声が聞こえた。台所へも届くような若干大きめの声。多分、匂いが居間にも漂ってるんだろう。
「そーよ。愛する研磨クンのために」
 俺が答えると、研磨が何か言う声がするが、言葉は聞き取れなかった。まあ、あとは皿に盛るだけだし。
 米とインスタントの味噌汁(減塩)と豚キムチ炒め。働くアラサー男性としては上々ではないでしょうか。一時期は多忙すぎて落ちていた体重も戻ってきた。健康診断も異常はなかった。
「いただきます」
 ふたりで手を合わせて食べ始める。
「どう?」「ウマイ。ありがとう」「よかったー」
「せっかくおいしいのになんでそんなことを……
 俺が豚キムチに納豆を混ぜて食べるのを研磨はまた不審がるような目で見てくる。だって、絶対美味しいと思ったから……
 案の定、ちゃんと美味しい。キムチもだけど、ごま油と納豆って合う。納豆にかけるためだけに、京都から高いごま油を取り寄せることもある。他の安いやつじゃ満足できなくなりそうだから、たまの贅沢だけど。
「研磨にはこのうまさが分からないの、悔しいよ、俺は」
 大げさに顔を覆ってみせると、研磨からは「においがムリ」とつれない返事。まあ、苦手なものを無理に食べろとは言わない。
 研磨は痩せた見た目のわりには飯は食うし、俺が作ったものは自分でもちょっと失敗だったな、と思うようなものも食べてくれる。
 ゲームの配信って頭を使うからだろうか。プレイしながら喋ってコメントも拾って、って至難の業だ。とにかく、恐らく意外とカロリーを消費する仕事なので、こうして飯を食べている姿を見ると安心する。
「ごちそうさまでした」
 ひと足先に食べ終えてシンクに皿を置いていると、研磨も台所に皿を下げに来た。
「クロ」
 隣に並んだ研磨が俺を呼ぶ。なんだか珍しい声色だったので、俺は思わず研磨を見下ろした。かちりと目が合う。もう20年以上こいつのことを知っているけど、何も変わらないように見える。
「あいしてるよ」
 唐突だった。え、なんかあったっけ。今日……5月の……何日だっけ。いや、好意なんかいつ伝えたっていいけど。
「んえ? あ、俺も、あいしてますケド。何、急に」
「相手に気持ちが届かず誤解される、って言ってたから。さっき、テレビで」
「あ、そういうこと。ご心配なく、届いてますとも! それはもう、めちゃくちゃに」
 俺は最後の順位とラッキーメニュー以外を見逃したが、多分てんびん座の占いの内容がそんな感じだったんだろう。研磨、変なところで律儀。
 ただの思いつきだとしても、愛する人から愛してるって言われて嬉しくないわけがない。
「俺もあいしてますよー」
 研磨を抱きしめて頬に顔を寄せると、研磨はものすごく嫌そうに表情を歪めて、俺の顔を手で押しのける。
 あれだ、抱っこ嫌いな猫がやるやつ。これもお決まりのやりとり、みたいなものだ。
「納豆食べたあとにキスしないでって言ってるじゃん」
 納豆食べたあとはいつもこう。俺はそれが面白くてついついちょっかいをかけてしまう。研磨も毎度ご丁寧に嫌がる。
 じゃあ納豆食べた後に告白しないでちょうだいよ、キスしてもおかしくない流れじゃん。
「ひどい。それ誤解される発言よ?」
「歯磨いて、顔洗って」
「はいはい」
 言われた通りに洗面所に向かって、身支度を始める。
 着替えながらスーツ、そろそろ暑いな、と少し憂鬱になるが、ここ何日かの仕事の進捗を思い出して姿勢を正す。仕事はいい感じに進んでる。気を抜かずに頑張りたい。
「じゃ、行ってくるー。帰り遅くなるわ、多分」
「いってらっしゃい。おれも夜は配信の準備してるから」
 研磨はいつも俺が家を出る時間は寝てることが多いけど、起きてるときはこうして見送りに来てくれる。玄関の段差の上に立つ研磨と今はあまり視線が変わらなかった。むしろ俺がちょっと見上げるくらい?
「あ、そうだ」
 少し背伸びをして、気だるそうに立つ研磨の唇を奪った。ちゅ、と一瞬、触れるだけ。「研磨クン、あいしてる♡」
 おどけて言う。さっき、キスさせてもらえなかったから、その分だ。朝から改まって愛を伝えられて何もしないって、俺はあんまり我慢できない。
「エヘ、歯磨きしたから……
 研磨が黙り込んでいるので、あれ、すべったかな、と不安になって見上げると、研磨は俺が隣で納豆食べてるときより険しい顔をしていた。
 え、怒らせた? と思ったのも束の間、研磨は俺の頬を掴んで唇を重ねてくる。あ、なるほど、お返しね、うんうん……ん? え、行ってきます行ってらっしゃいのちゅーにしては長くない? 朝から玄関先でするやつじゃなくない? 待って、やばいやばい、舌が、入って、「ギャー! 遅刻! 遅刻する」
 今度は俺が腕を突っ張る番だった。恐らく顔を真っ赤にしてるであろう俺に対して、研磨は余裕の笑みを浮かべている。
「いってらっしゃい、クロ、愛してるよ」
「い、いってきます!」
 俺はどんな顔をしていいか分からずに、逃げるように家を出た。
 あ、俺ってもしかして今日の占い11位だったのかな? それか1位。あまりにも幸せな混乱は、平穏に仕事を進めるには少し危険なものだった。それから職場までどうやって辿り着いたか、覚えてない。(でも俺は偉いのでその日の業務もミスすることなく無事にやり遂げましたとさ。おしまいおしまい)